第一夜 六人目の殺人鬼『 』
「はぁっ……はぁっ……なんで……っ、なんでなんでなんで! 俺はただ、殺しの依頼をしただけなのに……!」
この街の夜は、命を攫う夜だ。
夜の街の闇に紛れ、建物の光を赤く染める鬼が蔓延るこの街は、一歩外へ足を踏み出し、もう一歩影に足を伸ばしただけで簡単に魂切れてしまう。
『深夜の街を歩いてはならない』それがこの街のたった一つのルールだ。正確にこの時間から、と言うものはない。なんせ相手は気まぐれな鬼なのだから。
「あの殺人鬼っ……なんなんだよ「理由がつまらない」って……! くそっ!」
ある日そのルールを破った男はバラバラ死体で発見され、またある日ルールを忘れた女は首を絞められた痕をつけられ死んでいた。日が昇る頃、外に転がるのはいつも誰かの体と死臭だった。それを止めようとした警察は皆殺しにされ、取り入ろうとしたならず者も鏖殺される。もはや誰の手にも追えなくなった時、とうとう街は殺人鬼たちを看過することとなった。
「はぁっ……そもそも誰なんだよあいつは……!」
そこで、男の足が止まる。冬だというのに大粒の汗を垂らしながら息を整える。
「──あ? 誰だ、あいつは……思い出せねぇ。いや、見たはずだ。取引のときに、声も聞いた。だが……」
誰に追われていた? 誰から逃げていた? どこに逃げている? そもそもなんで追われている?
──今まで何をしていた?
「思い、だせない。一体、さっきのは──」
「みぃつけた」
声がする。木霊する。”それでも男はその存在に気が付かない”。
気が付かないままに、首を切り裂かれる。鋭利なナイフで突き刺され、理解もできずに重力に従って身体が地面に墜落する。
「はい、残念でした。御臨終御臨終っと」
ローブを羽織り、フードを深く被っている男だった。体格は女性的。男性というには全体的に小柄な印象で、華奢だ。声音で男だというのが分かる程度。
適当にナイフを投げ捨て薄暗い路地へ進む。
「趣味が悪いね」
唐突にそう呟くと、彼は振り返る。
物陰から出てきたのは一人の少女。
銀髪のショートヘアに、彩度の低い服。寒さから逃れるように防寒着を着込み、白い息を吐きながら薄暗い路地を歩いていた。片手ではサイコロを三つ振っており、常にジャラジャラと音がなっている。
街の人間が寝静まる頃なので、月明かりだけのくらい空間で彼女の翡翠の目はよく見えた。
「こんばんは、殺人鬼さん。私が知る五人の中に”あなたはいませんが”、私を殺してくれますか」
ローブの男は、肩をすくめながら少女に問いただした。
「何、自殺志願者? 死にたいの?」
「えぇ、私は昔から不幸体質でして。一緒に車に乗っていた両親は死に、学校に通っていたら倒壊してみんな死に、施設に入ったら虐待で私以外の子供が数人死にました。私は、疫病神なんです」
「たまたまじゃないの? 適当な行動が幸運や不運に結びつくなんて、今どき自己啓発本を愛読書にしている人しか信じてないよ」
角が立つような物言いをしながら、男は小さく笑った。
「……死んでも死なないのが、たまたまだと?」
「え?」
低い声で言い放った少女の言葉に、男が僅かに動揺する。
「私は、死のうが死にません。どう言う理屈なのかはわかりませんが、おそらく“死ねずに生き続けること“が私にとって最大の不幸なんだと思います。そうじゃないと、心臓にナイフが刺さったのに蘇生する理由とか、高層ビルから飛び降りて原型をとどめない状態から蘇生する理由とか……何も説明できません」
「へぇ……まぁ、きみがいろんな死に方を試してきたのは察するけどさ。それでも俄には信じ難いな。命を繋ぐことが不幸なの?」
「そりゃあそうですよ。私だけ生き残って、周りはみんな死ぬ。それに、延々とこの不幸を味わい続けるんです。最悪この上極まりない」
心底嫌そうに、少女は吐き捨てた。サイコロを振る手も一瞬止まる。
「まぁ俺は自殺志願者をいちいち殺すほど暇じゃなくてね。この先に『熾火』ってじいさんがいるからその人にお願いしなよ。って言っても知らないか。案内でも──」
