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無敵ヒロインの学園始末記  作者: 桂木 玲
第一章  プロローグ ~ようこそ乙女ゲームの世界へ~
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 会長に頼んだ教科書とノートは、さほど日を置かずに病室へ届けられた。

 ご本人ではなく、運転手さんがわざわざ持って来てくれたのだ。さすがは会長、「これは実際に今学期使われている教科書だから」という親切な注意書きと共に、一番よく売れているという参考書一式や電子辞書、さらには調べ物のためのノートパソコンに至るまで、ひと通り揃えて下さっている。


 そして問題のノート。『攻略対象その1』のノート。

 恐る恐る開いてみたが、なかなかきれいな字だ。あまり几帳面な性格ではないらしく、けっこうあちこちにメモが書き散らされてあるが、使えないほどではない。会長の言葉通りなら成績もまあまあだということだから、役に立たないこともないだろう。


 そう思って、つらつらとページをめくっていた時だ。

 ふと、赤ペンによるその書き込みが目に入る。


 『一年の一学期はここまで。

  うちのクラスは進行が早い方だったから、ここまでやれば大丈夫だと思う。

  一人じゃ大変だろうけど、まあ適当に頑張って。 和樹』


 ………うーん。どう捉えたらいいんだろう、この書き込み。


 親切な人、でいいのだろうか。

 それとも、コイツ人をおちょくりやがって、なんだろうか。

 「まあ適当に頑張って」、これはどういう意味だろう。微妙だ。


 繰り返し言うが、私はゲームの細かい設定まではほとんど覚えていない。それは相手が攻略対象だろうと同じこと。容姿はたぶん、あの会長とお兄さんを見れば、九十九パーセント以上はイケメンなんだろうけど……彼の人柄がどんなものなのかは完全に未知数なのだ。


 攻略対象からの初コンタクト。一方的ではあるけれど。

 謎が謎を呼ぶゲーム世界に不安が渦巻く。


 それからしばらくの間、私はノートを前に首を傾げ、一人唸り声を上げていた。



 教材も無事手に入ったことだし。私は早速、意気込んで勉強にとりかかった。

 初日にあれだけビビらされた特別室だったが、結果的にはこの部屋で良かったのかも知れない。各教科の教科書やらノートやら参考書やら、あっという間に病室の中は本と紙の山で埋め尽くされた。しかしこの広さ、豪華な調度品。テーブル類はいっぱいあるし、備え付けられた備品も多岐に渡っている。身動きがままならない状態で、しかも一人で勉強するにはかなり好都合だった。


 さらに嬉しかったのは、車椅子のまま入れるほど広いバスルームに設置された、専用のシャンプー台。これさえあれば、誰に気兼ねすることなく髪を洗える。私は毎晩のようにめぐみさんに手伝って貰いながら髪を洗い、身体を拭いた。おかげでここへ来た頃に比べると、格段に身だしなみが良くなったような気がする。


 そういえば、この部屋に入った直後、嬉しい来客があった。

 いや、お客とはちょっと違うかも知れない。初日に私が苦し紛れに口走った言い訳を気にとめた秋本会長が、出張美容師さんを病室まで送り込んで下さったのだ。事故以来、伸び放題だった髪の毛がプロの手によって懇切丁寧に手入れされ、短くカットされてゆく。

 どうせ入院中なんだ、お洒落なんかする余裕はない。そう思って思いっきり短くしようとしたのだが、

「本当に切っちゃっていいんですか?」

「ええ。この状況じゃ、伸ばしてたって不潔になるだけですから」

「じゃあせめて、セミロングくらいにしておきましょうよ。こんな綺麗な髪なのにもったいないわ」

「適当でいいですよ。お任せします」

 至極あっさりとした私の答えに、美容師さんは溜息をついて作業を始めた。


 もともと私は自分の顔があまり好きじゃなかったから、髪にも余計な手はかけてこなかった。今となっては、「これがヒロイン補正というものか」と納得せざるを得ないのだが、前世とは違ってそこそこ女らしい顔をしているのだ。自分で言うのも何だけど、いわゆる『ヒロイン顔』というやつ。これで髪まで念入りにお手入れした日にゃ、それこそ無駄に男を呼び寄せかねない。ただし顔と性格が著しく乖離しているため、あくまで「口さえ開かなければ」という但し書きが付くが。

 事故前は、かなり中途半端な長さに伸ばした髪を適当にそのまま放置していた。そんな状態で有無を言わさず長期入院となり、はや二ヶ月。その頃にはもう、私の頭は金田一耕助もかくやというほどの悲惨な有り様となっていた。な-にが「今のままでも十分美人」だ。秋本のおじさまも冗談が過ぎる。

