鉄血女帝アナスタシア 第三十九話
ロシアの一番長い日(1)
1913年8月13日 21時
王宮
オイルランプの光りによってうっすらと照らされた室内には、40歳くらいの貴婦人と長い髭を蓄えた大柄な男がテーブルを挟んで座っていた。テーブルには侍女が持ってきたティーカップがふたつと紅茶の入ったポットが置かれている。大柄な男はゆっくりとポットを持ち上げてカップに紅茶を注いだ。金で装飾されたそのカップが怪しげに光りを反射している。
「皇后陛下、アナスタシア様はレナ鉱山で自らのことを“皇帝”と呼ばせていたようです。さらに新聞ミールの論調は明らかに反政府的になってきております。もしかするとアナスタシア様は、王権の簒奪を企てているのかもしれません。アナスタシア様の親衛隊も市民から“憂国騎士団”とも呼ばれているようです。それだけ市民の不満の受け皿になっているのでしょう。また武器を集めているという噂もあります」
「先生もやはり心配されていたのですね。最近のアナスタシアは反抗期のようで、私や皇帝陛下の言葉を聞こうともしなくなりました。しかも三週間も親衛隊本部に行ったまま王宮に帰ってきていないのです。まさか王権の簒奪のような恐ろしい事まで考えてはいないでしょうけど・・・・・」
「アナスタシア様がそこまで考えていなかったとしても、ヤンコフスキー男爵はどうでしょう?子息・・といっても実際は子女のようですが、そのルスランをアナスタシア様の側近に付けています。ヤンコフスキー男爵がその野望を持っていないと誰が言えましょうか。ルスランは王宮にも入れます。皇帝陛下を毒殺する事もたやすいかと・・・」
「そうよね。アナスタシアは純真で活発だからヤンコフスキー男爵にそそのかされている可能性もありそうだわ。皇帝陛下にはアナスタシアの親衛隊を解散させるようにお願いしておきます。それと、ヤンコフスキー男爵とルスランも逮捕してもらうようにしましょう。先生の言うように反逆の意図はあきらかですものね。そんな事より先生、皇帝陛下は地方視察に出ております。人払いもすませてありますわ。その・・・先生のお情けを・・・・」
「皇后陛下、光栄なことでございます。私の神気のこもった“精”をお分け致しましょう」
男は立ち上がり淑女の白い手に自分の手を添える。淑女の白く長い指は男の指の間に滑り込み、その感触を確かめるようになまめかしく動く。そして手を引かれるままに淑女は立ち上がり、奥にある天蓋付きの大きなベッドへ男と共に向かった。
「あぁ・・先生・・・うぅ・・・はぁ・・・・あっあっあっ・・・・」
バタン!
「「えっ?」」
ボシュッ!ボシュッ!ボシュッ!
それは突然の閃光だった。何かが小さな爆発を起こしたような音がして、まばゆい光と共に焦げ臭い奇妙な匂いが部屋に充満した。
「動くな!話は聞かせてもらった!ラスプーチンと不貞を働くだけにとどまらず陛下を毒で弑逆しようとは言語道断!」
そこにはカメラを持った数人の男と、上級士官服を着た軍人達が険しい視線を二人に向けていた。
カメラの横からは白い煙が見える。閃光を放ったのはマグネシウムフラッシュだった。そして皇后は、今現在の醜態をカメラに収められたことを理解する。
「あ、あなたは近衛連隊のマンネルヘイム?なぜ?皇帝陛下と一緒に居るはずでは?」
「皇后陛下、いや逆賊アレクサンドラ!あなたたちが皇帝暗殺の相談をしていると情報がもたらされたのですよ。大逆罪の容疑で逮捕します!」
「そ、そんな!私はそんな相談などしておりません!先生とは・・・家族のことで相談にのってもらっていたのです!」
「素っ裸で相談事ですか?」
「そ、それは・・・・証拠は?証拠も無しにこのような事をしたのでしたらあなたもただではすみませんよ!」
「この国で誰かを逮捕するのに証拠が必要だとは初めて知りましたよ。まあ、一応証拠はあるんですけどね」
マンネルヘイムは皇后のベッドに近づいて枕の下に手を差し込んだ。そして少しだけ探るような手つきをする。
「情報の通りだ。この小瓶は何ですか?」
「そ、そんな!そんなはずはありません!あ、あなたが元々手に持っていたんじゃ無いの!これは謀略です!こんなこと、皇帝陛下がお許しになるはずはありません!!」
「言い訳は皇宮詰め所でするんだな。二人を縛れ」
マンネルヘイムが部下に捕縛を指示した瞬間だった。一瞬だけアレクサンドラとラスプーチンから視線を外したその刹那、ラスプーチンはマンネルヘイムに飛びかかった。そしてマンネルヘイムから腰の拳銃を奪おうとする。しかし軍人として筋肉を鍛え上げ187センチもの体躯を誇るマンネルヘイムに勝てるはずも無く、すぐに取り押さえられてしまった。
バン!バン!
「イヤーーーーーーー!先生!先生ぇぇぇぇぇ!!!!!」
マンネルヘイムは腰の拳銃を取り出し、取り押さえたラスプーチンの頭に押し当てて躊躇無く引き金を引いた。
◇
1913年8月14日 早朝
「なんと言うことだ・・・」
ノヴゴロドに滞在していた皇帝のニコライ二世は、侍従のルバノフが持ってきた電報で起こされた。そしてその内容を読んで驚愕する。
「首都で共産主義者の反乱計画があると情報がもたらされたからマンネルヘイムを派遣したのだ。それなのに、なぜアレクサンドラが大逆罪の容疑で・・・・・、ルバノフ!すぐにサンクトペテルブルクに戻るぞ!」




