第二夜 情報屋は多くを語らない
場所は移り『茫漠』と少女の二人は『熾火』と別れた場所から北へ向かっていた。他の殺人鬼に遭遇しないようなルートを互いに熟知している彼らは軽やかな足取りで暗くなった大通りを進む。夜に街を動かす人員がほとんどいない都合で、日が暮れれば月明かりと街頭のみが頼りになる。
「まさかとは思いますけど、本当に『戒律』を殺すつもりですか。穏便に解決しようとか、ないんですか」
先に静寂を破ったのは少女の方だった。
「『戒律』はどこまでも合理的な判断しか下さない。数が多いから、そういう判断しかしない。結果、俺みたいな邪魔な因子は値踏みがどうとうかよりさっさと殺してなかったことにしよう、って言ったほうが楽だろ? 簡単な話、『戒律』側は俺を殺す以外のメリットがないから殺しに来る。必ずな」
全国にその網目を広げる『戒律』は最も合理的で理性的と言って良い。その大群をまとめるため、私情は一切許されない。故に、常に冷静な判断が下される。時間と金を最大限確保できるような立ち回りは、目を見張る物がある。
「そういうわけで、俺らには戦う以外の道はない。逃げても相手は全国に散らばる殺人鬼。逃げこそ無駄ってもんだ」
そう締めくくると、話題を転換するように「そう言えば」と『茫漠』は口にした。
「きみの名前を聞いてなかったね。なんて名前?」
「私に名前はありませんよ。強いて言うのなら疫病神です」
「呼びづらいな。まぁいいやとりあえず”きみ”で。あとずっと聞きたかったんだけど、なんでサイコロ振ってんの?」
『茫漠』は少女の持っていたサイコロを指さした。ずっと持っている三つのサイコロ。大切なものなのか、あるいはないだろうが彼女の武器なのか。少しの期待を胸にする『茫漠』を裏切るように、少女は回答する。
「これで不幸の前借りをしてるんですよ。ほら、出目をよく見てください」
そう言われ、『茫漠』が彼女の手のひらを覗くと一、二、三の出目が揃っていた。
「……チンチロかよ!」
「はい、いわゆる一二三を連続して出すことで、わざと不幸を呼び起こして私のアクシデントを回避してるんです」
「ちなみにそれを止めるとどうなるの?」
「少しくらいなら平気ですけど、あんまり放置してると落雷が」
「ずっとやっててくれ」
先ほどサイコロを振っているにもかかわらず『熾火』との戦闘では不幸が連発したのは別の条件があるのだろう。容易に予想できるものと言えば、彼女が明確な目的を持ったことだ。”『熾火』に殺される”という目的を持ったことで、それを阻害するように運命が傾いた。
実際、とりわけ自殺しようとしたときにより強く不幸の傾向が現れると少女自身は語った。
「というか、あのときはとっさに了解しましたけど、あなたどうするつもりなんですか」
了解、というのは『戒律』殺しの件だ。
『戒律』は全国各地に散らばる殺人鬼。その集合を個とするとはいえ、大勢の人間が動いているのは事実。『戒律』全体に利益のあることはどんな手段も厭わない。不死身の身体を持つ少女を手に入れれば、一生被験体として扱うだろう。
それを回避するため、『茫漠』の提案に乗ることに問題はなかった。だが、それ以前に大きな問題が存在する。
「どうするって?」
「殺人鬼殺しですよ」
殺人鬼殺し──この街のタブーにして”未だ達成されぬ偉業”である。
異質な五人の殺人鬼が蔓延るこの街は、『深夜に出歩いてはならない』という大きな制約と引き換えに絶対的な昼の安寧を手に入れた。現在、殺人鬼は警察よりも現行犯に対して速やかに死刑を下せる──ある意味厳正にして迅速な執行官の役割を持ってしまっている。昼に悪事を働き、”たまたまその被害を殺人鬼が僅かにでも被るなら”ば、その夜には確実に骸にすることができるからだ。
そんな街ではどんな悪人だろうと犯罪行為に手を染める気になるはずもない。
ただ、殺人鬼殺しが為されてしまったのならば?
