こんな日々に終止符を
やはり、心のどこかで最後に希望を求めていたのだろうか。どうせ無意味で報われないと思いつつ、なんとなく電話をかける。
『はい、どうされましたか。』
「別に、何が嫌ってわけでもないんです。ただ、ぼんやりとした不安が大きすぎて。」
『何か悩み事があるのですか?もし今が辛いとしても大丈夫です、きっと解決出来ますよ!具体的には何ですか?』
「具体的に…。」
…怒っていたから、あくまで言い回し、時間を無駄にしたく無かったから、急いでいたから、どんな理由が何であっても〈人の時間を取るくらいなら死ね〉などと言うようなことを言われる位の価値しなない自分。一瞬でも刹那でも、それよりもっと僅かな時間でも、親にそう思われる人。挙げ句の果てには目標もやりたいこともないけど、言われた事も完璧には行えない、自分の環境は日暮らしの人よりは恵まれているのに死にたいと思う事もある、我が儘な自分。
『思い当たる事がなかったり、言いたくなければ他の事でも構いませんよ。もちろん、秘密厳守なので安心しておっしゃってください。』
「そうですね…、強いて言えば…」
10分程話したが、考えが変わる事はなかった。電話を切り、スマートフォンの画面を見た時に明日が自分の誕生日だという事に気がついた。
…あぁ、あと数時間で30代突入か。
ネオンライトに染められた見知らぬ繁華街の夜景を見ながら、ただそれだけが頭の中でこだましていた。
…あとほんの少し生きてみたかった?いや、悔いはない。
重量によって感じる未体験のスピードは気分の高揚感に拍車をかけた。凄じい速さで地面が自分に迫ってきた、その刹那、何もわからなくなった。
男は別に親族や親友が亡くなった訳でも、仕事で大きな失敗をしたり大きな借金を負った訳でもない。ただ、ぼんやりとした不安に日々蝕まれて空っぽになった存在意義にうんざりし、良くも悪くも平凡以下の自分に嫌気がさしただけだった。
男は幼少期から平凡であった。足が速い、手が器用などの特技がある訳ではなかったが、これと言って日常生活に困る事もなかった。中学や高校になると他人と比べて抜きん出た何かを求める様になり、様々な事に取り組み挑戦したが、どれも中途半端に終わってしまった事で、結局は平均的存在にとどまった。
平凡ではあるが「そこそこの人生」を歩み続けていた。
しかし、男はその「平凡」になる為に人一倍の努力をしていた。暗記が人より苦手でも学力試験では暗記力が問われ、そこそこ有能な人物として見られる為だけでも行動力と難しくない事柄には失敗せずに対処する事が求められた。
一見、当たり前で些細な事だが、その努力を行う本人にとっては大きな苦痛に等しかった。
なので、本人からすれば努力しても報われないように感じられ、次第にその努力を払う事すら無駄に思えて努力に漫然と取り組むようになった。そこからは悪循環しか待っていなかった。いくら型式的な努力を行っても意図せずとも自然に漫然とした努力しか出来ず、その結果平凡すらも手に入れられなくなり、ますます努力に対する虚無感しか得られなくなった。また、それと同時に平凡に追いつけなくなった自身の将来に対する不安は日々増していく一方だった。
その後、大学受験に失敗し浪人するも上手くいかず地元の私立大学に入り、上京して就活をするが非正規雇用の派遣社員にしかなれなかった。日々の倹約で貯金はある程度貯めれたが、派遣である以上、不安は拭えなかった。また、同時に周囲からの評価が下がり始め、以前は気遣いをしてくれた人ですら当然のようにほんの少し見下す様な言動を自然としてくる様になった。更に残念なのは、その言動の本人は無意識で気付いていないので責めようも無く、やり場のない無念さだけが彷徨う様になった。
男は自身が薄志弱行であると思い至り、高校の頃の様に様々な事に再び挑戦する様になった。しかし、既に【大人】になった以上、周りの評価は厳しく冷淡なものであった。そして、その評価に耐え切れず逃げ出したが最後、【無謀で無責任】と評価が失墜する事を繰り返した。思い付く事の全てに手を出した後には、もはや何をする気力も残っていなかった。
仕事にすら嫌気を感じた男は、同僚からの更なる幻滅される可能性を避ける為に、滅多に使わない様にしていた有給を月曜日から1週間分連続で取り、はっきりとした予定もないまま休む事にした。
1日目は朝から子供の頃に夢中になっていたゲームを久しぶりにプレイした。途中で飽きると、今度は巷で話題のアプリゲームなどを数個遊んでみた。途中までは夢中になったが、結局飽きてしまった。気付けば夕方になっていた。残ったのは虚無感と空腹感だけであった。
