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無敵ヒロインの学園始末記  作者: 桂木 玲
第二章  秋学期 ~俺様王子と悪役令嬢~
16/50

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 十月に入り、制服が冬服に衣替えとなった。

 朝、B組の教室に入ると、見慣れたいつもの風景が何となく重厚に感じられる。白地の夏服が紺色のスーツに変わっただけで、それが三十五人分ともなると、こんなにも部屋の印象が違うものなのか。初めて袖を通した冬服は、身体にぴったりとフィットしてなかなか着心地がいい。さすがは星城学園の制服だけあって、生地や仕立ては文句なしの高級品である。


 席に座って教室の中をボンヤリ眺めていたら、未緒がやってきた。

「おはよ、夏希。やっぱ似合うなあ」

「おはよう。未緒こそ可愛い!」

 小柄で童顔な彼女に、この大人っぽい制服はある種の小悪魔的な魅力を付与している。珍しく低い位置で結ったツインテールもしっくりと雰囲気に馴染み、とても良く似合っていた。この格好で街に出たら、どっかの悪いオジサンにあっという間に連れ去られそうだ。そう言うと、未緒はストレートに噴き出す。


「バカなこと言ってないで! そうだ夏希、ちょっと一緒に来てよ」

「え、どこへ?」

 今来たばかりなのに、と言う私に、彼女は耳元で声を潜めて囁いた。

「鷺宮遥香の情報を教えとくから。ここじゃいろいろとまずいのよ」

「……判った」

 教室には数多くのお嬢様方がいる。どうやら未緒は、彼女たちに話を聞かれたくないらしい。私たちは連れだって教室を出て、廊下の隅に陣取った。

「もう、夏希ったら。暢気なこと言ってる場合じゃないでしょ?」

「ごめん。それで、何か判ったの?」

「判ったってほどじゃないけど。一応、集めた情報を伝えとこうと思って」

 そう言うと、未緒はこれまでに調べたことを私に向かって話し始めた。



 それによると────鷺宮先輩の家は和樹さんが言った通り、日本の経済界ではかなり名の通った一族らしい。現在の当主は遥香さんの祖父で、一説には『財界の黒幕』とも言われる人物。銀行や証券、生保や投資ファンドなど数多くの金融関連企業を傘下に収め、その影響力の大きさから、与党の大物政治家でもおいそれとは逆らえないほどの存在だという。ただし孫娘にはとても甘く、桜庭先輩との婚約も彼女の方から熱望してのことだったそうだ。


「よく、その『黒幕』が許したわね。聞いた感じでは、桜庭先輩の家よりもずっと名家なんじゃないの? あっちは単にお金があるだけで、それほど有力な家、ってわけでもなさそうだったけど」

「まあ、どんな大物でも孫可愛さには勝てなかった、ってことでしょ。桜庭先輩の家も、家格はともかく財産だけは腐るほどあるから、大事な孫娘がお金で苦労する心配もないだろうし」

「ふーん、それで鷺宮先輩の方からアプローチしたわけか。桜庭先輩は乗り気じゃなかったの?」

「そのへんは正確には判らないけど、最初はどうも彼女の片思いだったみたいよ。あの二人、社交界では子供の頃から知り合いだったそうだから、おおかた一目惚れとか何とか、そういう陳腐な話なんじゃない?」

「なるほどね。私に言わせれば『趣味悪い』の一言だけど」

 会ったこともない女性の悪口は言いたくないが、鷺宮さんの方から望んだというなら、つまりはそういうことだろう。あの顔に騙されたクチだ。ご愁傷様。


「だけど……それじゃ今の状況はどういうこと? そんな名家のご令嬢と婚約しておきながら、その彼女をないがしろにして女遊びしてるなんて、相手のお祖父さんにバレたらそれこそ大騒ぎになるでしょうに」

「ところがどっこい、そのお祖父さんの方も、若い頃はかなり女性関係が派手な人だったらしくてね。そっち方面にはもともと寛容なのよ。学生時代にどんだけ遊び回ろうが、最終的に自分の孫とちゃんと結婚するんなら構わない、とでも思ってるんじゃないの? 怖いよね、金持ちって」

「同感。いったいいつの時代の話なんだか」

 飛島君の言葉じゃないけど、ホント、時代錯誤も甚だしい。女性の人権を何だと思ってるんだろう。


「だから、桜庭先輩もそのことが良く解ってるから、相手の家から何も言われないのをいいことに、好き放題してるらしいの。それに何と言っても、鷺宮先輩の方は『惚れた弱み』があるでしょ? せいぜいが浮気相手に嫌がらせするくらいで我慢してるようよ」