悪人は思うだろう。下卑た笑みを浮かべながら、「束になればたとえ天下の殺人鬼でも対処しきれない」と。その先に待っているのは街のカオス化と巨大な犯罪組織の形成。今まで抑圧されてきた反動もありその影響はどこまで肥大化するか計り知れない。
「殺人鬼殺しは俺がその席に着けば良い。それで反抗心は抑えられる。ただ問題は──」
そこまで言いかけたところで、『茫漠』は足を止める。暗がりでよく見ないが、古びた建物が目前にある。なにかの店舗なのか、しまっているシャッターの窓口を叩く。
「アイスコーヒーを一つ。サイズはMで氷は抜き。ガムシロ二つにミルクはナシで」
シャッター越しに聞こえるような声ではなかったが、すぐにその戸は開いた。中からは血色の悪いやつれた青年が出てくる。両腕には包帯を巻き、片目には眼帯。タレ目で黄金の瞳はまっすぐと『茫漠』を捉える。小綺麗な彼とは対象的な青年だ。
「『茫漠』……なんの真似だ。ここはスパイの情報屋じゃないんだぞ。そんな合言葉を取り決めた覚えはない」
「一回やってみたかったんだよねーこういうの」
「最悪な野郎だ」
「野郎だなんて、そんな汚い言葉を使うなよ。俺かわいいでしょ? きゅるん」
「気味が悪ぃ。女みてぇなのは顔だけだろうが」
髪を解けばどこからどう見ても美少女にしか見えないので間違いではないのだが、その気持ち悪さに青年は顔をしかめる。
同じく『茫漠』を冷たい視線で流し見している少女に気づいた彼はそちらに視線を落とした。
「何だこのガキは。まさか、お前年下趣味なのか? これ以上気色悪い要素を増やすなよ変態」
「紹介するよ。こいつは”メイル”。いわゆる情報屋というか便利屋みたいなもんだね。そのへんのゴロツキから殺人鬼まで広く対応してくれる無愛想なカスだ」
「無視すんじゃねぇそんでもってカスでもねぇ。殺すぞ」
「殺人鬼殺しはタブーだぜメイル」
「それを計画している人が何言ってるんですか」
その少女の一言に、メイルはまたも顔をしかめる。最初の分も相まってもはやしわくちゃだった。嫌悪を隠すつもりもなく「はぁ?」と二人に向けて言い放つ。
「ふざけんじゃねぇ。誰を殺すか知らんが、殺人鬼殺しに加担するのは無理だ。死ぬとわかってて飛び降りる馬鹿じゃねぇぞオレは」
「ちなみに殺す相手は『戒律』だ」
「余計無理だ。手を出したらオレの平穏はなくなる」
『戒律』が最も警戒される理由がそれだ。やつに手を出せば、その瞬間から日常はなくなる。全国各地に散らばるという特性故に、どこに逃げても追われる身だ。あらゆる場所に潜んでいるため、どれだけ逃げようともその足跡を調べられ、絶対に追いつかれる。
そして、それを”やってしまった”のが──
「私はもう『戒律』の末端、殺しちゃいましたけどね」
「なぁぁぁにやってんだお前ぇぇぇぇぇぇ!!!」
メイルは今度こそ叫んだ。なんてやつに関わってしまったのだとそこで後悔する。彼の表情は今までにないほどに歪んでいた。
「『戒律』に喧嘩を売っただぁ!? てめぇ、なんてことを!」
「正当防衛ですよ。仕方ないでしょう」
「だとしてもそれだけはダメだ! 帰れ帰れ! オレは死にたくねぇ」
「まぁまぁ、それに関しては”俺がこの子の近くにいる限り”大丈夫、そうだろ?」
「それは……」
メイルは黄金の瞳をもう一度『茫漠』へ戻した。紅蓮の瞳とバチッと視線がぶつかる。
「……いや、それもそうだ。今『戒律』に追われてる『茫漠』が未だ発見されていない。『戒律』の情報収集能力と人海戦術を持ってしてもなんの形跡も見つかっていないんだ。そうだな、いいだろう。その言葉を信じるに足るだけの情報がこちらにはある」
「落ち着いてもらえて何より。それで本題に入るけど、今俺ら二人共『戒律』に追われている身だからね。『戒律』は殺すつもりだ。そこで”最大の障壁になるのが『ヴィジランテ』”ここまではわかるだろう?」
その言葉に、少女は首をかしげた。
