恋のメール送者
何だか落ち着かない。さっき出したメールの返事がまだ来ないからか。傍の携帯電話を見ると、もう深夜2時を回っている。さすがに彼女も寝てしまっただろうか。僕も気が気でない割には目がしょぼしょぼとしてきて、眠気に襲われてきつつあった。
突如ファンファーレが鳴り、驚きで身体がビクつくと共に、閉じ掛けた瞼が一気に開いた。彼女からのメールだ。慌てて脇に置いていた携帯電話を掴み取る。
「やっほ〜。平石君まだ起きてる?あたしまだ眠くならないよ〜」
たったこれだけの文章を見るために、胸ときめかせ待っていたのだ。僕はすぐに携帯を操作し、「返信」を選んだ。
「起きてたよ。うとうとしてきたけどね」
とここまで書いて、続きが浮かばなくなった。頭をひねるが、再び眠気も入り混じって、うまく言葉が出て来ない。「返事を出さなくては」という義務感を持った自分と、「眠いんだから寝てしまえ」と囁く自分がせめぎ合いをしていた。右手には携帯電話を持ち、仰向けになって眺めてはいるが、今にも手からこぼれ落ちてしまいそうだ…
気付いた時は朝だった。僕はハッとして送信メールのフォルダを覗いた。「起きてたよ。うとうとしてきたけどね」の言葉の後、ひどいことになっていた。「じ$まぉぱあ&こ?。お5あ、い…」まるで読めない。自分でも意味不明だ。全く意思のないまま右手が好き勝手に文字だけ綴って送信までしたらしい。
見ると返信も来ていた。僕は恐怖心に駆られながらも、恐る恐る内容を見た。
「どうしたの?意味不明…。ひょっとしてからかってるの?おやすみっ!!」
「あちゃ〜」
少し怒っているようなその文面に、己れの失敗を後悔した。そしてどうすべきか悩んだ。時計を見ると七時半。今すぐに返信するべきか、それとも間をおくべきか。
僕はすぐにも返信したい(というかしなければならない)気分になってきて、携帯電話の画面と睨めっこを始めた。僕は来たメールにはつい必ず返信してしまい、返って来ないと不安に感じてしまう。きっと、去り際に「さよなら」と何度も言ってしまうことや、電話を終える時に「またな」を相手が切るまで言ってしまうのと同じで、どのメールをもって最後と判断が出来ないから、ついいちいち返信してしまうのだろう。
また、その僕の返信を「ウザい」と思うか、「返事も寄こさないのか」と思うかがわからない。どちらかと言うと僕は「返事も寄こさないのか」という不評を買う方が辛いし怖い。
そんな訳で、大して気の利いた文面が思い浮かぶでもないが、僕はメールを打ち始めた。「ごめん、実は寝てしまって…。自分でも訳分からない内に変なメールを打っていたようで、申し訳ない」
ここまで書いて、我ながら面白みのないメールだなと思った。これでは送ったところで「ウザい」と思われても仕方のないところか。そこへ、
「兄貴、起きてたんか」
と突然背後から声が掛かった。女へのメールを打っていた僕は驚いて、振り向いた。
「何だ、司郎か。脅かすなよ」
それは弟の司郎だった。何故僕が驚いたかと言うと、奴は昨晩外出して行って、いない筈だったからだ。
「今、帰ったのさ」
「また朝帰りかよ?」
「まあ…な。飲んだ帰り、駅前にいい女がいてさ」
「お前…、その…ヤったのか?」
「じゃなきゃこんな早朝に帰るかよ」
「そ、そうか…」
得意げな表情で語る弟を見ていると、女へのメール一つで悩んでいる兄の自分が情けなく思えてくる。
「兄貴も家に閉じこもってないで、外に出ろよ」
「大学にはちゃんと行ってるさ」
「いや、そういうんじゃなくて、夜飲みに行くとか、女とデートしてくるとかさ。若い時間を浪費して勿体無いぜ」
「ま、まあな」
図星だけに言い返せない自分が悔しい。
