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無敵ヒロインの学園始末記  作者: 桂木 玲
第二章  秋学期 ~俺様王子と悪役令嬢~
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 冬休みに入って四日目の祝日。


 お昼過ぎ、めぐみさんと二人でクリスマス会用のチキンをせっせと仕込んでいた時、彬彦さんから突然電話がかかってきた。遥香先輩と二人、夕食をご馳走したいからこれから出て来られないか、と言う。学園でのパーティーの後、彼とは連絡が途絶えていたから、おそらくその話だろうとすぐさまピンと来て、私は慌てて指定された高級レストランに向かった。その奥まった個室で、私たちは初めて、彼の口から先日の騒動の顛末を詳しく聞かされることになったのである。


「済まなかったね、夏希さん。急に呼び出して」

「いいえ。こう言っては何ですが……ずいぶんと早く片付いたんですね」

 ここ何日か、先輩とは電話で連絡を取り合っていたものの、彼女も詳しいことは何も知らされていないらしく、二人してあれこれ気を揉んでいたのだ。

「ああいった話は、長引かせてもろくなことにはならないからね。こちらの要求はあの夜のうちにすべて伝えてあったから、後は桜庭側の返答待ちだったんだ。あの当主も、さすがにそこまでバカではなかったようだな」

「要求、ですか?」

「ああ。君たちにはまず、そのへんのことから説明しようか」


 そう言って彬彦さんが話し始めたのは、言い出しっぺの私でさえ思わず青ざめるほどの、鷺宮家の力の強大さを存分に知らしめるような恐ろしい話だった。




 まず────あのパーティーと時を同じくして行われた両家の会談では、鷺宮のご当主がのっけから遥香先輩たちの婚約解消を宣言し、その上でじわじわと相手を追い詰めにかかった。これまでの桜庭先輩の行状を細大漏らさず彼の父親に伝え、今回の婚約破棄はあくまで桜庭側に非があるためだ、と最初に釘を刺したらしい。先輩のお祖父様は故意に怒りを露わにしてみせ、『鷺宮家の総意』によって桜庭家と縁切りすることを明言したのだという。息子の悪行の数々を証拠付きで突きつけられた桜庭の当主は、それに対しては一言も反論できなかったそうだ。


 続いて、これにより派生する諸々の負債。前に彬彦さんから聞いた通り、九年間にも及ぶ婚約期間中、鷺宮家は桜庭家にかなりの額の資金を用立てていた。主に、桜庭の会社が運営するファンドへの出資金だったようだが、中には焦げ付いたまま回収されていないものや、『身内』扱いだからこそ引き受けた怪しげな案件なども含まれていたらしい。むろん、婚約が成立している間はそれは『負債』ではなく、縁戚間の『融資』という形を取っていたわけだが────こんな事情で婚約が破棄された以上、それらの資金は直ちに鷺宮家へ返還されるのが筋である。


 加えて、『女癖の悪さ』なんぞという破廉恥極まりない理由で婚約者を裏切っていたわけだから、遥香先輩に対しても相当な額の慰謝料が発生する。また、学園のパーティーにおける桜庭先輩の行動はあまりにも非常識であり、鷺宮家が名誉毀損の訴訟を起こせばそこでも敗訴する可能性が高い。


 さらには、彬彦さんが調べ上げた学園の女生徒たちに対する数多の犯罪的行為。もしもその被害者が一致団結して桜庭先輩を訴えるなら、鷺宮家はこれを全面的に支援し、一流の弁護団を組織して多額の損害賠償を請求することも辞さない───と通告したそうだ。



 この種の訴訟は、上流社会においてはまさに致命的である。また、これらすべての金銭を一度に要求されれば、いかな大金持ちといえどもそうそう耐えられるものではない。事実、今現在の桜庭家には、その支払いに即応するだけの資金力がないことも調べがついている。ならば……ということで、鷺宮のご当主は先方に対し、恐るべき苛烈な代替案を出した。


 一つ、桜庭雅臣を桜庭家後継者の地位から外すこと。

 二つ、彼を勘当して完全に縁を切るか、もしくは国外へ移住させて、少なくとも結婚後十年が経過するまでは帰国を認めないこと。

 三つ、女生徒たちへの虐待については共犯の可能性がある桜庭夫人に対しても、息子と同等の処分を科すこと。


 以上の三点が完全に履行された場合にのみ、先に挙げた借財返還や賠償の請求は取り下げる。ただし、遥香先輩に対する正式な謝罪と、慰謝料の支払いについては一切免除しない。思春期の少女たちを弄んだ罪の重さを自覚させるためにも、その支払いには桜庭家の資産を充てることを許さず、あくまで桜庭雅臣本人の稼ぎから全額を賄わなければならない。



 この非情な通告を受けて、桜庭先輩の父親は丸三日、悩みに悩んだらしい。その結果、彼が下した決断は、鷺宮側の要求をほぼ全面的に呑むことだった。すなわち────桜庭先輩は廃嫡ののち、学園の卒業を待たず直ちに国外へ追放。最低限の生活費と学費以外は一切の金銭を与えず、ヨーロッパの片田舎に留学させる。卒業後もそこに留め置き、桜庭家は腹違いの弟に継がせることを決定したとのことだ。