『ヴィジランテ』──夜の街に動けなくなった警察に代わるような自警団。その戦力は洗練された実力者と、なにより莫大な資金源で『戒律』を味方につけている。相手は殺人鬼だが、中でも最大の活動資金を欲する殺人鬼だ。相応の対価があれば応じるという特性を利用した。
だが、実力者といっても殺人鬼には遠く及ばない有象無象の集まり。『戒律』は確かに脅威ではあるが、結局『ヴィジランテ』という組織事態は大した脅威にならないというのが通説だ。
仮にも六人目の殺人鬼を名乗る『茫漠』の障壁になるとは、少なくとも少女は到底思えなかった。
「オレはわかってるが、そこの嬢ちゃんがわかってないみたいだな。お前、ちゃんと説明したのか?」
「してない」
呆れたように大きくため息をついて、メイルは窓口から身を乗り出す。少し身長に差があるから、少女のほうへ顔を近づける。
「いいか、この街は警察が動かない。『深夜に出歩いてはならない』というこの街だけの暗黙の了解を守っていれば殺人鬼は無害だからだ。わざわざ命の危険を冒してまでやぶ蛇しようとは思わないわけだな。そしてそんな警察に痺れを切らしてできたのが『ヴィジランテ』ここまではわかるな?」
「えぇ、それは私も調べがついてますから」
「大事なのはその先だ。”なぜそんな組織が形成された?”」
その質問の意図を計りかね、少女は首をかしげた。先ほどメイルも言っていたように警察に痺れを切らしてできたのが自警団『ヴィジランテ』それ以上でも以下でもない。
──いや、”だからこそ”。
「……『ヴィジランテ』形成に、『盈月』と内通している者がいる可能性?」
少女はたどり着く。
自警団形成──そんな”命知らずは何者”だ。そもそも警察が夜の街に手を出さなくなったのは殺人鬼が圧倒的だからだ。それにもかかわらず自警団は形成された。殺人鬼に潰されるという心配をする様子もなく作られた。さらに『ヴィジランテ』は今になってもその体裁を保っている。いくら『戒律』含めた組織が異常な戦力を有しているとはいえ、殺人鬼を圧倒できるだけの力はない。特に街の異物になり得る組織を『盈月』が放って置くとも思えない。
考えられる可能性は一つ。夜の王者である『盈月』と何らかの手段で『ヴィジランテ』が接触した。それこそ『ヴィジランテ』が『戒律』を手中に収めたように、彼らは街最強のパトロンを得ることで、『ヴィジランテ』を形成したのではないか。
それならば他の殺人鬼たちが『ヴィジランテ』をわざわざ制圧しようと考えないのにも頷ける。
「随分頭の回転が早いらしいな」
「理由も事実も定かじゃないですけど、『盈月』という最強の後ろ盾を手に入れれば自警は可能でしょうが……」
「腑に落ちない、か?」
そもそも殺人鬼たちは夜出歩く人間しか襲わない。自警というのなら家からでなければいいだけ。とどのつまり、『ヴィジランテ』の目的は現状よりも上──街の奪還ひいては殺人鬼の排除。それを為すのに『盈月』を後ろ盾にしていたのでは本末転倒だ。
「まぁ、そのへんは誰にもわからねぇんだ。『盈月』自体、神出鬼没の殺人鬼だ。事実は『ヴィジランテ』創設者と『盈月』か『戒律』くらいしか知らないだろうな。はっきり言って本当に『盈月』が協力しているのかさえ謎に包まれてる」
「情報屋が聞いて呆れるな」
「情報よりも大事なものがあるんだよ」
そう言うとメイルは『茫漠』を睨みつける。
「で? そんなブラックボックスのなんの情報を所望する?」
「情報よりも大事な物があったんじゃないのか?」
「矜持より大事なものはない」
メイルがそう言うと、『茫漠』は満足そうに身体を前傾させる。窓口に顔を突き出すような形になる。
「俺が今欲しいのは『戒律』がこの街でどんな動きをしているかだ。『戒律』の”目”が虱潰しに俺を探しているのは知ってるが、それが”最も手薄な場所”を教えてほしい。単独行動している『戒律』の情報があれば最高だな」
「……なるほどな。なんとなく読めた。その情報ならこのくらいでいいだろ」
メモ帳に数字を数桁書くと、メイルは『茫漠』に見せる。情報料ということらしい。
