迷子の三人
森の中。
「……なぁ、さっきもここ通らなかったか?」
「ん?そう?」
「気のせいではないのか?」
「気のせいなわけあるか。ほら、この木の傷、さっきも見たぞ」
ジンは腕を組み、眉間に皺を寄せる。
僕たちが今いるのは、次の目的地の街の手前に広がる森。
街の位置は上空からしっかり確認した。降り立ったのは、その真下に広がっていたこの森だ。
そこから真っすぐ街を目指して歩き始めた──はずだった。
この森は思っていた以上に広く、木々は密集し、枝葉が頭上を覆って昼間だというのに薄暗い。見えないわけではないけれど、光が乏しいせいで時間の感覚が狂ってしまう。
降りたのは昼過ぎだから、たぶん今はまだ夕方前……のはず。
「本当に?嘘じゃなくて?」
「こんなんで嘘つくかよ」
言われて木の傷を確認すると、確かに見覚えがある。……ような気がする。死神さんはよくわからないらしく、ジンと同じように腕を組んでいた。
「それに、あそこの枝。変な形してるだろ。覚えてる」
「……じゃあ僕たち、戻ってきちゃったってこと?」
「そうなんじゃねえか?」
ジンの一言に、僕は目を見開く。
えー……何それ、すごく時間の無駄。
[……なぁ、迷ったのか?]
肩に乗っているクロが小声でつぶやく。
真っすぐ進んでるつもりだったのに。どうしてこうなったんだろう。
「迷子か」
死神さんがぽつりと呟き、ジンが大きくため息をついた。……うん、確かにその通り。今の僕たちは絶賛迷子中だ。
「なぁ、街の位置はわかってるんだよな?」
「うん。ちゃんと見たよ」
「そこに向かってたはずだよな?」
「うん。それは間違いない」
「じゃあ何で迷うの?」
「……わからない」
地図はないし、このまま勘で進んだらもっと迷うかもしれない。最悪、遭難だってありえる。そうなったら夜を迎える前に動けなくなってしまう。
どうしよう。
眉間に皺を寄せ、顎に手を添えながら考え込む。ああでもない、こうでもないと頭を捻っていると──
「……ん?」
ジンが僕の方を見ている、その時だった。ガサガサっと草をかき分ける音が聞こえた。反射的にそちらを向くと、小さな白いうさぎが足元へぴょんと跳び出してきた。鼻をひくひくと動かして、こちらを見上げている。
「うさぎ?」
「!」
白く、垂れ耳のうさぎ。
なんでこんな場所に……と不思議に思いつつ抱き上げた瞬間、ジンが「うおっ」と変な声を上げた。
見ると、彼は誰かとぶつかったらしい。
「あっ、ご、ごめんなさい! 前を見てなくて……」
ぶつかった相手は慌てて頭を下げた。声の主は若い女性のようだ。ジンの背中に思い切りぶつかったらしく、女性の額はうっすら赤くなっている。
「あの、お怪我はありませんか?」
「ああ。俺は大丈夫だけど……そっちは? 額、切れてないか?」
「え? ああ、大丈夫です。これくらい放っておけばすぐ治ります。……って、あ! やっと見つけた! もふちゃん!」
ジンと女性のやり取りを耳にしていた僕は、突然の大声に少し肩を跳ねさせた。
女性がぱっとこちらを向く。その目はまっすぐ僕に──いや、僕が抱えているものに注がれている。
近寄ってきた彼女は、安心したように眉を下げる。
……もふちゃん?
「もう、突然いなくなるから心配したよ!」
どうやら彼女は、僕が抱いているこの白いうさぎを探していたらしい。
「……このうさぎ、お姉さんの?」
「ええ。もふって言います。この子、目を離すとすぐどこかへ行っちゃうんです。見つけてくださって、本当にありがとうございます」
うさぎの頭を撫でる彼女の表情は、やわらかな笑みで満ちていた。
……盛大な勘違いが生まれている気がするけど、今はあえて訂正しないでおこう。
僕たちはひとまず事情を説明し、街へ向かうための道を教えてもらうことにした。
「街への行き方、ですか?」
「はい。実は僕たち、完全に迷子でして……」
口にしてみると、途端に恥ずかしさが込み上げてくる。
着いたばかりとはいえ、情けない話だ。
「ごめんなさい。私、街へ行ったことがなくて……道はわからないんです」
女性は申し訳なさそうに眉を下げた。
その答えに、僕とジンは顔を見合わせる。──つまり街行きは絶望的。となれば、この森で野宿の可能性が濃厚に……。
嫌だ。全力で嫌だ。
「あ、そうだ。もし良かったら私の住む村に来ませんか?」
「え?」
「もふちゃんを見つけてくれたお礼もしたいですし、それにもうすぐ日が暮れます。夜の森は危険ですから」
真剣な口調だった。
ありがたい申し出だ。断る理由は……少なくとも今の僕たちにはない。
再びジンと視線を交わす。確かにこのまま別れて街を目指しても、今日中に着ける保証なんてない。ならば安全策を取るべきだ。
──リスクは全力で回避すべし。
「……いいんですか?」
「ええ、もちろん。じゃあ、ついてきてください」
女性は微笑み、くるりと背を向けて歩き出す。
僕たちもその背を追い、森の小道を進んだ。
夕暮れの森は、昼間とはまるで別の顔をしていた。
空の端は淡い茜色に染まり、木々の影が地面に長く伸びている。ときおり枝葉を揺らす風が、遠くから獣の匂いを運んできた。
「……静かだな」
前を歩くジンがぼそりとつぶやく。
「日が沈む前って、森の動物たちも身を潜めるんですよ」
女性は振り返らずに答えた。
「夜行性の動物も多いですし、森の奥では……あまり大きな声を出さないほうがいいです」
その言葉に、僕の肩が跳ねる。
足元には落ち葉が積もり、踏みしめるたびにかさりと音がする。
薄暗がりの中、女性の背中だけが一定の速さで揺れ続けているのが心強かった。
やがて、木々の向こうに小さな灯りが見えた。
「あれが、うちの村です」
胸の奥にほっとした空気が広がる。
鞄の中の呪い具現化装置は、まだ静かに眠っていた。