 これを知った彼の妻は錯乱し、一時は息子に付き添って国外へ向かおうかという勢いだったが、あまりの有り様に呆れ果てた夫からも愛想を尽かされ、結局は離婚することになったという。彼女は社交界での評判が著しく悪く、実家を継いだ実の弟からも疎まれているそうだから、離婚したところで行き場などない。おそらくはどこかの別荘で一人ひっそりと暮らし、社交界からもフェードアウトするしか道はないだろう────というのが、昨日までに決まったこの事件の結末だそうだ。




「……まあ、祖父としても金のことは二の次でね。一番重要なのは、奴を野放しにしてこれ以上遥香や君の周りをうろついたり、逆恨みで君たちに危害を加えたり、といった事態を未然に防ぐことだ。金の話を持ち出したのはあくまで、それを盾にしてこっちの要求を通すための方便だよ」

 要するに、体のいい恫喝である。返せるはずのない多額の金銭を要求し、それを免除するには、という流れで本来の目的を突きつけたわけか。


「でも、桜庭先輩の家って大金持ちなんでしょ? それでも払えないんですか?」

 素朴な疑問を口にすると、彬彦さんは苦笑して首を振った。

「あの家はもともと、固定資産に比べて流動資産の割合が極端に低いからね。土地や建物、美術品なんかをいくら持っていたところで、現金がなければ借金の返済はできない。かといって大慌てで資産を金に換えたりすれば、たちまち噂が広がって今後の立場にも影響する。早い話、金持ちにもいろいろあるということだ」

「はあ……」

 お金持ちがお金に困るって、いったいどんな皮肉なんだ。庶民の私にはさっぱり理解できないが。


「でも確かに……桜庭先輩が外国に行ってくれれば、私たちは安心ですよね」

「だろう? 問題は母親の方だが、あの女は一人では何もできない無能な人間だ。桜庭家から追い出されれば後ろ盾もない。しばらくはこちらでも監視を付けるし、この期に及んで君たちに何かする心配はないと思うよ」


 平静な口調で淡々と告げる彬彦さんに、さすがの私も血の気が引くのを感じる。鷺宮家を怒らせると酷い目に遭う、というのはどうやら本当だったようだ。



「とにかく────いろいろとありがとうございました、彬彦さん。おかげで私も助かりました」

「いや。礼を言うのはこちらの方だよ。私の長年の懸念を綺麗に取り除いてくれたわけだからね。これからも妹と仲良くしてやってくれると嬉しいんだが」

「もちろんです。先輩さえよろしければ喜んで」

 隣の遥香先輩と目を見交わして微笑み合う。数奇な経緯の果てに得た友達だが、これもまた紛れもない、一つの友情の形だ。大切にしたいと心から思う。


「そうだ、遥香先輩。明日の夜は、何かご予定がありますか?」

「明日ですか? 午後にお友達のお宅でお茶会がありますけど……夜は特には」

 ふと思いついて誘ってみる。明日はクリスマスイブ。仲間たちと約束していた、我が家でのパーティーの当日だ。

「もし良かったら、先輩もいらっしゃいませんか? みんな心配してるんですよ、先輩が元気になったか、って」

 今の彼女の顔を見れば、彼らもきっと安心するだろう。たまには庶民の集まりに参加して、バカ騒ぎするのも気晴らしにはいいかも知れない。

「お招きありがとうございます、夏希さん。はっきりとはお約束できませんけど、なるべく伺えるようにいたしますわ」

「何時でも結構ですよ。お待ちしてますから」



 彬彦さんに食事のお礼を言い、私はタクシーで帰宅した。何となくすぐに寝る気にはなれず、きれいに片付いた厄介事をいろいろと思い返しているうち、かなりの時間が経ってしまったらしい。みんなにも早く知らせたいが、どうせ明日にはまた会えるのだ。わざわざ電話するまでもないだろう、と思い直し、日付が変わる頃、私はようやく眠りについた。




 明けて二十四日、クリスマスイブ。


 午後の早い時間から仲間たちが我が家に集まり、買い出しやら料理やら協力して働いた結果、六時を過ぎてようやくパーティーが始まった。いつもの六人に加え、なぜか和樹さんが堂々とその場に座り込んでいる。つい一時間ほど前、「秋本会長からのプレゼント」だと言って、全長一メートルを越す立派なクリスマスツリーを持ってきてくれたのだが、皆で飾り付けを終えた後もいっこうに帰る気配がない。仲良しの未緒に引き止められ、ちゃっかりそのまま居座ることにしたようだ。


「和樹先輩。イブなのに、デートの約束とかないんですか?」

「あるわけないだろ、そんなもの。こんな日に女の子と出かけたりしたら、どこで何を言われるか判らないよ」

 料理の皿を運びながら意地悪く問いかけると、とたんに邪気のない笑顔が返ってきた。もしかしてこの人、初めからそのつもりで今ごろやって来たの?

