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明けて十一月三日、午前九時。
講堂で行われた星城祭開会式に、全校生徒が集まった。学園祭実行委員長による簡単な挨拶の後、壇上に立った門倉生徒会長の姿に全員の視線が集中する。居並ぶ人波を見下ろしてハンドマイクを手に取ると、彼はおもむろに口を開いた。
「ではここに、第五十八回星城祭の開会を宣言します。生徒諸君、教職員の皆様、本日は心ゆくまで、我らが心血を注いだ学園祭をどうぞお楽しみ下さい!」
優れたリーダーは話が短い。簡潔すぎる開会宣言を受け、実行委員長がすぐさま解散を告げる。これだけ? と呆気に取られていた私のもとへ、ボディガード役の飛島君と由香里さんが近寄ってきた。
「さあ行くわよ、夏希ちゃん。どうしたの?」
「いえ……開会宣言だけで終わり、なんですねえ……」
間の抜けた私の感想に、由香里さんがプッと噴き出す。
「そりゃそうよ。何せ一日限りのお祭りだからね。長ったらしい演説なんぞで無駄にできる時間は一秒だってないわ。門倉君らしいでしょ?」
本当に。ここまで生徒の気持ちに寄り添う生徒会長は、掛け値なしに珍しい。
「飛島君、人が多いから気を付けてあげてね」
「はい、先輩」
全校生徒が一斉に移動するため、あたりはラッシュ時の山手線ホームさながらの人混みだ。誰かに押されるたびに、飛島君がさりげなく庇ってくれる。三人並んで講堂を出ながら、私は由香里さんにスケジュールを確認した。
「カフェの開店は確か、九時半でしたよね」
「『開店』じゃなくて『開演』。建前上は詩の朗読がメイン、ってことになってるんだから」
────ハイハイ、そうでした。
「それにしても、ずいぶん早くから始めるんですね。朝ごはん食べた後でしょ? いくら何でも、朝の十時前からお茶飲みに来る人なんています?」
だが、由香里さんはその言葉を聞くと、即座に顔の横でチッチッと指を振った。
「甘いわよ、夏希ちゃん。うちの男どもの人気をナメてもらっちゃ困るわ。今頃はもう、オープン前から長蛇の列ができてるんじゃないかしら」
「……そうなんですか?」
「ええ。今の三年はけっこう美形の男が多い、ってことになってるんだけど、実はそのほとんどがうちのクラスの子たちなのよね。あいつらが気取ってサービスしてくれるカフェなんて、女の子にとってはまさに垂涎モノよ。おそらく、昼前からはほとんど休む暇もなくなると思うわ」
「確かにステキな先輩方が多いですよね、A組は」
いかにも秀才らしくキリッと端正な門倉さん、笑顔が明るく魅力的な木島さん。他の先輩たちも、執事役の皆さんは総じてイケメン揃いである。飛島君や和樹さんほどのインパクトこそないが、王子様系、アイドル系、ショタ系、チョイ悪系と、タイプも実にさまざまだ。一つのクラスによくぞここまで集まったものだ、と感心せざるを得ない。
「どういうわけか、この学校の男は顔と成績が比例しちゃうみたいなのよ。だからうちのクラスが一番の宝庫になったわけ。他のクラスでめぼしい奴は……せいぜいあのアホくらいかなあ」
桜庭先輩のことだ。彼のことを、由香里さんは「あのアホ」、木島さんは「隣の阿呆」と呼んでいる。それだけで立派に通用してしまうほど、3Aでの彼の評判はかんばしくない。
「もっとも、あいつは一部の女子だけにしか好かれてないけどね」
「へえ、女子には好かれてるんですか」
あんな奴のどこがいいんだ、という気持ちを思いっきり込めて呟く。由香里さんはそれを聞くとケラケラと笑い出し、同情の目で私を見た。
「そうなのよ、趣味悪いわよねえ。どうせ顔だけしか見てないんでしょ、あいつに言い寄られるとコロッと参っちゃうんだから。中身を良く知ってるうちのクラスの女の子たちは、みんな陰で笑ってるわよ。男を見る目がない、って」
さもありなん。3Aの賢いお姉さま方なら、あんなアホに騙されるはずがない。この一週間、ずっと一緒に働いてきた私には良く解る。
「今年の三年は文系理系と、男女の比率がメチャクチャ偏っててさ。特に、上位の方は理系は男子、文系は女子が圧倒的に多いの。だから、隣のB組はほとんど奴のハーレム状態よ。そこに入りたくなくて、クラス分け直前に文系から理系に変えた子までいたくらいなんだから」
