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無敵ヒロインの学園始末記  作者: 桂木 玲
第一章  プロローグ ~ようこそ乙女ゲームの世界へ~
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 それから三日後の午後。

 ふと目覚めると、今ではもう見慣れた病室の中に、知らない男の人がいた。


 若くはない。四十代の前半から中盤、といったところか。私が寝ているベッドに半ば背を向け、病室内を物珍しげに見回している。がっしりとした長身を仕立ての良いスーツに包み、片手をズボンのポケットに軽く突っ込んだ立ち姿は、『ナイスミドル』という古くさい表現を素直に連想させた。声をかけようとした瞬間、彼はこちらを振り返り、ほれぼれするような優しい笑顔で柔らかく微笑む。


「おはよう。目が覚めたかい?」

「…………」


 ────誰だろう、このステキなおじさまは。


「……もしかして、お部屋を間違えました?」

 考えられるのはそれくらい。白衣を着ていないから先生じゃないだろうし、それ以外で私が知っている熟年男性といったら、こんな美丈夫とはかけ離れたオッサンばかりだ。

 だが、彼はその言葉を聞くと楽しそうに笑い出した。笑うと目尻に年相応の皺が現れて、よりいっそう魅力的になる。

「いや、間違えてはいないと思うよ。君が八木沢夏希さんだろう?」

 どうやら彼は本当に私を訪ねてきたらしい。またしても面会謝絶無視の暴挙か。

「はい、そうです。あなたは?」

「内緒」

「……は?」


 ────なんなの、この人?


「私がいま名前を言ったら、たぶん即座にここから追い出されるからね。その前に少し、私と話をしないかい?」

「はあ、構いませんけど……」

 何だか知らないが、どうにも不思議なおじさんだ。病院の個室でこんな怪しげなことを口走ったら、普通ならまず間違いなく問答無用で叩き出されるだけだろう。なのにこの人が言うと、茶目っ気溢れる大きな子供、といった雰囲気が醸し出されて、笑って許してしまいたくなる。

「それで、どんなお話をすればいいんでしょう?」

「そうだね。じゃあまず、名前を言う前に、今日私がここへ来た目的を話そうか」

「目的、ですか」

「うん。私はね、君に謝りに来たんだよ」

「!」


 そのひとことで、解ってしまった。

 どこかで見た顔だ、と感じたのも無理はない。先日ここを訪れ、大ケンカの末に追い返した男にそっくりじゃないか。あの人は冷たい美貌だったけど、今目の前にいる男性は、顔の作りは似ていても表情や雰囲気が明るく、暖かい。人の顔というのは、ただそれだけでこんなにも印象が違うものなのだ。一目見ただけでは気づけなかったのも当然かも知れない。


「……それで、名前を言ったら叩き出される、と仰ったわけですか」

「あれ? もう私が誰だか解ったのかい?」

「ええ。秋本会長────秋本貴史さんのお父様、ですよね」

 私の言葉に、彼はこれ以上ないほどの会心の笑みを浮かべた。

「思った通りだ。君はどうやら、とんでもなく賢い娘さんのようだな」

「そんなことはありません。学校の成績ならともかく、それ以外はごく普通の小娘ですよ」


 お世辞言ったって何も出ませんよ、という意味を込めてそう言ってやる。美丈夫ぶりに騙されて油断していたが、あの男の家族なら用心しなくてはならない。忘れかけていた警報が、にわかに頭の片隅で鳴り響いた。

「そう警戒しないでくれないか? とりあえず、座らせてもらってもいいかな」

「ええ。どうぞ」


 私は彼にベッドサイドの椅子を勧め、自分はベッドの横についているハンドルを回して上半身を起こす。

 無言で彼を眺めながら、私は最初の印象を訂正した。あの男の父親なら、どう考えても四十代前半ということはあり得ない。若くても後半、普通なら五十を越えていてもおかしくはないはずだ。それにしては、やけに雰囲気が若々しい。大企業の経営者なんてものは、どれもこれもハゲたメタボ親父なのかと思ってたけど。



「夏希さん」

「はい」

 椅子に腰掛けた秋本父は、それまでの笑顔を引っ込め、姿勢を正して深々と頭を下げる。

「私は秋本グループの会長で本家の総帥を務める、秋本(あきもと)聡一郎(そういちろう)といいます。先日は息子が大変失礼なことを申し上げた。本当に申し訳ありません」

「………」

「東京に戻ってきたあいつから、君に何を言ったのかを聞いて血の気が引いたよ。今回の事故に関しては、全面的にこちらの落ち度だ。中でも君は、この事故の最大の犠牲者と言ってもいい。亡くなった方は他にもいらしたが、未成年の被害者は君だけだったからね。しかも君は、大切な無二のご家族を二人ともに亡くしている」

