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無敵ヒロインの学園始末記  作者: 桂木 玲
第二章  秋学期 ~俺様王子と悪役令嬢~
17/50

17



 ────曰く。


 どうやって知り合ったのかは知らないが、たかだか一般生徒の分際で、学園中の人気を集める『王子』を誘惑するとは何ごとか。彼には育ちから容姿から、何から何まで、あなたなんか逆立ちしても敵わないほどの立派な婚約者がおられるというのに。あなたの身の程を弁えない行いのせいで、遥香様がどれほど傷ついていらっしゃるか解っているのか。あなたの噂を耳にしてからというもの、遥香様は体調も優れず、ずっと悩んでおられる。お優しい遥香様はそれでも不満の一つも言わず、桜庭様は単に不慣れな転校生に親切にしていらっしゃるだけなのだから、と仰っているが、わたくしたちにはとうてい我慢できない。下賤な者というのはこれだから困る。いくら秋本様のご援助を受けているといっても、それだけで育ちの悪さまで変えられるものではない。いや、あなたのように不埒な人は、もともとお金だけが目当てで秋本様に取り入ったのだろう。あのようにご立派な方を騙して、この学園に入れて貰って満足か。桜庭様だけではなく、良家のご子息方に色目を使うような真似は、わたくしたちが今後一切許さない。それが不満なら、そもそもあなたには分不相応なこの学園からさっさと出て行きなさい────。



 怒濤の抗議を黙って聞いているうちに、目眩がしてきた。


 いきり立ってわめき散らす先輩方の言葉に、真実は一つもない。私が桜庭先輩を誘惑したとか、彼はただ親切なだけだとか、お金目当てで会長に取り入ったとか。いったいどこをどうすれば、ここまで悪意に満ちた解釈ができるのか。ただひとつ解ったのは、たとえこの場で私が彼女らに何を言っても、それはたぶん何の意味も持たないだろう、ということだけだ。

 ここまで悪意に凝り固まり、あさって方向への解釈を信じ込んでいるのだ。私の言葉に貸す耳など、初めからまったく持ち合わせていないに違いない。



「遥香様。遥香様も何か仰ってやって下さいませ」

「そうですわ、遥香様。下々の者には、はっきりと言わねば解らないのですから」

 ────下々の者、と来たか。

 取り巻き連中に促され、私の目の前に引っ張り出された遥香嬢は、相変わらずのすごい目つきで私を睨んでいる。彼女が口を開かないのをいいことに、私は改めてその姿をとくと検分した。


 未緒の言った通り、「可愛い」という表現がぴったりの少女だった。小柄なせいもあるだろうが、顔の造作も身体つきも、纏う雰囲気までもがひどく子供っぽい。お人形さんのような、というのはまさに言い得て妙だ。顔立ち自体は美しく、綺麗にカールして一部を結った長い髪が、造作の整った小さな顔に良く似合っている。お約束のロココ調縦ロールにしたら、さぞかし雰囲気が出るだろう。


「わ、わたくし………」

「?」

 ようやく口を開いた彼女。だが、思ったように言葉が出て来ないらしい。

「あ、あなた………これ以上、雅臣様に近づかないで!」

「私の方はいっこうに近づきたいとは思っておりません。付きまとわれて迷惑しているのはこちらの方です」

「何よ! ちょっと美人だと思って生意気な!」

「美人? 私がですか?」

 どう見ても、彼女の方がはるかに可愛い。噂通りの金切り声でわめく美少女に、私は苦笑いで応じた。

「そんなことは考えたこともないです。先輩の方がずっとお綺麗だと思いますが」

「………!」

 とたんに彼女の顔色が変わる。何故か遥香さんは、私の意見には反対のようだ。


「いずれにせよ、桜庭先輩のことは何とも思っていませんから。鷺宮先輩からも、これ以上私に鬱陶しいことをするな、とあの人に言って頂けると助かります」

 その言葉が彼女の────いや、取り巻きをも含めた皆の逆鱗に触れたらしい。

「何という口の利き方をするの!? 桜庭様、と仰いなさい!」

「そうよ。遥香様のことを『鷺宮先輩』ですって? あなたのような身分の人は、わたくしたちには『様』を付けるのが当然でしょう!?」

 また始まった。いつも思うことだが、私にはまったく理解できない発想だ。


「身分って何です? ご存知ないようですが、この日本では戦後、身分制度は完全に廃止されたんですよ。士農工商も、爵位制度も過去の遺物です。万人が平等の国にあって、高校という学びの場でなぜ、他の学友にいちいち『様』なんか付けなくちゃいけないんです? 国民の誰もが、それこそあなたが仰る『下々の者』でさえ知ってる常識をご存知ないとは、上流階級と言われる皆様方の見識を疑いますね。そんなことで将来、一般社会の人々の上に立つことができるんですか?」