「うわ……それはお気の毒に」
将来がかかった進路すらも変えさせてしまう男。まともな生徒からは、そこまで毛嫌いされていることを果たして本人は知ってるんだろうか。
ちなみに、3Aの女子は僅か十人。驚いたことに、由香里さんとあと一人以外は全員が一般生徒だ。彼女に言わせると、「成績上位者、それも理系のトップクラスにお嬢様なんかそうそういるわけないじゃない」とのことだが、おかげで女性陣のチームワークは抜群だ。一年からの出向組は、私や飛島君を含めて八人。こちらも一般生徒ばかりで、これはどうやら全員がスカウトによる招集だったせいらしい。一人だけ名家組の男子がいたようだが、この人は3Aの男子生徒の弟さんである。お兄様に劣らぬイケメンで、兄弟揃ってウェイターチームに所属しているそうだ。
「その点、うちの男たちの人気は本物よ。顔だけじゃなく、中身もいいヤツが多いでしょ? 同性や後輩からも好かれてるから、今日だって繁盛間違いなし。比較的空いてる朝のうちに、どれだけのお客を捌けるかが勝負ね」
カフェである以上、収支決算は当然行わなくてはならない。お茶やお菓子の代金を頂き、これまでにかかった経費に充てるわけだ。客の回転率を上げ、たくさんの人に来てもらわなければ赤字になってしまう。
「飛島君、頑張ってね。あなたも朗読やるんでしょ?」
「ああ。一応は抵抗したんだが、結局はそういうことになっちゃったよ。俺の朗読なんか、喜んで聴く人がいるとは思えないんだけど」
「何言ってるの、みんな喜ぶわよ。私だってぜひ聴きたいわ」
「夏希までそんなこと言わないでくれよ」
思った以上の照れ屋さんだ。友達としては気の毒に思うが、お世話になった3Aの皆さんのことを思えば、頑張ってくれと言うしかない。
「大丈夫よ、飛島君。徹が言ってたけど、君の朗読は目玉商品になるだろうから、目一杯出し惜しみしてせいぜい一回か二回だけにする、ってさ。君は夏希ちゃんの護衛が主たる任務でしょ? どうしてもイヤだったら、それを理由に逃げちゃえばいいわ」
「いいんですか? 由香里さん、そんなこと言って」
「フフフ、徹たちには内緒よ。イヤがる後輩に無理強いしなくたって、芝居っ気のある役者は十分揃ってるんだから何とかなるわよ。まあ見てなさいって」
こういうところがステキなんだ、この人は。太っ腹というか、姐御肌というか、気っ風の良さにかけては右に出る者がいない。彼女の言葉で飛島君は幾分気が楽になったらしく、改めて由香里さんにお礼を述べている。
3Aの教室に着くと、飛島君はそこで私たちと別れ、男性陣に合流して着替えのため更衣室へと向かった。由香里さんの言葉通り、オープンまではまだ二十分近くあるというのに、すでに多くの女生徒たちが教室前の廊下にたむろしている。数人ずつ固まって何やらお喋りしながら、時折入口の方へチラチラと視線を送り、開店の時を今か今かと待ちわびているようだ。
普段は『三年A組』の札がかかっているフックにぶら下げられた洒落たランプ、その横に掲げられた手作りの凝った看板。教室のドアにはヨーロッパ風のカフェのエントランスを模した実物大の写真が貼り付けられ、美しい飾り文字で店の名前が記されている。
その名も『Poetry Cafe』。さすがというか、実態を示す『執事』の文字はどこにもない。こういう悪知恵だけは良く働くんだから、と思わず苦笑が漏れる。
私と由香里さんは教室に入り、他の女性スタッフたちとともに身支度を調えた。女性陣の服装は、由香里さんのお父様が寄付して下さった揃いの白いブラウスと、襟元に結ぶ紺色のリボン、プロ仕様の黒いエプロン。コーヒーチェーンの店員さんのような、しごく地味な装いである。調理室に詰める裏方さんを除き、今日一日、女の子はこの格好でウェイターの下働きに徹する。皿洗いやお湯の補充、お菓子の運搬など、仕事は多岐に渡るだろう。ただし、お客様の目当てはあくまで『執事』なのだから、女性陣は決して目立ってはいけない。派手な色やデザイン、ましてやメイド服などもってのほか。その大原則に基づいて選ばれたのが、このシンプルなユニフォームなのだ。
