vs.オサルサン ※ジン視点
――戦略的撤退とは、まさにこのことだな。
ゴリラから全力で逃げながら、そんなことを考えていた。
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「……っ、はぁ、はぁ……。ここまで来れば、追ってはこないだろ」
昇降機のあった場所からだいぶ離れた、拓けた一角。その奥に口を開けていた小さな洞窟へと逃げ込み、俺と死神は肩で息をしながら身体を休めていた。
腕の中のピービーは、未だにゴリラを見た感動で小躍りしている。……ったく、誰のせいでこんな目に遭ってると思ってんだ。
[ピービー。ゴリラ。ミツケタ。ミツケタ]
「お前が見たいのは“猿”だろうが」
喜んでんじゃねぇ。と、軽く頭をはたくと、ピービーは「イタイ」と反応して俺の腕から飛び降り、ころころと転がって死神の足元へ。
死神は少し離れた場所に腰を下ろし、じっとしている。体力を回復させているのだろう。
[シニガミサン。シニガミサン。ツカレテル?]
「……いや、大丈夫だ」
そう答えながら、死神はピービーの頭にそっと手を置いた。
ゴリラから逃げるとき、彼女は殿を務めてくれた。容赦なく振るわれる拳を槍でいなし、俺とピービーを守り抜いてくれたのだ。その代償に、頬や体のあちこちには痛々しい傷が残っている。
「……それで、あの猿をどうするんだ?アレを何とかせねば、上には戻れんぞ?」
死神の言葉に、俺は眉をひそめ、顎に手を添えてうなる。
ゴリラの力は人間を遥かに超える。
俺と死神が力を合わせても、正面から挑めば返り討ちに遭うのは目に見えている。無謀に突っ込んだところで勝ち目はない。
――弱点でもあれば、まだ対策のしようはあるんだが。
「ピービー、さっきの本をもう一度見せてくれないか?」
[? オサルサン。オサルサン。ショモツ。ジンミセル]
ピービーはころころ転がり、俺の足元で光を照射する。映し出されたのは、猿の絵が描かれた書物の一頁だった。
小さな字でびっしりだが、読めなくはない。
「えーと……“猿は主に集団で行動することが多く、非常に気性が荒いため注意が必要”……。うん、それは知ってる」
[ページイコウ。ページイコウ。ミギシタノヤジルシ。ヤジルシ]
「矢印?……あー、押せばいいのか」
言われるままに、光の右下に映っていた矢印を押す。するとページがぱっと切り替わった。
「おお……」
思わず声が漏れる。
「……猿の中には、一際大きな身体を持つ個体が存在し、それらは総じて《ジャイアントモンキー》と呼ばれている。鍛え上げられた筋肉と鋭い目付きが特徴で、もし遭遇した場合には死を覚悟しておいた方が良い」
……やっぱりな。
今さらながら、逃げ延びられたのは奇跡だと思う。
脳裏に、振り下ろされる拳と地響きがよみがえる。背筋がぞくりと震えた。
さらに目を走らせると、ページの下の方に小さな注釈があった。
そこには――ジャイアントモンキーの“弱点”について記されていた。
「ジャイアントモンキーの弱点は、背中にある大きな水晶の塊。それを割る事でジャイアントモンキーの動きは鈍くなり、倒すことが容易くなる。……水晶の塊?」
そんなもの、あったか?
逃げるのに必死で、背中なんてろくに見ていなかった。思い返しても記憶が曖昧だ。
ふむ、と頷きながら納得する。
ピービーに礼を言いつつ立ち上がった俺は、死神の元まで歩み寄り、隣に腰を下ろして顔を向けた。
「傷はどうだ?」
「心配はない。こんなの掠り傷にもならん」
「そっか。それならいい」
本当にそうなら安心だが、目に映る彼女の傷は決して軽くはない。
「アレの弱点はわかったのか?」
「ああ。ピービーのおかげだ」
[ピービー。ジンニホメラレタ。ホメラレタ]
ピービーはその場で何度も弾むように跳ね、喜びを全身で表す。どうやら心底嬉しいらしい。
「で、弱点は?」
「背中にある水晶の塊らしい」
「水晶……?ああ、なるほど。確かに、あそこなら」
攻撃を受けていたときに気付いていたのだろう。死神は小さく眉を寄せた。
「行くのか?」
「時間はかけられない。やるなら今しかない」
「……そうか」
彼女は静かに立ち上がり、その手に槍を顕現させる。俺もパーカーの内ポケットから札を一枚取り出し、覚悟を固めた。
まだぴょんぴょんと跳ねているピービーを空中でキャッチし、そのまま洞窟を出る。ジャイアントモンキーは、もう昇降機の近くに戻っているはずだ。
「作戦は?」
「俺が猿を引きつける。その隙に死神が背中の水晶を叩き割ってくれ」
「了解」
彼女は口元に薄い笑みを浮かべ、力強く頷いた。
[ピービーハ? ピービーハ?]
「ピービーは安全な場所で待機だ。危ないからな」
[アブナイ。アブナイ。ピービー、アンゼンナトコロ。イル。イル]
少し名残惜しそうに言いながらも、ピービーは素直に従う。
そして俺たちは、ジャイアントモンキーとの決戦のため、再び昇降機のある場所へと足を進めた。
勝てる保証なんてどこにもない。だが、あいつをどうにかしなければ上へは進めないし、ケアテイカーたちとも合流できない。助力を願えれば状況は楽になるはずだが――残念ながら、ここからでは連絡を取る術もない。
もしかしたら、ここが終わりかもしれない。
その考えが頭をよぎり、自然と眉をひそめた。




