15
「八木沢さん、ちょっといい? 三年の先輩があなたを呼んでるんだけど」
「はい?」
連休明けの木曜日。昼休み、香奈子たちと学食へ行って戻ってくると、副委員長の水野さんが私に声をかけてきた。都築君と共にクラス委員を務めている彼女は、真面目でおとなしい一般生徒である。何となく怯えたようなその様子に、私はふと嫌な予感を覚えた。
「三年生?」
「ええ。あちらの方よ」
悪い予感ほど良く当たる。彼女が指さす入口を見ると、やはりというか────金曜の放課後にひどい目に遭わされたバカ男の姿。教室の入口に立ち塞がるようにして、出入りするクラスメイトたちの迷惑などお構いなしだ。
「水野さん、ありがとう。迷惑かけてごめんね」
おとなしい彼女にはさぞかし怖かっただろう。あいつのことだからきっと、彼女を捕まえて、例の命令口調であれこれ言いつけたに違いない。
「夏希、あれ誰?」
「とんでもなく嫌な奴よ。香奈子、未緒、危ないからここにいて。絶対に近寄って来ちゃダメよ」
有無を言わさずそれだけ言うと、私は意を決して教室の入口に足を向けた。和樹さんが言った通り、私に付きまとう気なのか。意趣返しのつもりならまだいいが、もし本気で追いかけ回されたらと思うとゾッとする。
「こんにちは、桜庭先輩。私に何かご用ですか?」
紋切り型でそう言うと、長身の彼は私を見下ろしてニヤリと笑った。
「一年B組、八木沢夏希。やはりお前か」
「先日そう言いましたでしょう? そんなことで嘘なんかつきませんよ。で、何のご用です?」
いいからさっさと用を言え、と言わんばかりに促すと、桜庭先輩はずいと私の前に身を乗り出して口を開く。
「お前と一緒に昼食を摂ろうと思ってな。食堂の個室を予約しておいた」
「……は?」
「嬉しいだろう、個室の特別メニューだぞ。さあ、一緒に来い」
そのまま腕を────和樹さんの言葉を一応は覚えていたのか、傷跡の残る右腕ではなく、左腕を掴んで歩き出そうとする。私は慌ててその手を振り払った。
「ちょっと待って下さい! 昼食ならもう、とっくに済ませました」
「……何だと?」
「聞こえなかったんですか? ちょうど今、学食から戻って来たところです。生憎とお腹も一杯ですので、これ以上は何も食べられません」
「おい、俺がわざわざ誘いに来てやったというのに、断るつもりか?」
「当たり前でしょう。こちらの都合も聞かず、勝手なことをされても迷惑ですよ」
ちなみに彼の言う『食堂の個室』とは、金持ち学校特有のシステムである。星城学園の学食は、通常の学校の食堂とはちょっとばかり違うのだ。メニューは豊富で贅沢だし、比例して値段もかなり高い。香奈子のような特待生には食費補助も出るが、その他の生徒はもちろん自腹。ID代わりの学生証を提示すると、お代がそのまま、一月分ずつまとめて保護者のところへ請求される仕組みになっている。私のように特殊なケースや、『七割』組の連中なら楽に支払えるんだろうけど、一般の生徒にとってこの出費は痛い。だから彼らが学食を使えるのは、せいぜい月に数回が限度。必然的に昼休みの教室には、お弁当持参の一般生徒ばかりが居残ることになる。今日の私たちはたまたま、その『数回』のうちの一つだったわけだ。
さらに、この学食には大部屋の他に幾つかの個室が設けられていて、事前に予約すれば、その個室のみで提供される『特別メニュー』なる豪華な食事を摂ることが可能なのだ。これは金持ち連中にはかなりの人気があるため、予約自体がなかなか取れず、通常は一週間以上前に申し込まなくては無理だという話だったが────私が桜庭先輩と会ったのは金曜の放課後。そのまま連休を挟んで、今日が休み明けの初日。いったいいつ、個室の予約なんかしたんだろう? もしかして、あの俺様口調で親の権力を振りかざし、無理矢理部屋を空けさせたんだろうか。
