昔の後悔 ※ジン視点
夜。
なんとなく眠れなくて、俺はベッドから抜け出し、ケアテイカーたちを起こさないように足音を忍ばせて外へ出た。
あてもなく歩き続け、気づけば辿り着いたのは噴水広場。
夜の広場は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
水の弾ける音と、月明かりに照らされた飛沫のきらめきだけが、そこに広がっている。
俺は石造りの縁に腰を下ろし、しばらくぼんやりと水面を眺めていた。
ふと顔を上げると、広場にはもう一人、人影があった。俺の視線に気づいたのか、その人影がこちらを振り向く。
「ジン……?」
「ティタニア」
そこに居たのは、ティタニアだった。
彼女は目を見開き、慌てて手に持っていた透明な球を荷物袋へしまい込む。
「びっくりしました……どうしてここに?」
「それはこっちの台詞だ。こんな夜に何してんだ?」
「あ……ええと、少し眠れなくて。散歩をしていました。……ジンは?」
「……俺も同じだ。眠れなくてさ」
「そう、ですか……」
ティタニアは小さく頷いた。
月明かりに照らされたその横顔は、どこか疲れを滲ませて見えた。
俺は彼女の近くへ歩み寄り、ベンチに座るティタニアの隣へ腰を下ろす。
すると彼女は肩をピクリと震わせ、わずかに距離を取った。
「…………」
「…………」
隣に座ったはいいものの、何を話せばいいのかわからない。
背後で響く噴水の音が、やけに大きく耳に残った。
沈黙を破ったのは、ティタニアの方だった。
「……明日、闘技会ですね」
「ああ」
「確か、サリカちゃんが出場するんですよね。……闘技会には他にも強い方がたくさん出場しますから、怪我しない程度に頑張ってほしいです」
彼女の声は柔らかかったが、その奥には心配が滲んでいた。
俺は肩をすくめて、少し笑う。
「心配いらねぇよ。サリカは強い。さくっと優勝するかもしれないな」
「ふふっ。そう言いながら……本当は心配で仕方ないんでしょう?」
「本当に心配なんてしてないって。あいつなら大丈夫だ。絶対に」
妹の姿を思い浮かべながら、もう一度だけ笑う。
けれどティタニアは眉尻を下げ、思い詰めるように目を伏せた。
膝の上で軽く握っていた両手が、わずかに震えている。
「……どうした?」
「えっ?」
問いかけに、彼女の肩がまた小さく跳ねた。
「あ、……その……」
何か言いづらいことがあるのだろう。
ティタニアは口をもごもごさせ、震える手を重ね合わせる。
眠れないと言っていたのは、関係があるのだろうか。
横顔を照らす月明かりに、大きな傷痕が浮かび上がる。
右目からこめかみにかけて残るそれは、見慣れているはずなのに胸を締めつけた。
「……傷、前より目立たなくなってきたな」
つい、ポツリと口をついて出た。
ティタニアは一瞬きょとんとしたが、すぐに理解し、そっと傷痕に触れる。
「……ええ。お医者様には、これ以上は治らないかもしれないって言われていますけど」
眉尻を下げながらも、彼女は小さく笑みを浮かべた。
だがその言葉は、俺の胸に重くのしかかる。
「……悪い。俺のせいで…」
「…言ったはずですよ。『負い目を感じないでください』と。あの時は仕方がなかったんです」
「………今でも夢に見るんだよ。あの時のこと」
ふと沈黙が訪れ、再び噴水の音だけが響いた。
俺は拳を膝の上で握りしめ、低く呟く。
「あの時、俺が強がって危ない方へ進まなければ……お前を傷つけることはなかった。今でも、あの血の色とか、泣き顔とか、全部鮮明に覚えてて…。それがさ、夢に出てくるんだ。その度に飛び起きて、酷く後悔する。……はは、子供の頃の話なのにな。普通なら『そんな事もあったな』って笑う思い出で済むのに…。ほんとおかしいよな」
苦く笑う俺を見て、ティタニアの瞳が揺れる。
「ジン、本当に負い目は感じないでください。あの時、貴方は必死に私を守って助けてくれた。確かに怪我はしましたけれど……でも、それ以上に、私は貴方から大切なものをもらったんです。だから、これはそんなに苦い思い出じゃないんですよ」
「…大切なもの?」
「はい。大切なものです」
ティタニアは微笑みながら、頬を赤く染めた。
目と目が合い、再び沈黙が流れる。
……なんか、恥ずかしくなってきた。
「え、えと……そ、それじゃ、俺はここで戻るよ」
夜風が俺たちの間を抜けていく。
心臓のうるささを誤魔化すように吐き捨て、俺は立ち上がった。
「明日もあるし。……寝坊したらケアテイカーたちに怒られる」
「…あ、えと……私は、もう少しここに居ます」
「? 帰らないのか?」
「ええ。少し、確認したいことがあるので」
「……そっか。じゃあ、俺はこれで。……帰る時は気を付けろよ」
「はい。ジンも、お気を付けて」
ティタニアの言葉に、俺は片手を軽く上げて背を向ける。
宿屋へと歩き出す途中、大きな欠伸がこぼれた。――よく眠れそうだ。
「……………」
その背中を、ティタニアはいつまでも目で追い続けていた。




