18
「八木沢様、お帰りなさいませ。……どうされました?」
私と飛島君がマンションに入っていくと、ちょうどデスクにいたコンシェルジュの松木さんが、心配そうに声をかけてきた。隣に立つ飛島君にチラリと目を向け、小首を傾げて私を見つめている。
「ただいま、松木さん。ごめんなさい、ちょっと学校でトラブルがあってね。早退してきたの」
「さようでしたか。ご気分が優れないようでしたら先生をお呼びいたしますが」
このマンションでは近くの開業医と提携していて、住人の要望があれば、場合によっては往診にも応じてくれるのだ。
「ううん、大丈夫よ。ありがとう。それで……今日はめぐみさん、もう来てる?」
「ええ。一時間ほど前にお見えになりましたよ」
「すみませんけど、彼女に連絡して頂けますか? クラスの友達がここまで送ってくれたので、彼にお昼ご飯をご馳走しようかと思ったんだけどね。私が一人暮らしだから部屋に入るのを遠慮してるのよ。めぐみさんの許可があればいいでしょ、って言って強引に連れて来ちゃったの」
その言葉で、松木さんは明らかに好意的な笑顔になった。飛島君の女性に対する礼儀と気遣いに感銘を受けた様子だ。
「お待ち下さい。すぐにご連絡いたしますので」
彼が直通電話でめぐみさんに事情を説明する間、飛島君は私の顔を眺めて小声で囁く。
「外から見ても凄かったけど、中は想像以上だな」
「でしょ? 私、コンシェルジュなんてここへ来て初めて見たもの。部屋はもっと凄いから覚悟しててね」
「……何だか居心地が悪くなってきたよ」
クスクス笑いながらそんなことを言う。
「夏希、目が腫れてる」
「うわ……ホント? めぐみさんにバレちゃうかな」
「だろうね。コンシェルジュさんも、それで心配そうにしてたんじゃないかな」
まあ、それも仕方ないか。めぐみさんには学園でのことは毎日話してるし、会長との約束も、桜庭先輩とのトラブルについても彼女は良く知っている。どうせ早退した理由を説明しなきゃならないんだから、かえって好都合かも知れない。
「八木沢様、牧原さんにご連絡いたしましたよ。お友達もどうぞお上がり下さい、とのことです」
「ありがとうございました、松木さん。それじゃまた」
軽く手を振り、飛島君を連れてエレベーターに乗り込む。部屋に着くと、めぐみさんが玄関の扉を開けて私たちを待ち受けていた。
「お帰りなさいませ、夏希さん。まあまあ……大丈夫ですか?」
「ええ、平気よ。ちょっといろいろあってね。先生が今日はもう帰れ、って」
やっぱり、泣いた後の瞼の腫れは誤魔化せないらしい。サッと顔色を変えた彼女に、私はニッコリ笑ってみせる。
「こちら、同じクラスの飛島君。前に話したでしょ? ここまで送ってくれたの」
「それはそれは、ご親切にどうもありがとうございました。さあ、どうぞお上がり下さいませ」
「……お邪魔します」
いつになく緊張した表情の飛島君を伴って部屋に入る。学校を出てから、すでに一時間近くが経過していた。
「さて、すぐにできるもの、っていうと────飛島君、パスタでいい?」
「ああ、何でもいいよ。夏希の好きなもので」
「ソースのお好みは? トマト味、コンソメ味、ホワイトソース、和風……」
「それも任せる。俺は好き嫌いしないから」
何はともあれ、まずは昼食だ。心配するめぐみさんへの説明はひとまず後回しにして、私は彼女と並んでキッチンに立った。
この部屋に住むようになってからというもの、以前に比べ料理する機会が格段に減ってしまった。何と言っても、プロの家政婦さんが控えているのだ。私ごときの素人料理では、なかなか出番が巡ってこない。
「あらまあ、お食事でしたら私が用意しますから、夏希さんは飛島さんとお話でもされていてはどうですか?」
めぐみさんはそう言ってくれたのだが、どうやら飛島君は私の手料理に興味津々らしく、控え目ながら「できれば夏希が作ってくれると嬉しいな」などと言い出してしまった。そうまで言われては後に引けない、とばかりに、私は張り切って久々の料理に取りかかる。
飢えたケモノ二匹(うち一匹は私だけど)に長い待ち時間は禁物だ。パスタなら茹で時間込みで、十分もあれば何とかなるだろう。ご飯を炊くより数倍早い。
対面型のオープンキッチンでタマネギを刻んでいると、手持ち無沙汰の飛島君が恐る恐る傍に寄って来た。