「だいたい、昼休みが始まってそろそろ二十分も経つんです。ほとんどの人はもう食べ終わってますよ。今までいったい何をやってたんですか?」
「食堂に、個室の予約をしに行っていたに決まってるだろう。部屋を取るのに苦労したんだぞ。なのにそのくらいの時間も待てなかったのか?」
やっぱり。直前に駆け込んで無理難題を言い散らし、強引に部屋を取ったんだ。
「ですから、何バカなことを言ってるんです? 待つも何も、あなたが誘いに来るなんて私が知るわけないじゃないですか。こっちは昼休みといえども友達との予定もあれば、授業の予習復習だってしなきゃならないんです。昼休み中、ずっとご飯を食べていられるヒマな誰かさんとはわけが違うんですよ!」
頭に来たので、思いっきり皮肉を込めて言ってやる。廊下を行き交う人たちも、教室に残っているクラスメイトたちも驚いてこちらを見ているが、知ったこっちゃない。幸い、うるさ型のお嬢様たちは皆、今まさにお食事中でここにはいない。
「くそ、なら明日また来る。今度は事前に言ったからな、ちゃんと待っていろよ」
「お断りします。あなたと食事するのなんて真っ平御免ですし、何度来て頂いても答えは同じですから。ついでに言えば、親の権力を笠に着て、事前に予約していた方々を無理に押しのけるような真似は、今後一切おやめ下さい。まったく、常識を疑いますね。この世の中、あなたを中心に回ってるわけじゃないんですよ? ああそれから………今日はちゃんと、予約した二人分をお一人で食べて来て下さいね。それが食堂スタッフへの礼儀だということを、どうぞお忘れなく」
一方的にそれだけ言うと、私は彼にくるりと背を向けて席に戻った。あの人本当に、この学校の生徒なんだろうか? あそこまでバカで、よくも三年間ここにいられたものだ。
「夏希、大丈夫? なんなの、あれ」
隣の席から香奈子が呆れたように言う。まったくの同感だ。
「気にしないで、ただの阿呆よ。絡まれて心底迷惑してるの」
「私、あの人知ってる! あれ、三年の桜庭雅臣でしょ? 通称『俺様王子』」
さすがは未緒だ。しっかりと彼の正体を把握していたらしい。
「俺様王子? これ以上ないくらいピッタリのあだ名ね」
「夏希、彼に何されたの? ものすごい女ったらしだ、って噂だけど」
「……やっぱりね。和樹さんの言った通りだわ」
私は盛大にボヤいた。アホはアホでも、金と権力と二次元顔を兼ね備えたアホ。本当にたちが悪い。
「え、和樹さんって……もしかして、二年の秋本先輩?」
「そうよ。たまたまあいつに絡まれてたところに通りかかって、助けてくれたの。それでいろいろ情報をもらった、ってわけ」
好奇心むき出しの未緒をはじめ、男の子たちも心配そうにこちらへ寄ってきたので、私は渋々、金曜日の邂逅について一から説明した。もちろん、彼とのやり取りそのものは適当にお茶を濁し、言われた不快な言葉はほとんど教えなかったけど。
「なんだ、結局道に迷ったのか。やっぱり僕が付いて行けば良かったな」
「ごめんなさい委員長、結果的にはその通りになっちゃった。素直にあなたの忠告を聞くべきだったわ。後悔してる」
「いや、僕も油断したからあいこだよ。それにしてもひどい目に遭ったね。怪我は大丈夫だったのかい?」
「ええ。ちょっとすりむいただけだから、それはいいんだけど……」
問題はあの阿呆だ。まさかこれからちょくちょく、この教室まで押しかけて来る気じゃないでしょうね? そんなことになったら……クラスのお嬢様方の前で下手なことを言われでもしたら、それこそ何が起きるか────想像したくもない。
「それで? さっきはあの人、夏希にわざわざ何を言いに来たの?」
香奈子の問いに、私は苦笑しながら昼食に誘われたことを話した。今考えると、私たちが学食でお昼を食べていたまさにその時、彼はすぐ近くで、私を誘うためにせっせと部屋を確保する算段をしていたわけだ。滑稽にもほどがある。
