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許せますか?

作者: 勇純

【許せますか?】

ゆるせますか、ゆるせません。]

人の心ってのは意外と小さいもので、今まで許してきたことの多くがどうでもいいことばかりで、いつの間にか忘れてしまっていることがほとんどだ。許すとか許さないとか、それほど大きな問題でもないのに、少し困った表情を見せて、もういいよ、なんて寛大そうに見せるのだ。許してもらった人だけが有難そうな表情をするけれど、本当は最初から許してもらえると思ってる。

 子供の頃、大好きなショートケーキを半分だけ食べて、残りは明日の楽しみに取っておいたのに、姉がこっそり苺を食べてしまった時、私は決して許すものかと思った。

 大声で泣きわめき、四歳年上の姉に果敢に戦いを挑んだ。笑いながら逃げ回る姉に、手に触れるあらゆるものを投げつけた。枕や筆箱、ぬいぐるみに教科書、苺ののっていないショートケーキまで投げつけた。そしてその結果、散らかしたことを母に怒られる。

 子供ながらにこんな理不尽なことは決して許さないと心に誓った。

 学校から帰ったらまっさきに冷蔵庫を開け、一人でこっそり食べようと走っで帰ってきた。大好きな苺は最後に食べようと、ケーキを下からかぶりつくように食べようとワクワクして帰ってきたのに、このショックは涙でしか表現できるはずがない。

「そんな事で泣くんじゃない」「また買ってきてあげるから」

大人はいつもそんな言葉で誤魔化した。実際に翌日のお土産を楽しみにしていた私だけが馬鹿を見るハメにしかならなかった。

それでも家族という関係は力づくで人の感情まで支配してしまう。もう絶対に家族の誰とも口をきかない、そう深く心に誓ってベッドに入るのだが、朝にはその強い誓いはいとも簡単に崩されてしまう。朝食を食べなさい、と言って起こされ、朝の挨拶をしなさいと促され、それに反抗しようものなら、「これから美緒は食事をしないのね。美緒の分はこれからずっと作らないからね。参観日にもお母さんは行かないけど、それでいいのね。言うことを聞かない子はウチの子じゃないんだから。朝も起こさないから一人で行ってね」という強権を振るってくる。私はいつも権力の前にひれ伏してしまう。

私の夢は、全ての人から憎まれるくらいに許せないと思われる人間になること。許される側ではなく、許す側の人間になることだった。

それでもいつも私は許される側の位置から抜け出すことはできなかった。家族だけでなく、友達にまで許せないことをされても、なにひとつ反抗出来ないようになってしまった。面倒くさかった。主張してもそれが認められるなんて有り得ないと思うようになった。ただ、作り笑顔でその場をやり過ごすことが一番楽なのだということが身にしみてしまったようだ。

それでも、許せないことは多々ある。何も言えない情けない自分を認めるしかなかった。


中学生になったときすごく嬉しかったのを覚えている。

これで今までとは全く違う環境で、新しい友達を作って、好きな男の子の話で盛り上がれると思ってた。

でもそこには誤算があった。

彰子の存在だ。幼稚園、小学校、中学校と同じで、最悪なのは彰子の家は私の家のすぐ裏にある。幼稚園のころからしょっちゅう私の家に上がり込んで母親たちと遊んでいく。いつの頃からか、私のいない時にも夕食を一緒に食べていたり、私の部屋で机の引き出しの中まで覗き見しながら待っていたりする。彰子のことも小学校の頃には《許せない》奴になっていた。

机の中にボーイズラブの漫画が入っていたりすると、すぐに母親に告げ口されてしまう。

「おばさん、美緒ちゃん、こんな漫画を読んでるのよ。子供なのにいけないわ。注意してあげて」

それからというもの、机の引き出しや、小物入れにはすべて鍵を取り付けたが、それさえも彰子は告げ口の口実にしてしまった。

そんな事が重なっても、母親は彰子を信頼しているところがあった。

しかし、姉は違った。この頃から姉は彰子が来ると警戒心をむき出しにし、彰子の告げ口にも私を庇う頼もしい存在になっていった。

「美緒ちゃんもうちに遊びにおいでよ」と言われても、私は彰子の家族が好きにはなれなかった。どこかの会社の工場に勤めている父親は自慢話ばかりで、人を小馬鹿にする話し方がとても嫌だった。若い社員の悪口を唾を跳ばしながら嬉しそうに話す表情はすごく下品に見えた。

彰子の家で出される食事はいつもうどんだった。夏でも冬でもインスタントのどん兵衛だった。しかもネギは入っていない。

「ネギなんか食ってると、身体中が臭くなって、人に嫌われてしまうぞ」と、おじさんの嫌いなものはなんでも悪者にされてしまう。

「美緒ちゃんのお父さんは公務員だから楽でいいねぇ。何もしなくてもお金をもらえるんだから。おじさんなんか、中学校を出てから裸一貫で戦ってきたから、人の十倍以上は努力してきたんだ」