「なにジッと見てるのよ?」
「いや……上手いもんだなあ、と思って」
私の料理がそんなに珍しいか? 日頃の私って、みんなからいったいどう思われてるんだろうか。何となく自信を失いそうだ。
「結局、何を作ることにしたの?」
「魚介のクリームソース。ちょうど海老とホタテがあったからね」
「美味そうだな」
「若者に人気のメニューよ。前に一度、お父さんの会社の若い人たちが家に来た時に出したら、大好評だったの。簡単でボリューム満点。欠食児童にはお薦め」
「…………」
ふと顔を上げると、彼は私を眺めてニコニコ笑っている。心臓に悪い笑顔だ。
────もう。あなたは無駄にイケメンなんだから、少しは自重してよ。
彼の視線を気にしながら料理に戻る。タマネギとニンニクのみじん切りをバターで炒め、薄くスライスしたマッシュルームを投入。大きめの海老とホタテを加え、白ワインで軽くフランベしたら、最後は生クリーム。仕上げに細かくちぎったスライスチーズを溶かし、塩、胡椒と顆粒コンソメで味を整えれば完成だ。時間にして五分もかからない。パスタを茹でている間に、余裕で作れる簡単ソースである。
「さあ出来た。食べよう!」
食卓に運び、パルメザンチーズと刻んだパセリを散らす。めぐみさんが用意してくれたトスサラダとコーヒーを添えて、私は飛島君を呼んだ。
いただきます、と声を合わせ、ようやくありついたお昼ご飯に、二人とも満面の笑顔になる。
「……どう?」
「うまい! すごく美味しいよ、夏希。お店のパスタみたいだ」
「良かった。いっぱい作ったから、足りなかったらお代わりしてね」
「うん、ありがとう」
嬉しそうに食べている人を見るのは大好きだ。今日は確かにいい出来だったな。アルデンテに茹でた細めのスパゲティに濃度の薄いクリームソースが絡み、いくらでも食べられそう。プリプリの海老とホタテも絶品だ。
美味しい食べ物は人を元気にする。今日一日の嫌な出来事を束の間忘れ、私たちは思う存分食事を楽しんだ。
食後、「皿洗いなら得意だよ」という飛島君に手伝って貰って後片付けを終えた私たちは、三人で居間のソファーに座り、めぐみさんに学校での出来事のあらましを話した。先輩方の言い分を聞くと、彼女はとたんに顔色を変えて怒り出す。
「まあ、何てひどいことを! 夏希さんがそんな方じゃないことは、私と秋本様が一番良く知っておりますとも!」
憤慨するめぐみさんに、やっと冷静になった私はひと呼吸置いて頼み込んだ。
「めぐみさん、このこと秋本会長にはまだ言わないでね。心配させたくないから」
「でも夏希さん、よろしいんですか? このまま放っておいて」
「放っておく気はないわ。私もちゃんと考えて対処する。でも、それに会長の力を借りるのは嫌なの。ただでさえ和樹さんにはいろいろ助けてもらったし……基本的に私、自分のことは自力で何とかしたいから」
「それはそうかも知れませんが……」
めぐみさんは納得がいかない様子だ。彼女にしてみれば、そこまで理不尽な言いがかりを付けられて、なぜ後見人である会長に相談しようとはしないのか、そこが理解できないに違いない。
「会長にはいずれちゃんと報告するわ。でも今はまだ、この先事態がどう転ぶか、私にもまるで判らない状況なのよ。こんな中途半端な状態であの人に知らせても、無駄に心配をかけるだけで、誰にとってもいいことないと思うの」
「しかし……」
なおも言い募ろうとするめぐみさんを制し、飛島君が口を挟む。
「めぐみさん。ご心配なのは良く判りますが、ここは夏希の判断を尊重してあげて頂けませんか? 夏希にしても、秋本さんにどう報告すればいいのか戸惑っている状態だと思うんです。桜庭先輩のことだけなら、先生方も乗り出して下さったことですし、ある程度は片が付いたと思うんですが……今日になって、鷺宮先輩たちがあんな騒ぎを起こしてしまいました。ここから先はたぶん、彼女たちの方が、桜庭先輩以上に厄介な存在になりそうな気がするんです」
「それならなおさら、秋本様にお知らせするべきではありませんか? 早い段階でお知らせして、何らかの手を打って頂かないことには………最悪の場合、夏希さんの身が危険に晒される可能性だってあるのではないでしょうか」