「あんなにアホで、よく恥ずかしげもなくこの学校にいられるもんね。ここ一応、進学校じゃなかったけっけ?」
「何言ってるの、夏希。あの人、成績はすごくいいのよ」
「は!? ウソでしょ、未緒」
「ホント。試験は常に学年上位だし、おまけにスポーツ万能。家は大金持ちだし、長男で跡取り息子だし、しかもあの顔でしょ? 群がる女にはこと欠かない、ってもっぱらの評判なんだから」
「マジ? それでどうして、あんな簡単なことも判んない阿呆なのよ!?」
私は頭を抱えた。ふいに思い出すのは、金曜日、帰りの車の中で言っていた和樹さんの言葉だ。「学校の成績と、頭の良さは根本的に違うよ」───彼が言ってもあんまり説得力はなかったけど、桜庭先輩なら一も二もなく納得だ。勉強ができるアホ。生まれて初めて目の当たりにした。
「だけど今日、彼がここまで夏希を誘いに来たってことは、その秋本先輩の考えが当たってた、ってことよね」
「……え?」
「喧嘩の腹いせなら、個室の特別メニューには誘わないでしょう。これはたぶん、本気で夏希に興味を持ったんだわ。おそらくこのままじゃ済まないわよ」
香奈子の冷静な分析に、私は震え上がる。
「冗談じゃないわ、あんなヤツ! なんで私に!?」
「そりゃあ夏希が美人で、しかも彼をはっきり拒絶したからでしょ? 秋本先輩の言った通りよ。素直に自分になびかない相手だからこそ、あのワガママ坊ちゃんの気を引いたんでしょうね」
「人をバカにしてるわ! 私は新しいオモチャじゃないんだから」
何でも手に入るから、手に入らないものにより惹かれる。話にはよく聞くけど、そんなのはただの、ガキの我が儘だ。高校三年にもなって、しかも周りに女の子をわんさか侍らせてるくせに、何だって私にまでちょっかいを出そうとするのか。
「夏希、あの人に迫られたって言ってたけど……本当に大丈夫だったのか?」
心配そうに眉をひそめて聞いてきた飛島君に、私は無理に笑顔を向けた。
「ええ、大丈夫。噂の『壁ドン』とかいうものをされて、凄まれたただけ。その後すぐに和樹先輩が助けてくれたから」
「初対面の女の子にそんな脅しをかけるなんてひどいな。男の風上にも置けない」
アイドル顔に似合わぬいかめしい言葉が出た。あまりにハンサムだからチャラく見られがちだけど、飛島君は見た目とは正反対の誠実で優しい男の子だ。ちょっと古風なところもあって、女性に対する非礼は決して許さない。
「むしろ、言われた言葉の方がずっとひどかったわね。あの人、根本的に女をバカにしてるっていうか、人を侮辱しても平然としてるの。そのくせ、自分のプライドにかすり傷でも付けられたら、とたんにわめき出すし」
「いるいる、その手の男。甘やかされたお坊ちゃまの典型よね。この学校には案外多いかもよ、そういうの」
したり顔で言う未緒に、皆が頷いている。一学期分、私より長くここにいる彼らには、イヤというほど思い当たることがあるのだろう。
「一発ぶん殴ってやればよかったんだよ、夏希。なんなら、今からでも俺が行ってきてやろうか?」
「ストップ! 良、お前はまた過激なことを」
「けど直也、他にいい手があるか? 色恋沙汰は理屈じゃ片付かないぜ」
「いいからちょっと待てって」
金曜日の出来事によほど憤慨していたのか、物騒な気配満載の名村君を委員長が懸命に押しとどめている。熱血漢ですぐ熱くなる人だから、友達の危機ともなると黙ってはいられないのだろう。ありがたいことに。
「こっちから手を出したらアウトだ。相手は三年で、しかもかなりの権力者だぞ。そんなことしたら、逆に夏希の方が追い詰められる」
「そうよ。それに、一回殴ったくらいで諦めるような人だとも思えないわ」
窘めるような香奈子の言葉を聞きながら、私は苦笑した。
