狂った世界
バーンズ家は、いつからこんなに狂ってしまったのだろう。
ミュレスは、目の前で不気味に笑う母親を見つめながら胸の奥で静かにそう問いかけていた。
バーンズ家は、古の時代より巫女の家系として名を馳せてきた。
突如、異界から現れた魔王から国を救うため、「双神の儀式」と呼ばれる勇者選定の秘儀を生み出し、代々その儀式を執り行ってきたのだ。
魔王は、次世代の巫女が生まれるたびに復活し、国を滅ぼそうと襲いかかってくる。
そのたびに儀式によって選ばれた勇者が魔王を討ち、国は救われる。
復活すれば勇者を選び、また復活すれば勇者を選び…同じ歴史を何度も繰り返してきた。
そうしてバーンズ家は国からの厚い信頼を得、王よりこの村の所有権を授かるまでに至った。
しかし──いつの頃からか、魔王は二度と国を襲わなくなった。
魔王が現れなければ、儀式は行えない。
巫女の務めは終わる。
普通の人間であれば、そう考えて幕を下ろすだろう。
だが、バーンズ家は違った。
「どうにかして巫女稼業を続けねばならない。そうでなければ、私たちの存在意義が失われる」
そう思い詰めた彼らは、とある方法にたどり着く。
──思えば、この瞬間からバーンズ家は歯車を狂わせていったのかもしれない。
+
『……今、なんて言ったの?』
『だから、嘘をついたのよ。国王に、“魔王が復活した”って』
『……嘘、ですって?』
その方法とは──虚偽だった。
魔王が復活したと王に告げ、そして自分たちの力で誰かを“魔王”に仕立て上げる。
そうすれば儀式は行える。存在意義も保てる。
ミュレスは眉をひそめた。
『母様は…疑問に思わなかったの? お婆様からこの話を聞かされたときに』
『? おかしなことを言うのね。疑問になんて思わなかったわ。それが当然だと思っているもの』
『………………』
母は薄暗い部屋の中で口角を吊り上げ、不気味な笑みを浮かべる。
ミュレスは、その笑みを冷たい目で見返した。
──巫女稼業は、それほどまでにバーンズ家の誇りだったのか。
+
『…………』
「そしてミュレス。今度はあなたの番よ──魔王を復活させるのは」
母の声が、湿った空気を裂くように響いた。
胸に広がるのは反発と呆れ。
あんな話を聞かされて、どうして私がバーンズ家存続のために力を使わねばならないのか──。
与えられた部屋の中で、ミュレスは静かに考える。
(こんな馬鹿げた話を聞いたら……姉さんは、どんな顔をするのかしら)
『ミュレス』
『……アレス?』
声に振り向いた瞬間、そこに立っていたのはアレスだった。
ミュレスは、驚きに目を見開く。
どうして彼がここにいるのか。
確か彼は、弟の誘いで街へ行ったと。
『お前、巫女になったんだな。驚いたよ』
『……ええ。姉さんが死んでしまったから、私が代わりに』
ミュレスの声は淡々としていたが、その裏には小さな棘が隠れていた。
アレスは、彼女に姉がいたことを知っている。ずっと前、ミュレスがぽつりと語ったからだ。
『アレスは、どうしてここに? 二年ほど前に村を出たって聞いていたけど。確か、騎士になるって……』
『……ああ。帰ってきたんだよ、一時的に。何日かしたら、また戻る予定だ』
『そう』
アレスの夢は、騎士になること──この国を守る立派な存在になることだった。
それを初めて聞いたとき、ミュレスは心から「素晴らしい」と思った。
『……あなたなら、きっと素晴らしい騎士になれるわ。応援してる』
『! ……ありがとう、ミュレス』
アレスは、わずかに肩を揺らし、照れたように笑う。
その笑顔を見て、ミュレスの胸が少しだけ痛んだ。
──もし。
もしここで、巫女の任を放棄して……アレスと共に街へ出向いたら?
一緒に暮らし、彼の夢をそばで支えていけたら?
『ミュレス?』
『…………』
想像しただけで胸が熱くなる。
だが同時に、その考えを振り払うように首を振った。何を考えているのだ、自分は。
私はバーンズ家の巫女。
自分の人生なんて考えちゃいけない。
たとえそれがどんなに馬鹿げていても、狂っていても──今の私に残された居場所は、ここしかないのだから。
バーンズ家のために嘘を吐いてまで儀式を行いたくはないし、力も使いたくない。
でももし儀式を拒めば、地下牢に逆戻りになるかもしれない。
ミュレスは考えた。
自分にとって、どの選択が一番いいのか──そして、どの選択が一番彼を近くに置けるのか。
『……アレス、少し頼みがあるの。聞いてくれる?』
『ん?』
どうやったら、アレスが自分の傍に居続けてくれるのか。
どうやったら、彼が自分だけを見てくれるのか。
どうやったら、私を──愛してくれるのか。
その答えを求めるように、ミュレスは静かに瞳を閉じた。
……そして、彼女は巫女の力を使った。
アレスを──自分だけの勇者にするために。




