それは確かな希望
「陛下が来ていないって、本当なの?」
すっかり口調を親し気なものにしたマリッカに、アイリは頷いた。マリッカはおかしいわね、と先ほどのアイリのように首を傾げる。豊かな黒髪がさらりと揺れて、思わずアイリは見惚れた。
マリッカは首を傾げながら、指でくるくると髪を弄ぶ。考え事をする時の癖なのかもしれない、と思いながらアイリはマリッカの言葉を待った。
「やっぱり変よ。私たちの元にも来ていないから、てっきりあなたの所に行っているものかと思っていたのに」
「それは私もです。マリッカ様の所か、オネルヴァ様の所だろうと」
「私はともかく、オネルヴァの所へは行かないと思うわよ。オネルヴァはあまり好きじゃない、と昔から言っているもの」
さりげなく、私の所には来るだろうと匂わせるのは、マリッカらしいところである。嫌味が無く、いっそ清々しい。第一王子と第一王女を産んだ余裕が窺えた。
もしかしたら、オネルヴァはそれが気に入らないのだろうか、とアイリはふと思った。あの時の冷たい瞳を思い出すと、未だに背筋がぞっとしてしまう。
王子と王女を彼女に託したら、どうなる事か。きっと、嬉しい結果にはならない。マリッカも分かっているからの選択で、子供達の将来を考えているのだ。自分がいなくなった後の。
そう思うと胸が痛んだが、アイリが口にしたのは別の言葉だ。
「陛下もそろそろ、私のような娘を相手にするのに、疲れて来たのではないでしょうか」
自分で言っておいて、虚しくなる。自分は待っているのだ、と気づかされてしまい、思わず唇を噛みしめた。姉上は王を好きになる、とヴィルヘルムが言った言葉が、いよいよ現実になっていることに気が付く。
マリッカはそんなアイリの方に身を乗り出して、勢いよく口を開いた。
「それはいけないわ。あなたには陛下の心をしっかり留めておいてくれないと。あなたの事憎たらしく思った事もあるけれど、オネルヴァに渡すよりはいいわ」
聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしたが、アイリが何か言う前に、マリッカは鈴を鳴らして侍女を呼んだ。そして何故かここに泊まらせると告げると、珊瑚の宮へ使いを出した。
目を白黒させるアイリに構わず、マリッカは自分の知ってるファビアーノについて、あれやこれやと説明し始めたのである。たまに惚気話も入ったが、それはそれ。マリッカの勢いに圧され、アイリは聞き続けるしかない。
それはその日だけに留まる事は無く、長らく続いた。珊瑚の宮の侍女やミーナにとっても、それは習慣と化して、最初は猛反発していた彼女たちも何も言わず、真珠の宮へ送り出すようになったほどであった。