「何ですって!?」

「お黙りなさい、この性悪女!」

 相変わらず、騒がしいのは外野の取り巻きたちだけだ。鷺宮先輩の方はどうも、あまり口が達者なたちではないと見える。


 いい加減ウンザリしてきた私は、お腹がすいてきたこともあり、さっさと決着を付けようと彼女の顔を真正面から見つめて言った。

「鷺宮先輩。私の言葉に嘘はまったくありません。これ以上、何か仰りたいことがおありでしたら、次からはお一人で私に会いにいらして下さい。こんなふうに徒党を組んで人の教室に押し入って来られては、クラス全員が迷惑します。先輩お一人ならいつでもお相手しますので。よろしいですね?」

「…………」

「桜庭先輩のことは、誓って私からは何もしていません。お疑いなら直接、あの人にお尋ねになってみてはいかがでしょうか。本当のことが判ると思いますよ」

「そんなこと……雅臣様にそんなこと、言えるわけないじゃない! あなたが彼を遠ざければいいのよ! わたくしの婚約者なんだから!」

「ですから、そういうことは桜庭先輩に仰って下さい。それこそ、あなたの婚約者なんですからね」

「この……っ!」


 一瞬の出来事だった。


 怒り心頭に発し言葉に詰まった遥香嬢は、そのまま右手を振り上げた。教室中に声のない悲鳴が満ちる。叩かれる、と思った瞬間、誰かがその右手を捉えた。


「いい加減にして下さい、先輩。彼女の言ったことが解らないんですか?」

 激しく目を怒らせた飛島君が、斜め後ろから彼女の腕を軽く掴んでいる。軽く、といってもそこは男の子の力だ。長身の彼に至近距離から見下ろされ、鷺宮先輩の目に怯えの色が走った。


「大人数で言いがかりをつけに来た上、今度は暴力ですか? これ以上は、夏希のクラスメイトである俺たちが許しませんよ」

「ちょっと、あなた! 何をしているの? 遥香様のお手を離しなさい!」

「女性に向かって手を上げるなんて! 何を考えているんですか!?」

 甲高い声で口々に叫ぶ取り巻きたちを冷ややかな目で見回す飛島君は、まったくといっていいほど動じていない。さすが、元は名家の血を引くだけあって、度胸が据わっている。

「手を上げたのは先輩の方でしょう。俺はそれを阻止しただけです」

「あなた、名前は!」

「飛島優。夏希の友人です」

 彼の答えに、よりいっそうのざわめきが取り巻きたちの間に広がった。私も良くは知らないが、「飛島」という名字には、彼女たちも心当たりがあるらしい。

「あ、あの飛島家の……」

「そんなことはどうでもいい。鷺宮先輩、手を下ろして頂けますね?」

 驚きで口も利けなくなっていた遥香さんは、穏やかにそう言った飛島君に無言で頷いた。それを確認し、彼はそっと掴んでいた腕を放す。

「失礼しました。でも、彼女にまた暴力を揮おうとしたら、俺は何度でも同じことをしますよ。良く覚えておいて下さい」


 怒りの中にも礼儀を忘れない彼の紳士的な態度を見て、遥香さんも取り巻きたちも悔しげに押し黙る。その隙をつき、今度は委員長が彼らの間に割って入った。

「先輩方、僕はこのクラスの委員長で都築といいます。昼休みも残り少ないようですから、今日はもうお引き取り願えませんか?」

「…………」

「念のために申し上げておきますが、桜庭先輩の件に関しては、夏希の言った通りですよ。彼女が嫌がっているのに、一方的にクラスに押しかけて来ていたのは彼の方です。そのことは、この一年B組の全員が証人になってくれるでしょう」

