逃げるんだよ!
訳がわからなかった。
女の子の言葉のひとつひとつが理解出来ない。ただわかるのは、ジンが狙われている。これだけ。
……目の前で飛び交う言葉を、僕はただ呆然と聞くしかなかった。何をどうすればいいのか全くわからない。足がすくんで、身体が動かない。
[ピー!]
その時、ぴょん、とピービーが飛び出した。
まるで迷いのない動きで、真っ黒な女の子に飛び込む。
「ピービー!」
ジンを覆うように伸ばされた女の子の手。そのすぐ隣で、ピービーが強烈な光を放った。
視界が白に塗り潰される。思わず目を閉じた僕の耳に、少女の甲高い声が響いた。
『っ!? 邪魔を…っ!』
眩しさにたじろぐ気配。その隙をついて、ピービーが声を上げ、ジンを突き飛ばした。
[ジン!逃げる!逃げる!]
『ナイスだ、タマコロ!おい!そこのちっさい少年!テメェもボーッとしてねぇで行くぞ!』
「え、あ、はい!」
お札の声に我に返り、僕は弾かれたように駆け出した。
玉座の間から外へ続く崩れかけた通路を、必死で。後ろを振り返る余裕なんてない。
ただ背中に刺さる、女の子の不気味な笑い声が追いかけてくる。
『どうして?どうして逃げるの?待って。待って──!!』
瓦礫を蹴り飛ばしながら、僕たちは城の奥から必死に逃げ出した。
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僕たちはどうにか崩れた回廊を抜け、城の外へ飛び出した。
けれど、安堵する暇は一瞬たりともなかった。背後から、ぞわりと空気を撫でる冷たい気配が迫ってきたのだ。
『逃げても無駄よ。どうして逃げるの?』
黒い靄が渦を巻くようにして広がり、その中から女の子が姿を現す。赤い瞳が、真っ直ぐジンだけを射抜いていた。
『くそっ、追いついて来やがった!』
「ジン、下がって!」
[ジン守る!守る!!]
僕は咄嗟に身を躍らせ、ピービーと一緒に女の子へ飛びかかった。魔法を放ち、ピービーが光を弾けさせる。
けれど――。
『そんなもので……!』
放たれた魔法は靄に吸い込まれ、光は霧のように散らされる。逆に女の子の手が軽く払われただけで、身体に焼け付くような痛みが走った。
「うわっ……!」
「ケアテイカー!」
「だ、大丈夫……っ!」
無我夢中で立ち上がる。だけど、その度に襲いかかる影の腕に切り裂かれ、傷は増えていくばかりだった。
やがて、女の子は静かに片手を伸ばした。その先には――。
「ジン!」
ジンはもう逃げ場を失っていた。伸びる黒い腕が、今にも彼を絡め取ろうと迫る。
パーカーの内側から札を取り出して応戦しようとするも、すぐに動きが封じられて無防備となってしまった。
「ジン……ッ!」
心臓が跳ねた。
もう、間に合わない――そう思った瞬間。
――ザシュッ!
女の子の腕を黒い靄ごと裂き払う閃光が走った。
ジンを掴もうとしたその手は弾き飛ばされ、辺りの空気が震える。
『……!?』
女の子の目が大きく見開かれる。
僕とジンも同じだった。あの刃の感触を、僕は知っている。
瓦礫を踏みしめて現れたのは――。
「……っ! お前……!」
ジンの声が震えた。
目の前の人影を信じられない気持ちで見つめる。
黒と灰色の衣服を揺らし、鋭い刃を携えたその女性。
見間違えるはずがない。
「……KBさん……!」
胸の奥が熱くなる。
この国に居るはずがないその人が、今ここに確かに立っている。
『………けー、びー…』
女の子がKBを見つめ、口元を歪めた。
彼女の腕を裂き払った刃の主が、ゆっくりと歩み出る。
[KB!KB!]
「なんでお前が、ここに……」
ジンが驚きに声を震わせる。
僕も息を呑んだ。心臓が早鐘のように鳴っている。
そんな僕たちをよそに、KBさんは女の子へ視線を据えた。
その眼差しは、冷たくも静かな光を帯びている。
「……やはり、貴女はここに居たのですね」
女の子の赤い目が細められた。
驚き、そして僅かな苛立ちが浮かぶ。
『……KB、どうして』
[私の使命は、お二人を守る事です。相手が貴女でも、それは変わりません]
『………そう』
女の子が一歩踏み出す。
空気が重く沈み込み、胸の奥を掴まれるような圧が迫る。
すかさず、KBさんは刀を構え、魔法を放った。しかしそれは攻撃魔法ではなく、目眩ましの魔法。
その魔法は周囲の景色を包み込み、その場に真っ白な空間を作った。
白光の眩さが薄れる前に、KBさんは僕たちの方へ身体を向ける。
彼女は一度だけ城を振り返り、そして言った。
[迂闊でした。彼女の力が既にあれほどとは…。予測を見誤った私の責任です。……さぁ、早くここを離れましょう。ここに留まれば、ジンだけではなく、貴方たちも、彼女に呑まれてしまいます]
「…戦わなくていいのか」
息を切らしながら、ジンが問いかける。
[真正面から行って勝てる相手ではありません。…それに、まだその時ではありません]
迷いのない声音に、僕も黙って頷いた。
ピービーが先行して進んでいく。
廃墟の街を駆け抜け、崩れた城壁を越える。
その背後では、女の子の嘲るような声がいくつも重なり響いていた。
けれどKBさんが前を向き続けることで、不思議と足を止めずに済んだ。
やがて、街の外へと踏み出す。
肩で息をしながら、僕たちは振り返った。
灰色に沈んだ街並み、その中心にいまだ佇む赤い瞳の女の子。
[……さぁ、行きましょう]
KBさんの一言に、僕は喉を鳴らして頷いた。
「行くっつっても何処に?このまま死神たちの所に帰るのか?」
[それは止めておいた方が良いでしょう。すでに彼女は貴方を認識してしまった。もしあの国へ帰れば、あの国も、ここと同じく滅びの道を歩んでしまう]
「なら、何処に?」
[マシーナリー!]
僕の言葉のあとに、ピービーが言った。
KBさんはそれに頷き、口元を緩ませる。
[そうですね。あそこなら避難場所として最適でしょう]
[マシーナリー!]
ぴょんぴょんと、ピービーが飛び跳ねる。
――そして僕たちは、一時の安息を求めて、元々行く予定だった機械の国・マシーナリーを目指すことにした。
『……………』
そんな僕たちの姿を女の子はじっと見つめ、やがて不気味な笑みを浮かべながら、ゆっくりと風と共に消えていった。