2日からは前日の反省を生かし、帰省することにした。勿論、事前に計画していた訳ではないので午前10時に連絡を入れた。帰省と言っても交通費には出来るだけ出費したくないので鈍行列車と高速バスに乗って向かったので、向こうに着く頃には夕方が始まりかけていた。急遽、押しかけた割に母親は好意的に迎えてくれたが、それは失業したと思い込まれて憐れまれていた事を夕食の際に知った。事情を説明すると行動を不思議に思われたが無理もない事だった。
3日目は地元を昼間からフラフラと彷徨っていた。と言うのも、自室でぼんやりと過ごしていると自分の子供の頃の嫌な記憶が思い出されるので昼食を食べ終えてから即座に当ても無く外出し始めたからであった。しかし、一度思い出してしまうと芋づる式に関連する思い出を思い出し、嫌になっていた。その思い出の多くは苦手であった勉強とその当時に父親に言われた嫌な記憶だった。
4日目は、置きメモを冷蔵庫の側面に付箋で残して、早朝から帰る事にした。早ければ昼過ぎに自宅へ帰れるはずだったが、高速道路での事故で起きた渋滞にバスが巻き込まれて、またも夕方になった。午後は少し遊んで回ろうと考えていたが中途半端な時間だけが残されたので翌日以降の大雑把な計画を立てた。そして、5日目に押しかける事にした友人に連絡を入れて時間調整をして、その日は終わった。
5日目、まだ金曜日だったので友人は出勤しており夕方まで暇だったので、少し普段よりも質の高い物が扱われている食料品店に立ち寄り、お礼用のお酒とおつまみを購入してから友人宅に訪ねた。他愛もない世間話や思い出話で盛り上がった。ただ一度、何故いきなり会いに来たかと尋ねられたが、曖昧に答えると「そっか。」とだけ返して、それ以上聞いてこなかった。その後、あまり酒に強くなく酔い潰れた自分は翌朝まで友人宅で寝っ転がる"邪魔者"となった。
6日目、目が覚めて、ようやく自分が迷惑をかけていた事に気付き友人に謝罪をしたところ、特に気にしていない様子だった。偶然、友人の他の家族は旅行に行ってしまっていたらしい。土曜日だったので、回遊に付き合ってくれた。帰りの別れ際に友人から「何を考えているのか知らないが、死ぬのだけはやめておけよ」と言われてドキリとした自身に驚いた。そして初めて、自分が今望んでいる事に気がついた。その夜は、ひどく葛藤していた。ここ最近の意味があるとは思えない日々に対する嫌気や不安により、自身が望んでいた事を実現して良いのかという迷いだった。
7日目。朝からATMでお金を一定額下ろし、また枠の小さいクレジットカードを持って出かけた。移動の際はタクシーや特急列車など快適な方法を使い、食事も普段なら買わない豪華なものを食べた。そして、遊びに遊んだ。
夜になっても夕食は取らずに、高い所を探した。土地勘も一切ない土地ではスマホの検索だけを頼りに探し回った。高い場所探しで最初に拾ったタクシーのおっちゃんには勘付かれ、夢見が悪いからと言って命は大切だから無駄にするな、とお説教された後に途中で降ろされた。仕方なく、配車サービスのアプリでタクシーを呼び、探し回った。運転手には星空と夜景を写真に収めたいと誤魔化すと、良い場所に案内してくれた。そこは駅近の繁華街の裏手で、乱立する建物の一つに誰でも屋上の展望台へ入れるビルがひっそりとあった。夜まで待つと繁華街や街の夜景と共に夜空が広がったが、空模様はどこか締まりのない曇り気味だった。
…やっぱり自分は最期まで中途半端なんだなぁ。謝罪の連絡だけしておくか。
スマホを開いてチャットアプリで両親と昨日会った友人に謝罪文を書く。どれも内容は似ていて、自分は薄志弱行でハッキリとはしないが大きな不安に押し潰されたので、この辺で一旦幕を閉じておく。と言う内容だった。送信し終えた後、スマホを閉じる直前に偶然ホットラインを紹介するニュース記事の通知が来た。そして、理由もなく通知をタップして記事を開き、その記事に載っている電話番号を打ち込む。
心のどこかで最後に希望を求めていたのだろうか。どうせ無意味で報われないと思いつつ、なんとなく電話をかける。10分程話したが、考えが変わる事はなかった。電話を切り、建物の端に足をかける。
未体験のスピードは気分の高揚感に拍車をかけた。凄じい速さで地面が自分に迫り、その刹那、何も感じなくなった。
最後までお読み頂きありがとうございました。時系列上の真のラストは導入シーンに全て書きましたので、良ければ最初の導入シーンをご覧ください。今回は一話完結でしたが、今後もよろしくお願いします!