 『調整役』の本領発揮だ。こちらも飛島君に負けず劣らず、冷静な口調である。


「で、でも……本当に嫌なら、桜庭様にそう言うはずでしょう? そうしたらあの方だって……」

「数え切れないくらい言いましたよ。夏希だけでなく、僕ら仲間全員で何度も何度もね。それにまったく耳を貸さないあの人に、これ以上僕らがどうしろと?」

「…………」

「それにこのことはもう、僕らだけの問題ではなくなりましたから。おとといから昨日にかけて、うちの担任の高杉先生と、桜庭先輩の担任である時田先生がすでに協力して動いて下さっています。つまり単なる個人の域を越えて、学校全体の問題として先生方が対処しておられる、ということです。僕らとしては、今後はそれにお任せするつもりですが……あまりに騒ぎが大きくなると、先輩方も先生から事情を訊かれる可能性がありますので、そのことをお忘れなく。できれば夏希の言った通り、鷺宮先輩と桜庭先輩の間で何とか解決して頂けると、彼女も僕たちも助かるんですけどね」

 最後に穏やかな微笑を付け加える。痛いところを突かれたのか、先輩たちは返す言葉もないようだ。


 そして────その時。今まさに話題に上ったばかりの人が教室に入ってきた。

「こらお前ら、何をやってる。うちのクラスは、こんなに女子生徒ばかりじゃないはずだぞ!」

 高杉先生と、彼を呼びに行っていたらしい未緒の姿。そうか、今後の暗躍のためにも、未緒はなるべく先輩方に顔を知られない方がいい。とっさにそう判断して、先生を呼びに行く役目を請け負ったんだろう。

「おい二年生。ここは一年の教室だぞ。そこに大挙して押しかけて来るとは、何を考えてるんだ。さっさと出て行け!」

 言葉だけ聞くときつい言い方のようだが、高杉先生が言うといかにも淡々としていて、言われた方も怒られた気がしない。入口までびっしりと並んでいた取り巻きたちは、毒気を抜かれたようにハッとした顔になっている。

「さあ、関係ない奴は帰った、帰った。昼飯を食う時間がなくなるぞ」

 片っ端から先輩方を追い出しながら、先生は私の席の方をちらっと見た。大丈夫だ、と言われたような気がして、ようやく安堵が胸に広がる。


「八木沢、だいたいのことは芹澤から聞いた。とんだ災難だったな」

「……いえ」

 一応言うべきことは言ったものの、私もそこまで図太くはない。ぐったりとした気分で言葉少なに答えると、先生はちょっと考えてから言い出した。

「おい。お前、今日はもう家に帰れ」

「え?」

 びっくりして見上げた目に、真顔でこちらを見下ろす先生の姿が映る。

「今日の午後は音楽とホームルームだけだろ? 休んだってたいしたことはない。家に帰ってゆっくりするんだ」

「…………」

 ────担任教師がサボリを奨励していいのだろうか? 

「誰か八木沢を家まで送ってやれ。教師公認のサボリだ」

「じゃあ私が」

 香奈子がすぐさま声を上げたが、先生は難しい顔で首を横に振る。

「いや、できれば男の方がいいんだが。都築は委員長だしな……」

 ロングホームルームに委員長なしでは始まらない。すると、まだ私の横に立っていた飛島君がすかさず手を上げた。

「良は部活があるから、俺が送っていきます。いいですか?」

「ああ、お前なら方向も一緒だしな。今日はそのまま帰っていいぞ。何もないとは思うが……十分に気を付けてやってくれよ」

「はい、判りました」


 先生に促されるまま、私たちは教科書を鞄に詰め、教室を後にした。心配そうな仲間たちの表情が胸に痛い。無理に笑顔を作って皆に手を振ると、飛島君がそっと優しく背中を押してくれる。

「笑えるような気分じゃないだろう。無理しなくてもいいよ、夏希」

「……うん」

 沈んだ気持ちとは裏腹に、外はいい天気だった。私は彼と二人、無言で昼下がりの街路を歩き出す。




「ああ、腹が減ったな。夏希、何か食べて帰ろうか」

 最初の角を曲がり、学校の敷地が視界から消えると、飛島君がやけに明るい声で言い出した。考えてみれば、あの騒ぎのおかげでお弁当を食べ損ねたままだ。私もだけど、育ち盛りの男の子にとってはかなり深刻な事態だろう。