 俯いた顔に沈痛な表情を浮かべて、彼は一瞬目を閉じた。

「私はこのことを真摯に受け止め、今後の君の治療や学業、それに生活全般については全面的に責任を負うことをお約束する。謝罪を受け入れて頂けるだろうか?」

「秋本さん!」


 大の大人が────それも自分の父親よりも歳上と思われる男性が、私のような子供にここまで真剣に謝罪している。私は経験したことのない状況に焦り、慌てて声を張り上げた。


「会長さん、お顔を上げて下さい。あなたにそこまでして頂く必要はありません」

「夏希さん……」

「本当です。事故を起こしたのはあなたでも、貴史さんでもないし、そのご親戚のドラ息子とやらはちゃんと捕まったんでしょう? だからもういいんです。あなたがしなければならないことは、私に対する援助よりもまず、そのどうしようもないバカ息子を矯正することなんじゃありませんか? 刑務所から出てきた後は、もう二度とこんなバカなことをしでかさないように、ちゃんと教育してやって下さい。私はそれだけで十分です」


 そうだ。済んでしまったことは仕方がない。でももし、彼がまた同じことを繰り返せば、私や両親のような人間がまた泣かされることになる。金持ちのドラ息子、しかもそんな大企業に縁のあるヤツなら、何をやっても揉み消せる、なんて愚かなことを考えないとも限らない。それを避けることこそが一番大切じゃないか。


 秋本氏は頭を上げ、ベッドから身を乗り出した私を悲痛な目でじっと見つめた。未だ取れない手足のギプス、包帯の山に埋もれたような身体。もう一月以上も入院している身では、女の子としての身だしなみもへったくれもない。髪は伸び放題でボサボサだし、お風呂だって入れない。近くに寄ったら臭うんじゃないか、と日々不安で仕方ないのだ。このダンディなおじさまにとって、その責任が自分にあると考えるのはひどく辛いことなのだろう。


「しかしね、夏希さん。そう言ってくれるのは有り難いが、実際問題として君は、これからご家族もなくたった一人で生きていかなくてはならないんだよ。私の方でちょっと調べさせてもらったが、引き取って下さるご親戚もいないようだし、高校入学だって大幅に遅れてしまった。そういったことすべてを、何とかできる当てはあるのかい?」

「それは……」

「本当に当てがあるのなら何も言わないよ。手続きだとか、そういうことの代行で私が役に立てるなら、それを手伝うだけで後は君自身に任せよう。だけど実際は、そう簡単な話でもないんだろう?」


 それを言われると弱い。うちは両親共に結構な高給取りだったらしいから、貯金ならそれなりにあるだろう。でも、それだけでどこまで食い繋げるのか。高校の三年間、それに私だってキャリアを目指す気なら、大学にも行かなくてはならない。しかも、今のこの状態。これから怪我が完治するまでの間、どれだけの貯金を食い潰すことになるのか。親戚づきあいを好まなかった両親は、自分の兄弟姉妹さえも私には紹介していなかった。今さら親戚がポッと現れたとしても、そんな他人同然の人に厄介になるのは私だってイヤだし。


「とにかく、あなたの謝罪はお受けします。今はまだ、それ以上のことは何も考えられませんけど……いずれはちゃんと、自分で何とかしますから」

 何とかできる当てなんかないけれど、とりあえずはそう言ってみる。秋本会長はそれでも、まだ不安そうな顔で言葉を繋げた。

「そうだね。知らない奴が急にやってきて、いきなりこんなことを言われても、君だって困るだろう。重ね重ね申し訳ない」

「いえ。会長さんの仰る通り、いずれは考えなくちゃいけないことですから」

 苦い笑いが零れる。むしろこうやって、今まで逃げていた現実に立ち向かわせてくれたことを感謝するべきなのかも知れない。私にはもう、自分に代わって将来の心配をしてくれる両親はいないのだから。


「だから今日はもう、この話はやめておこうか。それより、もし良ければもう少しだけ、私とお喋りしてくれるかな」

「お喋り、ですか? 私と?」

「うん。うちは息子ばかりで、若いお嬢さんと話す機会なんてあまりないからね。実は少しばかり、楽しみにして来たんだ」

 いたずらっ子のようにお茶目な笑み。こんな笑顔が似合うおじさんなんて、間違いなく今まで会ったことがない。

「いいですよ。私もステキなおじさまとお話できるのは楽しいですから」

 そのまま彼と私は、小一時間ほど病室で話し込んだ。



「そうそう、この前貴史が言った件だけど」

「はい?」

 どの件? と首を傾げた私に、秋本会長は先ほどとは違いリラックスした様子で話し始める。

「君を怒らせた話だ。実はあれは完全に奴の早とちりでね。事故を起こした男は、親戚といってもかなりの傍系なんだよ。名字も違うし、あれの父親の代で秋本とは事実上縁が切れているから、マスコミに嗅ぎつけられる心配はまずないと思う」

