思い出すのは ※ジン視点
今から約八千八百年前。
俺たちの住む地球は、宇宙から突如現れた“箱”によって一度滅ぼされた。
そして五百年余りの月日が流れ、箱の中で滅んだ地球はその姿を変え、新たな姿で生まれ変わった。
太陽は遮断され、空も大地も自然の息吹を失った。光も風も水も、すべてが人工物へと置き換えられ、人間はそれに適応するために進化を遂げ――やがて現在の形に至る。
……なぜ地球は滅ぼされなければならなかったのか。
その答えは、歴史保護会館に保管された書物に、事細かく記されている。
地球が滅んだ理由。
その根幹にあったのは――たった二人の女性の存在であった。
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「……二人の女性の名は、セレーナ・ウールスとレアフィリス・スォール。彼女たちは“箱”を手にしていた。何でも願いを叶えると伝えられた伝説の箱。彼女たちはその箱に願いを託し、地球を――たった一つの箱で――滅ぼしてしまったのだ」
やがてその箱は、宇宙でもひときわ美しいと謳われた青き星を、醜い姿へと変貌させた。
その箱は、地球全体に呪いを刻みつけた。
これこそが、後に伝承される“箱詰め地球の呪い”の始まりである。
「だが、ここで一つの疑問が残る。彼女たちが手にしていた“箱”とは何だったのか。神の所有物だったと推測する者もいたが、真実はもはや定かではない。調べる術はすでに失われてしまった。なぜなら――箱は彼女たちの死と同時に、この世から姿を消してしまったからだ」
………。
パタン、と本を閉じる。
「はぁ……」と、机に頬杖をついて深々とため息をついた。
積み上げられた本の塔の上に適当に放り投げる。難解な文字ばかり並ぶこの書物に、正直つき合っていられない。
頭に入ってきたのは「退屈」と「眠気」くらいなものだ。
「……なんか、どれもパッとしない内容だなぁ」
目を閉じる。
――脳裏に浮かんできたのは、文字ではなく鮮烈な映像。
血の匂い、響き渡る悲鳴。
そして、あの二人――レアフィリスとセレーナを打ち倒した、あの瞬間。
文字よりもよほど重く、鮮明に焼きついた記憶が蘇る。
そして思考はそのまま、あの戦いの後……ケアテイカーたちが辿った運命へと流れ込んでいった。
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――闇の中で、声が響いていた。
箱と名乗る存在と、言葉を交わした記憶。永遠のように続いた対話の後、ふと身体の感覚が戻ってきた。
瞼を開けると、視界いっぱいに仲間たちの顔があった。クレイズが眉を寄せ、親父は安堵と警戒の入り混じった表情をしている。ケアテイカーは今にも泣きそうで、口を結んだままじっと俺を見ていた。
「ジン、無事か?」
「……大丈夫、だ」
死神の問いに、かすれた声でそう言う。驚くほど、自然に嘘が口から出た。
心配をかけまいと振る舞うのは簡単だった。みんなの表情が少しだけ和らぐのを見て、胸の奥に鈍い痛みが広がる。
本当は――大丈夫じゃない。
箱の声はまだ耳にこびりついていた。「世界を滅ぼせ」という命令めいた囁き。拒絶しても、反発しても、静かに、粘つくように染み込んでくる。
だが、この場で口にすることはできなかった。
戦いは終わった。皆がそれぞれの傷を抱えながらも生き残り、勝ち取ったわずかな安息を壊す権利は、俺にはない。
だから――笑って見せた。
「本当に平気だ」と、芝居を打つように。
しかし、神華城をあとにしてからも、胸の重さは消えなかった。
空気は澄んでいるはずなのに、肺に入る度に濁っていくような感覚。足取りは重く、頭の奥では声が反響していた。
ケアテイカーだけは、その違和感に気付いたらしい。
「ジン、……何か隠してない?」
歩みを止め、問いかけてくる。
答えられない。
俺はただ首を横に振り、「何でもない」と返す。
その瞬間、ケアテイカーの目に戸惑いが一瞬浮かんだ。
追及はなかったが、沈黙がやけに重たく、彼の心に残ったモヤモヤが皮膚越しに伝わってくる気がした。
「あっ!たいちょー!」
「こっちっス!こっち!」
俺たちは無事に神華城を脱出し、タルオスオールたちと合流した。
戦い抜いた安堵と疲労に包まれ、俺たちは魔封術師の国へ戻る。
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……うん。戻る。
戻った、んだよな。あれから、無事に。
「…………、?」
額に手を添えて眉をひそめる。
……このあと、俺たちはどうしたんだっけ。
思い出せない。そこで、俺の記憶は途切れていた。
まるで黒く塗りつぶされたかのように、そこから先がない。
必死に脳内をかき混ぜて思い出そうとするも、何度やったとて全然無理。
古びた紙の匂いが鼻を突き、ただ俺は積み上げられた本の山の中で、ひたすらページを捲っていくしか出来なかった。
「……………」
――今から約八千八百年前、地球は滅び、箱によって姿を変えた。
そんな記述を嫌々なぞり、退屈そうにページを閉じる。
「……ほんと、どうしようもないな」
吐き捨てるように呟き、積まれた本の塔に投げるように置いた。
あれから、随分と時間は流れていた。
ケアテイカーたちと共に、呪いを祓う旅をしていたあの日から――すでに千年以上もの時が過ぎていたのだ。
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本を棚に戻し、荷物をまとめて歴史保護会館をあとにする。
扉を押し開けた瞬間、風が頬を撫でた。自然の匂いが鼻を掠める。
地球は少しずつ元の形を取り戻しつつある。
青い空も、緑の大地も、まだ遠いけれど確かにそこへ近づいている。
俺は胸に手を当てた。そこに――箱がある。
耳の奥に、あの声が響く。
(どうした?疲れたか?それとももう諦めたか?いつでもいいんだぞ?世界を滅ぼす準備は、とうに出来ているからな)
「…冗談言うな。まだ始まったばかりだろ。最後まで付き合ってもらうぞ。約束だからな」
(………ふん。物好きめ)
「…………」
永遠に続く運命。
果てしない道のり。
ケアテイカーたちのいない未来を、俺は一人歩いていく。
世界を滅ぼすためではなく――地球を、かつての美しい姿へ戻すために。
それが、箱との約束。
そして、俺が背負ってしまった宿命。
振り返ることなく歩き出す。
終わらない旅路へ、再び足を踏み入れた。