「そうね。でも……もし良かったら、うちでお昼を食べて行かない? 私で良ければ何か作るよ」

「え? 夏希が?」

 そんなに驚かなくたっていいじゃないの。昼食くらい、私にだって作れる。

「こう見えても、中学までは半分主婦業も兼ねてたのよ。うちのお母さん、仕事でほとんど家にいなかったから」

「へえ、そうなのか。大変だったんだな」

「そうでもないわ。けっこう楽しかったよ」

 中学時代は学校から帰ると、すぐに夕食の支度をしていたものだ。母は忙しくて平日の家事こそほとんどしなかったが、料理の腕自体はなかなかのもので、週末になるといつも美味しい食事をこしらえてくれた。その母直伝のレシピが、今も私の頭にはたくさん詰まっている。


「でも夏希、君って一人暮らしだろ? 俺がそこにお邪魔するわけには……」

 いかにも紳士的な彼らしく、女の子の部屋に上がり込むことを躊躇う飛島君に、私は笑って首を振る。

「それは大丈夫。この時間ならもう、めぐみさんが来てるはずだから」

「めぐみさんって、前に言ってた家政婦さん?」

「うん。とっても優しいおばさまなの。私の友達なら歓迎してくれると思うよ」


 口には出せなかったが────正直に言えば今日、私はこのまま一人になりたくはなかったのだ。誰でもいい、気心の知れた仲間に一緒にいて欲しい。もう少しの間だけでいいから。

 そんな私の気持ちに気づいたのか、飛島君はしばしの間躊躇った後、にっこりと微笑んで頷いた。

「判った、それじゃお言葉に甘えようかな。正直言って空腹が限界なんだ、俺」

「私もよ」


 二人して笑い、帰り道を急ぐ。途中、道沿いにポツリポツリと点在するしゃれたカフェやテイクアウトのデリの前を通ると、私たちはとうとう我慢できなくなり、菓子パンをいくつか買い込んだ。それを手に持ったまま、マンションの近くにある小さな公園のベンチに腰掛ける。


「あ、これ美味しい!」

「うん、なかなかいける。高いだけのことはあるな」

「そうだねえ。いつもはスーパーの安売りパン専門だもんね、私なんか」

「俺だってそうだよ。質より量だ」

 ああ、悲しき一般人。夕方のスーパーで、値引きシールが貼られたパンばかりを買っている私には、場所柄なのか「お一つ二百三十円です」なんていう高級デリのパンはいささか敷居が高い。日頃は滅多に手を出さないのだが……まさか飛島君も同じだとは思わなかった。


「顔だけ見ると、飛島君ってこういうパンばっかり食べてそうだけどね」

「そりゃ偏見だ。顔で食べるわけじゃあるまいし」

 その軽口に、私は思わず噴き出した。彼は自分の容姿を自慢したりはしないが、必要以上に謙遜することもない。周りからイケメン、イケメンともてはやされてもそれをすんなりと受け入れ、あくまでも自然体で笑って聞き流している。飛島君のいいところの一つだ。


「今じゃもう、うちは全然金持ちじゃないよ。むしろ良や直也の家の方が、ずっと裕福だと思う。小遣いだってみんなと変わらないしね」

「へえ、そうなの?」

「ああ。幸い父の会社はうまく行ってるようだけど、小さなデザイン事務所だからね。社長っていっても、秋本さんちみたいに無尽蔵のお金があるわけじゃない」

「あそこは特別よ。金銭感覚が一般人とは三桁くらい違うんだもの。そうだ、うちのマンション見たらきっと驚くわよ。私なんか最初、卒倒するかと思ったもん」

「それじゃ夏希もきっと、うちの親父の実家を見たら驚くだろうな。あんなにどうするんだ、ってくらい部屋数があるらしいから」

「見に行ったことあるの?」

「一度だけね。たまたま車で前を通った時に、父さんが言ってたんだ」

「へえ……」


 ある意味、私たちは似た立場なのかも知れない。両親共に名家の出なのに、その家と縁を切り、普通の一般家庭としての人生を選んだ飛島君の家族。生粋の庶民でありながら、秋本家という名家に助けられて星城学園に進んだ私。道筋こそ真逆だが、名家と一般人、その双方に関わりを持つ、という点では同じだ。彼がこうして私のことをいつも案じてくれるのも、もしかしたらそんな仲間意識があるからなのだろうか。