「良く似合ってるわ、夏希ちゃん。あなた、こういう地味な服着ても美人よねえ。今度、うちの会社でモデルやらない? ギャラはずむわよ」
冗談だか本気だか判らないようなことを口走りながら、由香里さんは忙しく全員の服装を点検して回っている。点検といっても、今日一日は制服着用の義務がないので、エプロン以外は全員が家からこの格好で来たのだ。スカートの上にエプロンを付けた後は、せいぜいがリボンを結び直したり、髪の毛を整えたり、その程度である。そこへ、こちらは全身の衣装を総取っ替えしたウェイターの皆さんが、廊下で待つお客様たちの悲鳴を引き連れて入室してきた。
「木島さん、カッコいい! すごく似合ってます!」
真っ先に目に入った巨体に向かい、私は満面の笑みで叫んだ。巨体といっても、別に太ってるわけではない。全身これ筋肉の塊である。分厚い胸板の上で、特注の執事服が今にもはち切れそうだ。
「そうかあ? なんか、チンドン屋にでもなったような気分なんだがな」
中身は相変わらずだ。慣れない服装でどうにも落ち着かないのか、しきりとあちこち引っ張っては文句を言っている。
「お前がチンドン屋なら、俺はさしずめキャバクラのボーイだな。親に見られたら指さして笑われそうだ」
門倉会長が苦笑いで呟いた。ご本人たちは恥ずかしそうだが、見ているこちらは目の保養。3Aのお姉さま方に至っては、すかさず携帯を取り出して、片っ端から執事さんたちを撮影して回っている。
その時、きゃあっと声にならない悲鳴が轟いた。見ると、皆の最後からコッソリ教室に忍び込んできた飛島君に、女性陣全員の視線が吸い寄せられている。
「飛島君、あなた……」
こちらへ歩いてきて目の前に立った彼を見て、私は文字通り言葉を失くした。
まさに王子だ。柔らかな微笑、少し長めの茶色かがった髪。彼はお母様の家系に多少西洋人の血が入っているらしく、肌も髪も日本人にしては繊細な色彩を持っているのだ。そして、全身を包むいかにも洗練された雰囲気。執事服だというのに、それがあたかも貴族の若君の衣装のように見える。これほどまでに美しい執事さんなんか、どこを探したっているわけがない。
「そんな目で見ないでくれよ、夏希。恥ずかしくて死にそうだ」
「だって、あんまり似合いすぎてて……すごい。何て言ったらいいか判んない」
「夏希ちゃん、そういう時は素直に『ステキ』って言えばいいのよ!」
由香里さんが飛びついてきてけしかける。そ……そんなこと言えるか! 焦って口を開いたら、とんでもない言葉が飛び出してきた。
「飛島君って……アイドル系だと思ってたけど、王子様系だったんだ……」
────いかん! 本音が口からダダ漏れだわ。
「おっ、夏希ちゃん。それはもしかして告白か?」
「な、何言ってるの、木島さん! 誤解です。言いがかりです!」
「いいじゃねえか、お似合いだぜ。なあ、飛島?」
「…………」
アハハハと豪快に笑いながら、両腕で私たち二人の肩を抱く。木島さんは裏表がまったくない人だけに、こういうことを大声で言われるとマジでヤバいのだ。
「徹、もうそんなにからかわないの。二人とも赤くなってるじゃない」
見かねた由香里さんが仲裁してくれた。改めて飛島君をしげしげと眺め、満足そうに微笑んでいる。
「飛島君、悪いけどさっきの話は撤回よ。今日は存分に働いてちょうだい」
「今になって卑怯ですよ、葉月先輩。あの言葉だけが頼みの綱だったのに」
「その格好を見せられたら無理に決まってるわ。カッコいいなんてもんじゃない。黙って立ってるだけで学校中の女の子が寄って来るわよ」
「……それが嫌なんですよ」
今度は門倉先輩に、贅沢者め、と野次られている。いずれにせよ、先輩方には大好評のようだ。良かったのか悪かったのか、私としては何とも言いようがない。
「さあ、そろそろ時間だ。皆、準備はいいか?」
「はーい!」「OK」「サッサと始めようぜ!」
門倉会長が教室を見渡して最終確認する。応える声はどれも陽気で屈託がない。時刻はジャスト九時半。全員が持ち場についたのを見届けると、由香里さんと他の女生徒二人が入口に向かい、『朗読カフェ』のオープンを告げた。
