丸い顔の人気者
隣村にパンを運ぶ最中、実に珍しいことにハプニングがあった。かつての俺なら仕事中に起きるハプニングなど悲鳴を上げたくなるくらい嫌な出来事だった。仕事中に起こる予定調和でない出来事など冗談じゃない。だが毎日を“決められた設定”のように繰り返している今の俺は、そんな冗談じゃない出来事を切望していた。
ハプニング。
それは唐突に始まるお正月やクリスマス。時おりやって来る旅人などだ。
今回のそれは、その中でも最大級に楽しいものだった。
まずトラックが縦に揺れる。持ち上げられる浮遊感を感じて、タイヤが地面から浮き、そのままゆさゆさと揺れるのだ。そんな尋常ではない事態。だが俺には覚えがあった。そして予想通り聞こえてきたのは嫌に楽し気な男の声だった。
頭に二本のアンテナのようなものをつけた奇妙な帽子を被る、黒づくめの男だ。そいつはいつものように大笑いしながら俺に言うのだ。
「はっ~はははっ、お前の持っているパンはいただいた!」
大きな機械の手が左右からトラックを掴む。それは目の前に浮かぶ空飛ぶ円盤から伸びていた。
「これで村の連中はパンが食べれなくて大困りなのだ~っ! みんな腹ペコになるがいい~っ!!」
円盤の上半分は透明になっていて、そこに乗る彼は上機嫌で言う。まさしく有頂天という言葉が相応しい様だった。
黒づくめの彼は村人からは“嫌われ者”と呼ばれていた。その名が示す通り、彼は村人が迷惑がることばかりする。今日のようにパンを運ぶトラックを襲ったり、家や壁に落書きをしたり、通行人に水をかけたりするのだ。
それだけ聞けば嫌われ者の名も納得なのだが、皆と違って俺は彼のことがそれほど嫌ってはいなかった。コイツはたしかに迷惑な男だが、他人を怪我させるようなことはしない。何しろ俺たちはパンがなくなって腹ペコになったとしても根本的な意味で困ることはない。他の悪戯も然りだ。大抵は落書きを消す仕事の人が現れたりするので深刻な問題が発生することはない。
そして何より、彼が放っておいても問題がない最大の理由がある。
「は~はっはは~っ! みんな困るがいいのだぁっ!」
勝ち誇るように嫌われ者は笑う。
そのとき声がした。
「そんなことはさせないぞ!」
現れたのは丸い顔の男だ。赤い服に、黄色の手袋とブーツ。その背に纏うは茶色のマント。こいつの名は“人気者”といい『嫌われ者をやっつける』という何とも奇特な仕事をしている男だった。
「お前は人気者!? またオレ様の邪魔をするつもりだな!」
「もちろんだ。ボクがいる限り、みんなが困るようなことは許さないぞ!」
「生意気なヤツめ。やっつけてやるぞぉ~!」
演劇のような掛け合い。こういうやり取りがいつもの彼らのお約束だった。少なくとも俺の前に嫌われ者が現れたとき、彼らはいつもこういう寸劇を挟んでいる。
そうして戦いが始まる。
俺のトラックは知らない間に開放されていて、円盤に乗った嫌われ者と無手の人気者が戦う。
もちろん結果は解っている。
人気者の勝ちだ。
嫌われ者の円盤は派手な音を立てて壊され、乗っていた彼はいつものように捨て台詞を吐きながら飛んで行くのだ。
予定調和の勝利。それはいわばプロレスだ。嫌われ者は人気者に負けるまでが、彼の仕事なのだ。
村のみんなはけっこう本気で嫌われ者のことを嫌がっているのだが、俺はコイツのことがそんなに嫌いじゃない。同じ明日が焼き増しのような延々と繰り返す生活の中で、彼の存在はちょっとしたスパイスになっていたからだ。
「アイツ……今日は勝たないかな」
絶対に無いとは知りつつ声に出して呟いていた。
いつも負けると知っていながら戦うアイツはどういう気持ちなのだろう。この不死者の世界ではどれだけ負けようとも彼が必要以上に傷つくことはない。今日、負けたとしても、彼はやっぱり立ち上がり、そしてまた負ける。それを延々と繰り返すのだ。
俺は食べる必要もない人たちのために、毎日のように延々と食料を運ぶ。それがこの世界における俺の仕事で、本質的には意味などないのだろう。それでも俺は仕事をする。何しろ他にすることがないのだ。
この世界の人間は存在するもの以上のことを望まない。何かを生み出そうとしても他人は興味を示さず、生み出してもそれにかまうことはない。
発展も成長もない、倦んだ生活。それがこの世界だ。
だけどもし、そんな世界で彼が勝つことが出来れば、何かが変わるかもしれない。
一抹の希望を抱いて俺は嫌われ者の戦いを見る。
空飛ぶ円盤から伸びた二本の腕は螺旋を描くように伸び、人気者を上下から、左右から、叩き潰すように迫っていく。その複雑な挙動はとても目では追えるものではないのだが、人気者はマントをなびかせると、かすらせる事もせずにそれを躱した。
猛攻は続き円盤から伸びた腕は、ある時は槌を、ある時は鋏を取り出して人気者を攻撃するのだが、それでも彼には届かなかった。
そうして最後の時は訪れる。人気者の拳が唸りをあげると嫌われ者の乗る円盤を捉える。何か必殺技と思しき名が裂帛する気合とともに放たれ、空飛ぶ円盤は爆砕する。そこから鳴り響くのは嫌われ者のいつもの捨て台詞だ。
彼はその仕事に従い、いつものように負けた。殉じたのだ。