そんなおじさんを見るのが嫌でいつの間にか彰子の家には行かなくなってしまった。美緒の父親は県庁の最高級のポストである総務局長だ。京都大学の法学部を卒業したエリートだが、彰子の父親には理解できないようだ。黒ずんだ前歯を見せて笑う時、美緒は目をそらした。立ちあがるとすごく小柄だ。いかにも中卒の労働者という気がした。

母親は保育園の用務員をやっていて、背が低いのはおじさんと同じだが、体格は対照的に太っている。大雑把な気質は嫌いではないが、この人も自慢話ばかりだ。「スラリとして女の子にはモテてモテて仕方がない色男」という母親の自慢の彰子の兄は、私から見る限り、なんの魅力も感じない。左手をポケットに突っ込んだまま犬食いをしている。箸もきちんと持てないし、髪の毛のフケが汚い。彰子も母親も背が高いと言って褒めちぎるが、美緒の父親よりも明らかに低い。父が175センチだから彰子の兄がそれ以上のはずはなかった。父と並ぶと美緒の目の高さは、父の肩ぐらいしかなかったが、彰子の兄が横に来ても、彰子の目の真正面の高さはせいぜい鼻だった。美緒の身長が153センチだから本当は160センチと少しくらいに思ったが、多少お世辞も混じえて口にした。

「165センチくらい?」と聞いたら彰子は不機嫌さを隠さなかった。

「173センチあるわよ、お兄ちゃんは」という言葉を私は否定せずに作り笑いを見せた。

「ご飯ちょうだい」という兄の声に、母親は待ってましたという感じで笑顔で丼茶碗にご飯を盛り付ける。兄は再び犬食いを始め、最後にはどん兵衛のスープをご飯にかけ、掻き込むように一気に流し込む。ズルズルッという音に美緒は耳を塞ぎたくなった。所詮、彰子の家族はこんな程度なんだ。そう頭の中で自分を勇気づけた。

それでも毎朝通学のお迎えに来たり、帰りも一緒に帰りたがったり、何をするにも隣にいた。

「彰子ちゃんの言うことをきちんと守らないといけないわよ」という母親さえも私には信じられなくなっていた。

あの男の子が好き、なんて言うと、夕刻には母親の耳に入っていた。しかも大げさになって。

「美緒ちゃんって不良みたいな男の子と付き合いたいって言うの。私は中学生には早すぎるって言っても、全然聞いてくれないの。もう私たち、生理もあるから万が一のことがあってからでは大変だから」と母親を巻き込む。母親も大事になるなどとは考えてはいなくても、一応は注意をする。

中学生にもなると、心は女に近くなっているようで、彰子は男のことになるとすごく敏感に反応した。それが嫉妬だとわかるまでに、そう時間はかからなかった。

私は彰子よりも男の子に人気があった。もちろん清潔さも美貌も彰子に負けているなんて思っていない。ただ、私には積極さがないだけ。クラスの男の子たちとたわいも無い会話をしていると、彰子は必ず中に割り込んで会話に加わりたがる。そして自分中心の話題に切り替えていく。彰子も男の子に興味がないわけではない。私が男の子と一緒にいることで彰子を遠ざけているように思っていたのかもしれない。もうこの頃には、私は彰子が鬱陶しい存在になってきていた。

だからクラブに入った。

新聞部。

もともと集団で動くのが好きじゃないし、本を読むのが好きだし、第一、新聞部といっても、月に一度校内の掲示板に貼る壁新聞を作るだけ。内容は、各クラブの活動の内容紹介と、学校からの連絡事項、そして生徒会からの報告。あとは先輩の寄稿や部員の好き勝手な企画物。それでも、早朝会議だの、放課後の原稿整理だの、建前だけは一人前だけど、要するに部員同士の井戸端会議だ。私のような消極的な人間にはとても合っている。そして一番うれしいのは、彰子と別行動になれるということだ。お昼も部室でいつもおしゃべりしながら弁当を食べた。中学に入って一番楽しい時間だった。

その楽しい時間をさらに楽しくさせてくれたのは、純くんがいたからだ。小学校の時は目立たないし、スポーツはからきしダメで、勉強しか興味のないつまらない男の子だと思っていたけど、いざ話してみるといろんなことに興味を持った面白い子だった。人見知りをしながら笑顔で話すところが可愛くてたまらない。純くんと話してると、自分が少しお姉さんになったような気がした。

純くんに絶滅危惧種について喋らせるとその詳しさに驚く。だから少しでも話が通じるようにネットでいろんな情報をピックアップした。いくら知識を吸収したつもりでも純くんの知識の奥深さにはとても太刀打ち出来なかった。それでも純くんと同じ話題で繋がっていられるのがすごく嬉しかった。