 大胆にジョキジョキと鋏を動かす美容師さんを鏡越しに眺めながら、私は二ヶ月ぶりにサッパリとした気分になっていくのを嬉しく感じていた。



 身体の方は相変わらず。ギプスが取れるまで、お風呂は無理だろう。せっかくの『バストイレ付き』も宝の持ち腐れである。今の願いはただ、一日も早く思う存分シャワーを浴び、包帯を気にせず熱いお風呂に浸かりたい、ということだけだ。

 傷の痛みはほとんどなくなった。もう少ししたら皮膚移植も始めるらしいけど、私は別に無理してすべての傷跡を隠さなくてもいいんじゃないかと思う。腕にある大きな傷だけは何とかしたいが、それ以外は顔も無傷だし、さして問題になるほどのものではないはずだ。


 リハビリの開始はたぶん、梅雨明け頃になるだろう。いちばん暑い季節、かなりの苦痛を伴う訓練をこなさなければならないわけで、今から戦々恐々としている。だが、これを乗り越えなければまともな日常生活は望めない。それと、残念ながらいくらリハビリに励んでも、本格的なスポーツはもうできなくなる可能性が高いという話だ。まあ、部活は中学時代のバスケで堪能したから、それもまた仕方がないかと諦めている。

 目指すはやはり、野球部のマネージャーかな。星城学園にも野球部ってあるんだろうか。なんか、あってもものすごく弱そうな気がするけど。大金持ちの坊ちゃまだらけのセレブ校で「目指せ甲子園!」は、けっこう厳しいのかも知れない。




 そんなこんなで日々は流れてゆく。

 治療や検査、そして勉強。夜は当然、テレビ・ラジオのプロ野球観戦。

 合間にめぐみさんや、定期的にお見舞いに来てくれる会長とのお茶やお喋り。

 完全なる引きこもり生活だ。



 私は自家用ジェットで後にしてきた、八年を過ごした町をふと思い出した。


 懐かしいのはやはり仲間たち。結局、転院の直前まで『公称・面会謝絶』だったからみんなにはほとんど会えなかったが、最後の最後に一度だけ、中学時代の友達が揃ってお見舞いに来てくれた。みんな、私の東京移転を聞くとひどく驚き、淋しがってくれたが、やはり最後はいつも通りの笑顔で別れの時を迎える。

 「頑張れ」「早く治せよ」「元気でね」─────ひとりひとり、ハイタッチを交わして(私は片手だけだったけど)病室を出て行く時、皆の笑顔の中にはもう、これからの時を見据えた輝きだけしかなかった。私と共に過ごした時代は、彼らにとってはすでに、そのすべてが完結した過去なのだ。昔の思い出は決して色褪せるものではなくとも、その視線の先に、もはや私の姿はない。

 そのことが妙に淋しく………そして同時に誇らしい。


 かけがえのない仲間たち。今までありがとう。そして、これからも大好きだよ。

 たとえ明日は何処へ行こうとも────みんなの幸運を心から祈ってるから。




 だんだんと包帯が取れ、ギプスが取れ、身体が本来の姿に戻ってゆく。

 それに比例するかのように季節は夏に向かい、日々暑く、空気が変わってゆく。


 ここへ来た見舞い客は結局、秋本会長ただ一人。あの訳のわからん次男が押しかけて来るんじゃないかと警戒していたがそんなこともなく、淋しさに浸る間もないほど忙しく勉強に明け暮れた日々を経て────私はついに退院の時を迎えた。



「夏希さん、忘れ物はありませんか?」

「ええ、大丈夫だと思います。荷物といっても本しかないし」

「じゃあ、そろそろ行きましょうか」

 八月の陽光が明るく射し込む病室で、めぐみさんと最後の荷物確認。


 さよなら豪華な特別室。お世話になりました。

 そして向かうは、初めて相まみえる『私の』マンション。



 退院の日、私はずっと一緒にいてくれためぐみさんと二人で病棟を後にし、正面玄関前のロータリーから秋本会長差し回しのハイヤーに乗り込んだ。都心の一等地にある病院を出てさほど長い時間走ったわけでもないのに、唐突に車が止まる。

「……え? もう着いたの?」

「そうですよ。いいところでしょう?」

 にこやかに車を降りるめぐみさん。って、いいところ過ぎるだろう。ここ、まだ東京のど真ん中じゃないか。

「さあ、ここですよ」

「………はあ!?」


 予想はしていた。こと金銭に関する限りは浮き世離れしたあの人のことだから。

 それにしてもスゴすぎる。どう見ても高校生一人が住むマンションじゃない。


 建物はさほど大きくない。だが、見るからに豪華なのだ。セキュリティも万全。

 最初の自動ドアを入ると、暗証番号と指紋認証のコンソールがデーンと鎮座している。その奥は木目調の頑丈なドア。間仕切りの向こうに並ぶ宅配ボックス。

 めぐみさんが慣れた様子でコンソールを操作すると、微かな電子音がして内扉のロックが外れたようだ。入ったところには何と、生まれて初めて目の当たりにするコンシェルジュデスク。