僕も弟も大学生で、地方から東京へ出てきて二人暮しをしているのだが、奴は毎晩のように遊び出歩いて、数日帰って来ないようなこともあるのだった。僕はと言えば、弟の言うとおり、大学へ行く以外は大して外出もせず、家で読書やビデオを見るような日々を送っていた。弟は何人も遊ぶ女がいるようだが、僕は生まれてこのかた彼女いない歴22年。したがってお互いの性格的なところもあるようだが、こと遊びとか女の事になると、僕はよく弟にバカにされていた。
「じゃあ俺寝るぜ」
言いたい事を言った弟は寝床へ足を向けようとしていた。
「ちょっと待った司郎。頼みがある」
僕はふとある考えが浮かび、弟を呼び止めた。
「何だい?ふぁ〜ああ…。大した用じゃなければ後にしてくれよ」
あくびをしながらこちらを向いた弟に、僕は自分の携帯電話を渡した。
「どういうこと?」
「メールを打ってくれないか?俺の代わりに」
「はあ?」
「気に入った子がいるんだが、うまい文句が書けなくてなあ。司郎のモテるテクニックで何とかならないか?」
僕はさっきまで悩んでいたメールの作成を依頼しようと思い付いたのだった。悔しいけど、弟は僕より遥かにモテる。夜、家にいる時などはひっきりなしにメールが来ており、僕はちょいちょいと返事を作って返しているのを見ていた。この際、バカにされついでに、奴にメールを打たせてみるのはどうだろうと考えた訳だ。
「兄貴…、そんなんでいいんかよ?俺は面白いからやってもいいけどな、自分が良いと思ってるような女へのメールを代筆させてどうすんだ」
「何だ、急にまともな事を言うなあ。そりゃお前の言うとおりだけど、どうにもうまくいかなくてな。ちょっと目線を変えてみようと…」
弟の言葉は、言われてみればという気もしたが、煮詰まっている僕には何かにすがってみたい気持ちも強かった。特にモテる弟みたいな人種がどんなメールを打つのかも気になっていたし、それが打開策になればという目論見もあった。
「ふ〜ん。じゃいいぜ。相手はどんな女なん?」
「大学のゼミの同級生」
「ほう〜、奥手な兄貴がよくメールとか聞いたもんだな」
「そんなことはどうでもいいだろう」
言われて少々気恥ずかしくなった。司郎にとっては何でもないことなのだろうが、僕がゼミの飲み会で彼女の電話番号とメールアドレスを聞くのにどれだけ勇気を振り絞ったことか。家に帰って、紙に書かれた電話番号とメールアドレスを電話に登録し、初めてメールを出して、そして返信メールが来た時、どんなに良い気分になったことか。その時の事を思い出しただけで自分が恥ずかしくなる。
「へいへい。じゃあ打つさ」
僕が弟に背景を説明すると、奴はそれを面倒臭そうに頭を掻きながら聞き、携帯を手に取った。司郎はいつもながら素早い指の動きでボタンを押し込んでいる。そして一分も経たない内に唐突に言った。
「よし。出したぜ」
「何っ?出した?俺の確認は?」
「えっ?全権委任じゃないのか?もう出してしまったぜ」
「お前なあ…」
僕の立腹に気付いた弟は、さっと起き上がり、おやすみと言って寝室へ去って行ってしまった。僕は諦めて、奴が送ったメールを見た。
「何だこりゃ?」
メールにはこんな風に書いてあった。
「昨夜はごめん!寝ちゃったよ、ははは。お詫びにたまに飯でもご馳走したいんだけどどうかな?考えておいておくれ!」
悪びれるでもなく、飯まで奢ると飛躍しており、到底僕では書けない内容だった。勝手にここまで書きやがってという意味では腹立たしかったが、もしこれでうまくいったら儲けものみたいな気持ちもないではなかった。
だが、返事が返ってくる気配がない。夕方になったがメールは一通も来なかった。活動しようと起き出して来た弟に、僕は憎まれ口を叩いた。
「司郎、返事来ないぜ」
「はぁ?兄貴、メールをどの程度信用してんのかわからんけど、そんなに気掛かりなら電話しろよ」
「な、何を…」
「大体顔も見えないメールで女をどうにかしようというところが間違ってんだよ。電話して直接会う約束取り付けた事あんのか?」
「うぐ…」