めぐみさんの言うことも解る。彼女はただ、私のことが心配なだけなのだ。会長の力を借りることで確実に身が守れるなら、この際手段を選んではいられない、という気持ちなんだろう。
飛島君はふっと小さく微笑むと、考え込みながら意外なことを言い出した。
「女性お二人を前にしてこんな言い方は失礼かも知れませんが────今の段階で俺が一番心配しているのは、鷺宮さんの嫉妬です。俺には正直、女性の嫉妬というものがまだ良く解りません。特に鷺宮さんの場合は……。今日、うちの教室にいた間に、俺は彼女をできるだけ注意深く観察してみました。その結果、あの人は俺が知ってる普通のまともな女の子たちとは違って、あまり理性が働かないタイプの人なんじゃないか、という印象を受けたんです。たとえば夏希なら、仮に好きな人ができてヤキモチを妬いたとしても、その行動はある程度予測できる。それは夏希がちゃんと理性を持ち、常識の範囲内で行動できる女の子だからです」
────確かに。私なら、衆を頼んで相手の本拠地へ殴り込みをかけるような、あんな見苦しい真似はできない。
「でも、鷺宮さんはそうじゃない。今日の突拍子もないやり方から見ても、それは明らかですよね。そんな人が嫉妬に狂ったら、それこそ何をしでかすかまるで判らないでしょう? それは俺だけじゃなく、他の誰にも────特に俺たち男には、まったく予測不能な行動になりかねません。失礼ながら、たとえ秋本さんのような立派な大人であっても……彼女の行動を正確に予測し、事前に手を打つのは難しいんじゃないかと思うんです」
何をしでかすか判らない相手。そんな人に理性で対処しようとしても、果たしてどこまで通じるのか。理屈が通じない相手では、いくらあの会長だってどうしようもないだろうし。
「つまり、女の嫉妬に殿方が介入しても解決にはならない、ということですか? だから今、秋本様を頼ってお力をお借りしてもどうにもならないと?」
めぐみさんの疑わしげな言葉に、飛島君は静かに頷く。
「ええ。仮に、秋本さんが桜庭家や鷺宮家に働きかけて下さったとしても、それが直接の解決とはならず、かえって騒ぎが大きくなるだけなんじゃないでしょうか。これ以上、この騒動を拡大させるようなことは、学内での夏希の立場をさらに悪くするだけですから、できれば避けたいんですよ」
「…………」
「ですから今は、俺たちにはただ様子を見ることしかできません。その間、彼女の気を逸らせる何かを期待するか、あるいは俺たちでなんとか、そのきっかけを作り出すか……そしてまた、それ以外の問題について手を打つことも、同時に考えなければならないと思っています」
「それ以外の問題って?」
今度は私が尋ねる。何かまだ、他に考えなくちゃならないことがあるの?
「あの取り巻き連中だよ、夏希。もしもこの先、君に対して絵に描いたような陳腐な嫌がらせを仕掛けてくるとしたら、それはおそらく鷺宮さん本人じゃなく、あの取り巻きたちがやりそうなことだと思うんだ。でも、それに関してはわざわざ秋本さんの手を借りなくても、俺たちが君の力になれるだろ? ある程度後手に回るのは覚悟しなくちゃならないが、いろいろなケースを想定し、可能な限りの予防策や対処法を考えた上で、全員が結託して警戒すれば何とかできると思う。秋本さんに頼るのは、その被害が具体的に見えてきてからでも遅くはないんじゃないか、って気がするんだ」
「でも………直接会長の力を借りなくても、彼が私の味方だ、ってことは学校中で有名な話でしょ? それなのに、やっぱりイジメなんかする人がいるの?」
会長が前に言ってたっけ。私に対しては、普通の一般生徒にするようなイジメはできない。それは秋本家全体を敵に回すに等しいことだから、と。
「それこそ『そこに理性が働くかどうか』だよ。秋本さんが庇護する君に手を出すことが何を意味するか、普通なら考えるまでもないだろうけど………そんなことも判らなくなるくらい理性を失ってしまえば、人はどんなことだってやりかねない。事実、今の桜庭先輩や鷺宮さんがそうだ。嫌がる君につきまとうことも、見当違いの嫉妬で根も葉もない言いがかりを付けることも、秋本さんに知られたらタダじゃ済まないほどの非常識な行動じゃないか。それを平気でやってるんだからね」
それもそうか。もしくは彼らにとって会長はあまり問題じゃない、とか?
