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線の上の冒険者ーSの日記ー  作者: aki.
第4章「魔封術師の国」
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カイストとサリカ





 カイスト・オベイロンは貧乏だった。

 彼が生まれ育った「スラム」と呼ばれる場所は、街の外れにひっそりと存在する、貧困にあえぐ人々が肩を寄せ合って暮らす小さな集落である。


 この集落では、ほとんど毎日のように誰かが“飢え”によって命を落とした。

 だが亡骸は埋葬されることも、火葬されることもなく、死んだその場に放置されてしまう。

 それほどまでに住人たちには余裕がなく、皆が「今日をどう生き延びるか」だけに必死だった。


 カイスト・オベイロンもまた、その一人だった。

 今日も彼は、集落から離れて街の商店通りへと足を運び、盗みを働く。

 飢えをしのぎ、明日へと繋ぐためには、盗みで食料を得る以外の道は残されていなかった。


 今日を生きるために盗む。明日も、そのまた明日も――。

 カイストは商店通りで、誰にも悟られることなく日々盗みを繰り返していた。


 そんなある日。

 彼は商店通りの出入口付近で、一人の少女と出会う。

 名はサリカ・レスター。裕福街からやって来た、黒髪の可憐な少女だった。


 カイストは、その姓に聞き覚えがあった。

 幼い頃、母親から教わった記憶が脳裏によみがえる。

 レスター家――古の時代より伝わる“魔封術”を操る、由緒ある貴族の一族。

 この街でも特に名の知れた家柄であり、財力も桁違いだった。


 カイストにとって、それはまさしく格好の獲物だった。

 彼の心には、サリカを見過ごすという選択肢など、初めから存在していなかった。


+


「闘技会…?」

「うん。今年は私、それに出なくちゃいけなくなっちゃって…」


 商店通り。出入口近くの噴水広場。

 噴水のそばに置かれたベンチに腰を下ろし、カイストとサリカは話していた。


 サリカの口から出た「闘技会」という言葉に、カイストは思わず首をかしげる。頭の上に「?」が浮かんでいるのが見えるようだった。


 闘技会――。

 それはこの街で年に一度だけ行われる一大イベント。

 その年に開催を宣言した者が主催者となり、事前に名を連ねた挑戦者たちと一対一の戦いを繰り広げる。街全体を巻き込み、熱狂させるための娯楽の祭典である。


「本来ならお兄ちゃんが出るはずだったんだけど…今は他国に行っちゃってて。だから代わりに私が、ってお父さんが」

「サリカ、戦えるのか?」

「一応ね。これでも魔封術師の端くれだもん。少しくらいなら戦えるよ」


 そう言って、サリカは懐から一枚の札を取り出す。

 淡く光を帯びた、魔法陣の描かれた札――魔封術師の証。


「それは?」

「魔封術師の札だよ」


 カイストはそれを覗き込む。

 円陣の周囲には、見慣れない文字が刻まれていた。


 だがスラム育ちの彼に文字を読む習慣はなく、眉をひそめて難しい表情を浮かべるしかない。

 そんなカイストを見て、サリカはふっと笑った。


「ふふ。…そこにはね、私の名前と、その子の名前が書いてあるの」

「名前?」

「うん。…その子の名前は“春風(はるかぜ)”。少しだけ色がピンクっぽいでしょ?だから春風」

「……………」


 名前を聞いても、カイストにはいまいちピンとこない。

 札を返しながら、頭を悩ませる。


「なんで名前なんて付けるんだ?」

「術師に認識させるためだよ」

「認識?」


 問い返すと、サリカは札を高く掲げてみせた。


「春風と私は“一心同体”。これはね、どの術師も同じなの。最初、この札には何も描かれていない。でも、術師の精神力を注ぐことで初めて魔法陣が浮かび上がるの。精神力が強いほど形は複雑になって、より強力な魔封術を使える。そして“札の声”を聞いて契約を結ぶことで、術師を認識するの。『あなたの主は私』ってね」


 そう言って、彼女は札を懐に戻した。「難しい話しちゃったかな?」と眉を下げるサリカに、カイストは慌てて首を横に振る。


 ――だが彼の頭の中は、完全にパニックだった。


「…え、えっと、その闘技会ってのは、人はたくさん来るのか?」

「うん。毎年すごい人だよ」

「それは、サリカみたいな貴族の人も?」

「うーん、詳しくは分からないけど…たぶん来てるんじゃないかな」

「……そっか」


 カイストはこっそりと頷く。

 闘技会の会場には、金を持つ人間が大勢集まる。

 貧困にあえぐ彼にとって、それはまさしく絶好の機会だった。


「闘技会って、いつあるんだ?」

「…興味あるの?」

「え!? あ、いや…その、サリカも出るんだろ? お、応援しに行きたいなって…」


 肩をびくりと震わせ、引きつった笑顔を浮かべる。

 本心は絶対に悟られてはならない。いくら話を交わしていても、サリカは結局“盗む相手”にすぎないのだから。


「…やっぱりカイストくんも男の子なんだね」

「戦いは好きだぞ」


 ――戦い。と書いて、泥棒。と読む。


「……はぁ」


 サリカは小さくため息をこぼす。

 それでも彼女は、闘技会の日取りと会場を教えてくれた。


「さんきゅー、サリカ! 絶対に行くからな!」

「うん…。 (不甲斐ない姿だけは見せられない…)」


 闘技会の話を聞いて、目を輝かせるカイスト。

 そんな彼を見つめながら、サリカの胸には不安が広がっていった。


 ――この時、カイストは十五歳。

 ――サリカは十歳。



 そして今年もまた、闘技会は変わらずに幕を開けようとしていた。







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