 それが困るのだ。桜庭先輩に面と向かって何も言えない分、彼女の鬱憤はすべて相手の女の子に向かってしまうのだから。その標的にされるなんて真っ平だわ。


「で、肝心の鷺宮遥香ご本人なんだけど」

「うん。どんな人なの?」

 そう問いかけると、未緒は何とも複雑怪奇な顔になった。

「それがねえ……私、昨日彼女のクラスに行って、ちょっと覗いて来たんだけど」

「は!? 未緒、なんて危ないことするのよ!」

 私のことがバレているというからには、友人である未緒だって、見つかればタダでは済まないだろうに。

「大丈夫よ、面が割れないように上手く立ち回ってるから。そのへんは得意だから任せて。それよりね────ちょっと意外だった」

「何が?」

「なんか……すごーく可愛い女の子、なのよ。とても歳上には見えなかったわ」

「……はい?」


───香奈子から『妹分』と評されるほど童顔の未緒が、歳上とは思えなかった?


「いかにも育ちが良さそうなお嬢様なんだけどね、お人形さんみたいに可愛いの。秋本先輩が言うような、ヒステリックな感じは全然しなかったな」

「へえ………」

「でも、噂ではそうでもないみたいで。そっちは先輩の情報通り。情緒不安定なんじゃないか、ってくらいに感情の起伏が激しくて、怒ると金切り声を上げてすごいことになるらしい。桜庭先輩の浮気相手を平手打ちしたとか、その手の武勇伝には事欠かない、って言ってる人もいたわ」

 毎度思うことだが、未緒ちゃん、いったいどうやって他人のプライベートな会話まで拾って来るんだろう? 同じ学年ならいざ知らず、二年三年の先輩たちの中に情報源となる友人を持っている、とも思えないんだけど。たった一人で立ち回って噂を集めているのだとしたら────俄かには信じられないほどの才能だ。


「なんかずいぶん、噂と実態が食い違ってるみたいね」

「そうなんだよねえ。まあ私も、実際に怒ってるところを見たわけじゃないから、そこは何とも言えないんだけど。あの美少女顔で怒鳴り散らせば、そりゃあ確かにかなりのインパクトがあると思うよ」

 般若の形相で怒り狂う美少女。できれば……あんまり見たくないなあ。


「ただね、ちょっと気になったのが取り巻き連中。ものすごい数がいるみたいで、私が見に行った時もわずか十五分の休み時間だってのに、彼女の周りだけわんさか人が集まってた。そのせいで、すぐに『あの人がそうだ』って判ったの」

 うちの学園では授業間に通常の十分ではなく、十五分ずつの休み時間が設けられている。理由は簡単、敷地面積があまりに広いから。科学の実験室や音楽室など、特別教室へ移動する際は、各学棟間の距離を考えると十分ではちと足りないのだ。おかげで朝は、普通の高校より少々早く始業となる。


「そういえば、和樹さんも言ってたっけ。二年の女子を仕切ってる、って」

「そう、そんな感じだったね、まさに」

「もしかすると、その取り巻き連中が悪さしてるんじゃないの? ボスのお姫様を守って代わりに喧嘩してる、とか」

「どうかしら。それなら、ああいう噂にはならないんじゃないかな」

「それもそうねえ……」


 私には未だに、『取り巻き』というものがどういう存在なのか良くわからない。この特殊な学校では、実家の力関係などから生徒の間に序列のようなものが自然と生まれ、『王子様』『お姫様』的存在とその取り巻き、といった構図が出来上がるらしいが、それはあくまで、名家出身の連中だけに限った話だ。和樹さんが言った『仕切る』という言葉も、私のような一般生徒は除外されたところに存在する学園カーストの中で、そのトップがそれ以外の生徒をあたかも手下のように動かす、という意味で使われるんだろう。なんとバカらしいことか。

 平和な一般人に『取り巻き』は存在しない。ただ、『友達』がいるだけだ。


「まあ、今のところはこんな感じね。あんまり有益な情報がなくて悪いんだけど」

「とんでもない! 私にとってはどれもすごく貴重な情報よ。本当にありがとう、未緒」

 話し終えた情報屋に、私は心からのお礼を述べた。未緒がいなければ、いったいどうなっていただろう。何一つ判断材料のないまま、得体の知れぬ先輩たちの意味不明な行動に、自力で対処しなきゃならなかったはずだ。その意味でも、彼女にはいくら感謝してもしきれない。