「そういえば……会長の会社と桜庭先輩や鷺宮先輩の家の関係、ってどうなってるのかしら。取引とか、実際にあるのかな?」
「そっちについては今、未緒が調べてる。いざとなったら秋本先輩に直撃取材してでも聞き出す、って張り切ってたよ」
────うわ……彼女ならマジでやりそうだわ。
「それと、香奈子も別方向から探りを入れようとしてるらしい。美術部には比較的おとなしい、穏健派のお嬢様が何人かいるらしくて、もしかするとその人たちなら何か情報をくれるかも知れない、って言ってたから。良は運動部だから、そっちはあんまり期待できないけどな」
「そうなの………」
私の知らないところで事態が動いている。そのただ中で、私はひとり翻弄されるばかりだ。こんなことじゃダメなのに、気持ちがついて行かない。
「夏希、直也たちとも話してたんだが────そのへんの情報がある程度出揃った時点で、近いうちに一度、皆で作戦会議をやらないか? 情報の共有はもちろん、今後起こり得る状況の予測とか、予想される嫌がらせに対する予防法だとか、考えなきゃならないことがいろいろとあるだろう?」
「………うん」
────またしてもみんなに迷惑をかけるのか。それを考えると気が重いなあ。
「この際、遠慮はナシだよ。ここまできたらもう、君ひとりの問題じゃない。1B全体の問題だ。俺たちにも当然、関わる権利がある」
「…………」
「これは俺たち五人、全員の総意だ。君だけに辛い思いはさせないから安心して」
「飛島君……」
────やだ、また泣きたくなっちゃうじゃないの。
彼のストレートな優しさは、ある意味凶器だ。胸の奥底にまでグサリと刺さる。
唇を噛んで涙を堪えていた時、微かな電子音が鳴り響いた。
「………というところで、グッドタイミングだな」
飛島君はそう呟くと、胸のポケットから携帯電話を取り出した。新型のスマートフォン。その画面にサッと目を走らせ、私とめぐみさんに向き直る。
「直也からだ。今日のロングホームルームで何か問題が起きるかも知れないから、後で知らせてくれるよう頼んでたんだが……ちょうど今、終わったらしい」
チラリと壁の時計を見る。午後三時半。六時間目終了の時刻だ。
「それで、どうだったの?」
「やっぱり何かあったみたいだな。長くなるから帰ってから電話する、って書いてある。────夏希、それにめぐみさん。お願いがあるんですが」
「はい? 何でしょうか」
急に矛先を向けられ、めぐみさんが戸惑ったような声で答える。
「今からもう四人、友達をここへ呼んでも構いませんか?」
私はめぐみさんと顔を見合わせた。四人というからには彼らのことだろう。私はもちろん、まったく構わないけど。
「ええ、もちろんよろしいですよ。早速作戦会議ですか?」
「すみません、ちょうどいい機会かと思いまして。では失礼して、みんなに連絡を取りますね」
見透かされたことに苦笑しながら、彼はスマホを操作して委員長を呼び出した。
「いやー、参った参った! まったくもう、あのアホお嬢様ときたら」
お邪魔します! と元気な声が響いたかと思ったら、部屋に入ってくるなり開口一番、未緒は溜まりに溜まった鬱憤を勢い良く吐き出した。後ろに続く委員長も、いささかゲンナリとした表情で苦笑いしている。
「今日ばかりは僕も全面的に賛成だね。よくもまあ、あれだけ屁理屈を捏ねられるもんだ。さすがに疲れたよ」
「ご苦労様、委員長。さあ、未緒もこっち来て座って」
他に何と言っていいか判らず、私は二人の鞄を受け取ると、飛島君が待つ居間のソファーに彼らを案内した。二人とも、初めて入る豪華マンションの部屋の中を、キョロキョロと物珍しげに見回している。
「あれ、良と香奈子は? 部活か?」
「うん。終わったら待ち合わせて一緒に来るはずよ。二人ともできるだけ早く切り上げて合流するから、ってさ」
「大丈夫か? あの二人、ここの場所知らないだろ」
「香奈子がいるから平気でしょ。名村君一人じゃ心配だから、二人で来なさいって私が言ったの」
昨今ではもう、スマホ一つで地図からナビから何でも利用できる。香奈子の頭脳をもってすれば、知らない場所だって何の問題もなく辿り着けるだろう。