執事さんたちの「いらっしゃいませ」に迎えられ、お客様が次々とカフェに入店してくる。ここは議論が分かれたところなのだが、結局「お帰りなさいませ」ではなく「いらっしゃいませ」で統一することになったのは、やはり『朗読がメイン』という建前に配慮したからだ。ただし、お客様への呼びかけは、男性客には年齢を問わず「旦那様」、女性客には「奥様」「お嬢様」である。夫婦連れの父兄など、明らかに既婚者と思われる女性には「奥様」、それ以外は「お嬢様」。同じ学校の女生徒なら、もちろん「お嬢様」だ。憧れの対象から優しく呼びかけられた女の子たちは、文字通り有頂天といった顔でうっとりと相手を眺めている。
詩の朗読は午前十時から始まった。トップバッターはもちろん、生徒会長の門倉先輩。教室の前方に設けられた朗読用の席に座り、満座の視線を集めながら静かな声で淡々と読み上げている。観客の方はというと、詩の内容より何より、彼が朗読している、という事実の方がずっと重要らしい。文学史上に残る愛の詩はあっさり耳を素通りし、専ら写真撮影の方に夢中のようだ。
そういえば、事前に予想されたお客様による撮影は、詩の朗読時の他、執事さん本人の了承を得た場合に限る、ということで決着したとのこと。各テーブルには、その旨を明記した注意書きが目に付くところに置かれ、ルールを破ったお客様には執事さん自身がやんわりと、しかし厳しく注意している。だが、さすがはセレブ校の生徒たちと言うべきか、決められたルールを無視するような不躾な客はほとんどいなかった。おとなしくお茶を楽しみ、イケメンの朗読を堪能した後は、ちゃんと許可を得てから記念撮影をして満足そうに店を出て行く。
ちなみに、この『詩の朗読』というイベントは、客の回転率を上げる上で重要な役割を果たしていた。店が満席になると始められ、数人が立て続けに朗読を行うとそこでいったん休憩。お客さんは原則、一回の朗読タイムが終わるまでしか店にはいられない。つまり、演目が終わった時点で客は総入れ替えとなるわけだ。ただでさえ、外の廊下には常時空席待ちの列ができているし、長っ尻の客が嫌われるのは何も飲み屋ばかりではない、ということを皆さんちゃんと理解しているのだろう。このへんも育ちの良さがいい意味で現れたのか、誰もその規則に文句を唱えることなく従っているようだ。
「夏希ちゃん、そろそろ休憩にしたら? 疲れたでしょ」
「いえ、まだ全然大丈夫ですよ。由香里さんこそ大変じゃないですか?」
朗読が始まって一時間ほとが経った頃、カーテンで仕切られた狭いバックヤードで、裏方チーフの由香里さんが小さく声をかけてきた。私たち出向組は前日までの準備の手伝いのみで、学祭当日は基本的に自由行動してよし、と予め言い渡されていたのだが、ここまで一緒に頑張ってきたのだから、私としては当日もできるだけお手伝いしたい。実際、店は大繁盛で裏方の作業もかなり忙しく、先輩方だけではなかなか大変そうだ。チーフの由香里さんは特に、あらゆる状況を見極め、仲間にさまざまな指示を出すだけで手一杯である。
「こっちは大丈夫よ。調理班がそろそろ引き上げてきて合流する頃だから、それで人数も十分だしね。夏希ちゃんだって初の学園祭なんだから、少しはいろいろ見て回りたいでしょ。今のうちに飛島君と一緒に行ってきたら?」
「そうですね、それはちょっとありますけど……」
どうしようか。お昼まではまだ一時間ほどあるし、確かに休憩するなら今の方がいいのかも知れない。昼時になれば今以上に混雑して、こっちの手が足りなくなることも十分に考えられる。
由香里さんの言葉に考え込んでしまったその時。一人の女性スタッフが明らかに興奮した様子で、バックヤードに駆け込んできた。
「由香里、大変! 超大物が来たわよ!」
「はあ? 裕菜、どうしたのよ。誰が来たって?」
3Aの藤木裕菜先輩だ。もう一人の名家組で生徒会書記を務めている、門倉会長の右腕である。
「それがさあ……ああ、夏希ちゃんもいたのね。ちょうど良かった、ちょっと一緒に来てちょうだい。あなたの後見人さんよ!」
「はい? まさか秋本会長ですか?」
「そう、ご夫婦でいらっしゃったの! 夏希ちゃんはいるか、って」
「ええ!?」
どっから漏れたんだろう。会長には、学園祭のことは何も話していない。もしやまた和樹さん?
