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第八話 相対するは二匹の鬼

 街北部から始まった局所的な襲撃と、街の中央で始まった巨大な騒動。その大事件に気がつかない者はいなかった。誰もがあの、三年前ほどの蠱毒の時代を思い出していた。外を歩けば悪鬼羅刹が跋扈し、どこもかしこも誰かの血痕がこびりつく。鼻を抜けるのはいつだって錆びた鉄のような臭い。朝が来れば、誰かの骸を見る羽目になる。

 住民は怯え、家に引きこもった。反対に、一人、殺人鬼が現場に向かっていた。『熾火(おきび)』だ。


「なんじゃなんじゃ……! こんな無秩序に暴れ散らかしている奴らは誰じゃ!」


 殺人鬼間ではルールがいくつか取り決められている。主に『盈月(えいげつ)』が主体となって取り決められた絶対的とも呼べる力を持ったルールである。そのうちの一つには殺人鬼間の不可侵。もう一つには無差別攻撃の禁止が含まれている。美しくないものを嫌う彼女らしいルールであり、高潔でポリシーのある殺しを望んだがゆえに取り決められた。特に後者は殺人鬼が昼間に殺人を犯さない最たる理由の一つでもあり、遵守されなければならない事項だ。

 悪人を容赦なく斬り続けてきた『熾火』にとっても、このルールは優先して守られるべき事項。実際、『盈月』の取り決めに逆らえる者などいるわけがなく今まで音沙汰なかった。

 最も音が大きい街の中央。交差点のある場所まで足を運ぶと、惨状が広がっていた。地面に転がるいくつもの死体。どれもがきっちりとスーツを着こなしていた人間だった。すぐにその数と着こなしから『戒律』であると『熾火』は判断する。ビルは何棟か倒壊し、地面は衝撃で抉れ土が掘り返されている。水道管が破裂したか、あるいは天気か、強く殴りつけるような豪雨。炎が見えるビルの中には、『戒律(かいりつ)』の死体が見える。交差点に放り出されているものも含めれば、その数は六十を超える。異常な光景だった。

 そしてその中央。交差点のど真ん中に立ってサイコロを振り続けている少女がいた。銀髪に翡翠の瞳。小柄な体格で、雨に濡れた髪が頬に張り付いている。間違いなく、一度『熾火』が首を刎ね飛ばした相手だった。


「『熾火』……どうしたんですか。また私を殺しに来ました?」

「なぜ……あの時、確実に貴様の首を……」

「ご生憎さま、あの程度では死ねなかったみたいで」

「化け物が」


『熾火』はすぐさま抜刀。切っ先を彼女に向ける。


「面倒なのに遭遇しましたね。時間、稼げるでしょうか」

「何が目的だ。こんなことをして……」と苦々しい表情で絞り出す。


「さぁ、なんでしょうね」


 その表情は、殺人鬼のそれだった。血に塗れてなお、美しいとさえ思えるその銀髪。奥に包まれた表情は、温かいものだった。サイコロを見つめているが、その瞳には慈しみさえ感じられる。常人から逸脱したそれは、殺人鬼である『熾火』にすら背筋に薄寒いものを感じさせた。


「貴様……本当に人間か」

「疫病神ですよ」

「なら、やはりここで叩き切った方が世のため、というものか」


『熾火』は地を踏み、蹴り飛ばす。最初、少女と出会った時のように肉薄し、刃を振るう。しかし、彼女は体をよじり、軽々と斬撃を回避した。回避と同時にサイコロを手放すと、『熾火』がそれを踏みつけバランスを崩す。大きく体勢が崩れたところを少女が蹴り飛ばすと、反動を利用して大きく距離を取った。

 柔軟性だけではない、『戒律』と戦った戦闘の経験値。加えて不幸を一身に受けてきた彼女の生存本能がその動きを可能にした。


「前から思ってたんですけど」

「……なんだ」


 体重の軽い少女の蹴りに、わずかに怯みはしたもののすぐに刀を構え直す『熾火』。前と同じようにはいかないと判断したのか、相手の出方を伺っていた。


「あなただけ、殺人鬼の中で場違いというか、少し毛色が違いますよね」

「何が言いたい」


 少女のいう通り、『熾火』が殺人鬼になった経緯は特殊だ。他の殺人鬼四名が蠱毒の時代に大量虐殺を犯し時代を生き抜いたのに対して、『熾火』は消極的な殺しのみだ。いわば“逃げ”に特化していると言っても良かった。命の危険が差し迫った時と、彼の基準に障る悪人のみを斬るのみで、それ以外は基本的に無視するか殺生を避けている。

