籠の鳥となる
ファビアーノは膝を突いたままのアイリを立たせると、僅かに首を傾げてアイリを見つめる。アイリは頭一つ高いファビアーノを見上げるが、すぐに目を伏せた。
王の顔を間近で見るのは、少しだけ気が引けた。未だに戸惑う自分を、見破られたくなかったから。それに一瞬交差した瞳が、エヴァルドと同じ緑色をしていたから。
ファビアーノが何も言わない事に、少し言い過ぎただろうか、と思うアイリの視線の端で、おもむろにファビアーノは灰金色の髪を一房掬い上げ、口づけを落とす。
思わず息を飲んだアイリに、ファビアーノは言った。思いのほか優しい声音は、まるで威嚇する子猫を宥めるかのようだ。
「このままがよい。美しい髪色なのだから」
「……もったいないお言葉にございます」
呟くように言ったアイリに笑いながら頷き、ファビアーノは再び椅子に戻って座る。楽しそうなその様子を従者が苦笑したが、二人とも気がつく事は無かった。
「さて。長旅で疲れただろう。今日はもうゆっくり休むといい。そなたには珊瑚の宮に入ってもらう。調度品は大方揃えてあるが、入り用な時は言ってくれ。それから、あの棟からは海がよく見える。海が好きだと聞いたからな。珊瑚の宮しかなかったとはいえ、ちょうど良かった。それから中庭はそなた専用だ。好きな花を植えるといい」
「お気遣いいただき、恐悦至極にございます」
楽し気な言葉にそう返しながらも、アイリの心は上の空だった。そう簡単に、心は追い付いてくれない。
海が好きだと教えたのは、間違いなく父しかいない、とアイリは思う。この結婚を一番喜んでいたのは、他ならぬ父だ。アイリの好みなどすべて、とっくに王に伝えてあるのだろう。
例え三番目でも機会はあると、今日この日まで耳に胼胝ができるほど言われたアイリである。けれどアイリとしては、その願いに応える意思もなく、ただ静かに過ごせればよかったのだけれど。
願わくば王妃では無く、元婚約者になってしまった彼と。
だがそれはもう、叶わぬ願いだ。
切ない吐息を思わず漏らしてしまうが、ファビアーノに気が付いた様子はなく、言葉を紡ぐ。
「披露目は明後日行うから、そのつもりでな」
「かしこまりました」
頭を下げて正式な礼を王に捧げ、アイリは退室していく。足取りは軽いとは言えず、その顔には笑みが見えない。
今日からの生活を思うとその心は憂鬱だった。王妃になれば、何があっても、例え何かしらの罪を犯したとしても、王宮から出ることは出来ない。
アイリは今まさしく、籠の鳥となったのだ。