表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
線の上の冒険者ーSの日記ー  作者: aki.
第3章「双神の巫女」
23/106

ミュレス・バーンズの呪い





 ミュレス・バーンズは、冷たく湿った地下牢に居た。


 牢の隅、膝を抱えて地べたに座るその姿は、まるで影のように細く、痩せこけた顔は今にも崩れ落ちそうだった。衣服は埃と土にまみれ、皮膚は不健康なほど白い。与えられる食事は、日に一度の、形の崩れた硬いパンとぬるい水だけ。


 理由は単純で、しかし残酷だった。

 彼女には"才能"がなかった。巫女としての力が備わらなかった彼女は、生まれて間もなくこの牢へ閉じ込められた。


 ミュレスには双子の姉がいる。

 姉の名はミュルス・バーンズ。彼女は巫女の才能を持ち、その力を村のために使える者として称えられ、両親から惜しみない愛情を注がれて育った。


 ミュルスは妹の存在を知らなかった。両親から「お前は一人っ子だ」と教えられ、それを疑ったこともない。──ただ、ある出来事がきっかけで彼女は初めてミュレスと出会い、全てを知ることになる。


 その日が来るまでは、ミュレスは暗く湿ったこの空間で、世界の広さも光の色も知らぬまま生きていた。



+


 時間の流れは、ここでは意味を持たない。

 人工太陽の日の出も日の入りもわからず、ただ暗闇の中で呼吸を続けるだけ。


 文句を言うこともない。

 声を上げることもない。

 目を閉じていても、開けていても、景色はほとんど変わらない。


 ──このまま息絶えるその時まで、きっと私はこうしているのだろう。


 そう諦めきっていたミュレスの前に、ある日、一人の少年が現れた。



+


『…おい、誰か居るのか?』


 地下牢に、少年の声が響いた。

 ミュレスは、何か遠い音を聞くようにゆっくり顔を上げる。


 薄暗い通路の先、鉄格子の向こうで木の柱を握り、中を覗き込む少年の姿があった。彼はまだ十代前半ほどで、光を帯びた瞳が暗がりの中でも印象的に見える。


 視線が合うと、少年は肩をびくりと揺らした。


『…っ、び、びっくりした…』

『………』

『って…女の子?こんな所に?』


 怪訝そうに首を傾げる少年。

 ここに女の子が一人でいることが、彼には信じられないようだった。


 扉に手をかけ、開けようとする。だが、音を立てるだけで鍵はびくともしない。


『え、鍵掛かってる?』

『……無理だよ』

『!』

『そこは開かない。ずっと閉まってるの。鍵も存在しない』

『ずっと…って…。もしかして君、ずっとここに居るの?』

『……うん。生まれてからずっと』

『生まれてから──ずっと!?』


 少年は、息を飲んだ。

 自分と同じくらいの年頃に見える少女が、十年以上もこの暗闇に閉じ込められてきたなんて──あり得ない、と。


 少年の眉間に皺が寄り、次の瞬間、扉を揺らす音が再び響く。


『……何してるの?』

『決まってるだろ、君をここから出すんだ!』

『どうして?』

『どうしてって…!こんなのおかしいじゃないか!』

『おかしい…?』


 ミュレスには、その言葉の意味がわからなかった。

 才能のない自分が外に出ても、何の価値もない──そう両親に言われてきたから。


『君の親は何してんだよ!娘がこんな所に閉じ込められてるのに!』

『……………』


 自分を閉じ込めたのが両親だとは、彼女は言わなかった。


 少年は何かを思いついたように走り去り、やがて先端が尖った木の棒を手に戻ってきた。


 ガキン──!

 硬い音が響く。


 何度も叩きつけられる棒。形を変えていく錠前。そして、ついにそれは壊れ、足元に転がり落ちた。


『……やった!』


 開いた扉の向こうから、少年が一歩、牢の中へ入ってくる。距離が縮まり、暗闇の中で互いの顔がはっきり見えた。


『大丈夫か?』

『…………』

『…俺、アレスっていうんだ。君は?』

『……ミュレス』

『ミュレスか。可愛い名前だな!』

『! ……アレスくんの名前も、かっこいい…よ』

『へへ、さんきゅ!』


 アレスは歯を見せて笑った。その笑顔を、ミュレスは戸惑うように、それでもほんの少し見つめ返した。


 アレスは慎重にミュレスを牢から連れ出し、外へ導いた。

 ──そして、彼女は生まれて初めて外の空気を吸った。



+


『はぁ、もう最悪。なんであいつばっか褒められんだか…』

『ふふふ』


「笑い事じゃねぇって!」

 アレスは声を荒げ、眉間に深い皺を寄せた。

 その日を境に、彼は毎日のようにミュレスのもとを訪れるようになった。


 地下牢から外へ出たあの日、アレスは「しばらくうちに泊まろう」と誘った。しかし、ミュレスは小さく首を横に振り、

「戻らないと、私が逃げたってバレる」

 そう言ってその提案を断った。


 それでも彼女はすぐには牢へ戻らず、村の道をゆっくりと歩いた。陽の光に細めた瞳や、遠くの山を見上げる横顔。その姿を、アレスは忘れられなかった。けれど最終的には、彼女は自らの足で地下牢へと戻っていった。