 掲げる殺意は“燃え尽きぬ殺意”。老齢にして未だ刀を振るい続ける背景には、在りし日の妻の姿。そんな彼女の分まで、生きながらえるためだけに殺しを続ける消極的殺人鬼。


「要するに──殺人鬼の中でも格が下ですよね。たまたま生き残ったから殺人鬼になった、おこぼれの王様」

「そう思うのなら、試してみるか」


 草色の和服に、紺色の帯。笠を被る老齢の侍は、消えない殺意を燃やし続ける。目の前の悪人を裁くため、それが亡き妻の望みだと、あるいは自分にとっての復讐のため。一歩、踏み出した。


「……あれ」

「ふん、次こそ首を刎ねる」


 不幸を生きてきた少女の生存本能は、目を見張るものがある。だが、目の前で相手をしているのは、蠱毒の時代を──何より、あの『盈月』がいたあの時代を生き抜いた抜群の生存本能の化け物。その右に出る者がいないと言っていいほど、逃げ足に優れた剣士。最高齢にして殺しをやっていられるのは、老いてもなお、いや老いるまで死ぬことがなかったというその実力の裏打ち。

 生きるため殺す。その瞬発力は、少女の予測を数瞬上回った。

 超スピードで突撃した『熾火』の攻撃。致命傷を避ける程度のことしか許されなかった少女の左腕が切り落とされたのだ。


 「へぇ、速い」

「悲鳴一つすら上げないか。大した胆力だな」

「死ぬよりはマシなんで」


 怯む様子もなく、少女はサイコロを取り出して投げつける。一瞬ではあるが、『熾火』の視線を切ると、切り落とされた左腕を投げつけた。ただでさえ短い左腕を、さらに『熾火』は両断する。


「正気とは思えんな」

「エコですよエコ。リサイクル精神大事にしていきましょう」


 するとまた、大型トラックが少女の背後に現れた。暴走し、アスファルトをえぐるように突っ込んでくる。先程投げたサイコロの出目による不幸だ。少女を巻き込み、勢いを殺すことなく『熾火』へと突き進む。


「なんじゃあ、この暴れ牛鬼が」


 トラックの勢いのまま、フロント部分に磔になっている少女ごと横切り。ケーキのスポンジに挟まる白いクリームのように、トラックの間を鋼が通り上下に両断する。

 斬られてなお、慣性のままに突き進む二つの鉄塊。斬撃によって生まれた僅かな一文字の空間に『熾火』は身体を滑り込ませ回避する。


「……切りそこねたか」


 着地し、背後を振り返ればまたも立ち上る黒煙と紅の炎。豪雨と言えど、すぐには洗い流せない惨状。

 瓦礫に埋まる少女は、側頭部を抑えて思考を巡らせていた。


(死に損ねた……まずいですね。この分だと後数分で気絶しますよ……)


 少女の身体は不幸に耐性を持っていた。焼死や感電死、轢殺刺殺など繰り返されてきた彼女の身体はそれら死因にある程度の耐性を得ている。この程度のことでは死ねない。

 それに加えて『熾火』から受けた傷が致命的だった。左腕に加えて、右耳の切断。失血量からして、気絶は目前。不幸を消費して蘇生を可能とする彼女だが、逆に言えば“死ななければ傷は快復しない”。気絶するイコール無力化となる。失血死して蘇生すれば問題ないが、それまでの時間差が生まれてしまう。


(仕方ありませんね……自決用のナイフで──)


 懐に忍ばせていたナイフを取り出し、胸に押し当てたところで頭上の瓦礫が退けられる。少女の想定の範囲外。炎上したトラックにわざわざ入ってくる命知らず。

 ──生存本能をたぎらせる『熾火』とは正反対の、命一つを紙切れのように扱う殺人鬼。


「逃さん」


『戒律』だ。きっちりと着こなしたスーツを燃やしながら、髪を燃やしながら、命を燃やしながら、瓦礫を押しのけ少女の首を掴む。

 尋常ならざる握力で掴まれた少女の細く白い首がきゅうと音を立てた。窒息している。

 失血に加え、窒息。すぐに少女の視界は奪われた。意識はかろうじて残っているものの、ブラックアウトした画面を見つめるしかない。

 沈黙した少女を、『戒律』は背後に投げる。役割は果たしたと言わんばかりに、その体格の良い肉体を背後へ倒した。『戒律』は、どこまでも”数”の殺人鬼。その一人一人は、その”一”にすらカウントされない。

 さながら、死者数の端数を切り捨て報道するニュースのように。

『熾火』さん、少女ちゃんの指摘通り殺人鬼五人の中だと底辺の実力です。

でも長生きなおじいさんだから、生存能力は他四人よりもずっと高いので、正しくは殺す能力が最底辺で、死なないことに関しては最強クラスです。

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