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無敵ヒロインの学園始末記  作者: 桂木 玲
第一章  プロローグ ~ようこそ乙女ゲームの世界へ~
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「それじゃ改めて────夏希さん、十六歳の誕生日おめでとう」

「ありがとうございます」


 秋本会長の音頭でグラスが交わされる。ご夫妻はシャンパン、私と和樹さんにはオレンジジュース。一口飲んで驚いた。こりゃ本物の生搾りジュースじゃないか。

 意外にこぢんまりとした家族用ダイニングは穏やかな間接照明に照らされ、高級ホテルのレストランみたいなとびきりいい雰囲気を醸し出している。そこに居並ぶ美形揃いのご一家。ああ眼福、眼福、とひとり心の中で手を合わせる。

 オードブルから始まってスープ、サラダ、魚、肉のフレンチフルコース。どれもこれも、言葉にできないほどの素晴らしい味わいだ。盛りつけも美しく、食べるのがもったいないくらい。きっと腕のいいお抱えシェフが、厨房で存分にその手腕を発揮したんだろう。慣れない手つきで必死にカトラリーを操りながらも、あまりの美味しさに私は思わず感嘆の溜息を零した。



「そういえば夏希ちゃん、編入試験はいつだっけ」

「来週です、二十五日。本当にギリギリにやるんですね」

 会長の問いに答えて伊勢海老のグリルをパクリ。うん、美味しい。エビ大好き。

「ちょっと聞いた話だと、今回は特別みたいだよ。君の事情を考慮して、なるべく長く準備期間を取れるように、と君一人の分だけわざわざ遅くしたみたいだ。他の編入生はたぶん、先週あたりで試験も終わってるんじゃないかな」

 そうなのか。それは確かにありがたい。

「君の分だけなら結果は即日出るだろうし。何とか来月の始業式にもギリギリ間に合うだろう」

「会長は理事さんなんですよね。選考には参加なさらないんですか?」

「ああ、今回は辞退したよ。何しろ私は、君の正式な後見人だからね。不正防止の意味からも、選考に参加するわけにはいかないだろう?」

「それもそうですね」

 なるほど、私立の金満校といえどもそのへんはキッチリとしているらしい。何にせよ、公明正大なのはいいことだ。


「で、準備の方はどう? 無事受かりそうかい?」

「さあ、それは判りませんけど………やれるだけのことはやりましたから。あとは本番で精一杯頑張るだけです」


 今回の編入試験では、これも私だけ特別に五教科すべてで試験が行われる。普通の転入生なら三教科だけなんだけど、何しろ私は一学期まるまる、まったく授業を受けていない。さすがにこれでは、英数国の三教科だけで判断する、という訳にもいかないのだろう。

 おかげで、勉強は本当に大変だった。数学や社会科などは得意だからいいけど、苦手な古文や理科系の科目、それに、高校からいきなり長文になった英語などは、四苦八苦しながら参考書と格闘する毎日だった。


「僕のノート、役に立ったかな」

「はい。とてもわかりやすくて参考になりました。改めてお礼を申し上げます」

 隣に座った和樹さんの問いに答える。それは本当のことだった。ざっと見た時は気づかなかったが、実際に精査してみると単なる板書のコピーではなく、重要事項が実に上手くまとめられている。なかなか頭のいい人らしい。

 ちなみにあのノートはすべて自分の手で書き写して、オリジナルはすでに会長を通して返却済みである。


「試験の形式ってどうなるの? 中学までの分と高校一学期の分、まとめてテストされるわけ?」

 和樹さんの疑問はもっとだった。だがこれは、ちょっと説明が難しい。

「いえ、それは別々にやるらしいです。中学の分は三教科だけで、秋入学クラス用の問題を使って……それが終わってから、改めて一学期の五教科分のテストを行うんだそうですよ」

「え、それじゃ全部で八回もテストを受けるの? 一日で?」

「そういうことになりますね」

「それは大変だ。僕だったら諦めて、素直に秋入学クラスに入っちゃうけどな」

「夏希さんはお前と違って真面目だからな」

 秋本会長が笑いながら口を挟む。いや別に、真面目ってわけでもないですけど。


「この前、説明してくれた先生のお話では、普通は私みたいに、何が何でも春入学クラスに編入したい、って人は少ないんだそうです。だから先生方も、苦肉の策でこういう形にしたみたいですよ。問題作るの、大変だったんじゃないかな」