 ──あのまま帰すのは、やっぱりもったいねぇよな。


 家に戻ったアレスは、椅子に腰を下ろして腕を組み、しばらく考え込んだ。そして結論は一つ。


 また会いに行こう。


 次の日、彼は牢の前に立っていた。外に連れ出すつもりだったが、ミュレスは「一度出られたから、もういい」と静かに答えた。拒む声はやわらかく、それ以上は押し切れなかった。


 ならば──せめて話し相手になろう。


 アレスは外の景色や村の出来事、時には最近の失敗談まで、なんでも話した。彼女が少しでも笑ってくれれば、それでいい。

 外の話をたくさんすれば、いつかきっと、また出たいと言ってくれる。そう信じて。


 それからも、彼は毎日地下牢を訪れ続けた。



+


『……遅いな。アレスくん』


 いつしかミュレスは、アレスが地下牢に来るのを心待ちにするようになっていた。

 彼が訪ねてくるたび、少しずつ食料を分けてもらい、やせ細っていた身体は年相応の少女らしい姿に戻っていた。


 扉はいつでも開け閉めできる。

 この地下牢に来るのはアレスだけ。鍵が壊れていることも、この場所が二人きりの秘密であることも、ミュレスにとっては何より嬉しいことだった。


 ……だが、その日。


 時間が刻々と過ぎていく。

 アレスが持ってきてくれた時計の長針は、静かに、しかし確実に動いていく。


 ──午後二時。

 二時半。三時。三時半。四時。四時半。四時四十五分。


 ……いくら待っても、アレスは現れなかった。


『……っ』


 胸の奥に、ちくりとした痛み。

 会いたい。その気持ちは膨らむばかりで、ついに痺れを切らしたミュレスは牢を抜け出した。


 階段を駆け上がり、外へ出る。夜の鐘が鳴り、空は夕焼けに染まって世界が赤く揺れている。


 ──アレスくんの家は、確かあっち。


 迷うことなく足を向ける。だが、家の前に立った瞬間、彼女は立ち止まった。

 突然訪ねれば、驚かれるだろうか……そんな不安が胸をよぎる。


 そっと家の周りを回り込み、窓を見つけた。

 覗き込むと、部屋は空っぽ。だが、奥から微かに声が聞こえる。

 アレスの声だ──すぐにわかった。


 ……だけじゃない。もう二つ、楽しげな声が混じっている。


 目を凝らすと、奥の部屋でアレスと、年の近そうな少年と少女が笑い合っていた。

 三人とも、とても楽しそうだった。


 ミュレスは視線を落とし、窓から離れる。

 背を向け、静かにその場を去った。


 地下牢へ戻る道の途中。胸の鼓動が速まる。

 アレスの笑顔を見た瞬間から、どうしようもなく悲しい気持ちが押し寄せていた。


『……ひっく……』


 頬を伝う涙。理由はわからない。

 それでも、止まらない。


 ──そのとき。


『おや、どうしたんだい?』


 声に顔を上げると、そこに老婆が立っていた。

 白い髪を後ろで束ね、深い皺の間から優しい笑みを覗かせている。


『こんな所にいたら風邪をひくよ。お家にお帰り』

『……家なんて、ない……』

『……?』

『私、ずっと一人なの。一人で、牢に……ひっく…』


 涙をこぼし続けるミュレスに、老婆はふっと口元を緩め、懐から小さな黒い箱を取り出した。


『……これは?』

『その箱はね、開けると幸せになれる不思議な箱だよ。お前さんにあげる』

『幸せに……?』


 蓋を開ける――中は空っぽ。

 顔を上げたときには、もう老婆の姿はなかった。


 翌日。

 ミュレスの周囲で異変が起こった。


 姉・ミュルスから、巫女の力が失われたのだ。

 激怒した両親は、ミュルスをミュレスと同じ地下牢に閉じ込めた。


 鉄格子の向こうで、二人の視線が初めて交わる。


『あなたは……?』

『私はミュレス。あなたは?』

『ミュルス……』


 ミュルスは戸惑っていた。巫女の力は本来、一生消えることのないもの──それがなぜか、跡形もなく失われた。

 そして両親の怒りの理由も、牢に入れられた理由もわからない。


 彼女が泣き出すのを、ミュレスは黙って見つめる。

 口元には、ほんの僅かな笑み。


 ──わかっている。

 力は消えたのではなく、自分の中へ移ったのだと。


 胸の奥で、黒い渦が囁く。


 「欲しいものがあるなら、どんな手を使ってでも手に入れろ」


『ねぇ……ミュルス』

『……?』


 その日、ミュレスは初めて巫女の力を使った。


 ──彼女の傍らにあった黒い箱の存在を、知る者はいない。


 そして数年が過ぎ、ミュレスは十九歳になった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