「夏希ちゃん、行きなさい。秋本さんの接待はあなたに任せるわ。裕菜、門倉君と徹にも連絡。それと飛島君を呼んできて!」
「OK。さあ夏希ちゃん、こっちよ!」
由香里さんに無理矢理エプロンをはぎ取られ、藤木先輩に腕を引っ張られて私は教室の入口に向かった。そこに立ってウェイターの一人と話しているのは、確かに辺りを圧するほどの美男美女ご夫妻。
「秋本会長!」
「やあ、夏希ちゃん。やっぱりここだったか」
久々に見る会長は、いつも通りの楽しげな笑みを満面に湛えている。冴子奥様も記憶にあるままの美しさで、優しく私に笑いかけた。
「お久しぶりです。大変ご無沙汰して申し訳ありません」
「いや、忙しくしてる、ってのは和樹から聞いてたから。相変わらずだね」
「はい……お恥ずかしいです」
「お元気そうで良かったわ、夏希さん。ますます可愛らしくなったわねえ」
「いえ、とんでもない。────会長、奥様、本日はわが自慢のカフェへようこそおいでくださいました。さあ、どうぞお入り下さい!」
早速、二人を先導して入店する。廊下には今も多くの女の子が列を作って待っているが、これもカフェのルールの一つで、父兄は生徒に優先して案内されることになっているのだ。セレブ校だけに、父兄の中には政財界の大物も多い。そんな人に行列させるのはさすがに憚られる、ということだろう。
先輩たちの計らいで窓際の一番いい席に案内されると、早速門倉先輩が近づいてきた。腕に白ナプキンをかけ、ビシッと背筋を伸ばした見事な執事スタイル。
「いらっしゃいませ、旦那様、奥様。このテーブルを担当させて頂きます、門倉と申します。────ご無沙汰しております、秋本さん、冴子様」
途中から素に戻って挨拶している。どうやらお二人とはすでに顔見知りらしい。
「おお、誰かと思ったら君か。久しぶりだね。夏のパーティー以来かな?」
「はい、その節は大変ご馳走になりまして。今日はこんな格好で済みません」
「いやいや、とても良く似合ってるよ。和樹の奴が『面白いからぜひ行ってみろ』と言った意味が良く解った。執事カフェ……いや、朗読カフェ、なんだって?」
「ええ。学祭ルールの抜け道を模索した結果、こういうことになりました。八木沢さん、君はお二人とご一緒させて頂きなさい。今だけお客様扱いしてあげるから、存分におもてなしするように」
「はい、先輩。ありがとうございます」
門倉さんに言われ、私も同じテーブルの席につく。彼は注文を取ると、すぐさまバックヤードに引っ込んだ。
「いらっしゃるなんて知りませんでした。和樹さんにお聞きになったんですか?」
「うん。あいつのクラスに行ったら、ちょうど一番忙しい時間だったらしくてね。先に君のところへ行けと言われたんだ」
「準備ができたら迎えに行くから、って追い出されてしまいましたの。あの子も、なかなか頑張っているようですわ」
「そうだったんですか」
和樹さんの2Dは確か、クイズ大会だとか言ってたな。一日の中で何度か時間を決め、客を集めて勝ち抜き戦を行う例のアレだ。時間帯によっては、本番前の準備で大忙しになるだろう。学祭ルールをクリアするために、学術的な問題や時事問題などを多く取り揃えたようで、その問題作りのための調査では、未緒もかなり苦労させられたらしい。名村君の話だと、われらが情報屋は唸りながらも大活躍だったそうだが。
「ところで夏希さん。『執事カフェ』って、いったい何ですの?」
「は? ええと……」
冴子奥様の無邪気な質問に、私は瞬間、ウッと言葉に詰まった。この浮き世離れしたお姫様に、いったいどう言って説明したもんだろう。
「ウェイターが執事の格好をしてるんだよ。そうだよね、夏希ちゃん?」
「……会長、ご存知なんですか?」
恐る恐る顔を伺うが、私もそのくらいしか知らないよ、と仰せになる。私は腹を決めて、思いっきり内情をぶちまけた。