「いいんだよ、教師はそれが仕事なんだから」

 和樹さんが、しごく平然とそんなことを言う。さすがはお坊ちゃま、他人に奉仕されることには慣れているらしい。

「でもこの形式は、私にとっては保険にもなるんですよ。最初の三教科試験に受かれば、少なくとも秋入学クラスには入れます。その上で、もし五教科試験の成績が良かった場合は、その時点で初めて春クラスに編入できるんですって」

「なるほど。学校側も考えたなあ……」

 彼の言わんとしていることは、私にも何となく推測できた。理事の一人であり、大口の寄付者でもある秋本会長が推薦する私を受け入れるには、この二段階方式が最も確実だ。学校側も、できることなら彼の機嫌を損ねたくないんだろう。

「何にせよ、お勉強のしすぎでまたお身体を悪くしないでちょうだいね。あなたはまだ病み上がりなんですから十分に注意するのよ、夏希さん」

「はい、気をつけます。どうもありがとうございます」

 心配そうな奥様に、私はにっこりと笑いかけた。夫婦揃って本当にお優しい。



「それにしても、夏希さんは何でそんなに春クラスに入りたいの? 春でも秋でもどっちだって構わない気がするけどね、僕は」

「うーん、そうですね……」

 どう答えたらいいんだろう。私は和樹さんの質問にしばし唸った。

「一つには、入学が遅れた上に卒業まで半年延びるのが嫌なこと。そしてもう一つは────秋クラスの規模が、春クラスに比べてかなり小さいこと、でしょうか。こっちの方が大きな理由ですね」

「小クラスは嫌なの? 君みたいに熱心に勉強する人にとっては、規模が小さい方が向いてるんじゃないかと思うけど」

「えーと……」


 そう。本当に説明が難しいのはここからなのだ。

 規模の小さい、つまりは人数の少ないクラス。そうであれば当然、その中にいる一般家庭出身者の絶対数も少なくなる。ただでさえ、学園全体の七割をセレブ連中が占めているのだ。私のような生粋の庶民は、ほぼ三割しかいない。

 しかも、それを帰国子女対象の秋クラスに限れば、庶民の割合はさらに下がるだろう。もしも私が秋クラスに入った場合、私以外のクラスメイト全員がお金持ちの名家出身者、ということになる可能性も皆無ではないのだ。

 これは………さすがにちょっと勘弁して欲しい、と思ってしまう。


「今までとあまりに違う環境は、できれば避けたいんです。もとはと言えば、私は普通の公立学校しか知らない人間ですから」

「ああ……そういうことか」

 和樹さんは、横を向いて答えた私に意味深な笑みを返した。曖昧な表現で伝えた私の真意を、この人は即座に理解したのだろうか。もしそうだとするなら、やはり相当に頭がいい。

「まわりが金持ちだらけなのが嫌なんだな。そんなの気にすることないのに」

「そういうわけには行きません。先輩には解らないわ、きっと」

「そりゃ解らないさ。でも君はもう、その『金持ち』側の人間じゃないか。うちの父がバックに付いてるんだからね」

「!」


 ────こいつ、会長の目の前で何てことを。


 私は顔から急激に血の気が引いていくのを感じた。

 純然たる厚意から私にたくさんのものを与えてくれた秋本会長。それらはすべて私のために、良かれと思ってして下さったことだ。その厚意を無にするような『金持ち批判』を彼の前で口にしたくはない。だからこそ、わざとオブラートに包んだ表現で何とか誤魔化そうとしたのに……そのことをはっきりと口に出しただけではなく、会長がして下さったすべてを当然のように受け入れ、自分までが偉くなったように錯覚している、とでも言いたいのか。だとしたら許せない。


「誤解なさらないで下さい、先輩。私はあなたの言うような、『金持ち側の人間』ではありません。会長はただ、両親を亡くした私のために後見に立ってくださっただけで、私は今もただの一庶民です。会長が与えて下さった多くのものは、いずれ私にできる範囲で、必ずお返しするつもりです。もちろん、お返しできないものもたくさんあるでしょう。お金には代えられないご厚意や、一番辛かった時に救いの手を差し伸べてくださった優しさなどは。だからといって、私がそれらのご親切を当たり前のように平然と受け取っている、とは思って欲しくありません」