「……知ってますよ。燃え尽きぬ殺意の『熾火』……街に潜む殺人鬼でも最高齢。刀を使って必ず首を刎ねる別名『クビキリ』とも呼ばれるおじいさん」
「へぇ……知ってるんだ」
値踏みするように、男は顎に手を当てる。
「まぁ、話を聞く限りじゃ『熾火』に殺されたところで死ななそうだけどね」
「首を刎ねたことはまだないので。とりあえず試します」
そう言いながら、少女は男の脇を通り過ぎた。もう話すことはないと言わんばかりに、興味を失った瞳で闇を見つめる。
「あぁ、あと私にはついてこない方がいいですよ」
「流石に『熾火』に殺されに行こうとする人について行くほど馬鹿じゃないよ」
「それもそうですが、先週あたり『戒律』の末端を死なせてしまったので。事故とは言え、『戒律』の総力を持ってして人海戦術で私を探しにきてもおかしくないですから」
それも、五人の殺人鬼の内の一人の名前。『戒律』——異例の“集団を一としてみる”殺人鬼だ。超大多数の人員を有する組織とも呼べる殺人鬼。ゆえに『戒律』を名乗る殺人鬼は全国各地に散らばっている。
「……待て。『戒律』に喧嘩を売ったのか。きみ、何者?」
「私が聞き返したいくらいですよ。『熾火』についても『戒律』についても詳しい上、こんな夜中に恐れもなく徘徊しているあなたの方が、よっぽど謎多き人ですから。あなたこそ、何者なんですか」
これまた吐き捨てるように言って、少女は闇の奥へと消える。ローブの男の返事を待つこともなく、彼女は『熾火』——殺人鬼の元へと向かった。
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埃の舞う廃工場。すでに機材の類は撤廃され、がらんどうとなった広い空間が広がる。学校の体育館を彷彿とさせるような縦長で天井の高い場所。その奥に、和服を着た一人の老人が立っていた。草色の和服に紺色の帯を巻き、傘を被っている。腰には一本の刀を携え、流木から切り出したような年輪のある椅子に腰掛け本を読む。
「む……誰かいるな。出てこい」
誰もいない空間に向かって声を飛ばすと、入り口付近の影から少女が出てきた。
「なんじゃ、こんな遅くに。お前さんのような子供が出歩いていい時間じゃないぞ」
「いえいえ、お気になさらず。……改めましてこんばんは『熾火』さん。早速ですが、私を殺してください」
「……はぁ、介錯をこの儂に頼むのか。最近多くて困る」
『深夜に出歩けば死ぬ』——単純なルールゆえに、これを利用する者もいる。『熾火』が辟易しているように、自殺志願者が彼のもとをわざわざ訪ねて死にに行くことも少なくないのだ。この街では自ら死に方を探すより、適当に外を歩いていた方がよっぽど簡単に死ねるのだから。
「殺人鬼のあなたでも人殺しに辟易することがあるんですね」
「いや……単純に今日はそういう気分じゃないと言うだけじゃ。今儂はラブストーリーを読んでおるのだぞ? なんで今血みどろにせにゃいかんのじゃ。甘々なのにドロドロになりたくないわい」
「……………………はぁ」
呆れたように少女はため息を吐く。一瞬だけ迷うような素振りを見せて、もう一度だけ小さく息を吐くとツバを吐くように顔を歪めて問いかける。
「ラブコメに熱心なんですね。──今は亡き奥さんを思い出してるんですか?」
「……おい、餓鬼。なぜそれを知ってる?」
静かな怒りだった。先程までの柔和なおじいさんのような雰囲気は消え去る。そこにいるのは、紛れもない”鬼”。人の皮を被って、平静を装っていても、彼から溢れ出る殺気を感じ取れる。それがたとえ本来殺しの世界にいない少女にも肌で感じられた。
──街に蔓延る五人の殺人鬼。本来何十人もいた中で生き残った、蠱毒の王者たち。その一角である『熾火』は、なおも刀を抜かずに座して待つ。
「さぁ、どこかで聞いたんですよ。かの”クビキリのルーツ”をね。泣ける話じゃないですか。この街で、首を刎ねられて殺された奥さんの仇を取るかのように、『熾火』は執拗に首を狙う。五人の殺人鬼の中でも柔和なのは、あなたが悪人ばかりを狙うから」
