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無敵ヒロインの学園始末記  作者: 桂木 玲
第二章  秋学期 ~俺様王子と悪役令嬢~
14/50

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「ほら、飲み物だよ。大丈夫?」

 建物の間の小広場にあるベンチに座った私は、近くの自販機で和樹さんが買ってきてくれた暖かいお茶を受け取り、一口飲んで頷いた。まったく、今日は厄日だ。迷子になったあげくあんな性悪男に絡まれて、しかも、よりにもよってその現場をこの人に見られるなんて。

「大丈夫です。秋本先輩、どうしてこんなところにいらっしゃったんですか?」

「生徒会室に行ってたんだよ。急な仕事を頼まれちゃってね」

 苦笑いしながらそう言う和樹さんに、私はちょっと驚いて問い返す。

「あれ、先輩って生徒会役員だったんですか?」

「いや、違うよ。ただ、今の副会長と個人的に親しいから、時々こうやって雑用を頼まれたりするんだ。終わって出てきたら、すぐ近くから君たちが争っているのが聞こえてきて驚いた」

 ああ、そういうことか。確かに委員長が言った通り、生徒会室のある学生棟は、特別教員棟のすぐ隣だった。

「……そうだったんですか」

「ああ。何だってまた、あの面倒な人に絡まれるような羽目になったの?」


 和樹さんに尋ねられ、私はここまで来た事情と、道に迷って彼に声をかけられた経緯までを話した。だが、なぜあんなことになったのかは……どう言って説明したもんだろう。

「秋本先輩も、桜庭先輩をご存知なんですか?」

「そりゃ知ってるよ。あの人は、この学園でも屈指の有名人だ。それに、父さんの関係のパーティーなんかでもよく顔を見かけるしね」

「あの人もお金持ち?」

 おそらくそうだろうとは思ったが、案の定、和樹さんは即座に頷く。

「資産だけなら、もしかするとうちより多いかも。いわゆる素封家という奴だね」

「素封家?」

「うん。もともとは、『官位や領地はないが金だけはある』って意味だったかな。現代風に言えば、企業家としてはたいしたことないけど、先祖代々受け継いできた財産ならものすごい額を持っている────そういう家の出だ」

「へえ……」

 だからあんなに傲慢なのか。周りに群がる女の子たちを含め、誰からもチヤホヤされて育ってきた世間知らずの我が儘息子、というわけだ。


「それで? 迷子になって、桜庭さんに道案内されて……で、何があったんだ?」

 あんまり言いたくない。何とか誤魔化す方法はないものだろうか。

「たいしたことじゃありません。もう大丈夫ですから」

「そういうわけには行かないよ。怪我までさせられて、黙ってるつもり?」

「言うほどの怪我じゃありませんし。絆創膏を貼っておけば治ります」

「…………」

 頑なに口を噤んでいると、和樹さんは軽く溜息をついた。

「夏希さんらしくないね。よほど言いにくいことでもされたの?」

「そうじゃありません! ただ、この程度のことで秋本会長にご心配をかけたくはありませんから」

 そう言うと、彼は小さく苦笑する。

「父さんには言わないよ。でも、君以外に誰も事情を知らないとなると、あの人のことだからまた何か良からぬことを仕掛けてくる可能性がある。だから一応、念のために僕も知っておきたいだけさ」

 やんわりと追求されて、私はついに観念した。渋々ながら、彼に罵倒され、迫られた経緯を説明する。和樹さんはひと通り聞き終わると、やれやれ、と言いたげな顔で頭を抱えた。


「またずいぶんと厄介な人に目を付けられちゃったねえ。面倒なことにならなきゃいいけど」

「……やっぱり?」

「ああ。桜庭さんは、かなりしつこい人だって噂だよ。いったん執着すると、自分の手に落ちるまでは絶対に諦めないタイプだ、って。物も、人もね」

「でも私、相当怒らせちゃいましたよ? もしかして報復対象ですか?」

「うーん、それは何とも言えないなあ」

 和樹さんは唸るようにそう言うと、私に向かって恐ろしい可能性を示唆する。


「夏希さん、君は彼の告白をバッチリ撥ねつけたんだろ? そうなると、考えられるのは……報復か、あるいはむしろ、本当に君を恋人にしようと追いかけ回すか、そのどちらかだろうね。日頃はまわり中の誰もがあの人の言いなりで、逆らう人間なんか一人もいなさそうだし。そういう人ほど、自分に対して明確に反論してくる相手に出会うと、かえって躍起になって手に入れようとするんじゃないかな」