「それだけじゃないです。格好以外もすべてが『執事』なんですよ。さっきの門倉先輩みたいに、イケメン執事さんがお客様をご主人様に見立てて、『旦那様』とか『お嬢様』とかって呼んでチヤホヤするんです。お客様が来ると、普通は『お帰りなさいませ』って迎えるんですよ。要するに、会長や奥様がご自宅に帰られた時と同じ対応ですね」
実際に行ったことはないが、このくらいなら私たちサブカル世代には常識の範囲内だ。ついでにメイドカフェやらコスプレやらアキバやら、上流の方々には無縁の事柄をいろいろ話してあげると、冴子奥様はキャッキャと声を上げて喜んだ。
「面白いわねえ! そういうのが今の流行なの?」
「流行っていっても、ごく一部の人たちの間だけですよ。ただ、学園祭の出し物としてはメジャーですね。3Aの先輩にはイケメンさんが多いので、女子の先輩方の熱烈なリクエストでやることになったらしいです」
そのイケメン執事さんが二人、飲み物の盆とお菓子が乗ったハイティースタンドを運んできた。気を利かせたのか、私のレシピによるクッキーが並んでいる。門倉先輩がお二人の前に注文の紅茶を置くと、彼の後ろにいた飛島君が控え目な仕草でスタンドをテーブル中央に乗せた。
「会長、彼は同じクラスの友達で飛島君。一緒に3Aのお手伝いに来てるんです」
「初めまして。お噂はかねがね、夏希から伺っております」
突然の紹介だったが、飛島君は動じることなく丁寧に挨拶している。トチ狂った追っかけ女子でさえなければ、彼はどんな人が相手でも物怖じしたりしない。
「あれ、飛島君って……もしや、渚さんの息子さんかい?」
だが、秋本会長の反応は私たちの予想を越えていた。飛島君もひどく驚いた顔で即座に訊き返す。
「父をご存知なんですか?」
「ああ、良く知ってるよ。昔はずいぶんと仲良くさせて頂いたものだ。私の結婚式にも出席して下さったしね。ご両親はお元気かな」
「はい、おかげさまで。相変わらず、子供そっちのけで仲良くしています」
その言葉で、会長は楽しそうに笑い出した。
「そうか、それは良かった。夏希ちゃん、彼のご両親は有名な熱愛カップルでね。同世代の私たちはみな、羨ましくていろいろちょっかいを出していたんだ。いや、懐かしいなあ。君、ご兄弟はいるの?」
「はい、弟が一人。俺よりもずっと、父の才能を受け継いだようです」
「そうか。そして君は、お二人の美貌を受け継いだんだな。若い頃の渚さんに良く似ている。彼に頂いた作品は、今もうちに飾ってあるよ。私と妻からも、よろしくお伝えして貰えると嬉しい」
「はい、必ず伝えます。ありがとうございました」
それだけ言うと、彼はにこやかに微笑んで一礼し、門倉さんと共に歩み去った。残された私は呆気に取られ、思わぬ繋がりにただただ絶句する。
「いやはや、まさか彼の息子が君のクラスメイトとはね。世の中狭いもんだ」
「本当にねえ。でも……安心しましたわ、お幸せそうで。あの時はどうなることかと思いましたもの」
しみじみと言葉を交わす会長ご夫妻。おそらく、飛島君のご両親が駆け落ちした時のことを思い出してるんだろう。他人の私が安易に立ち入っていい話ではない。
「夏希ちゃん、彼はどんな子?」
「飛島君ですか? とってもいい人ですよ。あの通りハンサムで優しいから人気がありますし、成績も優秀で、私なんかいつも助けてもらってます」
「家のことでいじめられたりしてないかい?」
「いいえ、まったく。ほとんどの人は、飛島さんっていう名家の一員だと思ってるみたいです。事実を知ってるのは私たちクラスメイトくらいのもので」
「そうか……」
軽く目を閉じ、昔を懐かしむかのような表情で呟く。しんみりした雰囲気を破るように、その時、木島さんの陽気な声が部屋に響いた。
「えー、では皆様。お待ちかねの朗読タイムです! 只今の時間は特別なお客様をお迎えしておりますので、当カフェとっておきのメンバーを取り揃え、今日一番の豪華な朗読会をお送りいたしましょう。皆様存分にお楽しみ下さい!」
彼の口上に熱烈な拍手が巻き起こる。今日一番のメンバーって……いったい誰が出てくるんだ?