「ねえ、夏希」

「なあに?」

 驚異的な早さで菓子パンを平らげ、ようやく人心地ついた頃。飛島君はいつもの優しい声で、躊躇いがちに語りかけてきた。


「難しいかも知れないけど……今日のこと、あんまり気にしない方がいいよ」

「……うん」

 俯く私の髪を撫でる暖かい手。彼をはじめ、みんなにどれだけ心配をかけたか、それを考えると辛い。

「気にしてるわけじゃないんだけど……なんか、あの悪意のすさまじさにちょっと圧倒されちゃってね」


 女の子があれだけ集団になると、たたでさえ恐ろしいのに。その全員から向けられたむき出しの敵意に打ちのめされてしまった。私のやってることって、一つ見方を変えたら、あんなふうに醜いものになってしまうのか。秋本会長の援助を受けたのは彼のお金目当て。桜庭先輩に付きまとわれたのは私が彼を誘惑したから。言いたいことを思いっきり言うのは育ちが悪い証拠。星城学園に来たのは名家の令息をたらし込むため。

 そんな悪意に満ちた中傷を、あれだけの大人数から続けざまに投げつけられて、それでもなお平然としていられるほど私は鈍くない。この口達者な私が、今日ばかりは言いたいことの半分も言えなかったような気がする。何を言ったって無駄だ、あんな目で私を見ている人たちには。


「あの連中はただ、自分たちを正当化したいだけなんだ。特に取り巻き連中はね」

「……正当化?」

「うん。桜庭先輩は稀代の女タラシで、鷺宮さんは婚約者にも関わらず、とことん蔑ろにされている。夏希に付きまとったのも、君がそれだけ魅力的で、しかも彼が婚約者をそこまで軽んじている、っていう証拠だろ? 事実はただそれだけのことなのに、彼らはそれを認めたくないんだ。それを認めたら、自分たちが祭り上げているお姫さまが貶められてしまうから。だから桜庭先輩じゃなく、どんなに事実をねじ曲げてでも君の方を悪者にしたい。そういう思考回路なんだよ」


 彼の言うことは何となく解った。自分たちが崇める鷺宮先輩を悲劇のヒロインにしておくためには、悪いのは私に付きまとう桜庭先輩ではなく、彼を誘惑した私でなくてはならない。その事実があろうとなかろうと、そんなことはあの人たちにはどうでもいいことなんだろう。


「夏希のやってることは、誰が見たって非難されるところなんか一つもない、ごく真っ当な行動だ。まともな目を持った人間なら誰だってそう思う。でも、あの連中はそれを決して認めない。君の気持ちも立場も、何もかもを無視して、自分たちを正当化するためだけに君を貶める。はっきり言って、そんな人間は相手にするだけ無駄だよ。夏希、君が悩む必要なんかこれっぽっちもないんだからね」

「飛島君……」


 ────不覚にも、涙が零れた。


 私のことを信じ、認めてくれる人がいる。あれだけ大勢の人たちから非難された私を、こうして慰めてくれる友達がいる。それがこんなにも嬉しいなんて。


「飛島君、ごめん……」

「いいよ。泣きたいなら好きなだけ泣けばいい。俺は誰にも言わないから」

「うん……」

「無理もないよ。人の悪意って、それだけでものすごいエネルギーがあるからね。君はいつも強気だけど、決して鈍感なわけじゃない。本当は優しくて繊細な人だ。俺には良く解ってるよ」


 ふいに泣き出した私に、彼はどこまでも優しかった。そのまま口を噤み、黙って見守っていてくれる。悪意の礫に晒された私の心から、そのどす黒い穢れが次第に洗い流され、涙とともに浄化されてゆく。両親を亡くして以来、久々に流す涙は、この地で新たに得た仲間たちの暖かさを改めて胸に刻んでくれる。



「夏希、もう大丈夫?」

「……うん」

 ひとしきり泣いて顔を上げると、飛島君は私の頬に手を伸ばし、涙の跡を拭ってくれた。柔らかな微笑みに包まれて、ようやく私にも笑顔が戻る。

「そろそろ行こうか。ごめんね、お腹すいたでしょ?」

「そうだな。パン食ったら、刺激されて余計に腹が減ったよ」

 その言葉に笑い出す。何とも頼もしい男の子だ。


 私たちはベンチから立ち上がり、連れ立ってすぐ近くに見えているマンションへと向かった。




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