表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
線の上の冒険者ーSの日記ー  作者: aki.
第5章「始まりの国」
62/106

セレーナの日記





 ――私は幼い頃から父に虐げられてきた。

 母と一緒に、地下の牢屋のような部屋に閉じ込められ、殴られ、蹴られ、時には食事すら与えられない日々。

 母は弱っていき、数年後、ついに息を引き取った。私は泣く力すら残っていなかった。ただ、心だけが少しずつ死んでいった。


 ある日、父が出かけると言って家を空けた。その時、私は逃げた。着の身着のまま、ただ必死に、父から遠ざかるように。

 けれど、行くあてもなく、私は道端で倒れるようにさまよっていた。


 そんな時、彼が現れた。

 小さな機械の子――ピービーと、もうひとりのKBと呼ばれる存在を連れた男だった。

 彼は私の話を聞き、そして私を自宅に迎えてくれた。やがて「父と話をしてくる」と言い残し、家へと向かった。


 数時間後、彼は戻り、「もう大丈夫だ」と優しく笑った。

 一緒に家に帰ると、そこには穏やかに笑う父がいた。昨日までの狂気に満ちた姿はなく、まるで別人のように。


 彼の話では、父は呪いの研究に取り憑かれ、その影響で心まで蝕まれていたらしい。

 ――だから母に暴力を振るい、私を閉じ込めていたのだと。


 私は感謝した。表向きは。

 けれど本当に呪いのせいだったのだろうか。研究が上手く進まず、私たちに八つ当たりをしていただけなのではないか。

 私の心に疑念が芽生え、それはやがて「種」となった。


 父は研究を続けている。もう二度と呪いに呑まれることはないと、あの人は言っていた。

 けれど私は許せなかった。母は死に、私は壊れかけた。すべてが「呪いのせい」で片付けられるなんて――。


 私の中で芽生えた種は膨らみ、やがて花となった。

 父への憎悪と嫌悪は積み重なり、ついに私は……呪いに呑まれた。

 けれど、そのことを誰にも言うつもりはない。私は普通の娘のふりをして、何も知らぬ顔をして過ごす。



+


 ――あの人と過ごすうちに、私は少しずつ笑うことを覚えた。

 父への憎しみを抱えながらも、支えてくれる人が傍にいるということが、こんなにも温かいものだとは知らなかった。


 やがて私は、子を宿した。

 血を分け与えられた小さな命。どんな苦しみの中にあっても、この子だけは――無事に生まれてきてほしい。

 その願いだけを、私は震える手で何度も何度も書き留めた。


 ジン。

 それが、私がこの子に贈った名前だ。

 どうか健やかに、誰からも愛され、そして呪いになど決して縛られることなく生きてほしい。

 私が果たせなかった願いを、この子には託したい。


 ……けれど、私は知っている。

 私の中に咲いた「種」は、今も静かに根を張り続けていることを。

 父への憎悪が消えることはない。

 母を奪ったあの日の記憶は、決して消えない。


 PBとKB――あの人の傍にいる二人。

 彼らは私のことを、姉のように慕ってくれた。

 とくにPBは、私が泣きそうなときにいつも寄り添ってくれて、「大丈夫」と子どものように笑った。

 その笑顔に何度救われただろう。

 KBは不器用だけれど、誰よりも誠実で、ただ黙って隣に立ってくれた。


 彼らがいてくれたから、私はここまで歩いてこられた。

 けれど、私の心の奥に巣食う影までは、誰にも触れることはできない。

 私はそれを隠し通す。

 笑って、優しい母を演じてみせる。


 ――いつか、必ず。

 私の「復讐」が果たされるその時までは。



+



 ――やがて、ジンがこの世に生まれた。

 小さな産声を聞いたとき、私は心から神に祈った。どうかこの子だけは呪いに触れることなく、真っ白なままで育ってほしい、と。

 私のすべてを懸けて守ろうと、その瞬間は確かに思った。


 けれど、心に宿した「種」は止まらなかった。

 父を憎む思いは消えることなく、私の血肉を侵し、いつしか私自身が呪いに操られていく。

 優しい母を演じながらも、心の奥では常にざわめきが広がり、私自身が私でなくなっていく感覚に怯えた。


 その異変に、PBは気付いていた。

 彼は、真っ直ぐな目で私を見つめてこう言った。

 ――「セレーナの中に、呪いがある」

 私は笑って誤魔化そうとしたが、その瞳には誤魔化しは通じなかった。


 やがて、あの人――私を救ってくれた男性もまた、私の変調を知った。

 彼は必死に私を助けようとした。

 呪いをこの身から取り出そうと、ありとあらゆる手を尽くしてくれた。


 けれど、結果は失敗だった。

 むしろその行為は、私に宿る呪いを刺激し、狂わせた。

 気がつけば私は――あの人の命を、自らの手で奪っていた。

 血の温もりが掌に広がったとき、私は初めて取り返しのつかないことをしたのだと悟った。


 ……私はもう、この場所にはいられない。

 PBもKBも、そしてジンも、これ以上巻き込むわけにはいかない。


 夜明け前、私はジンを抱きかかえ、まだ眠る家を飛び出した。

 行く宛などなかった。けれど、歩みを止めることはできなかった。

 私が立ち止まれば、この子まで呪いに飲み込まれてしまう。


 早く、この子を誰かに。

 私ではない誰かに託さなくては。




 ――ジン、どうか生きて。

 私がどれほど穢れても、この願いだけは変わらない。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