セレーナの日記
――私は幼い頃から父に虐げられてきた。
母と一緒に、地下の牢屋のような部屋に閉じ込められ、殴られ、蹴られ、時には食事すら与えられない日々。
母は弱っていき、数年後、ついに息を引き取った。私は泣く力すら残っていなかった。ただ、心だけが少しずつ死んでいった。
ある日、父が出かけると言って家を空けた。その時、私は逃げた。着の身着のまま、ただ必死に、父から遠ざかるように。
けれど、行くあてもなく、私は道端で倒れるようにさまよっていた。
そんな時、彼が現れた。
小さな機械の子――ピービーと、もうひとりのKBと呼ばれる存在を連れた男だった。
彼は私の話を聞き、そして私を自宅に迎えてくれた。やがて「父と話をしてくる」と言い残し、家へと向かった。
数時間後、彼は戻り、「もう大丈夫だ」と優しく笑った。
一緒に家に帰ると、そこには穏やかに笑う父がいた。昨日までの狂気に満ちた姿はなく、まるで別人のように。
彼の話では、父は呪いの研究に取り憑かれ、その影響で心まで蝕まれていたらしい。
――だから母に暴力を振るい、私を閉じ込めていたのだと。
私は感謝した。表向きは。
けれど本当に呪いのせいだったのだろうか。研究が上手く進まず、私たちに八つ当たりをしていただけなのではないか。
私の心に疑念が芽生え、それはやがて「種」となった。
父は研究を続けている。もう二度と呪いに呑まれることはないと、あの人は言っていた。
けれど私は許せなかった。母は死に、私は壊れかけた。すべてが「呪いのせい」で片付けられるなんて――。
私の中で芽生えた種は膨らみ、やがて花となった。
父への憎悪と嫌悪は積み重なり、ついに私は……呪いに呑まれた。
けれど、そのことを誰にも言うつもりはない。私は普通の娘のふりをして、何も知らぬ顔をして過ごす。
+
――あの人と過ごすうちに、私は少しずつ笑うことを覚えた。
父への憎しみを抱えながらも、支えてくれる人が傍にいるということが、こんなにも温かいものだとは知らなかった。
やがて私は、子を宿した。
血を分け与えられた小さな命。どんな苦しみの中にあっても、この子だけは――無事に生まれてきてほしい。
その願いだけを、私は震える手で何度も何度も書き留めた。
ジン。
それが、私がこの子に贈った名前だ。
どうか健やかに、誰からも愛され、そして呪いになど決して縛られることなく生きてほしい。
私が果たせなかった願いを、この子には託したい。
……けれど、私は知っている。
私の中に咲いた「種」は、今も静かに根を張り続けていることを。
父への憎悪が消えることはない。
母を奪ったあの日の記憶は、決して消えない。
PBとKB――あの人の傍にいる二人。
彼らは私のことを、姉のように慕ってくれた。
とくにPBは、私が泣きそうなときにいつも寄り添ってくれて、「大丈夫」と子どものように笑った。
その笑顔に何度救われただろう。
KBは不器用だけれど、誰よりも誠実で、ただ黙って隣に立ってくれた。
彼らがいてくれたから、私はここまで歩いてこられた。
けれど、私の心の奥に巣食う影までは、誰にも触れることはできない。
私はそれを隠し通す。
笑って、優しい母を演じてみせる。
――いつか、必ず。
私の「復讐」が果たされるその時までは。
+
――やがて、ジンがこの世に生まれた。
小さな産声を聞いたとき、私は心から神に祈った。どうかこの子だけは呪いに触れることなく、真っ白なままで育ってほしい、と。
私のすべてを懸けて守ろうと、その瞬間は確かに思った。
けれど、心に宿した「種」は止まらなかった。
父を憎む思いは消えることなく、私の血肉を侵し、いつしか私自身が呪いに操られていく。
優しい母を演じながらも、心の奥では常にざわめきが広がり、私自身が私でなくなっていく感覚に怯えた。
その異変に、PBは気付いていた。
彼は、真っ直ぐな目で私を見つめてこう言った。
――「セレーナの中に、呪いがある」
私は笑って誤魔化そうとしたが、その瞳には誤魔化しは通じなかった。
やがて、あの人――私を救ってくれた男性もまた、私の変調を知った。
彼は必死に私を助けようとした。
呪いをこの身から取り出そうと、ありとあらゆる手を尽くしてくれた。
けれど、結果は失敗だった。
むしろその行為は、私に宿る呪いを刺激し、狂わせた。
気がつけば私は――あの人の命を、自らの手で奪っていた。
血の温もりが掌に広がったとき、私は初めて取り返しのつかないことをしたのだと悟った。
……私はもう、この場所にはいられない。
PBもKBも、そしてジンも、これ以上巻き込むわけにはいかない。
夜明け前、私はジンを抱きかかえ、まだ眠る家を飛び出した。
行く宛などなかった。けれど、歩みを止めることはできなかった。
私が立ち止まれば、この子まで呪いに飲み込まれてしまう。
早く、この子を誰かに。
私ではない誰かに託さなくては。
――ジン、どうか生きて。
私がどれほど穢れても、この願いだけは変わらない。