「夏希さん、そんなイヤそうな顔しなくてもいいだろ? 別に悪さはしないって」

「悪さも告げ口もナシですよ? オフレコの無礼講。いいですね?」

「アイアイサー、キャプテン」

 まったくもう、どこまで解ってるんだか。私はそれ以上文句を言う気も失せて、なし崩しに彼の参加を認めることになった。



「じゃあみんな、四カ月間お疲れさまでした。メリークリスマス!」


 委員長の音頭で、全員がドリンクのグラスを掲げる。テーブル一杯に並べられた料理は、いつにない豪華さだった。色とりどりのカナッペとオードブルの盛り合わせ、メインはめぐみさん秘伝レシピのフライドチキン。他にも海老のグリルや自家製ピザ、クラムチャウダー、果物に各種サラダ。名村君用には、クリスマスらしく赤と緑のパプリカを散らしたピラフもある。クリスマスだろうとお正月だろうと、あの子がいる限り米のメシは絶対に欠かせないのだ。


「夏希さん、これ全部君が作ったの?」

「いえ、みんなにも手伝ってもらいましたよ。一人じゃさすがに無理です」

 何しろ、食欲魔人の名村君を含む六人分の夕食である。何を作るにしても、半端な量では済まないのが私たちのご飯なのだ。

「庶民レベルのご馳走ですから、先輩のお口に合うかどうか判りませんけど」

「いや、どれもすごく美味しいよ。たいしたもんだ」

 その言葉通り、和樹さんは他の男の子たちと変わらぬ旺盛な食欲を見せて料理に食いついている。日頃、これとは比べ物にならない高級料理を食べ慣れているはずなのに、そんな様子は微塵も見せない。



 皆がひとしきり食欲を満たすと、私は箸を置いておもむろに口を開いた。

「みんなに報告があるの。昨日の夜、遥香先輩のお兄様から呼び出しがあってね。あの後どうなったか、今回の騒ぎの結末をすべて話してくれたのよ」

 一瞬、部屋が静まり返る。全員の注視の中、飛島君が静かな口調で尋ねてきた。

「上手くいったのか?」

「ええ、すべて片が付いたわ。これでもう、何の心配もいらないそうよ」

「……そうか。良かった」


 仲間たちの視線に促され、私は昨夜のことを皆に詳しく説明した。彬彦さんから聞かされた桜庭先輩の末路を伝えると、和樹さんを除いた全員が、多かれ少なかれ恐ろしそうに眉をひそめて首を振っている。



「……すごいねえ、金持ちってのは。やることが半端ないわ」

 さすがの未緒にも、予想以上の決着だったようだ。遥香先輩を守るために多額の借金をチャラにした鷺宮のお祖父ちゃんには、心底恐れ入ったらしい。

「本当にね。それに楯突いた桜庭先輩がいかにバカだったか、ってことでしょう」

 香奈子も複雑な表情で呟く。いや……楯突いたのならまだいいが、奴はただただ相手を舐めてかかっただけだ。信念を持って刃向かうのと、見くびって蔑ろにするのとでは意味がまるで違う。


「まあ、あの鷺宮家ならその程度の金額、どうってことないだろうからな。どうせ桜庭側に出資した時点で、その分はないものと思ってたはずだし」

 和樹さんがしたり顔で解説する。ないもの、って……まさか、ドブに捨てる覚悟だった、ってこと?

「そうなんですか?」

「ああ、おそらくは。だいたい、ファンドなんてもともと投機的な要素が強いし、だからこそ『出資』じゃなく、『融資』という名目で援助したんだろう。それならもし何か不都合があっても、失うのは出資した金だけで済む。それ以上の面倒事に巻き込まれる心配もないからね」

 可愛い孫が将来嫁ぐ家だから、泣き付かれればそうそう無下にもできなかった、ということか。それでも、出資者としてファンドに名を連ねるリスクを避け、お金だけポンと渡して好きに使え、とやったあたり────あるいは鷺宮のご当主も、初めから桜庭家をあまり信用していなかったのかも知れない。


「慰謝料の支払いはどうなるんだ? 奴が稼ぎ始めてからってんじゃ、まだ数年は先になるだろ?」

 名村君のもっともな疑問に、私は彬彦さんから聞いた話をそのまま伝えた。

「そのへんは両家の間で上手くやるらしいよ。とりあえず、桜庭先輩の個人口座を即刻差し押さえて、奴がお金を国外に持ち出さないように手を打つんだって。それでも慰謝料全額には全然足りないから、大学を卒業した後、残りの分を分割で取り立てることになるようね」

 いつだったか、私に自慢していた株取引の利益なども含めると、現時点でも彼は相当な額の金銭を所有している。それをそっくり持ち出されたら、質素な暮らしをさせるという罰が有名無実化しかねない。それを防ぐためにも、余計な蛇口は予めキッチリ閉めておくことが不可欠なのだ。

「それまでの間は、お祖父様が残額を立て替えて、今すぐ遥香先輩に渡すみたい。何年も支払いが長引けば、先輩だっていつまでもスッキリできないでしょ? そんなことにならないように、あとは大人たちの間で帳尻を合わせるらしいわ」

「……なるほど」

 あの夜の会談には鷺宮側の顧問弁護士さんが同行していたため、具体的な慰謝料の額も桜庭側にはすでに通告済みだという。もちろん、私のような庶民には想像もつかぬ巨額であることは間違いない。



「それで桜庭先輩、いつ日本を出るの?」

「この冬休み中には出国させる、って話だったわ。おそらく、年が明けたらすぐに発つんじゃないかな」

「じゃあ、奴にとっては最後のお正月になるわけね。憐れだこと」


 未緒の言葉に、私はしみじみと頷いた。日本を出れば、最低でも十数年は戻って来られない。婚約者に棄てられ、親からも見放されて、大金とも社交界とも縁遠いド田舎での長い暮らしが待っているのだ。自業自得とはいえ……まさに憐れとしか言いようのない結末ではある。



