第三話 魔法少女とは1%の女子力と99%の醜さである。
――すずめの鳴き声が聞こえる。目を開けてみる。ああ、眩しい。体をうつぶせにし、枕元の時計を確認する。……5時58分? ……まだだ、まだ早い。まだ「その時」ではない。
今度は体を90°回転させ、東側に背を向ける。出直してこい、その時は相手になろう。
右腕を少し伸ばす。ふわふわした物体に手が触れる。思わず抱きしめる。ああ、天にも昇る気分だ。
「やあ、朝だよ。起きた方がいい」
……いや、今堕ちた。おい猫、何故ここにいる。
「いやだなぁ。忘れちゃったのかい? 普通初めてのことは鮮明に覚えてるものだろう?」
……ええっと。昨日はぶつかって、怒られて、秘儀炸裂。後に出会って、投げて、話して……それから?
「実数世界にもどって、その後はぐっすりさ」
……実数世界? ああ、「実数⇔虚数」ってことね。つまりは、元々の世界のことか。
「それにしても君、見かけによらずずいぶん激しいんだね。おかげで僕は寝不足だよ。腰も痛いしね」
……何が激しかったって?
「寝相だよ、寝相。次から気を付けてくれよ」
……次も寝るつもりかよ。それに、見かけによらないのはお前の所為だろ。
「ところで、シャワーは浴びなくていいのかい? 昨晩はそんな暇なかったろ?」
……お前絶対わざとだろ。
――――寝起きと言うものは、非常に恐ろしいものである。まず思考力が失われる。先ほどの単調な会話こそがその証拠である。
ライオンが鋭い牙を持つように、鳥が空を飛べるように、我々人類にとって思考力とは自らの身を守るために存在する唯一の武器である。牙を抜かれたライオンなどただの猫であるし、翼をもがれた鳥などただの焼き鳥にすぎない。それと同様に、考えることを放棄した人間はこの世で最も弱い葦なのだ。
考えることを放棄した私は、まず風呂場へと向かうだろう。そうして服を脱ぎ始める。脱ぎ捨てられたものの中に、本来存在してはいけない物があるはずなのに、私はそれに気が付かなかった。考え無い葦とは、無力な存在なのである。運命に逆らう力などもっていないのだ。
扉を開け、風呂場へと入る。そして正面に写る己の鏡像を見て、全てを理解するのだ。
ああ、やってしまったと。先日盛大な変態を遂げた私は、本日尊大な変態と化してしまったのだと。
その後の事は覚えていない。断じて覚えていない。それは私が考えない葦だからなのか? 否、それは少し違う。それは私が「あえて」考えない葦だからなのだ。この三文字は少ない文字数であるが、魔法少女にとっては大きな三文字である。この三文字を入れることにより、私は変態者であるという事実を受け止め、新たな翼と共にさらなる高みへと飛び立つことができるのだ。
という言い訳を、私はその最中ひたすら考えていた。
「やあ、思ったよりは早かったじゃないか」
私のベッドの上でくつろぎながら憎き猫は言った。私はそれをスルーする。
「どうだった? 目は覚めたかい?」
ええい、せせら笑うな。しかしこれも受け流す。
「ずいぶんと顔が赤いじゃないか。大丈夫かい?」
ああ、これは見逃せない。
「……魔法少女はみんな通る道なの?」
しおらしく、恥じらいを持って、うさぎ系魔法少女の特権でゴリ押す。
「全員ではないさ。でも君のような反応を示す人は多い。もとは皆男だから仕方ないと思うけどね」
……聞きたくないことを聞いてしまった。
「そういえば、うさみみは無いんだね」
話を逸らす。会話の運動方程式を考えれば妥当な力Fだろう。
「あれは魔法少女のコスチュームの一部だからね。でもそういうと思って、とっておきを用意してあるよ」
スーはちょいちょいとしっぽでクローゼットの方を指している。残念ながら私にはスーの表情から心情を読み取る能力はないようだ。明らかに地雷と分かりながら、彼のにこやか顔を見るとそうでないと思ってしまう。いや、信じたくなってしまう。
意を決して地雷原へと飛び込む。しかし、勇気と無謀は違うのだということを思い知らされた。そこにあるのは……いや、生えているという方が近いかもしれない。そこはうさみみの桃源郷であった。
不穏な気配はまだ確認できる。そう、このうさみみ群生地はクローゼット地方のごく一部。未開拓の地は今だ存在するのだ。夢と希望に満ちた、金塊を追い求める開拓者。その若き心は誰に止めることはできない。決行すべきか引くべきか。積み重なる苦悩を乗り越え、今、私は未知の扉を開けた(物理的に)。
まぁ、なんということでしょう。そこにあったのはゴスロリの山、ヤマ、やま。
目は口ほどにものを言うというけど、今私が目を見開いていることから、口はどうなってるかわかるよね?
ゆっくりと振り返ってみる。その動作はぎこちない。視界に入るのは胸を張っているスーの姿。
「気に入ったかい? 僕が一晩で用意したんだ」
……スーは満面の笑みをこちらに向けている。ここで問題。スーの言葉が本心なのか、そうでないのかを求めなさい。
「気に入ってもらえたのはうれしいけど、それはお預けだよ。早く制服着て学校に行かなきゃね」
はぁ、考えるだけ無駄か……。答えは先生にでも聞こう。
――――自転車の走る音。子どもたちの声。街もすっかり起きだしたようだ。昨日と同じ風景、昨日と同じ朝。私はこんなに変わったのに、世界はそれに気が付くことはない。
それが少しうれしいようで、少しさみしいようで。昨日まであった教室の背景の1つは撤去され、新たな出演者が加わる。そんな背景の行く先なんて、役を演じる人たちは知る由もない……。
大きく息を吸い、ゆっくり吐いた。そしたら部屋全体に甘い香りが漂っていることに気が付いた。そんなとある日の朝の出来事。私はこう呟いた。
「私のリア充ライフはこれからだ!」