黒い少女 ※ジン視点
「…………、」
日記を最後まで読み終えると、俺は深く息を吐いた。
胸の奥がざわめき、息苦しさで言葉が喉に詰まる。
この日記を見つけた事をケアテイカーに伝えるべきか――考えたが、口を開くことはできなかった。
これは、自分だけの秘密だ。
母さんの想いと罪、そして呪いの記録。それを軽々しく他人に明かすことなど、できるはずもなかった。
[ジン……]
ピービーが心配そうに俺を見つめる。
震える手で日記を閉じ、静かに目を伏せた。
そのとき、かすかな気配を感じて顔を上げると、部屋の奥、壊れた扉の影に――“それ”は立っていた。
全身が黒い靄に覆われ、輪郭だけが人の姿を模している。
少女のような小柄な体つき。だが、その顔には表情らしきものはなく、ただ紅い光を宿した瞳が、暗闇の中からじっと僕を射抜いていた。
口元がゆっくりと歪む。――笑っている。
声はない。ただ、楽しげに、挑発するかのように。
その笑みは、日記の中で読んだ「呪い」そのものの化身のように思えた。
俺は思わず息を呑み、立ち上がって後ずさる。
ケアテイカーを呼ぶべきか――そう思うよりも早く、影の少女は一歩、二歩と僕に近づいてくる。
何も言わず、ただじっと見つめられる。
やがて、くるりと背を向け、すり抜けるように壊れた扉の向こうへ歩き去っていった。
「っ、待て!」
思わず声を上げ、俺は駆け出した。
[ジン!待って!待って!]
足音が古びた床に響き、闇の中を追う。
しかし影は決して走らず、淡々と歩みを進めるだけ。
それでも距離は縮まらない。手を伸ばしても届かない。常に一歩先を行く。
階段を上がり、家の中を抜け、外の荒れ果てた街路へ――。
外に飛び出した瞬間、影の少女の姿は霧のように消えていた。
「……っ!?」
辺りを見回す。風が吹き抜け、砂埃が舞うだけ。
人の気配も、あの異様な存在の気配も、どこにもない。
荒廃した街の静けさが、かえって不気味さを増幅させる。
確かに見たはずなのに、追いかけたはずなのに。
俺は胸を抑え、乱れた息を整えながら、自分の目を疑うしかなかった。
+
「ジン!どうしたの?何かあった?」
息を整え、再び家の中に戻る。
戻ると、ケアテイカーが心配そうに待っていたが、俺は深く息を吐き、首を横に振った。
「……いや。何もない。急に飛び出して悪かった」
淡々と告げる声には、わずかな揺らぎが混じっていたが、誰もそれを気に留めることはなかった。
ピービーが小首を傾げ、問いかける。
[ジン。ジン。何もなかった。本当?嘘?]
「……本当だよ。もう、この家に用はない。他の場所に行こう」
俺は視線を逸らし、強く言い切った。
それ以上は追及せず、ケアテイカーもピービーも静かに頷く。
こうして俺たちは荒れ果てた街を歩き、次の探索へと足を進めていった。
それでも俺の胸の奥には、あの「黒い少女の笑み」と、霧のように消えた背中の残像が、いつまでもこびりついて離れなかった。