私にとって、彰子の存在などもうどうでもよかった。まだ家に上がり込んでるらしいが、部屋のドアに鍵を取り付けたから何の不安もなかった。これは姉の入れ知恵だった。

しかしその日の純くんはいつもと違っていた。夏休みを目前に控えた月曜日の朝だった。おはよう、と声をかけても目をそらして部室から出て行った。胸の中がモヤモヤして、一日中何も手がつかなかった。

そして家に帰った時、母が怒りの表情で飛び出してきた。

「美緒、純くんと部室で何してるの。学校中のうわさになってるじゃないの。中学生のやることじゃないでしょ」

母の声は震えていた。涙目になっている。

「何もしてないよ。新聞の記事のことで毎日会議があるだけだよ」

「嘘をつくんじゃないわよ。彰子ちゃんがわざわざ心配して教えてくれてるのよ。そんなことしてて恥ずかしいとは思わないの?」

「何にもしてないよ。部員みんな一緒だよ。会議だけだよ」

そこに姉が口を挟んだ。

「お母さん、お母さんのほうがおかしいよ。自分の娘と彰子ちゃんとどちらを信用するの。女の子が男の子に興味持つのは異常じゃないし、好きな男の子がいたって不思議じゃないよ」

「あなたは黙ってて。これは美緒の問題なんだから」

「すり替えないで、美緒の問題なら何の問題もない。それほど彰子ちゃんが好きなら彰子ちゃんの家に行けばいいじゃない。私は彰子ちゃんは嫌い。黙って人の部屋に入り込んで机の中まで覗き見するなんて異常じゃないの。そんな彰子ちゃんの言うことのほうが信じられるのね」

姉が本気で戦ってくれている。こんなに感情的な姉を見るのは初めてだ。

「彰子ちゃんはいい子だよ。美緒のことを心配してくれてるんだから」

「そんなの嘘。あの子は下品な貧乏人以外の何者でもない。お母さんはそういう子が好きなんだ。美緒は間違ってない」

姉はまだ何かを言いたそうな母親を遮って私に聞いた。

「純くんの様子は変じゃなかった?」

「返事してくれなかった」

「直ぐに純くんの家に行って。きっとあの子が純くんにあることないこと告げ口したに違いない。何があったか純くんに直接聞きに行って」

「いますぐ?」

「当たり前でしょ。あんたの大事な初恋をぶち壊されていいの?あんなひねくれた彰子なんかにぶち壊されてもいいの? 話がつかなかったら、私も一緒に行ってあげるから、さぁ、早く」

私の体は自然に動いていた。背中でヒステリックな奇声を上げる母の声が聞こえるがもう気にしない。姉の言うとおりだ。大切な大切な初恋を彰子なんかにぶち壊されてたまるものか。走った。走った。ほんの十分もかからない距離だけど、一時間も走ったくらいに思えた。純くんの家のドアを開けた。

「純くん、純くんいますか?」

大きな声で叫んだ。ジャージ姿の純くんが無表情で現れた。

「何があったの?何を言われたの?彰子に何を言われたの。私の家にも来て、お母さんに変なこと言ってった。だからお母さんは怒ってた。私と純ちゃんが部室で抱き合ってるとか、裸になってるとか。ふたりを別れさせないと危険だってお母さんに言ってったの」

本当はかなり自分の創作が入っている。こんなでまかせが口をついて出てくることに自分自身、驚いていた。

「美緒、本当は僕のこと嫌いだって言ってたんじゃないのか?」

「そんなこと思うわけ無いでしょ。純くんと話すのが楽しいから毎朝部室に行ってるんじゃないの」

「昨日の日曜日の夜に彰子がウチに来て、美緒が俺に付きまとわれて困ってる。気持ち悪いから何とかして欲しいって相談されたって言いに来たんだ」

「何言ってんだよ。好きだよ。純くんのこと大好きだよ。だから私なりに絶滅危惧種のことや恐竜のことや星座のことも一生懸命勉強したんだよ。私の初恋なんだよ、純くんは。こんな大事な初恋を彰子なんかに壊されてたまるものか。フラれたっていいんだ。嫌われたっていいんだ。私が本気で純くんのこと好きだってこと伝えられたらそれでいいんだ。じゃぁ、帰るね」

大慌てで引き止めようとする純くんを振り切って私は走って家に帰った。そして姉にしがみついて泣いた。なぜだかわからないけど、泣けてきて仕方が無かった。彰子の許せない行動が悔しいのか、彰子の言うことを鵜呑みにしてしまうほど軟弱な純くんに愛想が尽きたのか、よくわからないけれど涙が出て止まらなかった。姉の胸が温かかった。もう、子供の頃、ショートケーキを黙って食べたことも許してあげてもいいと思った。

高校こそは、彰子と違う学校に行こう、と心に誓った。



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[良い点] すごい、読みやすいというか 魅入ってしまいました! [一言] なんか、こう心にグッとくるものがありますね。 私も姉がいますが、美緒の姉がすごくかっこいいです!
[一言] こんな姉がいたらなぁ。
[一言] そうでした。 初恋はこの頃です。 美緒ちゃんの高校生活をぜひかいてください。
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