「みんなありがとう。私は大丈夫よ。暴力は揮えないけど、口喧嘩なら誰にも負けない自信があるしね。ただ、心配なのはこれからだわ」
そう、ここまでは何とか無事に乗り切った。しかし、今後もその状態が続くとは限らない。相手がどう出るかまるでわからないし、何より、このクラスのみんなを自分のトラブルに巻き込みたくないのだ。
「ちょっと私、もう少しあの先輩のことを探ってみるわ。今まではまったく興味がない人だったから適当に噂を拾ってただけだったけど、夏希が巻き込まれたのなら話は別よ。情報屋の面子にかけても、あいつの弱点を見つけてやる」
未緒の宣戦布告に、私は救われた思いで微笑んだ。
「ありがとう、未緒。なら、和樹さんから聞いた話を後で詳しく教えるね。少しは事前情報になるかも知れないし……それにあいつの他にももう一人、情報を集めて欲しい相手がいるから」
「え、誰?」
「あの男の婚約者、だって」
「ああ……そういうことか」
勘の鋭い未緒はすぐに事情を悟ったようだ。何もかも心得た、と言いたげな顔でフンフンと頷いている。
「まだ高校生の分際で婚約者がいるのか? それで夏希にまで手を出そうって? つくづくとんでもねぇ野郎だな」
「まあ落ち着いて、良。上流社会では珍しいことじゃないよ。この現代で、未だに政略結婚を繰り返してるような連中なんだから」
飛島君が宥めるように解説する。名村君はそれでも、憤懣やるかたない様子だ。
「なーにが上流だ。金持ってる、ってだけで威張りやがって!」
その通り、と私も思う。特に桜庭先輩の家は、自分たちで働いて稼いだお金ではなく、親から譲り受けた財産を転がして増やしてきただけに過ぎない。秋本会長のように、ご自身で立派な仕事をして得たお金ならまだ解るんだけどね。
「まあとにかく、しばらくはそれで様子を見ましょうか。具体的に何か起きる前に取り越し苦労をしても仕方ないしね」
クールな香奈子がそう言うと、私を除いた全員が頷いた。
「そうだな、未緒の情報収集に期待するか。それまでは────もしあの人がまたここへ来たら、僕たちでできるだけ夏希をガードすればいい。良、くれぐれも暴力だけは揮うなよ。相手に付け入る隙を与えないように注意するんだ。いいな?」
「判ってるよ、委員長。奴を殴らずに夏希を守ればいいんだろ?」
なんかちょっと、力点が違うような気もするけど。熱血漢はやる気満々だ。
「そういうことだ。基本的には相手が実力行使に出て来た場合のみ、僕たち男三人で何とかしよう。それから夏希」
「……はい?」
都築君が珍しく、笑顔を消して私を見つめている。私は一瞬、ドキリとした。
「事情は良く判ったけど……これからは、喧嘩する相手はなるべく選ぶこと。君の気持ちも解るけど、誰彼構わず言いたいことをそのまま言っちゃダメだ」
「…………」
「世の中には、理屈や正論が通じない相手もいる。何ごともはっきり言うのは痛快だし、君の一番いいところではあるんだけど……相手によっては、そうすることで君自身の身に危険を招き寄せる場合もあるんだ。聞いた限りでは、桜庭先輩はそういうタイプの危ない人だよ。我慢しろとは言わないが、言い方をちょっと変えれば無用な諍いを避けられるし、そもそも言い争う前に上手く逃げる、という手もあるんだからね」
「……うん。迷惑かけてごめんね、委員長。みんなも」
叱られてシュンとなった私に、彼はようやく笑顔を向けてくれる。他のみんなも同意見なのか、仕方ないなあ、といった苦笑いで私を見ているようだ。
「怒ってるわけじゃないんだ。ただ、ちょっと心配になっただけ。君はどうやら、トラブルに巻き込まれやすい体質をしてるみたいだから────今後のためにも、僕の言ったことを覚えておいてくれるかな」
「はい。肝に銘じておきます」
もしかして、この無用のトラブル吸引力が『ヒロイン体質』というものなのか?