「じゃあ、引き続き網を張っとくから。何か判ったらまた知らせるね」

「うん。頼りにしてるわ!」

 慌ただしく打ち合わせを終え、教室へ飛び込む。時刻はすでに始業直前だった。




 その日の四時間目のこと。

 担任による現代社会の授業が終わった後、高杉先生が唐突に言い出した。

「八木沢。それと……委員長、ちょっと来い」

「……はい?」

 私は振り返った都築君と顔を見合わせ、呼ばれるままに教壇へ歩み寄る。先生はその私たちを引き連れて廊下に出ると、校舎の端にある階段の降り口のところまで行って立ち止まった。


「八木沢。お前、なんかトラブルに巻き込まれてるそうだな」

「………?」

「昨日の放課後、一年の連絡メールにタレコミがあった。ご丁寧に、俺宛に名指しでな。お前が男に付きまとわれて困ってるから何とかしてやってくれ、ってさ」

 とっさに委員長の顔を見る。昨日の帰り、彼が言っていた。いざとなったら先生に助太刀を頼むから心配するな、と。

「僕じゃないよ、夏希。僕なら直接、先生に話す」

「……そうね。わざわざ連絡メールなんか使わないよね、あなたなら」


 先生が言った『連絡メール』というのは、学年ごとに別のアドレスが公表されている緊急通報用のメールアカウントのことだ。用途は主に、イジメなどの不都合な事態を目撃した人が、学校側に情報を伝えるためのもの。宛先は特定の先生でも、教職員全体でも構わず、相手を指定した場合は規定のセキュリティロックがかかるため、他の先生方は読むことができない。実名匿名どちらでも可能なので、通報者は報復を恐れることなく安心して書き込むことができる。以前あったというイジメ退学事件や、日頃から頻発している『名家対一般人』のトラブルに音を上げた先生方が、苦肉の策で編み出したシステムだ。


「いや、差出人の名前は判ってる。うちのクラスの奴じゃない。ついでに言うと、一年の誰かでもない」

「は?」

 ────じゃあ誰? 先輩方の誰か、ってこと?

「堂々と実名で送られて来たよ。お前には言うな、とは書いてあったがな。───そんなことより八木沢、どうなんだ。事実なのか?」

 高杉先生の珍しく鋭い追求に、私は観念して頷く。

「はい。事実です」

「相手は三年の桜庭雅臣、で間違いないか?」

「……そこまでご存知でしたか」

 ぐったりと溜息を漏らすと、先生はいつもと変わらぬ平然とした顔で肯定した。

「ああ、そのタレコミに詳しく書いてあった。相手の名前から具体的な被害から、発端の出来事まで全部な。ここまで言えばもう、お前にも誰の仕業か判るだろ?」

「!」

 思わず目を見開く。そこまでこと細かに書かれていたのなら、心当たりはひとりしかいない。まさか、あの人が先生に通報するなんて思いもしなかったわ。

「和樹さん、どうして……」

「後見人の息子だからな。心配してるんだろ、お前のことを」

「…………」


 あれ以来、彼には連休明けに一度、簡単な報告メールを送っただけだ。わざわざ連絡先まで教えてくれたのだから、という義務感からだったが、それでどうして、その後の具体的な被害状況まで知ってるんだろう。


「奴によると、二年の間でも騒ぎになってるらしい。まあ、良くも悪くも目立つ奴だからな、桜庭は。女生徒たちの噂話でも耳に挟んだんじゃないか?」

 ああ。鷺宮先輩の周辺が騒いでる、という未緒の情報があったな、そういえば。

「読んだ限りでは、お前もずいぶんと苦労してるようだな。お前たちのことだからこれまでは協力して何とか乗り切って来たんだろうが、物事には限度というものがある。これ以上は俺も、担任として見過ごせない」

「先生……」

 その言葉に救われた思いで顔を見上げると、高杉先生は真顔で言葉を続けた。


「今朝、桜庭の担任の時田(ときた)先生に事情を話したよ。先生から奴に、これ以上うちのクラスに押しかけて来たり、ストーカーまがいに付きまとうような真似はするな、と注意してくれるそうだ」