 部屋に漂うしんみりとした空気を破るように、私は努めて明るい口調で続けた。

「それでね。昨日ついでに、遥香先輩をこのパーティーに誘ったの。あなたたちに無断で悪かったけど、もし都合がつけば来てくれるって。構わなかった?」

 私の言葉に皆は一瞬意表を突かれたようだったが、委員長がすぐさま、穏やかな笑顔で答えてくれる。

「ああ、もちろん。宴会は人数が多いほど楽しいからね」

 その言葉にホッとして、私は仲間たちにお礼を言った。ダンスパーティーの前後から彼らもいろいろな形で彼女に関わってきたから、今さらこの招待に不満を抱く人もいなかったらしい。


「彼女、元気そうだった?」

「ええ、もうすっかり落ち着いたみたい。彬彦さんがずっと気を配ってて下さったらしくて、沈んだ様子は全然なかったわ」

 香奈子の問いに微笑んで答える。婚約解消という人生の一大事を乗り越えた今、彼女もすでに、かつての泣き虫お姫様からは無事卒業できたようだ。

「まあ、あのパーティーでも彼女、終盤は大人気だったもんね。桜庭先輩一人だけしか目に入らなかった頃に比べれば、これからどんなにでも幸せになれるわよ」

 未緒の楽観的な言葉にみんなが頷いた。その様子を見て、和樹さんが思い出したように口を開く。


「そういえば夏希さん、あれはどういうことだったの? 三年の先輩たち、みんな自分のパートナーを放り出して彼女を構ってたけど」

「ああ、あれですか。もちろん、事前に話を付けてたんですよ。桜庭先輩を目一杯悔しがらせてやりたくて」

 私は笑いながら、彼に舞台裏を説明した。自ら棄てた婚約者がモテモテな様子を見れば、奴も逃した魚の大きさに気づくだろう。そんな意地悪根性を出した私に、イケメンたちがノリノリで協力してくれたのだ。むろん、彼らのパートナーの女性陣には予め了解を取ってある。


「あれだけの人数がいれば、ダンスの相手をするのもせいぜい、一人一回が限度でしょ? それくらいなら、ってパートナーの皆さんも承諾して下さったんです」

「ラストダンスは彼女、門倉会長と踊ってたよね。藤木さんも了承したんだ?」

「ええ。藤木先輩は他校に本命の彼氏がいますからね。人気がありすぎる生徒会長の相手役として誰もが納得する人、ということで彼のパートナーを引き受けただけだったそうですから」

 幼い頃からバイオリンを習っていて、あの日も四重奏のステージに上がった藤木先輩は、ラストダンスではプロの楽団に交じってコンマスを務めていた。遥香先輩には何も知らせていなかったが、すべてが計算の上でのことだったのだ。


「あの翌日、電話でそのへんのことを話したら、遥香先輩も絶句してました。何にせよ、彼女も十分に楽しんでくれたみたいです」

「それは良かった。君らの行動力と絶妙のチームワークに乾杯! だな」

 そう言って、和樹さんが改めてグラスを掲げる。私たちは笑顔でそれに唱和し、再び全員でグラスを合わせた。




「それにしても───君たちには大変な秋学期だったね。全員が無事に乗り切れて本当に良かったよ」

「……ええ。何もかも、ここにいるみんなのおかげです」


 思えばすべては、私が桜庭先輩の挑発に乗せられたことから始まったのだ。仲間にも和樹さんにも、その他多くの先輩たちにも多大な迷惑をかけた。今、こうして私が無事にいられるのも、彼らの助けがあったればこそだ。


「みんな、本当にありがとう。和樹先輩にも感謝しています。昨日のことも含め、秋本会長には近々、きちんとお礼とご報告に伺いますから」

 学園でのパーティーの翌日、冴子奥様と川島さんには秋本邸へお礼に伺ったが、会長は仕事で不在だったため会うことができなかった。事件の結末を誰よりも早く知らせるべき相手は、あの人をおいて他にはいない。

「うん、父さんもきっと喜ぶよ。君たちの活躍に一喜一憂してたからね」

 ────うわ。どれだけ心配をかけたんだろうか、私。

「騒ぎばっかり起こして、本当にすみませんでした。来学期からはもうちょっと、おとなしくしてるよう心がけますので」


 小さくなってそう言ってみたのたが、どうやら誰も信じてくれなかったらしい。この私に「おとなしく」なんてできるはずがない、とニヤニヤ笑いを浮かべた皆の顔にハッキリ書いてある。


「夏希がおとなしくなったらつまらないわよ。大変といえば大変だったけど、私はけっこう楽しかったわ。思う存分、自分の集めた情報を役立てられたしね」

 未緒の明るい声に、全員が朗らかに笑う。

「そうだな。普通ならできない経験をたくさんさせて貰った。この騒ぎのおかげでいい先輩たちとも知り合えたし」

「それは言えるわね。ただの一般生が生徒会役員だの、運動部のリーダーたちだのと親しくなれる機会なんてそうそうないもの。その点では夏希に感謝だわ」

 飛島君も香奈子もどれだけポジティブなんだ。学期中、香奈子には何度か懇々とお説教されたものの、今となってはそれも懐かしい思い出である。

「先生方も協力して下さったしね。時田先生みたいな厳しい先生が、僕らの味方をしてくれたのは意外だったけど」

「どうもあの先生、単に厳しいっていうより、筋の通らないことが嫌いらしいぞ。木島先輩の話じゃ、あの俺様野郎にはかなり手を焼いてたそうだから、正面切って奴に対抗しようとした夏希が気に入ったんじゃねえの?」