僕は弟の正論に何も言い返せず、言葉を詰まらせるしかなかった。
「まあ、いいさ。電話出来ないなら黙って返信が来るのを待つんだな。それじゃ俺は行くから」
捨て台詞のように言い残して、奴は遊びに行こうとする。
「あ、そうだ。間違っても弁解メールなんて絶対打たない方がいいぜ。そんなことしたら本当に終わっちゃうからな」
言うだけ言って、司郎は去って行った。僕は奴に言われたように電話する勇気などまるでなく、やきもきした時間を過ごす他なかった。ただ、奴の書いたメールの内容が、どうにも納得し難いところがあり、新たなメールを一通出したいような気持ちに駆られ始めていた。弟は「弁解メールなんて打つな。終わる」
と言ったが、僕には今の状況そのものが「終わっている」としか思えなかった。弟の言う事もわからないではないが、僕はここまで返信が来ない事が異常事態であるように感じていた。
僕は煩悶した後、もう一通メールを出すことに決めた。
「昨晩といい、今朝といい、変なメールを送ってしまってごめん。実は、弟が勝手に俺の携帯でメールを出していたんだ」
ここまで書いて僕はまた悩んだ。何とも卑屈な文体で、弟にいたずらをされているだらしない兄貴みたいだ(実際そうなのだが)。しかし理由を説明しない事にはすっきりしない。僕は迷いに迷ったが、これでメールを出してみる事にした。送信ボタンを押そうとした時、
「ピロロ〜♪」
と携帯が鳴り、僕はびっくりして落としてしまった。慌てて拾って画面に注視すると、待ちに待っていた彼女からのメールだった。見るのが楽しみのような怖いようなどっちつかずの気分で、緊張して心臓まで高鳴っていた。どうであれ中身を見ない訳にはいかないので、受信メールを覗いた。
「寝ぼすけさん、こんばんは。ご飯!行きたいな。何処へ連れて行ってくれるの?」
自分の口から自然に笑みがこぼれるのがわかった。まさかこんなに良い内容が返ってくるとは。まったく弟の言う事が正論で、弁解メールなど出さなくて良かったと実感させられた。
そして僕はある意味観念した。対女性に関しては、弟の方が正しいのであり、僕の力量ではどうにもならないのだということを。したがって、すぐにも返事を書きたかったが、先生である弟が帰って来るまで待つ事にした。観念したからか、「すぐにでも返事を出さないと」という衝動は収まってきた。これも一種の悟りの境地というものか。
二時間もすると、玄関の方で物音がした。珍しく弟が早々に帰ってきたらしい。
「兄貴、メール来たか?」
第一声がそれだった。
「司郎、待ってたぞ〜。これ見てくれ」
僕は弟に携帯電話を見せた。もう恥も外聞もなかった。
「どうしたらいい?」
「どう…って、電話したら?」
と、奴はかなり冷静に言い放った。
「それが出来れば苦労しないだろ?何とかもう一回メール出してくれないか」
「兄貴…本当にいいんかよ?女なんて、自分で口説いてナンボだぜ。もうこの時点で自分で口説いてないことになるんだぜ?」
「そんなのはわかっているよ。でもな、わかったんだ。俺には向いてないってことが。こと女に関しては、弟のお前に敵わないってこともな」
僕は情けないとは思いながらも、正直な気持ちを吐露した。
「兄貴、そこまで思い詰めてたんか…。わかったよ。良い事なのかはわからないけど、メールの代筆くらいだったら俺がやってやるよ」
と言うと、弟はテーブルに置かれた僕の携帯電話を取って、すぐさまメールを打ち始めた。僕は何も言わず、それを見ていた。
「出したぜ。見るかい?」
弟がそう言って携帯を差し出してくるが、僕はそれを遮った。
「いいよ。彼女のメールだけ見せてくれ。またケチをつけたくなると悪いし」
「そんな、兄貴の携帯だぜ〜。変な気を遣うなよ」
と、そこへ着信音が鳴った。もう彼女から返事が来たのか。弟が液晶画面を凝視する。
「兄貴、明日飯食おうって行ってるけど、どうするよ?」