「…………」


 ひと息に言い切った私に、和樹さんは呆気に取られたような顔で黙り込んだ。隣の席をまっすぐ睨みつけると、彼はようやく私の怒りに気づいたらしい。


「だけどさ、在校生の間ではもう、すごい話題になってるよ。あの秋本聡一郎が元社員の遺児を引き取って、全面的にバックアップしてるらしい、って。君の気持ちも解るけど、たぶんその言い分は校内では通らない。君はみんなからそういう目で見られることになるだろうね」

「他人がどう思おうが私は知りません。私はただ、会長のご子息である先輩にまでそんなことを思われたくないだけです。先輩が、そういう噂を安易に信じるような人だと思いたくないだけです。そんな、まるで『虎の威を借る狐』みたいなことを私がすると、本気で思ってらっしゃるんですか?」

「いや、僕はただ………」

「和樹、もうやめなさい。お前の負けだ」


 突然、それまで黙って私たちのやり取りを聞いていた秋本会長が口を挟んだ。

「いい加減にしなさい。お客様に向かって失礼だろう。今日は夏希ちゃんの誕生日なんだぞ。それを、招待した側が不愉快な思いをさせてどうするんだ」

「……すみません、お父さん」

「私に言ったって仕方がない。謝るなら夏希ちゃんに謝りなさい」

「はい」

 決して声を荒げることなく、あくまで穏やかに叱る父親に諭されて、和樹さんは素直に謝った。そのまま、隣の私に向かって軽く頭を下げる。

「夏希さん、ごめん。言い過ぎた」

「いいえ。解って下さったのならいいんです。私の方こそすみませんでした」

 ────いったいどこまで解ってるのか、それは疑わしいけれど。



 その後、最悪の状態にまで落ち込んだ部屋の雰囲気を変えてくれたのは、やはり会長夫妻の穏やかな優しさと、ちょうどタイミング良くバースデーケーキを運んできてくれたシェフの機転だった。

 部屋の明かりが落とされ(これもまた豪邸らしく、リモコンによる無段階操作だった)、ケーキに立てた十六本の蝋燭に火が灯されると、どこからともなく聞こえてきたのはおなじみのバースデーソング。CDでも流してくれてるんだろうか。演出も並みじゃないなあ。

 ひと息で蝋燭の火を吹き消しながら、私は精一杯はしゃいでみせた。せっかくの会長ご夫妻の厚意を無駄にしたくなかったからだ。私が心から楽しんでいる様子を見せなければ、お二人はきっとがっかりしてしまうだろう。私が帰った後で、和樹さんだってまた叱られてしまうかも知れない。


 しっかし……秋本家の兄弟はどうやら、私にとっては鬼門らしい。三ヶ月前には貴史さん、そして今日は和樹さん。どうしてこう上手くいかないんだろ。ご両親に本当に申し訳ない。


 ご夫妻からの心づくしのプレゼントを頂き、お礼を述べて秋本邸を辞去する時、会長は和樹さんにひとこと命じた。

「夏希さんを玄関までお送りしなさい。車を廻すよう言っておいたから」

 和樹さんと共に無言で廊下を歩き、玄関を出ると、外はもう真っ暗だった。時刻は夜の八時。いつの間にか日が暮れていたようだ。


「夏希さん、改めて────さっきは済まなかった。結局僕も、兄貴と同じことになっちゃったな」

「いえ、もう気になさらないで下さい。私も言いたいことみんな言っちゃいましたから、お互い様です」

「……驚いたよ。君ってけっこう癇癪持ちなんだね」

「そうですよ。中学時代は無敵の舌鋒で有名でしたから」

「あれじゃ兄さんは勝てっこないな。良く解った」

「それもけっこう失礼ですよ、先輩」

 悪びれた様子もなく、キラキラの二次元顔で微笑む和樹さん。かたや私は、表面だけは取り繕った冷たい笑顔。慇懃無礼を地で行っている。


 やってきた黒塗りの車に乗り込む寸前、和樹さんは最後にもう一度だけ言った。


「やっぱり、ファーストネームでは呼んでくれないんだ?」

「お呼びする理由がありませんから。では失礼します、秋本先輩」

「…………」


 ────そう簡単に、仲直りなんてしてやるもんか。

 この私を怒らせて、タダで済むと思うなよ。

 私のあの言葉を本当の意味で理解できるようになるまでは……せいぜい頑張って考えるといい。



 夜の街を走る車の中で、私はそんな意地の悪いことを思いながら、ニヤリと冷たく笑みを浮かべた。




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