 確かに────今回の事件全体を通して私たちが知ったのは、星城学園の先生方の意外な公平さだった。大金持ちの保護者に遠慮して名家組の味方をするわけでもなく、筋さえ通せば私たち一般生の言い分だってきちんと聞いてくれる。学園OBばかりだからといって、決して敵というわけではないのだ。


「ああ……そういえば私、高杉先生に『後で報告する』って言って、結局そのままになっちゃってたんだ。先生、むくれてないかしら?」

 委員長と名村君の会話を聞いていて突然思い出した。まずい、明日にでも学校に行って話さなきゃダメだろうか。

「大丈夫だよ、夏希。俺たちでちゃんと説明しておいたから」

「え、飛島君が?」

「ああ、君が先輩方と話してた時にね。先生、ゲラゲラ笑ってたぞ」

 案の定、高杉先生はさほど驚いてはいなかったらしい。「やりすぎだ」とひと言釘を刺しながらも、存外面白がってくれたそうだ。


「……ホント、いい担任に恵まれたよね、私たち」

 図らずも漏れた私の呟きに、未緒がクスクス笑って付け加える。

「うん。私、お礼にと思ってダンスに誘ったんだけど、すげなく断られちゃった。『教え子と踊ったりしたらヨメに殺される』だって」

「え? あの先生、結婚してたの!?」

 私の素っ頓狂な叫びに全員が爆笑した。そりゃあ三十五にもなるんだから、結婚くらいしてたって不思議はない。不思議はないけど……はっきり言って想定外だ。


「だけどその前に、あの先生ダンスなんてできるのかしら? 名家の出身じゃないんでしょ?」

「それが、意外なことにそこそこ踊れるらしいぜ。誰かがそんなこと言ってたのを聞いた気がする。あんな顔して、その手の嗜みにも一応通じてるって話だ」

「へえ……」

 ホントにあの先生、一体何者なんだろう。忘れた頃になってポツポツと聞こえてくる情報を繋ぎ合わせてみても、未だその正体はまるで掴めない。謎多き担任だ。




 爆笑を機にぐっと和やかになった雰囲気の中、私たちは料理を食べながら他愛のないことを次々語り合った。冬休みに入ってからのそれぞれの行動、イブだというのに恋人をほったらかしてバイトに励んでいる香奈子の彼氏のこと、未緒が学祭の時に仕入れてきた和樹さんに関する噂話、等々。恋バナとまでは行かないが、興が乗るにつれ話が次第に怪しげな方向へ向かっていくのを誰も止められない。


「……まいったなあ。こんなに集中砲火を浴びるんじゃ、パーティーに参加させてもらったのは失敗だったかな?」

「仕方ないですよ。先輩はれっきとした、学園の王子様の一人なんですから」

 ひとしきりみんなから質問責めにされて逃げ場のなくなった和樹さんに、未緒がニヤニヤしながら追い打ちをかける。

「そんなこと言って未緒ちゃん、君も夏希さんたちも、僕のことなんかまるっきり眼中にないんだろ? ただ単に面白がってるだけじゃないか」

 ────チッ、バレたか。新たな餌食にロックオンした未緒の前では、和樹さんもすっかり体のいいカモだ。


「あら、そんなことありませんよぉ。秋本先輩、本当のところはどうなんです? 恋人はまだいらっしゃらないって聞きましたけど、意中の女性もいないんですか? そろそろ、婚約者の一人くらい現れてもいい頃でしょうに」

 だが、未緒の追及に彼は顔色も変えず、いきなりの爆弾発言を放った。

「僕はまだそれどころじゃないよ。それに、うちは恋愛結婚推奨だからね」

「え、そうなんですか!?」

 仲間たちが素早く私の顔を見るが、私だって初耳だ。何となく、名家組の連中は政略結婚が当たり前、と思い込んでいたから。

「ああ。あの両親を見れば判るだろ? 基本的にうちは、政略結婚とは縁がない家なんだよ。現に、僕の祖母はチャキチャキの下町娘だった。祖父とは大恋愛の末の結婚だったらしい」

「へえ、意外!」


 和樹さんがまだ幼い頃に亡くなったという秋本のお祖母様は、典型的な庶民の出で、美人だが気が強く、何でもできる明るい人だったという。会長はたまたま同じような家柄の冴子奥様を結婚相手に選んだが、歴代の当主を見ると、そういう人の方がかえって珍しいとのこと。

「下町娘のお祖母様と上流階級の冴子奥様。嫁姑問題とかなかったんですか?」

「いや、全然。母はあの通りおっとりした人だし、祖母は正義感が強くて面倒見のいい女性だったそうだからね。最初から話が噛み合ったかどうかはともかく、仲は悪くなかったという話だよ」

 なるほど。想像してみると、なかなか楽しそうなご一家である。


「家も会社も、子供の幸せを犠牲にしてまで守る必要なんかない、ってのが我が家の家訓。父さんもいつもそう言ってる。いざとなったら親戚だっているし、有能な社員の中から後継者を抜擢したっていいわけだから」