「あんなの、まともな告白なんかじゃありません!」

「と思ってるのは君だけ、かも知れない。向こうは案外、本気だったのかも」

「やめて下さい! 気色の悪い!」

 思わず身を震わせて叫ぶと、和樹さんは楽しそうに笑い出した。


「君って本当に面白いよね。あの人が気色悪い? 言っとくけど、桜庭さんはこの学園でもメチャクチャもてる人なんだよ。三年生の女子の間では、『王子』なんて呼ばれてるらしい」

「あんな俺様のどこが!? いいのは顔くらいじゃないですか!」

 今度こそ、和樹さんは声を上げて笑っている。もう、人ごとだと思って。

「そこが面白いんだよ。普通女の子って、顔がいい男には無条件でなびくものなんじゃないの? だが君は、あの人に迫られてもまったく動じてない。考えてみれば凄いことだ」

「和樹先輩、からかってるんですか!?」

 動じてないどころか。生理的嫌悪感にも似た気味の悪さで今にも気絶しそうだ。


「いや、ごめん。でも、悪い意味じゃないよ。むしろ褒めてるつもりだけど」

「…………」

「桜庭さんの言うことにも一理あるよね。顔や家柄、親の財産だけで近寄ってくる女の子があまりにも多いから、寄って来られる男の方も自然と裏の意味を悟って、相手に対して次第に悪感情を抱くようになるんだ。でもそれって、男側だけの責任なのかな?」

 確かに。顔目当て、お金目当ての相手ばかりに囲まれてたら、女性不信に陥ったとしても不思議じゃないかも知れない。

「何だか実感こもってますね。和樹先輩も似たような目に遭ってるんですか?」

「自慢するわけじゃないけどね。あの父さんの息子だから、ある程度は仕方ないと諦めてる。でもだからこそ、財産にもイケメンにも興味を示さない君が新鮮だ、というのはあるかな」

「別に私、イケメンが嫌いなわけじゃありませんよ。カッコいい男の子は私だって大好きです。ただ、できれば不必要な大金とは無縁の人がいい、ってだけで」

 口を尖らせて本音を漏らすと、彼はまた楽しげにケラケラと笑う。


「不必要、ね。そう言い切れるところが凄いと思うんだ。お金って、あって邪魔になるもんじゃない、って言われてるだろ? だけど実際には、僕らのようにお金が邪魔をして、他人を信じられなくなる人間もいるわけで。そのことを、今まで大金に縁のなかった君がちゃんと理解してる、ってところに感心するんだよ」

「和樹先輩、もしかして庶民を舐めてませんか? そのくらいのこと、私じゃなくたって、ちょっと考えれば誰にでも解りますよ。大金を持つことは、必ずしもいいことばかりじゃない、って」

 そう反論した私に、和樹さんは何故かひどく優しい目を向けてきた。

「それでも、多くの女性たちがそうは考えないんだよ。その大金を労せずして手にする機会が自分にも巡って来たら────しかもいい男付きだったら、躊躇わずにそれに飛びつく。でも君には、そういった浅ましさが欠片もない。今もまだ一切の迷いなく、自分は一庶民だと堂々と断言できる。それは頭で考えるより遙かに凄いことだと、僕らは身をもって知ってるからね」

「それだけが私の取り柄ですから。あんな凄いマンションに住まわせて頂いても、庶民感覚だけは絶対に忘れたくありません」

「……なるほどね」


 そう。私が秋本会長のお世話になるのは、長くても大学を卒業するまで。その後はもう、就職も結婚も私自身の問題だ。学園内に流れている不穏な噂とは裏腹に、私が秋本家の養女になってどこかの金持ちと政略結婚するとか、ましてや、会長が私のことを息子の結婚相手として考えてる、なんてことは間違ってもあり得ない。それはもう、会長から予めきちんと確約を取ってある話なのだ。

