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────どうしてこんなことになっちゃったんだろう?
全身のあちこちに大仰な包帯を巻かれ、ご丁寧に腕と足にはギプスまで施されて強制的に寝かされたベッドの上で、私は何度目かの深い溜息を漏らした。
念願だった県内一の進学校に無事合格を果たした十五歳の春。入学前に、久々の家族旅行にでも行こうか、と張り切った両親に連れられて高速道路を疾走していた時、突然突っ込んできた大型トラックに真横から追突されて、両親はあえなく即死した。一人生き残った私も、今はこのザマ。頭と顔が無傷だっただけでも奇蹟だ、と誰もが口を揃えてのたまう。
季節はすでにゴールデンウィークを過ぎ、窓の外は春爛漫のうららかさだ。見上げる空は、私の恨めしげな思いなど素知らぬ顔でキラキラと、無駄に明るく輝いている。事故で意識を失っていた間に、桜の季節も、楽しみにしていた高校の入学式も、すべてが私を置き去りにしたまま、遙か彼方へと過ぎ去ってしまったらしい。
「八木沢さん、八木沢夏希さん」
「……はい」
<面会謝絶>の札がぶら下げられたままの個室のドアが開き、陽気な笑顔の若い看護師さんが顔を覗かせた。仏頂面で返事を返す私を半ば無視し、キビキビとした動作で中へ歩み入ってくる。
「八木沢さん、気分はどうですか?」
「はあ。相変わらずです」
「そうですか。実はね、夏希さんにお客様が見えているのよ」
「へ? お客?」
何度も言うが、私は現在面会謝絶状態だ。事情聴取のため今か今かと私の回復を待ち構えている警察の人とも、心配して何度も病院に押しかけてくれた中学時代の仲間たちとも、まだ一度として会えていない。なのに……お客様?
「会ってもいいんですか?」
「ええ、先生から特別に許可が下りましたから。どうやらとても重要な方みたい。刑事さんたちでも止められなかったらしいわ」
クスリ、と笑う看護師さんの謎めいた言葉に、私はますます首をかしげた。警察よりも優先される面会客。いったい、どこの誰だ。
「失礼します」
突然、男の声が響き、看護師さんに案内されて若い男性が入室してきた。
見た目、二十代半ば。高級そうなスーツをビシッと着こなしている。長身で端正な顔立ちのイケメンだが、どこかとっつきにくい印象。
「あなたが八木沢夏希さん、ですか」
「はい。失礼ですがどちら様でしょうか」
夏希さん、でひと呼吸置いた後、急激に下がった語尾が感じ悪い。何をがっかりしてるんだろう。正真正銘、私は八木沢夏希だ。歳上の男性に敬意を表し、丁寧な受け答えを心がける私を立ったまま見下ろして、彼は胸元から一枚の紙切れを差し出す。
「失礼。私はこういう者です」
「…………」
こういう者、と言われても。普段なら差し出された名刺を受け取って見れば済む話なんだろうが、今の私は身動きもままならぬ怪我人。こいつ、この腕のギプスが目に入らないわけ?
気を利かせた看護師さんが名刺を受け取り、ベッドごと上半身を起こしてそれを胸の前に置いてくれた。まず目に入ったのは、何だかやたら長ったらしい肩書き。そして彼の名前。
「秋本貴史さん?」
「はい。このたびは我が社の関係者が大変なご迷惑をおかけ致しまして、お詫びの言葉もございません」
ああ……ようやく解った。
この人、事故の関係者なんだ。といっても、警察から看護師さんを通して聞かされたのは、あれが東名高速のハデな玉突き事故だった、ということだけ。巻き込まれた内の一台、おそらくは直接うちの車にぶち当たったトラックが、この人の会社のものだったのかも知れない。
「もしかして、あのトラックの会社の方ですか?」
「いえ、そうではありません。実は……」
そこで私は初めて、およそ考えもしなかった驚くべき事故の実態を、彼の口から聞かされることになった。
なんでも、両親の直接の死因はトラックに追突されたことだが、そのトラックを含めた数台の車を迷走させたものは、制限スピードを無視して突っ走っていた一台のバイクだったらしい。ハイウェイパトロールに追っかけられ、それでも懲りずに長距離を逃げ回ったあげく、ハンドル操作を誤ってスリップし、被害車輌の最初の一台に激突した。
何と言っても高速道路である。そこにいる車輌はすべて、一般道のちんたらしたスピードでは走っていない。追突された車はすぐ横の車線を走っていた別の車に接触し、後ろから来た車も止まりきれずに車線を外れ……最終的には例のトラックがうちの車に体当たりすることになった、というのが真相だったようだ。
当たりどころが良かったのか悪かったのか、普通なら後部座席に座っていた私なんかは真っ先にあの世へ行っていただろうが、真横から車の前部、つまり運転席と助手席部分に向かってまっしぐらに突っ込んで行ったため、かろうじて後ろの席にいた私だけが助かったのだという。
「そうだったんですか……」
「はい。それで、大変申し上げにくいのですが……そのオートバイを運転していた男というのが、我が家の親戚筋の者でして……」
「え?」
その言葉に引っかかって、私は思わず声を上げた。男───秋本氏は相変わらずの無表情で、銀縁メガネを光らせながら淡々と続ける。
「お恥ずかしい話ですが、親戚中から爪はじきにされているような、どうしようもない道楽息子でして。このたびも新たに手に入れたバイクに有頂天になり、法定速度を大幅に超えて暴走していたために起きた事故だったらしいのです」
「ちょっと待って下さい。秋本さん、先ほどは『我が社の関係者』って仰いませんでした? それがご親戚って……どういうことなんでしょう?」