 いかにもあの会長が言いそうなことだ。砕けてるというか、話が解るというか。

「まあ、僕らの代でどういうことになるかはまだ判らないけど。ちなみに、兄さんの恋人は社交界の女性だよ。おそらく、あのまま結婚まで行くんじゃないかな」

「へえ……貴史さん、恋人いるんだ?」

 意外に思って呟くと、和樹さんが軽く笑う。

「夏希さん、君は第一印象がアレだったから仕方ないけど……うちの兄さんは、僕なんかよりもずっといい人間だよ。見た目は冷たそうだけど、本当は優しくて懐が深い。ちょっと不器用なだけで、実際は誰からも慕われる優秀な人なんだ」

「……ええ。私もそれ、露木さんから伺いました」


 できればもう一度、貴史さんとはちゃんと話がしてみたい。あの時のことを謝りたいし、これだけお世話になってる秋本家の人から誤解されたままなのは私だって嫌だ。


「というわけで、うちには立派な後継者がいるから……次男坊の僕としては、結婚も仕事も自分の好きしていいんだ。気楽なもんだろ?」

「だからって和樹先輩、あのアホみたいに女の子を泣かせちゃダメですよ? 学園の中でそんなことしたら、私が会長に言いつけますからね!」

「しないしない。まったく、夏希さんはそんじょそこらのオニより怖いな!」


 おどけた口調に皆が笑い出した。話し込む間に、大量に並んだ料理もかなりその数を減じている。私たちはいったん宴を中断し、台所に残っていたお代わりを皿に追加したり、空いた器を流しへ運んだりしてテーブルをざっと片付けた。




 七時半を過ぎた頃、遥香先輩がようやく我が家に到着した。お友達とのお茶会が長引き、そのまま軽い夕食までご馳走になってきたのだという。


「メリークリスマス、夏希さん。ごめんなさい、すっかり遅くなってしまって」

「いいえ。先輩が来て下さると聞いて、みんな楽しみにしてたんですよ」

 もともとの引っ込み思案が復活したのか、玄関先でもじもじしている。コートを受け取り、安心させるように背中を押して居間へ入ると、案の定、気を遣った仲間たちが拍手喝采で迎えてくれた。


「まあ、皆様……突然お邪魔して申し訳ございません」

 居間の入口に立ったまま、可憐な声で遠慮がちに呟いている。この奥ゆかしさ、和樹さんにもぜひ見習わせたいものだ。

「いらっしゃい、鷺宮さん。僕も飛び入り参加なんだよ。さあ、遠慮しないで」

 ────コラ。言ってる端から、何を勝手に仕切ってるのよ?

「まあ! 秋本様もいらしてたんですの?」

「うん。夏希さんは迷惑そうだったけど、強引に押しかけて来ちゃったんだ」

 暢気な声でそう言い、掲げたグラスをひらひらと振ってみせる。まるで酔っ払いのサラリーマンだ。ここまで臆面もなくやられると、こっちはもう笑うしかない。


「さあ先輩、座って下さい。何飲みます?」

 和樹さんは放っておいて尋ねると、彼女はまたしても躊躇いがちに口ごもった。

「あの……本当にわたくしが参加させて頂いてもよろしいんですの?」

「もちろん。そのために来て下さったんでしょう?」

 どうやら彼女、顔だけ見せたらすぐに帰るつもりだったらしい。そうはさせじと和樹さんの隣に強引に座らせ、手早く箸やらグラスやらを並べる。お呼ばれの席からそのまま駆けつけたせいか、今日の彼女は真っ白いボアの付いた青いビロードのワンピースに身を包み、いつにも増して可愛らしさ全開だ。



「ずいぶん元気になったようだね、鷺宮さん」

「ええ。何もかも、夏希さんとお仲間の皆さんのおかげですわ」

 八人で改めて乾杯し、おずおずとジュースを口にした彼女に、和樹さんがいつになく優しい言葉をかけた。あれ以来、彼も密かに心配していたのだろう。いたわるような微笑みを向けられ、遥香先輩は恥ずかしそうに頷く。

「何だかわたくし、長い夢から醒めたような気分ですの。今までいったい何を見てきたんだろう、と我ながら反省してしまいましたわ」


 万感を込めたような言葉。夢か悪夢か───初恋は実らない、と言ってしまえばそれまでだが、彼女の場合は相手があまりにも悪すぎた。次こそは顔だけじゃなく人柄まで見極めてお相手を選んでくれ、と願わずにはいられない。


「秋本様のお宅にもいろいろとご迷惑をおかけしてしまって。お父上様には、兄が直接お目にかかってお詫びさせて頂きたい、と申しておりました」

「いやいや、うちは何もしてないよ。夏希さんたちの活躍を見守ってただけでね」

 クスクス笑っている。聞けば和樹さんは、これまで遥香先輩とはほとんど接点がなく、挨拶以外でまともに話すのはこれが初めてだという。

「夏希さん、昨日のことは皆様もうご存知ですの?」

「ええ、さっき詳しく話しました。みんなで喜んでたところなんですよ」

「まあ、そうでしたの」

 婚約破棄のショックもすでに癒えたのか、晴れ晴れとした笑顔が愛らしい。その微笑みに、わが仲間の男性陣はすっかり魅了されてしまったようだ。



「でも、君もこれからが大変だな。しばらくは身辺が騒がしくなるだろう。鷺宮家のお嬢様を狙ってる男はうじゃうじゃいるだろうし……すぐにまた婚約だ何だと、申し込みが殺到するんじゃないか?」

 和樹さんの言葉に、庶民の六人が顔を見合わせる。何となく予想はしていたが、社交界ってそんなに節操のない人ばっかなの?

