もの思う頃
空が茜色に染まる頃、ヴィルヘルムは珊瑚の宮を出て、アイリが玄関先でそれを見送る。あの後は国王との仲には触れず、思い出話に花を咲かせて楽しい時を過ごしたのだった。
「それでは姉上、お元気で。お体にお気をつけて。無理はなさいませんように」
「そういうあなたもね。時々手紙をくれると嬉しいわ。それから、私に言われてもと思うでしょうけど、いい加減結婚相手を決めて、安心させてちょうだい。みんなによろしくね」
苦笑して去って行く背中に、アイリは手を振った。その背中が見えなくなると手を下ろし、遠くの空を見つめる。
今の時間帯の空がアイリは一番好きだ。黄昏時の空が移り行く様が、どこか寂しいけれど美しくて。毎日違うから、何度見ても飽きる事は無い。
――そういえば、お母様とよく、夕焼けの下を歩いていたわね。
灰金色の髪をした二人が手を繋いで並んで歩いていれば、それだけで目立ったものである。けれど、ザヴィカンナス侯爵領の者たちは皆優しく、アイリの母ヴェロニカが初めてその地に足を踏み入れた時も、温かく迎え入れてくれたとか。
それがとても嬉しかったのよ、と母からよく聞いていたアイリも、あの場所が大好きだった。兄や弟と一緒に町の子たちと遊びまわったり、馬に乗れるようになってからはエヴァルドとも遠乗りに出かけたり。十六歳で社交界にデビューするまで、あの場所だけがアイリのすべてだった。
十九歳になった今日改めて、それが遥か遠くに過ぎ去ってしまったような気がした。
やがて、空が藍色に染まると、アイリは空から視線を外した。その先に、ファビアーノが歩いてくる姿が見えて、ドキリとする。ヴィルヘルムに自分の心中を話した後で会うのは、少し気まずかった。
それにもしかしたら、通常は夕暮れ時にそれはありえないが、急用で他の宮へ向かう途中かもしれない。慌てて室内に戻ろうとするアイリを、しかしその声が引き止めた。
「アイリ」
叫んだわけでは無いが、その声にアイリは縫い止められる。ファビアーノは、シャツにパンツという身軽な出で立ちをしていた。そして、足取りも軽やかにアイリの元にたどり着くと笑みを浮かべる。
「丁度良かった。瑪瑙の宮で夕食をどうかと思って、迎えに来た」
「もしかして私、約束をすっかり忘れていましたか?」
普通、こういう時は従者が知らせに来るものだ。昼間にファビアーノが来る時でさえ、まずは先ぶれが来る。だから、はっとして慌ててそう確認した。
けれどファビアーノは笑って、そうではない、と口を開く。