「それは……本当に助かります」

 昨日の今日で、もう手を打ってくれたのか。何とフットワークの軽い人だろう。

「時田先生は三年の学年主任で、生徒指導も担当している人だ。ご本人もいい家の出だし、とびきり厳しい先生だからな。桜庭も無下には逆らえんだろう。お前たちもこれで、少しは楽になると思うぞ」

「ありがとうございます、先生」

 心からそう言って深く頭を下げる。言っちゃ悪いけど、こんなに頼りになる先生だとは思ってなかった。普段は飄々としていても、やる時にはやる人なんだなあ。


「良かったな、夏希。香奈子たちにも早く知らせよう」

「うん!」

 喜ぶ私たちに、高杉先生は胡乱な目つきでひとこと、お小言を追加する。

「こら、都築。こんな厄介事をなぜ今まで黙ってた。委員長だろ、お前は」

「すみません。先生にご面倒をおかけしたくなくて」

「アホ。俺は一応、お前らの担任だぞ。少しは面倒くらいかけろ。八木沢もだ」

 ゴツン、ゴツンと私たちに軽くゲンコツをくれる。こっちは返す言葉もない。

「その点、秋本はさすがだな。大人の使い方を良く心得てる。直接的には無関係なはずの二年にまで騒ぎが広がった時点で、潮時だと判断して俺に知らせて来たんだろう。お前たちも少しは見習え」

「はい、申し訳ありませんでした」

 素直に謝ると、先生はやっと表情を緩めてしみじみと言った。


「嫌がる女子を無理に追っかけ回すなんざ阿呆のすることだ。そんなことしたってますます嫌われるだけなのにな。世間知らずのガキにしても、やることに品がなさすぎる。自慢の『名家』も所詮はその程度、お里が知れるってもんだ」

「…………」

「都築、八木沢。そうは言っても、このままですんなり片が付くとも思えん。もしもこの先何かあったら、今度はちゃんと俺に言うんだぞ? 自分たちだけで何とかしようと思うな。そんな時のために俺がいるんだからな」

「はい、先生」

「それと八木沢。秋本からの通報については、本人には何も言うなよ。俺が喋ったことがバレちまうからな」

「判りました」


 よし、行け、と送り出されて、私はクスクス笑いながら踵を返した。素早い対応の割には意外と気が小さい。本当に面白い先生だわ。

「やれやれ、これでようやく落ち着いて昼飯が食えるな。本当に良かった」

「うん。委員長、今までありがとうね。それと……ごめんなさい」

 都築君と並んで廊下を戻りながら、私は軽く頭を下げる。

「何が?」

「私のせいで、あなたまで怒られちゃって」

「あんなの、怒られたうちに入らないよ。それに、あの先生がどういう人なのか、早い段階で判って良かっただろ?」

「そうね。いい先生だわ、いろんな意味で」

 生徒が本当に困っている時、迷わず救いの手を差し伸べてくれる人。口で言うのは容易いが、それを実際に行える先生はなかなかいない。彼のクラスになれて本当に良かった、と思う。


「それとね、夏希。秋本先輩にも感謝しなきゃダメだよ」

「え?」

 意外な言葉に私は驚いて足を止め、彼の顔を見上げた。

「僕の勘違いかも知れないが、どうも君は、先輩に対して何やらわだかまりがあるように見えるから。何があったのかは知らないけど、自分には無関係な問題まで、こうやってわざわざ助けてくれるような人なんだ。悪い人には思えないよ」

「悪い人だとは思ってないよ。私だって感謝してるわ」


 時期を見計らい、適切なタイミングで事情を知らせてくれたこと。通報する相手に自分が所属する学年ではなく、私の担任を選んでくれたこと。高杉先生が言っていたほど詳細な報告なら、メールを書く時間だってかなりかかっただろう。自分の時間を割き、私のためにそこまでしてくれたのだ。感謝しなければバチが当たる。


「先生と約束したから、先輩に直接お礼は言えないけどね」

「それは、これからの態度で示せばいい。形ばかりのお礼の言葉より、そっちの方が先輩だって喜ぶはずだ。夏希、君はとても礼儀正しいけど、だからこそ口にする言葉には心を込めないと。単なる上っ面だけの感謝では意味がないよ」

「……うん」


 ある意味、非常に手厳しい言葉だった。そう、確かに────頭さえ下げておけば、お礼の言葉さえ言っておけばそれで万事OKだ、と思う気持ちが私にはあったかも知れない。そんなものだけで、心からの感謝が伝わるはずもないのに。