「お帰りなさいませ。そしてようこそ、八木沢様」

「あ……ど、どうも」

 穏やかそうな執事然としたコンシェルジュが私に挨拶してくるが、こっちは未だパニクっていてロクに返事もできない。頭をペコリと下げただけで、めぐみさんに引っ張られて私はエレベーターに乗り込んだ。着いたところは……言わずと知れた最上階のペントハウス。



「もう……勘弁してくれぃ」

 部屋に入り、さらにまたひとしきり翻弄された私は、溜息と共にひと声唸った。

「そんなことを言ってはいけませんよ、夏希さん。ここまでして頂いたのに」

「判ってますよぉ、もちろん。だけど……カルチャーショックがひど過ぎて、何て言ったらいいかわかんないんだもの。これがお金持ちの世界なの?」

「そうかも知れませんね。まあ、そのうち慣れますよ」

 慣れたくない、こんなの。元の庶民に戻れなくなる。


 部屋は広かった。リビングルームにベッドルーム、ダイニングキッチンにバス、トイレ。そこまではまだ解るけど、ベッドルームとは別に最新式パソコンと大きな本棚が設置された勉強部屋、さらにはお客様用の寝室まで。

 収納も半端じゃない。寝室のウォークインクローゼットはもちろんのこと、納戸用の小部屋が二つ、キッチンの壁一面に作り付けられた食器棚に食料貯蔵庫、大型冷蔵庫と補助の冷凍庫、玄関には天井まで続くシューズ用クローゼット。言っとくけど私、靴なんて革靴とスニーカーとサンダルくらいしか持ってないんだよ?


 さらにぶったまげたことに、それらのクローゼットを開くと、中身が半分以上も詰まっていたのだ。もちろん、私本来の持ち物ではない。見るからに高級そうなスーツやワンピース、ブラウスにスカートにパンツ、コート、Tシャツやトレーナー、ジーンズに下着。シューズケースにもブーツやパンプス、スニーカー、雨靴にサンダルにミュール。傘だけでも五本もある。こんなもん、一介の高校生にどう活用しろと?


 私は感謝を通り越していささか胡乱な目つきを向け、それぞれの収納庫の片隅に申し訳なさそうに小さく収まった自前の洋服を手に取った。

「私なんてこれくらいで十分なのに。どうやって使えばいいの、こんなたくさん」

「それでも秋本様は、お洋服などはご自分で揃えたいだろうから、当座使う分だけ用意しておこう、と仰っていたんですよ」

「当座? これがぁ!?」

「ええ。後は何でも好きに買いなさい、とその分のお金もお預かりしています」

「…………」

 どうやらめぐみさんは、これらの洋服や靴を実際に揃えてくれた張本人らしい。そりゃそうだ、いくら秋本会長でも、女の子の下着までは買えないだろうからね。

「めぐみさんは慣れてるみたいね。前にもこんなことがあったの?」

「はい。家政婦を雇うお宅は、お金持ちが多いですからね。私もここまでのことは経験がありませんが、似たような話は仕事仲間からも聞いていますし」

「ふーん……」


 私はそれ以上の言葉を失くし、目の前にある素晴らしい服の数々を眺めた。

 それにしても趣味がいい。服はどれもこれも私好みの落ち着いたデザインだし、素材だって、化学繊維アレルギーの私にも着られるようなものばかり揃えてある。そう言えば病院にいた間に、幾度となく服の好みやらサイズやらを訊かれたような気がするが、今思えばあれはこのためだったのか。

「とにかく……めぐみさん、ありがとう。とっても素敵な服ばかり選んでくれて」

「お気に召しましたか? それはようございました。秋本様にもお礼を申し上げて下さいましね」

「ええ、もちろんよ」



 いつまでも悩んでいたって始まらない。あの人の住む世界の一端に、ほんの少しだけ触れることのできた私。その私にできることは、彼に誠心誠意お礼を言うことだけだ。

 明日にでも早速、会長の会社へお礼に伺おうか。ようやくリハビリの効果が出てきた今、身体を動かす喜びを思い出すことのできた今の私なら、彼もきっと喜んで迎えてくれるだろう。



 ────そんなことを考えていた、その翌日。

 思いもかけない招待が、新居となったマンションに舞い込んできた。




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