「名字が違うんですか?」

「うん、あいつは私のはとこの息子で、外へ嫁いだ大叔母の曾孫に当たる。だから大丈夫だ、と出かける前に念を押しておいたんだが」

「それなのにマスコミ対策を心配なさったんですか、貴史さんは」

「奴は気が小さいところがあるというか……頭はいいのに神経質過ぎるんだなあ」

 確かにそんな感じだった。私の偏見かも知れないけど、銀縁メガネと神経質って何となく相性が良さそうに思えるのは気のせいだろうか。


「だから────もともとそんなつもりは私にも息子にもなかったんだが、君への援助と引き替えの取引なんかじゃない。不愉快な思いをさせて済まなかったね」

「いえ、私もちょっと過剰反応しすぎましたから。それにしてもあの人、言い方がマズすぎますよねえ」

「君もそう思うかい? いつも注意しているんだが、なかなか直らなくて困るよ」

 苦虫を噛み潰したような顔で唸っている。こんな素敵なおじさまでも、やっぱり自分の子供のこととなるとこんな顔をするんだ。そう思うと何だか可笑しい。


「まあ今回は罰として、減俸三ヶ月で済ませたから。それで許してやって下さい」

「減俸!? あんなことで?」

「あんなこと、じゃない。今回の君への見舞いは、私が正式に命じた奴の仕事だ。企業で上に立つ者にとって、他人に対する思いやりを忘れない、というのはとても大切なことなんだよ。多くの経営者が忘れがちだが……社員やお客様あっての会社なんだからね」

 素晴らしい。世の経営者の誰もがこんなふうに考えてくれたら、粗悪製品なんか絶対に出回らないだろうに。

「それにしても……貴史さん、かわいそう」

「ついでに言うと、三ヶ月のうち一月分は無給だ。今月のあいつはタダ働き」

「ひどい!」

 思わず声を上げて笑ってしまった。そんな私を見守る秋本会長も、可笑しそうにクスクスと笑っている。



「夏希さん、君の話は楽しいね。こんなことなら息子になんか任せずに、最初から私が来れば良かったな」

「……私もその方が良かったです」

「その正直なところがまたいい」

 実際、あの後はけっこう辛かったのだ。あの日は鎮静剤でそのまま眠ったが、体の痛みは翌日いっぱいまで尾を引いた。しかも鎮静剤が身体に合わなかったのか、吐き気にもさんざん悩まされ、つい今朝まではほとんど何も食べられなかった。


「そういえば夏希さん、食べ物はどうなのかな。普通の食事は摂れるの?」

「はい、最近では何とか。昨日はちょっと、薬の副作用が出てあまり食べられませんでしたけど、そんな突発事さえなければ、わりと何でも食べています」

 そう答えると、彼はとたんに嬉しそうな顔になった。

「そうか! じゃあ今度来る時は、美味しいケーキでも買って来ようかな。食事に連れ出すのはまだ無理だろうからね」

「そんな、どうぞお気遣いなく。それより……お忙しいのに、また来て下さるんですか?」

「ああ、四、五日はこちらに滞在する予定になっているんだ。だからまた来るよ。ケーキはどんなのが好き?」

 すっかりその気になっている。かわいいおじさんだ。

「どんなのでも。あ、生クリーム系が特に好きです。でも本当にいいんですか?」

「もちろん。それじゃまた明日にでも来るよ。ゆっくりお休み」

「はい。ありがとうございました」


 にこやかに微笑み、大きな身体を颯爽と翻して病室を出て行く。本当にステキなおじさまだ。あの冷血息子とは大違い。彼にまた会えるかと思うと、明日が来るのが何となく待ち遠しい。

 私の話を楽しいと言ってくれたけど、それはむしろこっちの台詞だ。最初の警戒心なんかどこへやら、紳士的でユーモア溢れる彼との会話は、私にとっても久々に楽しいひと時だった。あの事故以来、忘れていた自然な笑顔が、知らぬ間に戻ってきているのを感じる。



 ところで、私の面会謝絶はいったいどうなったんだろう。お金持ち限定でフリーパスの権利でもあるんだろうか?

 このところ立て続いた秋本家の来襲にそんな疑問を感じながらも、私は満足してベッドの上に沈没した。




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