鉄血女帝アナスタシア 第四十話
ロシアの一番長い日(2)
1913年8月15日 早朝
サンクトペテルブルク
「マンネルヘイム!どういうことだ!アレクサンドラが私を暗殺するなどありえないだろう!すぐに釈放しろ!」
ノブゴロドからサンクトペテルブルクまでは通常であれば汽車で6時間くらいの距離だったのだが、線路の分岐器が何者かによって破壊され到着が遅れてしまっていた。
王宮に戻ったニコライ二世は近衛連隊のマンネルヘイムを呼び出していた。ノブゴロドに滞在していたニコライの下へ、サンクトペテルブルクで共産主義者が市民を扇動して暴動を計画しているという情報がもたらされたのは二日前のことだ。情報源は内務省警察本部警備局の飼っているスパイ、マリノフスキーからだった。その報告は詳細で十分に信頼できると判断されたのだ。
※内務省警察本部警備局 革命後はチェーカー(秘密警察)として大粛清を指揮した
※マンネルヘイム 後のフィンランド軍元帥。対ソ連防衛線、マンネルヘイム防衛線を構築したことで有名
「はい、陛下。しかしながら、十分な証拠が揃っております」
マンネルヘイムは持参したファイルを恭しく皇帝に差し出した。そこには皇后とラスプーチンが驚きの顔をカメラに向けている写真があった。写真は少しぶれて写っているが見間違えようが無い。二人とも裸で繋がっていて、かなり間抜けな表情だ。
「こ、これは・・・・・これは本当のことなのか!?そんな・・・・」
自分の妻の痴態を見せつけられた皇帝は頭を抱えた。しかし皇帝の責務として提出されたファイルを読み進めていくと、その内容に怒りで顔をまっ赤にしてしまう。
そこには皇后が毒を用意していたことと、皇后からラスプーチンに宛てた赤裸々な手紙や、その文面に夫(皇帝)を排除して欲しいと書いてあることなどが記載されていた。
「警備局によると事が事だけに秘密裏に内偵していたようです。私も戻ってきて初めて知らされました。皇后陛下が毒を用意したという確たる情報を得たので、緊急逮捕を実施しましたが、その際ラスプーチンが激しく抵抗したので致し方なく射殺しました。もし冤罪ならあそこまで抵抗することは無かったでしょう」
「そうか・・・ラスプーチンにそそのかされていたのではないのか?」
「それは詳しく調べなければならないのですが、警備局によると、皇后陛下をそそのかしたのがアナスタシア様とヤンコフスキー男爵の可能性があるとのことです」
「そんな・・・アナスタシアが?」
ニコライはここ数年のアナスタシアの言動を思い出す。突然日本に行ったりレナ鉱山に行って大けがをしてきたりと完全に父親である自分のコントロールを外れていた。そしてことある毎に見せる子供とは思えない殺気のこもった鋭い目つきは自分の命を狙っていたからだったのだろうか。
コンコン
執務室のドアがノックされ、警備局局長のゲンリフ・ランゲが入室してきた。身長は低く腹の出た中年男性で、その仕事の性質もあって王宮の人間からはどことなく忌避されている人物だ。しかしその外見に反して彼は非常に優秀で皇帝の信任も篤い。
「皇帝陛下、皇后陛下とラスプーチンの件ですが、どうやら情報が外に漏れてしまったようです」
ランゲの報告にニコライは大きく目を見開き顔面を蒼白にした。情報が外にさえ漏れなければ何とでもなる。それこそ病気を理由にしてアレクサンドラを幽閉するという事もできるだろう。しかし、外に漏れてしまっては何もかも手遅れになってしまうのだ。
「新聞ミールが本日の朝刊で報道するところでした。なんとか印刷工場を出る直前で止めることに成功しています」
「新聞ミールだと?あのヤンコフスキー男爵の新聞社か?」
「おそらく皇帝陛下の暗殺に失敗したことで焦っているのでしょう。自分たちが黒幕であることが公にされる前に暗殺未遂事件を報道して、民衆の皇室への忠誠を貶め、自らが取って代わろうとしているのでは?」
「まさか・・・・それにアナスタシアが・・・・」
「アナスタシア様を次期皇帝に据えて傀儡にしようとしているのでしょう。あの老獪なヤンコフスキー男爵の考えそうなことです」
「くっ・・・イズマイロフスキー近衛連隊をヤンコフスキー家に向かわせろ!連中を敷地から一歩も出すな!アレクサンドラの侍女も全員軟禁しろ!情報を知っている者を王宮から誰も外に出すんじゃない!マンネルヘイム!お前は自分の連隊を指揮してアナスタシアをすぐにここに連れてくるんだ!」
※イズマイロフスキー近衛連隊 第一近衛連隊。連隊長はニコライ二世が兼任しており、最も皇帝に忠誠のある部隊
◇
1913年8月15日午前8時頃
とある孤児院
「なんだか外が騒がしいようですね」
孤児達と朝食を終えたシスターが通りの慌ただしさに気付いて窓の外を見る。多くの市民が同じ方向に走っているようだ。
「シスター!大変だ!皇帝の軍隊が聖女様を逮捕するってみんな大騒ぎしている!」
血相を変えた若い男が孤児院に駆け込んできた。ボランティアで時々手伝いに来てくれる近所の気の良い青年だ。
「えっ?まさか?聖女レーニナ様をなぜ皇帝が?」
「わかんねぇけど、皇帝より聖女様の方が人気があるのが気に入らないみたいだぜ。今はヤンコフスキー男爵の邸宅にかくまわれてるそうだ。みんな聖女様をお守りするためにヤンコフスキー家に向かってるところなんだ!」