彼の言葉が当たっているだけにまったく反論できず、私はただ殊勝な顔で小さくなっているしかない。
食堂へ行っていたお嬢様、お坊ちゃま方がちらほらと教室に戻って来ている。私たちはそこでいったん作戦会議を切り上げ、午後の授業に備えた。
その放課後。
昇降口で、私は待ち構えていた未緒と飛島君にガッチリ捕まった。
「夏希、今日は俺たちが家まで送るよ。帰り道が心配だからね」
「え!? い、いいよ飛島君、そこまでしなくても」
彼の提案に、私はびっくりして反対した。仲間にそんな迷惑はかけられない。
「ダメよ、夏希。私が聞いた噂に信憑性があるなら、あいつかなりヤバいよ。この学園の女子であの人の餌食にされた人数、知ってる? 噂になった人だけでも軽く二桁越えてるんだから。転ばぬ先の杖よ、避けられるもんなら避けるべきだわ」
情報通の未緒に言われると、俄かに心配になってくる。
「だけどどうせあの人、帰宅は送迎車でしょ? そんな人が途中で車下りてまで、ストーカーみたいなことして来るかな?」
「それは判らないけど。今日は初日だし、念のためだ。何かあってからでは遅い」
「…………」
断固とした飛島君の口調に、私は気おされて黙り込んだ。日頃の優しい笑顔とはまるで正反対の険しい表情。これはたぶん、本気で怒ってるな。
「判った。じゃあ……よろしくお願いします」
諦めて頭を下げ、二人に両側をガードされて私は帰路についた。名村君と香奈子は部活、都築君は各クラス委員による定例の連絡会のため、まだ学校に残っているという。残った仲間二人による頼もしいボディガードだ。
私はその道すがら、未緒に和樹さんからの情報を伝達した。桜庭先輩の執着心と女性関係のだらしなさ、呆れるほどの俺様ぶり。桜庭家の資産額の大きさや家業のこと、そしてそれに絡んだ婚約者────鷺宮遥香先輩のこと。
「鷺宮遥香? 二年の?」
「うん。飛島君、知ってるの?」
私たちの会話を横で黙って聞いていた飛島君が、そこで急に口を挟んできた。
「いや、直接本人は知らないよ。でも鷺宮家なら……もしかすると、未緒とは別のルートから何か手を打てるかも知れない」
「…………」
私と未緒は無言で顔を見合わせた。別ルートってことは、彼のご両親経由?
「いや、両親にも一応は聞いてみるけど、そっちは子供世代のことまではほぼ守備範囲外だ。それより親戚に一人、あの家と繋がりのある人がいたと思うから」
「でも飛島君、ご親戚とは没交渉なんじゃないの?」
「基本的にはね。でも一人だけ、昔から俺を可愛がってくれた従兄がいて、その人が確か、鷺宮遥香さんのお兄さんと知り合いだったはずなんだ。今は仕事で海外にいるからちょっと時間がかかるとは思うけど、うまく行けばいい伝手が見つかるかも知れない」
それはありがたい。あの乙女ゲームのこともあるし、正直言って鷺宮先輩に関しては、桜庭先輩のこと以上に気がかりなのだ。
「今日、帰ったら早速連絡してみるから……夏希、そう心配しないで」
フッ、と誰もが見とれるような優しい笑顔を見せる。こんな時にこんな顔をされると、いけないと判っていてもつい頼りたくなってしまう。
「夏希、君はしっかりしてる分、危機感が足りないところがあるから心配なんだ。直也が言ったのも、きっとそういうことだと思う。俺たちでできる限り守るけど、女の子なんだから君も十分に注意してくれよ」
「……うん」
危機感が足りない、か。自分ではあまり考えてなかったけど、そうなのかな?