改めて四人分の紅茶を運んできてくれためぐみさんを二人に紹介すると、未緒と委員長は礼儀正しく頭を下げて挨拶した。その様子にめぐみさんの表情が和らぐ。
「ようこそいらっしゃいました。お二人とも、お腹はすいていませんか?」
「は?」
いきなりの質問に面食らう二人。私は笑って彼女に声をかける。
「めぐみさん、何か軽いおやつをお願いできる? もう少ししたら、腹を空かせた大食漢が来るから……その後で、みんなにご飯を食べさせてあげてちょうだいな」
仲間内では公然の秘密だが、名村君の健啖ぶりはちょっとした見世物レベルだ。お昼の飛島君もなかなか食欲旺盛だったが、彼の場合はまるで次元が違う。部活の後ともなれば、その食欲は常人の想像を遙かに超えたものとなるだろう。
「かしこまりました。では皆さん、どうぞごゆっくり」
クスクス笑いながら台所へ消えて行く。私はみんなを振り返り、遅ればせながら確認を取った。
「みんな、おうちの方が問題なければ晩ご飯を食べて行って。めぐみさんの料理、すごく美味しいから」
「でも……いいの? 急に来たのに悪くない?」
「全然構わないよ。いつも夕食は二人きりだから、私の方は賑やかで大歓迎。ただご家族には、先に連絡を入れておいてね」
「……………」
一瞬、三人が無言で顔を見合わせる。遠慮しているのかと思ったが、どうもそうじゃなかったらしい。
「それじゃ、お言葉に甘えてご馳走になるね。今日は夏希を一人にしたくないし」
「……え?」
「こんな時だしね。みんなで一緒にご飯食べてワイワイ騒げば、夏希も少しは気が晴れるでしょ?」
「!」
────なんと。私のことを心配してくれたのか。
「そうだな。明日は二時間だけだし、少しくらい遅くなっても大丈夫だよ、僕は」
「中途半端よねえ、二時間授業って。いっそのこと、土曜日もぜーんぶ休みにしてくれればいいのに」
「俺はイヤだ。そんなことしたら、平日の授業がますますきつくなるだろうが」
「それもそっか」
あはは、と笑う未緒に私は感謝の目を向けた。一人になりたくない、という私の気持ちを、飛島君もみんなも、口にするまでもなく解ってくれていたのだ。あまりくどくどとお礼を言うのははばかられるが、どうやらその気持ちは十分に伝わったらしい。
「思ってたより元気そうで安心したわ。もっと落ち込んでるかと思って心配してたのよ。香奈子なんか、午後中ずーっと怖い顔でさ。ありゃ相当怒ってるね」
「当たり前だ、あれだけ非常識なことをされたんだからな。香奈子だけじゃなく、他の連中だって怒ってたよ。水野さんも君に『元気出して』って伝えてくれって」
副委員長の水野さん。最初に桜庭先輩がクラスに来た時、対応してくれた人だ。日頃はおとなしくて目立たないのに、優しい人なんだな。
「ありがとう、みんな。私は平気よ。飛島君がずっと一緒にいてくれたおかげで、ずいぶん救われたしね。それに、あなたたちがわざわざ来てくれるなんて思ってもいなかったから、すごく嬉しい」
未緒がニヤニヤ笑っている。この子はどうも、日頃から私と飛島君の仲を疑っているようだが……まさか、こんなイケメン相手に恐れ多いことを。
「俺こそラッキーだったよ。おかげで夏希の手料理にありつけたし」
────おいコラ、そこで爆弾発言を出すんじゃない!
飛島君の不用意なひとことで、場が一気に騒然となる。
「えーっ!? 手料理ィ!?」
「ああ。食べ損ねた昼飯を作ってくれたんだ。絶品だったな」
「ずるーい、飛島君ばっかり! 私も食べたいっ!!」
「こらこら未緒ちゃん、静かにしなさい」
委員長のボケが出た。希少価値の珍品だが、事態が紛糾するとたまに出る。その結果、ますます収拾がつかなくなるのがいつものパターンなんだけど。
「はーい、みんなそこまで! ご希望なら夕食に私も一品くらい作るから、それで勘弁してよ。それより委員長、どうだったの? ホームルームは」
「ああ……それな」
私の強引な話題転換に、都築君が早速食いつく。にわかに表情が変わり、それと同時に皆も一斉に真面目な雰囲気になった。