気分転換
思考の淵から舞い戻り、アイリは湖を改めて見つめた。白樺の木々に囲まれた湖は澄んだ美しい水を湛え、風に揺れる水面に青空が映っている様が目を楽しませる。
昼を過ぎて暖かくなった風は、うとうとと眠気を誘い、侍女の一人が船を漕いでいた。もう少し気温が高くなる時期には、湖に足を浸すのも気持ちがよさそうだ。
こんなに穏やかな午後は久しぶりである。輿入れしてからは、初めてかもしれない。
後宮では、何故か週に二、三度はマリッカにお茶に招かれていた。それなりに気分転換にはなって楽しい一方、ある程度緊張感を持って臨むため、自分の宮へ帰るとどっと疲れが押し寄せる。
また、中庭の手入れも着手し始めたし、ファビアーノが来る日は、朝から支度に追われて忙しい。王妃として式典などに出席するようになれば、もっと忙しくなるだろう。
あっという間に時間は過ぎる訳よね、と今朝こそ侍女たちと話していたものだ。それを思いだし、アイリは小さく笑った。
「美しい場所ですね」
穏やかなその口ぶりに、アイリの隣で横になっていたファビアーノの口許に笑みが浮かぶ。この外出は、まだ後宮に不慣れなアイリを思いやってのものだ。
「ああ。気に入って何よりだ。俺もたまに一人になりたい時に来る。口うるさい従者もいるが」
「まぁ。聞こえますよ」
「聞かせてやった方がいい。幼なじみだからといって、少しばかり敬意が足りないからな」
冗談めかして言ったファビアーノに、アイリがクスクスと笑う。鈴を転がすような笑い声は、最近になって少しずつ聞かれるようになった。
それはアイリが、今の暮らしに馴染んできた証拠だろう。まだまだ、悩み事は尽きないものの、それはいい傾向である。
「信頼していらっしゃるのですね」
「そう聞こえたか?」
「はい。陛下がそのような言葉を口にするのは、臣下ではラウロ様に対してだけですもの」
「それは確かにな。気を許せるという点では、ラウロがいてくれないと困る」
ファビアーノもそれに同意して快活に笑い、言葉を続けた。
「この森に来ると、よい気分転換になっていい。こんな天気の日は特に。王宮に籠ってばかりでは気が詰まるというものだ。そう思わないか?」
「それは……」
どう答えたらいいか迷い目を泳がせるアイリに、ファビアーノは自分の失言に気がついたようだ。気まずそうに、視線を逸らす。
「すまない。答えられないことを聞いた」
後宮に住まう王妃たちが、自分の意思で自由に行動できるのはあの後宮に於いて他にはなく。それを息が詰まるなどと言ってしまったら、王への非難にもなりかねない。