委員長に続き飛島君にまで説教されて、私は地味に落ち込む。
「そうね。気が強い人って、日頃は無意識のうちに油断しがちだから。でも大丈夫よ、夏希。あの先輩だって、秋本氏のお気に入りであるあなたに、まさか物理的な攻撃までは仕掛けて来ないでしょ? いざとなったら私が弱みを握って、あいつを必ずやっつけてやるからさ!」
「うん。ありがとう……二人とも」
なんていい友達だろう。嬉し涙が出そうだ。
その日は結局、何ごともなく家まで辿り着いた。飛島君が周りに注意してくれていたようだが、車で尾行された様子もない。とりあえず自宅を知られる恐れだけはなくなったことにホッとしながら、私は二人にお礼を言ってマンションに入った。
────そして。
翌日からの約一週間、私たちは恐れていた事態にモロに直面することとなった。昼休みといわず放課後といわず、一年B組は桜庭先輩の度重なる襲撃を受け、私と仲間たちはその対処に追われることになる。学食での昼食を断ったせいか、今度はどこからか仕入れてきた高級弁当を私に押しつけようとしたり、帰りは車で家まで送ると言って聞かなかったり。教室の中にまで勝手に入ってきて私に話しかけようとするし、いったん入って来るとなかなか出て行かない。まわりの迷惑などまるで眼中にはないようだ。
驚いたのはクラスメイトたち。一般生徒はその大部分が、初日の来訪でうすうす事情を察してくれていたが、お嬢様方はそうは行かなかった。ただでさえ彼らから評判の悪い私なのに、それに輪をかけてここぞとばかりに攻撃してくる。ちょうど一週間目の水曜日、放課後の襲撃を撃退した頃には、私もみんなもすでに精根尽き果てていた。
「ちょっとこれ、何とかしないとまずいよ。こう毎日やって来られたんじゃ、安心してトイレにも行けやしない」
机に突っ伏した未緒が、ぐったりと声を上げる。男の子たちは完全に呆れ顔だ。
「あいつ、どんだけヒマなんだ。本当に三年なのか?」
「私が最初に会った時は、放課後の中庭で暢気に昼寝してたよ」
憮然とした表情の名村君にそう答えると、比較的冷静だった委員長と香奈子も、苦笑いしながら感想を述べた。
「三年のクラス棟から女の子一人のために、毎日せっせとここまで通って来るんだからね。あんまり尊敬できる先輩じゃないね」
「他にやることないのかしら。夏希の言う通り、正真正銘のバカね、あれは」
香奈子は日頃の言葉遣いはとても女らしいが、いざ毒舌を吐く時は強烈なことを平気で言う。彼女の言葉に誰からともなく笑い出し、私たち六人はそのまま、重い足取りで教室を後にした。
「そうだ、夏希。こんな時に何だけど……悪いニュースよ」
「今度は何? 未緒」
「あいつの行動が鷺宮遥香にバレたみたい。二年の女子の間で、取り巻きともども大騒ぎになってる、って話だったわ」
「うわ……最悪だ」
頭を抱えて呻く私に、後ろから男の子たちが優しく肩を叩いてくれる。
「夏希、心配しないで。大丈夫、俺たちでできるだけフォローするから」
「いざとなったら僕から先生にも協力を仰ぐよ。高杉先生なら助けてくれるさ」
「そうだぞ、夏希。元気出せ!」
「……うん。ありがとね、みんな」
このままあのゲーム通り、鷺宮先輩から嫌がらせされることになるんだろうか。何だって私がこんな目に遭わなくちゃならないんだろう。
理不尽な運命に呪いの言葉を吐く私に、その二日後、さらなる不運が見舞うことになろうとは、その時はまだ誰ひとり、予想だにしていなかった。