すると、黙って枕元に立っていた看護師さんが小声で私に囁く。
「夏希さん。秋本さんはね、とっても大きな企業グループの、会長さんのご子息なのよ。私も良くは知らないけど、そういう会社のトップの人って、『我が社』も『我が家』もあまり変わらない感覚なんじゃないのかしら」
「そういうものなんですか?」
「ええ、おそらく。いずれにせよ、秋本さんは会社と秋本家を代表して、あなたに謝罪にいらしたの。それだけを知っていれば、細かいことはあまり気にしなくてもいいんじゃない?」
「………」
混乱したまま黙り込んだ私を前に、秋本氏は親切に解説してくれた看護師さんに向かって軽く会釈を送る。いくら一番の高校に合格できる学力があるといっても、私はまだ高校生、いや、その高校にすら行けていない中卒の学生だ。そんな社会の慣習までは、全然知識の内にはない。
「つまり……私の両親はその道楽息子さんのせいで死んだ、ということですね?」
「本当に申し訳ありません」
今さらどんなに謝られたって、死んだ人間は決して帰ってこない。大企業のIT開発技術者として生き生きと働いていた両親。二人とも、数年前に他社からヘッドハンティングで転職してきてからというもの、忙しくはあったが実に楽しそうに日々を送っていた。出張だ、徹夜作業だといつも大騒ぎで、あまり家にはいなかったが、二人とも私のことは本当に可愛がってくれた。今回の旅行だって、日ごろのほったらかしの罪滅ぼしに、と無理を承知で休暇を取り、私のためにわざわざ計画してくれたのだ。
それなのに────こんなことで死んじゃうなんて。
「事情は判りました。後のことは、警察の人と話してからにして下さい」
湧き上がる涙を堪え、つとめて平静にそう言った私は、今はこれ以上、この人と話したくはなかった。彼のせいではない、それは私にだって解っている。それでもこんな冷たそうな人の前で、明るく優しかった両親への涙を見せたくはない。
ところが。
「いえ、八木沢さん。本来なら、このような状況でお願いできることではないのですが、どうしても今、あなたにお話しておかなくてはならないことがあるのです。もう少しだけ、お付き合い頂けないでしょうか」
「……何ですか」
返す言葉が投げやりになってしまったのは勘弁してもらいたい。とにかく今は、一刻も早く一人になりたいのだ。
そんな私の気持ちも知らず、秋本氏はとんでもないことを言い出した。
「その、事故の主犯である男のことなのですが……幸いにして彼と我が社や秋本家との関係は、今のところ公にはならずに済んでいます。しかし今後、そのあたりのことをマスコミに嗅ぎつけられる可能性はまだ残っておりまして」
そりゃそうだろう。そんな大企業の一族が絡んでいるなら、ハイエナと称される日本のマスコミが放っておくはずがない。
「それで?」
「大変厚かましいお願いだとは思いますが、八木沢さんのところへ事故の取材等が参りました時は、できればそのことは伏せておいていただけないかと……」
「はい!?」
こんな時にいったい何を言い出すんだ、この人は。
「もちろん、ご迷惑をおかけしたお詫びとして、私どももできる限りのことはさせて頂きますのでご安心下さい。八木沢さんの今後の治療に関してはすべてこちらで負担する、と会長である父も申しております。さらに退院後の生活についても十分な補償を考えておりますし、ご両親の葬儀等の費用も……」
「帰って下さい!」
────これ以上、我慢できない。
この事故を、両親の死を、そして私の将来を、お金で買おうと言うのか。お金をやるからマスコミには黙っていて欲しい? バカにするんじゃないよ!
「いったいどういう神経をしてるんですか、あなたは。黙って聞いてれば、勝手なことばかり並べ立てて!」
「………」
「お金をやるから都合の悪いことは言わないでくれって? もとよりそんなこと、マスコミにリークするつもりなんてありませんよ! 私を何だと思ってるの!?」
「夏希さん!」
看護師さんが慌てて私に呼びかける。いまやすっかり身を起こし、怒りを込めて秋本氏を睨みつけながら、私はようやく落ち着いてきていた全身の痛みが、またもぶり返してくるのを感じていた。
「人をバカにするのもいい加減にして! お金持ちなら何言っても許されるとでも思ってるの? 私、ずっと意識がなかったから、両親のお葬式にも出られなかったんですよ! なのに……」
────泣くまい、決して。この男にだけは、弱みを見せてたまるもんか!
「八木沢さん、誤解です。そのような意味ではありません。私はただ……」
困惑したように言葉を紡ぐ男に、傍らの看護師さんが断固とした声を上げる。
「秋本さん、すみませんが今日もうお引き取り下さい。これ以上のお話は患者さんの容態にかかわります。夏希ちゃんはまだ未成年なんですよ!」
「しかし……」
「聞こえなかったんですか? どうぞお帰り下さい!」
有無を言わさず、彼女は秋本氏を引きずって病室の外に放り出した。そのまま踵を返し、私のいるベッドに走り寄ってくる。
「夏希ちゃん、大丈夫? さあ、早く横になって!」
「……すみませんでした。病院で大声出しちゃって」
「いいのよ。お薬を出すから少し眠りなさい。ごめんなさいね、本当に……」
彼女に言われるまま、私はおとなしく横になった。連絡を受け、すっ飛んできた先生に処方された鎮静剤を飲むと、次第に眠気が襲ってくる。未だ冷めやらぬ怒りに全身を浸したまま、私はやがてその怒りごと意識を手放した。