「よーく知ってるのう。じゃが──お前さんは斬っても後味は悪くなさそうだ」
「ただあなたの過去を少しばかり知る女の子が、悪人ですか」
「儂の過去を知る輩は、その事件に関与しているやつしかおらんよ。──まさか、生き残りがいたとはな」
『熾火』が怪しく体を揺らすと、少女の眼前まで踏み込んでいた。神速の一太刀。殺人鬼の蔓延る蠱毒を制した技の一端。だが、その一太刀は空を切る。
工場上部から落ちてきた廃材に巻き込まれ、少女ごと地面を粉砕。その衝撃で彼女は斬首を回避した。
「……げほ、やれやれ、私も運がないですね」
「貴様……今ので無傷なのか」
巻き上がる埃の中から出てきた少女に目立った外傷は見られない。本来なら死んでいてもおかしくない衝撃で、彼女は皮一つ裂けることもない。
「さっさと殺してくださいよ。さもないと──あなた、不幸になりますよ?」
「なら、お言葉に甘えてさっさとその首刎ねさせてもらおう」
だが、斬撃は届かない。何度も『熾火』が肉薄するが、その度に不幸が彼女を襲う。落雷、炎上、突風、地震……天災すら操るかのように彼女の望む死を邪魔してくる。
「ぬぅ、貴様、よほど神に好かれているらしいな」
「嫌われていますよ、じゃなきゃ、こんなに不幸になれない」
なかなか死ねない少女は、とうとう『熾火』に背を向けて走り出す。生きながらえることが彼女にとっての不幸で、だからこそ『熾火』の攻撃が不幸故に防がれているのなら、”生存に繋がる行為”をわざと行えば彼女の目的は破断し──
「お、とうとう神は貴様を見放したか」
『熾火』の一太刀が振り下ろされる。
その一太刀は、抵抗なく少女の首に滑り込む。彼女の銀髪が月明かりを反射し、瞳は光を失う。一刀両断。フィクションのように派手に血を撒き散らすこともなく、音もなく、ただただ肢体が頭部と分断されて共に落ちていく。コンクリートと肉に包まれた骨がぶつかる鈍い音を鳴らし、小さく二、三回バウンドする。
「……あっけないな。本当に死にに来ただけか」
そう言って、『熾火』は再度本を手に取った。ペラペラと先程まで読んでいたページを探そうとしたところで、頭上から声がかかった。
「ありゃ、本当に死んじゃった?」
『熾火』が一切気配を感じなかった方向から降りてきたのは、ローブに身を包んだ男だった。先ほどまで少女と話していた、あの男。
「貴様……”六人目”か」
「やだなぁ、俺は『茫漠』だと何度も名乗っているでしょう。そろそろ名前覚えてくださいよ。ボケましたか?」
「『茫漠』と名乗るなら、それらしく消え去っていればよいものを。六人目を名乗って出しゃばるとは哀れな小鬼じゃの」
蠱毒の王の四人目『熾火』にとって、ぽっと出にして新たな王を名乗る『茫漠』は無視できない因子であった。そも、この街の均衡は”ある一人”を除いて殺人鬼たちによって保たれている。そして新たな王の台頭はその”ある一人”を刺激する恐れがある。
──『盈月』と呼ばれる一人の殺人鬼。
それは、最強にして最凶にして最恐にして最狂の殺人鬼。
数年前から多くの殺人鬼が夜に跋扈するこの街で、その夜の覇者たる月の名を冠する殺人鬼。数多の星を押しのけてひときわ大きくその存在を誇示しているように、『盈月』は五人の殺人鬼の中でも抜きん出た力を有している。
名に込められた意味は──”完全”。”他四人の殺人鬼が束になろうが傷一つつけられない尋常ならざる殺しの才能”。
『盈月』こそ、正真正銘唯一にして無二の”街全員から恐れられる殺人鬼”である。
「あんたらが恐れてるのは『盈月』が自分以外の殺人鬼に対して敵対することだろ? 安心しなよ、あの人はそんなすぐに冷静さを欠く愚人じゃない」
「儂もそれは理解しているがな。……ここ最近、『戒律』の動きが活発化しているのは知っているか?」
「もちろん」
普段は全国にまでその手足を広げる、集団を個として成立させた殺人鬼『戒律』。先ほど少女が末端を死なせ、追われていると言っていたがそれ以前から『戒律』の動きが”この街に集中しすぎていた”。