「君に対する援助は、あくまでも亡くなったご両親への償いというだけだ。学校を卒業した後まで、君の人生を縛るような気は毛頭ないからね。もちろん、君が自発的にうちの会社に就職してくれたり、あるいは息子と仲良くなって将来に渡る絆を築いてくれたりしたら、それは私にとって何より嬉しいことだけど………だからといって、それを強要するようなことは絶対にしない。それだけは約束するよ」

 彼のあの言葉が、私の心にどれほど大きな安心感を与えてくれたことか。なればこそ、私は自分がただの庶民に過ぎない、ということを決して忘れてはならないのだ。大学卒業まで、早ければあと七年。その時点をもって、私のエセ金持ち生活は間違いなく終わりを告げるのだから。



「和樹先輩。私、どうしたらいいですか?」

 あのめんどくさい先輩のことを。単なる報復なら自力で対処することも可能かも知れないが、もしも本気で手を出して来るようなら────彼氏いない歴が年齢になってる私なんかでは、とても太刀打ちできる気がしない。

「うーん、確かにめんどくさいよね。できるだけ避けるのが一番だけど、その程度で諦めるような人じゃないし」

 珍しく弱気になった私の問いかけに、和樹さんはちょっと驚いたようだ。それもそのはず、今までは彼にかなり冷たく当たっていたのだから、突然手のひらを返したように頼られても、先輩だって戸惑うだろう。


「あの人、そんなに厄介な人なんですか?」

「そうだね。はっきり言って、評判は良くない。さっき言ったような執着もそうだけど、そもそもあの人、すでに婚約者がいるんだよ。それも、自分の家よりすごい家の典型的お嬢様が」

「…………」

「なのに、モテるのをいいことに手当たり次第に女の子を落としてるとか、適当に遊んだ後はあっさり捨てて顧みないとか。それでも、あの容姿に惹かれて次から次へと女の子が集まって来るから、自分のやってることが悪いことだとは思わないんだな。自分に逆らう人間や、自分に愛されて喜ばない女性なんか一人もいない、と信じ切ってる」

 まさに俺様だ。少なくとも私は、あんな奴に惚れられたら虫酸が走るけど。

「本当にどうしようもない男ですね。そんな奴、社会に出たらまったく使いものにならないじゃないですか」

「あの家は別。ファンド系だから、一般的な社会人としての資質なんかより、資産運用のための知識や実績の方が重要なんだ」

「ファンド系? もしかして、大規模な金貸し?」

「そういうこと。しかもあの家は、自分たちに経営の才覚がないことを良く知っているから、会社運営の方は人を雇って賄ってるんだ。オーナーの一族に求められるのは、金をかき集めてくるための人脈と、投資に必要な判断力だけ。だから、彼の婚約者は確か、金融業界の大物の令嬢かなんかだったと思うよ」

「へえ……和樹先輩、さすがに詳しいですねえ」


 軽い気持ちで聞き流していた私は、和樹さんの次の一言で飛び上がった。

「そういえば、その婚約者のお嬢様もこの学園にいるんだよ。僕と同じ学年に」

「え!?」

鷺宮遥香(さぎのみやはるか)さん。知ってる?」

「い、いいえ」

「夏希さんが知るわけないか。あの子もちょっと、面倒といえば面倒なんだよな。取り巻きを大勢引き連れて、二年の女子を仕切ってる。直情径行というか、気性が激しくてね。陰でこっそり、『ヒステリー遥香』なんて呼ばれてるよ」


 ────鷺宮遥香。うわ……桜庭ルートの悪役令嬢じゃないか。どうしよう!