「ええ。すでにいくつかは、祖父や父のところへお話が来ているようです。でも、わたくしはすべてお断りするつもりですの。そんなすぐに気持ちを切り替えられるものでもございませんし」

「当たり前ですよ! 先輩を何だと思ってるの? まるでモノみたいに……」

 憤慨して口を挟むと、名家組の二人から苦笑された。和樹さんはともかく、遥香先輩はイヤな気分にならないんだろうか?


「君ならそう言うだろうと思ったよ、夏希さん。でもね、それが社交界ってところなんだ。別に無神経なわけでも、遥香さんのことを軽んじてるわけでもない。鷺宮家ほどの名家となると周りが放っておかない、ってだけでね」

「それにしても……」

 納得が行かず、なおも言い募ろうとした私に、遥香先輩は笑って首を振った。

「ありがとう、夏希さん。でも大丈夫ですわ。わたくしも鷺宮家の人間の端くれ、そういったことには慣れております。兄の口添えもありまして、しばらくはどなたともお付き合いせず、お勉強に専念したいと祖父に伝えてありますから」

「先輩……」

 落ち着いた言葉に、振り上げた拳の下ろし所がなくなってしまう。同じ高校生だというのに、この差はいったい何だろう。私だったら絶対、そんなこと言ってきた相手の家に怒鳴り込んでやるところだけど。



「遥香先輩、先輩はこれからどうなさるんですか? 勉強に専念するってことは、進学はされるんですよね」

 委員長が穏やかに問いかける。いつの間にか私だけでなく、仲間たちも皆、彼女のことを「遥香先輩」と呼び始めたようだ。

「ええ、まあ……具体的なことはまだ何も考えておりませんけど」

「跡継ぎはお兄さんがいらっしゃるから、家の方は問題ないんだろ?」

「ええ、秋本様。もともとわたくしは早々に家を出るはずでしたし、わたくし自身に期待されていることも特にございませんから」

 本来なら、高校を卒業したら家に籠もって花嫁修業か、箔を付けるためにどこかのお嬢様大学を形ばかり卒業して、そのまますぐに結婚するつもりだったらしい。せっかく星城学園のように優秀な高校で学んでいながら、何というもったいない話だろうか。


「先輩は何か、なりたいものとか、やりたいことってないんですか?」

 ふと尋ねてみる。『お嫁さん』以外の夢は一つもなかったんだろうか?

「やりたいことと言いましても……夏希さん、わたくし皆様と違って賢くはございませんのよ。外で働くなんて、これまでは考えたこともありませんでしたわ」

 勉強は理系全般、特に数学が大の苦手。読書が好きだから英語や国語は得意な方だが、それだって飛び抜けて成績がいいわけではない。家では当然、家事のすべてが使用人任せで、パソコンなどの機械類には近寄るのも恐ろしいという。聞いてるだけで溜息が出そうな前途多難ぶりである。

「得意なことといっても刺繍くらいしか……」

「刺繍? あの、手芸の刺繍ですか?」

「ええ。社交界に属する娘の嗜みとして、子供の頃から習っておりましたの。家族やお友達には好評なのですが、あくまでも趣味の範疇ですから」

 まさに貴族のお姫様だ。自慢じゃないが、私にはまったく縁もゆかりもない。


「なら、その趣味を生かして手芸家を目指す、ってのはどうです? 自分のお店を持って、作品を飾ったりお客様に教えたりするんです。ついでに手芸用品を売ってもいい。夢があってステキな仕事じゃありませんか?」

 未緒が思いついたように声を上げる。すると、意外なことに和樹さんがすぐさま頷いて肯定した。

「うん、そういうのもいいかも知れないね。鷺宮さん、君なら純粋に好きなことを仕事にする、ってのもアリだと思うよ。生活がかかってるわけじゃないし、趣味の延長のような形であれば、ご家族を説得することも可能なんじゃないか?」

「秋本様……」

 思いもかけない提案に、遥香先輩は驚いたような顔で絶句している。浮き世離れしたお姫様にとっては、まさに目からウロコの進路だったようだ。


「それなら、大学は経済とか、経営とかの学部に行っとくといいかも知れないな。パソコンが苦手なら人を雇う手もあるけど、店のオーナーが全部人任せ、ってわけにも行かないだろうし」

 『スーパーナムラ』の長男らしく名村君が考え込みながら言うと、香奈子がその意見に異論を唱えた。

「あら、そっちはご家族が面倒を見て下さるでしょう。先輩は文学部で好きな読書に励むとか、女子大に行って人脈を広げるとか、仕事とは関係なく楽しい大学生活を過ごすのもいいと思うわ」

「そうだね。無理して厳しい学部に進むより、自分のペースで好きなことを学ぶ方が先輩には向いてるかも知れない」

 委員長の言葉に、飛島君が頷いて彼女の顔を見た。

「先輩、将来の選択肢は一つきりじゃありませんよ。手芸家として刺繍で名を売るのもいいし、お金が二の次ならボランティアって手もあります。なにも、小難しいことを勉強して就職するだけが人生じゃありません。世の中にはいろいろな仕事があるんですから」

 生活のために働く必要がない、というのはある意味恵まれたことなのだ。私たち庶民とはそこが違う。


「ねえ、遥香先輩。彬彦さんとも相談して、この冬休みの間にいろいろな可能性をじっくり考えてみたらいかがですか?」

「……ええ、そうですわね。そうしてみますわ、夏希さん。皆さんもありがとう。少しだけ、気持ちが楽になりました」

 それは良かった。いくら立ち直ったとはいえ、将来の不安までは解消されていなかっただろう。私たちの好き勝手な意見を聞くことで何らかの手がかりが掴めるのなら、それに越したことはない。