首を捻っている私をそっちのけにして、最初にステージに上がったのはまたもや門倉さん。硬質だが穏やかな美声による朗読が終わると、次に登場したのは何と、本日初出演となる飛島君だ。
「おっ、彼もやるのか。楽しみだな」
「いい声でしたものね、あの子。お若いお嬢さんにはきっとたまりませんわ」
上機嫌でヒソヒソ話すご夫妻に、余計なお世話と思いながらも予防線を張る。
「実は飛島君、すっごく嫌がってたんです。こんなのやって、これ以上女の子たちから追いかけ回されるのは避けたいらしくて」
「おや、謙虚なんだね。けど、あれだけ綺麗な子なら所詮無駄なあがきだよ」
「ええ、私もそうは思うんですけど……」
そうこうするうち、舞台に登場した飛島君は、観客に一礼すると教室前方に設けられた朗読席に座った。どこから持ってきたのか、凝った造りの高級そうな木製の椅子である。穏やかな日だまりの中、背筋を伸ばして詩集に目を落とす彼の姿は、さながら一幅の絵のようだ。
静まり返った部屋に流れる甘い声。優しい愛の詩がこんなにも似合う人も珍しいだろう。淡い色の髪に光がきらめき、かすかな微笑を湛えた表情で読み上げられる叙情豊かな言葉は、文句なく皆の心を捉えたようだ。カフェの大半を占める女生徒たちは、ただただ声もなく聞き入っている。やがて長めの朗読が終わると、一瞬の静寂の後、カフェ全体が嵐のような拍手喝采に包まれた。
「ブラボー!」
「ぶらぼ〜っ!!」
まるでクラシックのコンサートだ。飛島君は照れたような笑顔で席を立ち、一礼するとそそくさとバックに引っ込んでゆく。その初々しい様子がまた、女の子たちのハートを鷲掴みにしたらしい。
「いやあ、なかなか良かったね。魅力的な声だ」
「素敵でしたわ。お嬢さん方から人気があるのも頷けますわね」
良かった、お二人とも満足そうだ。せっかく来て下さったのだから、お茶も朗読もできるだけ楽しんで頂きたい。それでこそ、飛島君の苦労も報われるというものだろう。
そして最後、満を持して登場したのが木島さん。飛島君とは対極にあるおふざけ担当の朗読者だ。案の定、彼は朗読席になんか目もくれず、教室前方のスペースを一杯に使って愉快なパフォーマンスを披露してくれた。身振り手振りと、大袈裟な口調を交えながら演じられたのは熱烈な悲恋の詩。朗読というより、ほとんど寸劇だ。由香里さんの言葉通り、すっかり役になり切って熱演している。カフェは一転爆笑に包まれ、私も会長ご夫妻と一緒に涙を流して笑い転げた。
「いやはや、楽しかった。木島君、君はすごい役者だね」
朗読タイムが終わり、お客さんたちが次々店を出て行く中、僅か数分の休憩時間に門倉先輩たちがテーブルに近寄ってくると、秋本会長は木島さんのお笑い劇場をそう言って絶賛した。こういう冗談をちゃんと理解してくれるのが、この人の最もいいところである。
「恐れ入ります。学園祭くらい、思いっきりふざけてもいいかと思いまして」
「よく言うぜ。お前は普段からふざけっ放しだろうが」
木島さんのしゃあしゃあとした言葉に、門倉さんがすかさずツッコミを入れる。この二人、本当に名コンビだ。
「いや、その通りだよ。君たちは三年生だろう? 最後の学園祭なんだ、やりたいことを思う存分やるといい。教師の干渉なんか気にしてたら何もできないぞ」
秋本会長はまだ笑いが収まらないようだ。笑い混じりながらも学園理事に太鼓判を押され、先輩方もホッとしたらしい。
「では、私たちもそろそろ失礼しようか。他のお客さんも待ってることだしな」
「いえ、父兄の方は別に構いませんよ。あの退席ルールはあくまで、執事目当ての女子生徒たちを牽制するためのものですから。お菓子でも召し上がって、ゆっくりしていらして下さい」