「大まかな目的は貴様じゃ。新生した六人目の王の調査と──必要ならその抹殺。そしてこれは『戒律』の独断ではなく──」
「街の総意か。大方、俺が有用か有害かを見極めて生かすか殺すかってことね。"連中"が融通の効く『戒律』に依頼しそうなことだ」
「まぁ、そういうことじゃ。ようは”街全体が貴様を値踏みする”段階にあるんじゃよ。」
つまり、蠱毒の王の六人目を名乗った時点で『戒律』との敵対は避けられない。全国までその人員を展開している殺人鬼だ。一度狙われたら安寧など存在しない。さらにもしも有害と判断され『戒律』のみならず他の殺人鬼も動き始めれば──いや、『盈月』が動いてしまったのなら。
「面倒なんじゃよ。『戒律』一人で事足りるじゃろうが、もしも万が一『盈月』が興味を示すようなことがあれば、街は全力で貴様を排除しなければならない。それくらい、『盈月』が暴れるというのは異常事態なんじゃ」
「『盈月』が暴れ始めたら、俺が止めましょうか?」
笑いながらローブの男は言う。
「蟻一匹が鯨に勝てると?」
「そこは鯨じゃなくてゾウでは?」
「陸上と海中くらい、世界が違うということじゃ。深海から世界全土まで波及する大海の波に、お前ごときが抗えるとでも?」
「試してみますか?」
蠱毒の王者その一人たる『熾火』と、ふらりと霞に紛れ、朧げながらも確かに姿を現した『茫漠』。
渦巻く殺意にしびれを切らしたのは『熾火』の方だった。
「……くだらんな」
そういいながら、『熾火』は踵を返す。
「逃げるんですか?」
「安い挑発に乗るほど若くないわ。貴様の言葉には虚勢が見える。それだけの殺気を振りまきながら本気でやり合う気はないんじゃろう? 汲んでやる。儂は少し散歩にでも出る。帰るまでにはここを去れよ」
「……ありがたいお言葉で」
目にも留まらぬ速度で、『熾火』は姿を消した。音もなく、それこそふっと蝋燭の火が消えるかのような去り方だった。
静かになったところで、『茫漠』は「さてと」と少し大きく声を発した。
「これでようやく話ができる」
「……あなた、何者ですか」
「俺は『茫漠』……揺らぐ殺意の『茫漠』だ。ちょっと前からこの街の蠱毒の王の六人目を名乗ってる」
”蘇生した少女を目の前に”『茫漠』は自己紹介を済ませた。
「いやいや、俺も驚いたよ。まさか斬首されて蘇生が可能とはね。死んでも死なないって話は本当だったみたいだ」
「……私も驚きですよ。一体、どうやって『熾火』から私を隠したんですか?」
──少女は、実は少し前に蘇生を終わらせていた。ただ、そのことに”『熾火』は一切気がついていなかったのだ”。蘇生直後に殺され続けたら少女も手のうちようがなかったものを、『茫漠』はそれをだまくらかして隠した。手法は分からない。六人目の存在も知らない。だからこそ少女は警戒していた。死なないとはいえ、死なない人間を実質的に殺す方法はある。拘束の上監禁、生き埋め、溶鉱炉にでも突き落とし、再生と同時に身体を焼き尽くす。いくらでも方法はある。
敵か、味方か。奇しくも少女はそこで彼を値踏みすることになる。
「俺は揺らぐ殺意だから……まぁそういうことだ。というかそんなことより、俺からきみに提案があるんだ」
「得体のしれない男の言う事を信用しろと」
「まぁ、聞くだけ聞いてよ」
『茫漠』は手を差し伸べる。空いた手をフードにかけて、その姿をあらわにした。解けば肩ほどまで伸びるだろう黒髪を後ろで一つにまとめ、宝石のような赤い瞳。切れ長で三白眼のその目には、妖しい鋭さが宿る。
彼の浮かべた笑みにはいやに色気が宿り、少女でも魅入ってしまう。そんな彼は、衝撃的な言葉を軽く口にする。
「──俺らで『戒律』を殺すのはどうだ?」
殺人鬼殺し──その意味は、全殺人鬼への宣戦布告。
相手取るのは最強最悪の夜の王者たち。
見切り発車での執筆になります。
現在約四万文字ほど執筆中で、もし好評なようでしたらどんどん続けていこうと思います。
少なくとも、私が飽きるまでは書き続けるつもりです。趣味ですので。