「あの……和樹先輩。もし桜庭先輩が私に付きまとって来たとして、ですね。そのことが、その婚約者のお嬢様に知れたら………」

「あ! 言われてみれば……もしかしなくてもまずいよなあ、それ」

 否定して下さい、和樹さん! 心の中で思いっきり懇願するが、彼の表情は私の期待とは裏腹に、どんどん苦いものに変わっていく。

「鷺宮さんは桜庭さんにかなりご執心だ。今までにも確か、桜庭さんが引っかけた女の子たちに何かしたとか、しなかったとか……」

「ちょっと、和樹先輩! 不安になるようなこと言わないで!」

 冗談じゃない。このまま行けば、『ヒロイン対悪役令嬢』のゲームシナリオ通りになっちゃうじゃないの! 私はそんなものに巻き込まれたくなんかないのに。



 その時────ふっと和樹さんが笑った。今までの可笑しそうな笑いとは違う、小さくて深い微笑。

「いいね、それ」

「……はい?」

「その呼び方。これからは『秋本先輩』じゃなく、そっちで呼んでくれないかな」

「…………」


 ────あれ? 私、彼のことをいま何と呼んだ?


「『和樹先輩』って。その方が、少しは親しみがある。君は気づいてなかったかも知れないけど、今日は夏希さん、途中からずっとそう呼んでくれてるよ」

「あ……」

 しまった。桜庭先輩のことでそれほど動揺していたのか。それとも、頭の中ではいつも『和樹さん』で考えてたから、無意識のうちにそれが出てしまったのか。

「す、すみません、私……」

「謝る必要なんかないよ。やっと名前で呼んでくれたんだから」

「いえ、これはちょっと、口が滑っただけです。これからも『秋本先輩』でお願いします!」

「ダメ。その呼び方、好きじゃないんだ」

「でも……」

 抵抗する私を強引に黙らせて、和樹さんは腹黒さ全開の笑みで私を脅す。

「言うことを聞いて。そうじゃないと、今日のことをすべて父さんに話すよ」

「!」

「桜庭さんに告白されたことも。君が怪我をさせられたことも。それを聞いたら、うちのお父さんどうするかなあ? 桜庭家に殴り込みに行くかもね」

「嘘つき! 黙っててくれるって言ったのに!」

「もちろん黙ってるよ。僕を名前で呼んでくれるならね」

「そんなこと言うと、これからは『腹黒先輩』って呼びますよ!」

「ひどいなあ。それじゃ僕は……どうするかな。桜庭さんをけしかけて、君にもう一度告白してもらおうか。あの人、何か勘違いしてるみたいだったから、僕が味方するって言ったらきっと喜ぶんじゃないかな?」

「うっ……」


 ああ言えばこう言う、何という腹黒さ。私はついに根負けして白旗を上げた。


「もう……判りました、先輩」

「ん?」

「判りました、和樹先輩!」

「はい、良くできました」


 ────やられた。腹黒男に完敗だ。

 やはりこの人相手に油断してはいけなかった。自分の間抜けさに溜息が出る。


「和樹先輩って性格悪いんですね」

「今ごろ気づいた? そんなわけないよね。最初から、君は僕を警戒していた」

「そうじゃないんです。いろいろと事情があって……」

「事情?」

 怪訝そうに問い返され、私は慌てて口を噤む。あのゲームのことを言うわけにはいかないんだったわ。

「いえ、何でもありません。とにかく私、この学校に関わる人はすべて、警戒して当たるようにしていただけですから。先輩だけ特に、ってわけじゃないのであまり気にしないで下さい」

「? なんだかよく判らないけど。とにかくもう、これからはあまりよそよそしくしないで欲しいな。父さんにはあんなに親しげなんだから」

「……はい。気をつけます」



 その後、私は和樹さんに連れられて無事に一年のクラス棟に戻った。建物の前で彼といったん別れ、教室へ向かう。ここを出てからかなりの時間が経ってしまったため、当然のことながらクラスメイトたちはすでに全員が帰宅している。