僕が悩む仕草を見せても弟は気にしない。
「行くって言うぜ」
「ま、待った!」
と言った時には既に遅かった。弟は押すべきボタンを押してしまっていた。
「はい。行ってらっしゃ〜い!」
司郎はにやけた表情をする。僕も文句を言いたいが、全権委任をした以上、強く出られない。
「兄貴、観念しなよ。たまに女とデートしてくるのも健康に良いと思うぜ」
「うう〜っ」
彼女と二人きりで会うなどと考えただけで、胃が縮むような感覚に襲われるのだった。
その後、僕は司郎に全権委任として携帯電話を渡し、メールで店や時間まで段取ってもらった。全部のやり取りが済むまで、僕は一度も内容を見なかった、というか見ることが出来なかった。場所と時間が決まった後、弟は
「証拠隠〜滅!」
などと言って、彼女のOKの意思表示メール以外の全ての送受信メールを消してしまったのだ。僕は文句も言えず、ただただ奴に礼を言うばかりだった。
翌日の夕方、僕は司郎の指定した店へ出掛けた。情けない事に昨晩から寝付けず、朝から緊張し通しだった。電車に乗っている間もそわそわして、思わず貧乏揺すりが始まってしまい、周りから奇異な目で見られたような気がした。電車を降りて、繁華街の方へ向かい、約束の店まで辿り着いた。
メールでは店の前で約束したそうなので周りを見渡すが、ちょっとおデブな女が一人いるだけで、彼女がいる気配はない。僕は待つこと自体は苦じゃないが、これからこの場に彼女が来るという緊張感は耐え難いものがあった。僕が辺りを見回すと、何故かおデブもきょろきょろと周囲を見渡しており、僕等の視線は円を描きつつ最終的に合致した。すると、
「あの〜っ」
おデブが声を掛けてきた。
「平石さん…ですか?」
「あ、いや、そ、そう…だけど」
僕は突然自分の名を呼ばれて驚いた。
「やっぱり!探しましたよ〜。私、亜紀の友達の竹下です」
亜紀というのは『彼女』の名前だ。しかし、何故『彼女』ではなく、友達が来ているのだ?
「友達って…彼女は?」
「彼女って…、亜紀の事ですか?」
「それはそうでしょう。僕は彼女を待っているんですから…」
「あの…弟さんから聞いてないんですか?」
「弟?司郎が何か?」
その時、懐の携帯電話が鳴った。司郎からのメールだ。
「兄貴、すまねえな。兄貴のメールを利用して、亜紀ちゃんに接触させてもらっちゃったよ。本当に申し訳ない。でも携帯使わせてくれたのは兄貴だからなあ…。まあ兄貴は電話嫌いだったから、今更電話はできねえよな?っていうか電話しないでくれ。兄貴にはメール好きな竹下さんがいるからいいでしょ?すまん」
「何じゃこりゃ?」
僕は頭が混乱してきた。司郎の奴、僕の携帯を利用して、僕の狙っていた『彼女』である亜紀ちゃんに触手を伸ばしたのか。そしてこの目の前にいるおデブちゃんは…。
「竹下さん…でしたか?今ひとつ事情がよくわからないんですが…」
「あのう、亜紀が交換したアドレス…私のなんです」
「は?あのメールアドレスが…ですか?」
「あの子、モテるから、誰か誠実そうで良さそうな人がいたら、私のメールアドレスをその人に教えてくれるって言ってたんです。それで平石さんに教えてくれたみたいで…」
「そんな…じゃあ僕がメールしてたのって…」
「私です。電話は亜紀の番号だったんですが」
「ああ〜…」
僕は全てを理解した。司郎の奴、僕に見えないところで『彼女』に電話したのだ。それでちゃっかり『彼女』とうまくやって、当初のメール通り、僕にはこのおデブちゃんを寄越したのだろう。
これも自業自得と言うものか。僕はメールにこだわり、司郎は電話を推奨し、この結果に至った。さらに恋愛に奥手になり、全て弟任せにした僕には当然の結果か。今更目の前にいる女との会食を断る勇気もなく、僕は諦め気分でおデブの竹下と店へ入った。
昔、投稿してボツになった作品です。モテない男を描きたい一心で書きました。