「彼のお父さんは、君の恩人なんだろう?」

「ええ、そうよ。本物の紳士。お金持ちの中にもあんな人がいるのね」

 偏見かも知れないけど、かつての私は、金持ちなんてみんな桜庭先輩のような人ばかりかと思っていた。そうじゃない、ってことを身をもって証明してくれた人。

「そういう人の息子なら、秋本先輩だって信用できる相手なんじゃないかな。もう少し、彼を頼ってみるのも一つの手だよ」

「ええ、判ってるわ。だけどねえ……あの人、腹黒なんだもの! 下手に頼ったりしたら、また何を要求されるか」

「へ? 腹黒?」

 間の抜けた声を上げた委員長に、先日呼び名の件で脅されたことを話すと、彼は珍しく声を上げて笑い出した。

「夏希、それは秋本先輩の願望の顕れだよ。君ともっと仲良くしたい、っていう」

「はあ? そうなの!?」

「そりゃそうだ。男が女の子に『名前で呼んで欲しい』って言うのが、それ以外の何だと思ったの? 君がどうしても言うことを聞いてくれないから、考えあぐねてそんな手を使ったんだろう。それで『腹黒』なんて言ったら、先輩が気の毒だ」

「だって!」

 なんか上手く騙されたような気がするんだもの。このモヤモヤは理屈じゃない。

「僕たちの前では素直に名前で呼んでるんだから、本人にもそうしてあげれば? そうしたら、先輩だってもっと喜んでくれるよ」

「うーっ……」


 委員長に笑われながら昼休みの教室に入る。こんな時には、彼の大人びた態度がなんとも悔しくて仕方がない。

 時田先生の叱責がこたえたのか、久々に桜庭先輩の姿がない教室では、他の仲間たちが心配そうな顔で私たちを待っていた。その輪の中に加わり、持参のお弁当を広げながら、高杉先生からの吉報を皆に報告する。

 一週間ぶりに1Bの教室に訪れた、穏やかなランチタイムだった。



 ────だが。

 その平和な昼休みが、僅か一日でまた失われることになるとは思わなかった。



 翌日、金曜日。


 四時間目、特別教室での生物の授業が長引いたB組の皆は、終了のチャイムから十分ほど遅れてクラスルームに戻って来た。いつもなら昼休み開始と同時に食堂へ向かう良家の子女たちも、今日はまだ、一般生徒に混じってかなりの人数が教室に居残っている。休み時間特有のざわめいた空気の中────その人々はいきなり、B組の教室に大挙して押し入って来た。


「……!?」


 ────なんなの、あれ?


 クラスメイトたちの驚きの視線が交錯する。一瞬遅れてそれに気づいた私と仲間たちも、あまりにも突然の出来事に言葉を失った。


 圧倒的な数の女子生徒の集団。しずしず、という表現がぴったりとはまる上品な所作から見て、『名家』側の連中であることは間違いない。先頭に立つ数人は皆、綺麗に髪を整え、校則で禁止されてこそいないものの「褒められたことではない」とされているお化粧を、揃って顔に施している。総じて美人さんが多いのは、そのせいもあるのだろう。

 胸元のネクタイは────青。二年生だ。


「失礼いたします。八木沢夏希さん、と仰るのはどちらの方ですかしら?」

「…………」

 その一言で、クラス中の視線が教室中央の席に座る私に集中する。私はただただ呆気に取られ、返事をする余裕もない。質問した先頭の女生徒は皆の視線の先に私を見つけると、敵意むき出しの険しい目つきでつかつかと歩み寄ってきた。

「八木沢さん。あなたですの?」

「……そうですが」

 落ち着け、と自分に言い聞かせながら低く答える。この人たちが誰なのか、何をしにここまで来たのか────誰に言われるまでもなく私には判った。


「そう、あなたが……遥香様の婚約者を誑かしている性悪女ですのね!?」


 ────ああ。何というお約束の展開だろう。これぞ昭和の少女マンガだ。


 頭の片隅をそんな冷静な分析が掠める。よりにもよって今日、お嬢様方が教室に残っている日を狙って来なくたっていいじゃないか。一般生徒だけなら、私一人で何とでもできたものを。


 私は口も利けないまま、鷺宮遥香嬢の『取り巻き』たちに机の周りを囲まれるのを感じ────その彼らの陰から、火を噴くような目でこちらを睨んでいる小柄な美少女の顔を、ただ呆然と眺めていた。




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