俺はそれに身勝手な失望を抱きつつ、人気者を見て言った。
「あ……ありがとう」
「いや、なんてことはないさ」
「そうだな、なんてことはないんだな」
それが彼の仕事だからだ。
彼は決して負けない。延々と勝ち続けるのだろう。
「どうしたんだい? 元気がないみたいだけど?」
「ああ、別に大したことはないよ。ちょっとお腹がすいているのさ」
それは彼を前にしたときの俺の仕事だった。
嫌われ者に襲われ、人気者に助けられ、そして彼を前にしたときは時おりこのセリフを言う。それが俺の仕事だった。
「そうなんだね。じゃあ、これを食べるといい」
そう言って手渡されたのは菓子パンだ。彼はパン工場のいわば食客で、こうして爺さんの作ったパンをひもじいい者に食わせるのが彼の仕事なのだ。もちろん見返りはない。もちろんパンなど与えなくとも誰も餓死したりなどしない。
「美味しいですね」
「それは良かった。じゃあ、困ったことがあったらいつでも呼んでね」
爽やかに言い放ち彼は立ち去る。
手に残ったのは食べさしの菓子パンだ。パン工場の爺さんの腕は確かなのだが、それでも失敗することはあるのだろう。小豆で出来た餡の入ったパンは少ししょっぱい味がした。
俺は嫌われ者と人気者が戦った跡を見る。
嫌われ者は今日も勝てなかった。
きっと明日も勝てないのだろう。
『人気者にやっつけられる』という仕事をしている以上、彼が勝てる日は永遠にこないのだ。それを考えると胸が絞めつけられた。俺は食べる必要もないパンを延々と配り続けている。その姿が彼と重なったのだ。
その次の日、朝起きた俺はパン工場に向かわず村を出た。
理由はつまらないものだ。
とにかくこの倦んだ生活から逃れたかったのだ。幸いにもこの世界では食べずとも大丈夫だ。目的もなく山に籠るだけでも生きていけるのだ。
そうして俺はトラックで行ける所まで行く。燃料など考える必要はない。何しろ一度も給油したことなどないのだ。
美しい自然。草は茂り、木々は萌え、空は青い。だがそこに動物はない。鳥も虫も魚もだ。不死者の世界において、それ以外の命は存在しないのだ。
それでも人里離れた場所で、霞を食って、仙人のように生きていけるのではないか。
そう考えて仕事を放り出して山に籠ったのだ。
仕事も嫌だし、不死者の連中とも関わりあいになりたくない。
そうして幾日も時間が過ぎていく、空腹は感じるがそれも続くと慣れてくるものだ。以前は2週間ほどの絶食だったが、それが倍になってもまるで問題がない。
肉体的には問題がない。
そして最初に折れたのは精神の方だった。
だが考えてみれば当然だ。
俺は『無駄に食料を配り続ける』という生活が耐えきれずに仕事を放りだした人間だ。そんな人間が『山の中で何もしない』なんて仕事に耐えられる筈がないのだ。
人恋しさに耐えきれなくなった俺は山を下りた。
結局、俺は中途半端な男だ。与えられた仕事も出来ない男が自分で仕事を作ってやっていくなんて出来るはずがないんだ。
失意のままに山を下りる。代り映えのない景色だが、山が開けて人の痕跡を見つけたときほっとした。そうして徐々に日常が戻り始めると、俺はふと自分の仕事を思い出した。この一か月の間、俺は自分の仕事を放り出してしまっていた。この世界の人間は別に食べなくたって死ぬことはないが、それでも急にパンを配達する人間がいなくなったら困ったりしなかっただろうか?
当たり前の疑念が生まれ、罪悪感が湧き上がる。どうしてこんな簡単なことに気づかなかったんだろう。
考えたとき分かったのは結局、俺は周囲に甘えていたということなんだろう。この世界の人間は押しなべて善良で、彼らに怒られたり、恨まれたりするというイメージが持てなかったからだ。
「馬鹿なことをしちまったな……」
後悔が口をつく。今の俺は相当に格好悪い駄目なヤツだ。きっと善良なこの村の人々はそれでも俺を受け入れてくれるだろう。だがそれでも筋を通さなければいけないだろう。
「謝らないといけないな。一人一人に頭を下げて……」
そう考えたとき一番最初に思い付いたのは、うさぎみたいに可愛らしい学校の先生だった。その事実にひどく驚く。どうやら思っていたよりも俺は彼女に惚れていたらしい。彼女のひまわりのような笑顔を思い出して、俺はトラックを走らせる。
そのとき道行く人たちを見て、俺は息を呑んだ。
「どういうことだ?」
困惑する。そこにいたのは見覚えのある老人だ。その彼が見覚えのある袋を持って歩いている。
「何でだ?」
それは俺がパンを配達するときに使っている袋だ。
おかしい?
何でだ!?
何で持っている!??
それをするのは俺の仕事じゃなかったのか?
アクセルを踏む。荷台は空なのだが、そもそもそんなにスピードの出る車じゃない。ある意味スローライフに相応しい車なのだが、今はそれが厭わしい。
袋を持っている人はひとりだけじゃなかった。中にはパンを取り出して食べている人もいた。
焦った俺は学校へと急ぐ。するとそこには一台のトラックが止められていた。俺と同じトラックだ。そこに何が積まれているのかなど考える間でもないだろう。
先生と楽し気に話しているのは、四角い顔をしたトラックの運転手だった。