「そうそう、このクッキーは夏希ちゃんが作ったんですよ。美味いから売れ行きも上々でね。なあ、夏希ちゃん?」
木島さんが余計なことを言うと、秋本会長は驚いて私の顔を見た。
「え? これ、君が作ったの?」
「いえいえ、私が作ったのはレシピと、最初の試作品だけです。実際にはほとんど調理担当の先輩方が作って下さいましたので」
外国のアフタヌーンティーによく登場する三段になったシルバーのお皿に並んでいるのは、スノーボールやチーズクッキー、小型のマドレーヌなど。繊細な模様のレースペーパーの上に品良く並べただけで、いつものお菓子がちょっとした高級品に見えるから不思議だ。適当に作ってタッパーに放り込んだだけの、我が家の台所とはえらい違いである。
「よろしければ、お土産に少々お包み致しましょうか? 八木沢さんの力作レシピですから、和樹君にもぜひ食べさせてあげて下さい」
「そうだな。それじゃ少し頂いていこうか」
門倉さんの営業に乗せられ、会長が鷹揚に頷く。無言でニンマリ微笑む先輩方。まいどあり〜、と頭の中でソロバンを弾いているのが目に見えるようだ。
門倉さんの指示で、由香里さんたちがクッキー各種を可愛い袋(百円ショップで大量に買い込んだ)に入れたものを飛島君が席まで運んでくる。ちょうどその時、見慣れた仲間が二人、カフェの後ろの扉を開けて教室に入ってきた。
「すみませ〜ん! こちらに秋本さんご夫妻はいらしてませんか?」
「未緒、名村君……どうしたの?」
慌てて立ち上がる。いくら強心臓の未緒でも、あの女子生徒の群れの中を割って入ってくるとはすごい度胸だ。
「ああ、夏希! 秋本先輩のお使いで来たのよ。もうすぐクイズ大会が始まるからご両親を呼んできてくれ、って」
トコトコと寄ってきた未緒たちを、私はお二人に紹介した。彼女は目を輝かせ、いつものように勢い良く頭を下げて挨拶する。会長は優しく微笑んで答えた。
「君が未緒さんか。夏希ちゃんと仲良くしてくれているそうだね」
「はい! 今年の学祭では、秋本先輩にもお世話になってます」
未緒が和樹さんにスカウトされて情報収集に当たったことを説明すると、会長も奥様も感心したような顔で聞いている。
「夏希さんの友達はみんな才能豊かだな。未緒さん、名村君、飛島君、これからもどうぞ仲良くしてやって下さい」
「はい、お任せ下さい!」
ひとしきり互いの紹介が済むと、私は秋本ご夫妻、未緒や名村君と共にカフェを出た。門倉先輩も由香里さんも、このまま休憩に入っていいと言ってくれたため、とりあえず五人で和樹さんの教室を目指す。
「秋本さん、八木沢さんをお任せしてもいいですか? 一年生には学祭を見学して貰いたいので、よろしければご一緒させて頂きたいのですが」
「もちろんいいよ。私もできれば、夏希ちゃんと少し話がしたいしね」
「よろしくお願いします。時間は別に構いませんので、お供させてやって下さい。八木沢さん、お二人と別行動になる時は必ずここへ連絡するように。飛島君を迎えに行かせるからね」
「判りました、門倉先輩。それじゃお言葉に甘えて、外出させて頂きます」
飛島君はまだ、厳密に組まれた執事ローテーションが残っているため、ここから動くことができない。例外は私が外を出歩く場合のみ、なのだが、今は会長ご夫妻が一緒である。心配性の彼を残していっても別に問題はないだろう。
時刻はお昼近く、学祭が一番盛り上がる時間帯だ。人でごった返した廊下には、あちこちから客引きの声が響いている。これが高校の学園祭か────改めてそう感心しながら、私たちは三年のクラス棟を出て隣の建物へと移動した。