支払い手順が決められており、後日メイルの方へ振り込むことを約束するとすぐに『戒律』の情報が渡される。ちなみに振込を怠ればメイルから今後の恩恵を一切受け取ることができなくなる。情報命の世界では死活問題にすらなり得る大問題だ。
「場所は南の大通り沿いほぼ全域だ。『戒律』のどの”部位”かはわからないが少数のみで配置されてる」
「まぁ人気の多いところだからな。それにもともと殺人鬼が出没することの少ない場所だし、そういう配置の仕方をしてるのか」
「あぁ、あの大通りですか。あそこ、前たくさんいましたけど」
「「え?」」
『茫漠』とメイルが全く同じ反応を少女に見せた。それにかかわらず彼女は淡々と話し続ける。
「あ、割と前の話ではありますよ。たくさんいたとき、私が見つかって「捕虜にする」とか言われたんで五人くらい殺しながら逃げたんですよ」
「……え、いや、え?」
メイルは目を白黒とさせている。
「俺も五人って聞いたのは初耳なんだけど。末端を殺したとは言ってたけどそんなに殺してたの?」
「私の忠告を聞かなかった相手が悪いんですよ」
拗ねたように少し顔を背ける少女。すぐにメイルは『茫漠』の首根っこを掴んで窓口に引きずり込んだ。声を潜めて二人で話し合う。
「おい『茫漠』、あのちんちくりんはナニモンだ。まさか七人目の殺人鬼とか言うんじゃねぇだろうな」
「うーん、俺もよく知らないんだよ。さっき拾ったし」
「はぁ!?」
「まさかそこまで強いと思ってなかった。メイルの言う通り七人目として仕立て上げたほうが逆に楽なのかもね」
夜の街のルールは単純なものだが、内情はそうではない。『ヴィジランテ』のような組織だったり各殺人鬼ごとの関係もある。しっかり殺人鬼として確立できるだけの実力と実績があれば”殺人鬼殺し”のタブーもあり簡単には互いに侵犯することはできない。
それこそ『戒律』と『茫漠』のようにお互いに順当な理由や正当防衛であれば別だが、私的な理由で暴れ回れば必ず殺人鬼たちから粛清がやってくる。
「お前なぁ……」
「それより問題は大通りの『戒律』だな。少数精鋭で過去にあの子が事件を起こしてると考えると”腕”の可能性が高い」
『戒律』が一つの個として見られている中でも、身体の部位を文字って作られた部隊とも組織とも言える集団。”目”は視察や捜査、”腕”は様々な実行や工作、”足”は遠征など実際の人間の身体に対応したような役割分担がされている。
そして、ここで”腕”が配置される理由とあれば──末端を殺した人物の始末一択。
明らかに『茫漠』の捜索ではなく少女の殺害を目的とした配置。一筋縄ではいかない。
それでも計画に変更がないのか『茫漠』はその場から去ろうとする。情報を手に入れて即座に向かおうとしているらしい。それをメイルは引き止めた。
「ちょっとまて」
「ん? なに?」
「いや……一つ忠告する。『戒律』の配置に関して、オレの情報が少し甘かったからな」
「別にいいよそれくらい。”腕”数人じゃ俺をどうにもできないだろ」
「──仮面の男には気をつけろ」
その声音には、鬼気迫るようなものが合った。メイルの発した言葉には、重みが乗っている。違和感を覚えたように『茫漠』は振り返ってじっと見つめる。
「……聞いたことがないな、そんな話」
「悪いが、オレが言えるのはここまでだ守秘義務があるんでな。これ以上は言えない」
「ふーん。”守秘義務”ね。つまり──同業か」
メイルは昼から夜に跋扈する悪党どもの情報をすべて握っているといっても過言ではない。わざわざ守秘義務を持ち出すとすれば夜の悪党──それも、限りなく殺人鬼に近い何者か。
『茫漠』とは異なる六人目か七人目か、あるいは殺人鬼と密接に関係しているだけの参謀か。
「ま、警戒はしておくよ」
『茫漠』は少女を連れてその場を去った。向かう先は南の大通り。メイルの忠告を実直に受け止める気配もなく、『茫漠』と少女は足早に進んでいく。地獄への第一歩──殺人鬼殺しを成し遂げるために。
第二の夜とは言いつつ、初日の夜と同じ時間軸という。