 誰もいない教室に置いてあった自分の鞄を取ると、私はそのまま昇降口へと向かった。玄関を出たところで、見覚えのある黒塗りの車がスッと滑り込んで来る。

「夏希さん、家まで送るよ。乗って」

 後部座席に座った和樹さんの声。私は恐る恐る、彼の隣の席に乗り込む。

「いいんですか? こんなところまで車で入ってきて」

 確か、生徒用の送迎車はそれ専用の停車場所があったはずだ。こんな校舎の目の前まで乗り入れるなんて見たことがない。

「放課後は午後四時半を過ぎると、校内どこでも通行可能なんだ。ほとんどの人が帰った後だからね」

「へえ、そうなんですか。知りませんでした」

 私のような徒歩通学組には縁のない話だ。私は好奇心半分で軽く聞き流す。


「徒歩通学、大変じゃない?」

「いいえ、全然。二十分もかかりませんから」

「でも、君は病み上がりだし。雨の日なんかは辛いだろう?」

「そうでもありませんよ。歩く方はもう、ほぼ元通りですし、雨くらいで歩けなくなるようじゃ庶民の名が泣きます」

 意気込んでそう答えると、和樹さんはまた楽しそうに微笑む。

「それにしても、父さんがよく認めたな。てっきり君にも送迎車を用意するんだと思ってたのに」

「そういうお話もありましたが、全力でお断りしました。そんなことしたら、友達と帰りに寄り道できなくなるじゃないですか。そんなの淋しいですよ」

「友達? もうできたの?」

「ええ、五人も。みんなすごくいい人たちですよ」

「……羨ましいな。それが普通の高校生なのか」

 切なげな溜息に、私は思わず横を向いて彼の顔を見直した。セレブのお坊ちゃまも楽じゃないらしい。友達といっても、家やら親やら、さまざまなしがらみの中で作る友達は、きっといろいろと厄介な問題も多いのだろう。つくづく普通の庶民で良かった、と安堵せずにはいられない。


「ところで夏希さん、明日からの連休はどうするの?」

 九月第四週。数年前から、『シルバーウィーク』と銘打った秋の大型連休が導入されている。今年は明日の土曜日から五日間だ。

「秋本会長から聞いてませんか? 会長ご夫妻が、両親のお墓参りに連れて行って下さるんです。二日間の検査入院もあるので、それで連休はほぼ終わりですね」

 今年の初盆はちょうど退院時期と重なり、墓参りどころではなかった。だから、彼岸の時期に初参りを、と会長と奥様がわざわざ一緒に行って下さることになったのだ。伊豆の海を見下ろす秋本家の別荘に一泊し、その近くに新しくできたお墓へお参りすることになっている。


「そうか、忙しいんだな。ただ、桜庭さんの件は、休み明けにきっと何らかの動きがあると思う。せっかくのご両親との対面前にこんな話で済まないが、少しは心の準備をしておいた方がいいかも知れないよ」

「そうですか。────判りました、それじゃ連休最後の日にちゃんと思い出しておきますね。ご心配頂いてありがとうございます」

 あんな奴のために、休み中ずっと不快な思いをさせられてたまるもんか。最終日にちょこっと思い出して、週明けに備えれば十分だろう。

「さすが、切り替えが上手いね。頭のいい人は違うな」

「あら、和樹先輩だって頭いいでしょ? 聞きましたよ、学年十位以内から落ちたことがない、って」

 『情報屋』未緒からのデータだ。彼女は私と友達になったのを機に、秋本一族についてもいろいろと調べているらしい。時々、知り得た情報をこうして私にも教えてくれる。

「学校の成績と、頭の良さは根本的に違うよ。僕はきっと、君には敵わない」

「何言ってるんですか。仮にも先輩なんですから、弱気なこと言わないで下さい」

「仮にも、はひどいな。夏希さんは本当に容赦がない」

 彼の苦笑に、私も思わず笑い出す。この前会った時のことを考えたら、ここまで彼と話ができるなんて意外も意外、予想外だ。図らずも訪れた交流の機会に、私は不思議な思いに駆られる。


 ───案外いい奴じゃないの、攻略対象その1。あの腹黒ささえなければなあ。



 そんな私の思いを知ってか知らずか、マンションに着いて私が車から降りる時、和樹さんは実にスマートに一枚のメモを差し出してきた。

「これ、僕の連絡先。桜庭さんのことで何か困ったことがあったら知らせて。電話でもメールでも構わないから」

 不意を突かれて、反射的にその紙を受け取る。開いてみると、携帯電話の番号とメールアドレスが、いつか見た綺麗な字で記されていた。

「先輩……ありがとうございます」

「それじゃまた。旅行、楽しんでおいで」


 それだけ言うと窓を閉め、すぐさま走り出す。思いがけない一連の出来事に私は呆気に取られて、しばらくの間その場に立ち尽くしていた。




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