 私たちはそのまま、時間を忘れてさまざまなことを語り合った。遥香先輩の進路の話をきっかけに、各々の将来の希望や家族のこと、私の中学時代のこと、そしてこの四ヶ月間の思い出話に至るまで。私と和樹さんとの出会いや、遥香先輩たちの殴り込みの話になると、みんなの間から堪えきれない笑いが漏れる。今となっては可笑しさと恥ずかしさが入り交じった黒歴史だが────よくもまあ、あの最悪の第一印象を乗り越えて、こうして屈託なく笑い合える仲になれたものだ。




 十時近くになって、私たちはようやく食事を切り上げ、用意していたクリスマスケーキを切ることになった。近所のケーキ屋さんに頼んでいた特大ケーキに加え、遥香先輩がお土産に持ってきてくれた、一流パティシエの手による限定生産ケーキが二つ。こちらはサイズこそ小さいが、庶民が普通に注文しても簡単には手に入らない高級品だ。ここだけの話だが、「持つべきものは金持ちのお友達」である。


「未緒。悪いけど、ベランダからケーキ持ってきてくれる?」

「は? 夏希、ベランダなんかに置いてたの!?」

「だって、冷蔵庫満杯なんだもの。あそこが一番涼しいでしょ?」

 せっかくのケーキが傷んだら大変だ。ナイスアイディアだと思ったんだけどな。

「まったくもう……あなたってホント、突拍子もないことやるわよねえ」

「まあ、夏希だからな。頭がいいんだか、発想が個性的なんだか……」

 未緒と一緒になって、飛島君までが可笑しそうに笑っている。戸棚から人数分のお皿を取り出しながら、私は仏頂面で二人に指令を飛ばした。

「いいから早く持ってきて! それ以上言うと食べさせないよ!」

「はいはい。ちょっと待ってて」



 だが。その直後、ガラス戸を開けた二人の口から意外な言葉が聞こえてきた。

「雪よ! 夏希、雪が降ってる!」

「ええ?」


 驚いてキッチンから飛び出すと、和樹さんや遥香先輩も含めた全員が居間の窓際に集まって騒いでいる。見ると確かに、漆黒の夜空からはらはらと舞い落ちているのは、この冬初めての淡い白雪だ。


「うわあ……私、雪って初めて見るわ!」

「え? 夏希、マジで?」

「うん、降っているところを見るのは初めてよ。うちの地元、雪が降らないことで有名だから。積もった雪も……冬に両親と旅行した時に見たくらいかなあ」

 父の同僚のお誘いで白馬へスキー旅行に出かけたのは、確か私がまだ小学生の時だった。子供の頃に住んでいた町では見たことがあるのかも知れないが、なにぶん小さすぎて記憶に残っていない。


「ホワイトクリスマスだね。絵に描いたように見事な演出だ」

 和樹さんが楽しげに笑う。その言葉に頷き、名村君が思い出したように続けた。

「そういえば、今朝の天気予報で言ってたっけな。今夜は雪になるかも、って」

「ああ、私も見たよ。もしそうなれば十年ぶりのホワイトクリスマスです! ってお天気お姉さんが大はしゃぎしてたわ」

 ────それは知らなかった。今朝はけっこう寝坊しちゃったからなあ。


「でもこれ、ちょっとまずいんじゃない? 交通機関、大丈夫かしら?」

 冷静な香奈子が不安そうに言う。雪に対する東京の脆弱さは、全国的にも有名な話だ。電車はもちろん、タクシーの乗車拒否なども頻繁に発生するとのこと。

「大丈夫、いざとなったらうちの車で君たちを送るから。鷺宮さん、君も協力してくれるだろ?」

「ええ、構いませんわ。二台あれば、全員が問題なく乗れますでしょう」

 さすがだ。秋本家や鷺宮家の車なら、少々の雪ではびくともしないらしい。




 私たちは部屋の灯りを落とし、しばし窓辺に佇んで冬空を見上げた。居間の片隅で瞬く、ツリーの豆電球の光が皆の郷愁を誘う。激動の秋学期を駆け抜けた末に、思いがけず訪れた宝物のような一夜。美味しい料理と、華やかなツリーと、そしてかけがえのない大切な仲間たち。彼らとともにあるこの瞬間が、今の私には何にも増して愛おしく思える。



 三つのクリスマスケーキに灯された蝋燭の火が揺らめく。この日最後の「メリークリスマス!」の声が飛び交う中、とどまるところを知らぬ食欲を見せてケーキを平らげた私たちは、真夜中近くになってようやく宴を終えた。和樹さんたちが電話で呼び寄せた車が到着するまでの間、全員が揃って階下に下り、うっすらと積もり始めた初雪の中で子供のようにはしゃぐ。未緒と和樹さんの仲良しコンビが先頭を切り、淑やかな遥香先輩には委員長がエスコートに付いている。年末年始の予定を確認し合い、それぞれに再会の約束を交わしながら、私たちは去りゆく年に思いを馳せ、いつ果てるともなく陽気に騒ぎ続けた。



 東京には珍しい、純白の雪が儚く舞い散る聖夜だった。




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