鉄血女帝アナスタシア 第三十五話
「大公女殿下、うまく連中を丸め込んだものですね。おかげで本当に労働者の未来を考えている我々の方が悪役みたいですよ」
実行委員長のレオンチーが苦虫を噛みつぶしたような渋面で私を見下ろしている。本当に不満たらたらって感じね。自分たちでこの鉱山を乗っ取れるとでも思ってたのかしら?まあ気持ちは解らないでもないけどね。
「丸め込んだなんて人聞きが悪いわね。理解してもらったのよ。無茶なストライキが長引けば執行部のあなたたちは逮捕されちゃうし、間違って流血事件に発展することだって考えられるのよ。私は誰も傷ついて欲しくないの」
「流血事件にだと?はっ!俺たちの血をすすってのうのうと生きていらっしゃる皇族様の言葉とは思えないな!それとも俺たち下級国民の血は吸い飽きたってか?俺たちは血を流すことを恐れちゃいない!それで世界の労働者が団結できるんだったらな!」
なんだか鉱山の労働環境改善って話じゃ無くて世界に飛躍しちゃったわね。委員長のレオンチーって男、なんか怪しいのよね。労働者にしてはインテリっぽい感じなのにこんな厳しい鉱山労働に自ら応募したとは思えない。誰かの指示なのかしら?100年の人生が培った私の中の警報が鳴ってるわ。
「もしかして、ボリシェヴィキかIWAからの極秘指令が来ているのかしら?“強硬な労働争議を起こして国軍に発砲させろ”とか?ここで犠牲者が出ればレーニンの思うつぼだものね」
レーニンって“レナ川の男”って意味なのよね。レーニン自身はこの名前を10年くらい前から使ってたんだけど、このレナ虐殺事件を利用して“レナで殺された労働者の事を忘れない。だから私はレーニンと名乗ろう!”とか言い出すのよ。この時からレーニンは影響力を盛り返してくるわ。もしかしてレーニンの名前を売るために労働争議を裏で手引きしてたんじゃ無いかしら。
※IWA 国際労働者協会。第一インターナショナルとも言われる。この組織はその後第二インターナショナルから第三インターナショナル(コミンテルン)へと変化する
「な、なぜ同志のことを?」
ん?もしかして図星なの?レーニンの動向はできる限り調査をさせてるんだけど、完全に把握できてるわけじゃ無い。レーニンがロシア国内の誰かに出した手紙は全部検閲をしていて特に問題は見つかってないんだけど、国外の第三者を経由して手紙を送っている形跡があるのよね。さすがにそこまでは調査できてない。この執行部連中の動揺を見ると、本当に指示が来ていたのかもね。
「同志ねぇ。何を吹き込まれたのか知らないけど、あの男は労働者や農民の事なんてこれっぽっちも考えちゃいないのよ。自分が権力を握るためだったらどんな側近だって殺すし、意に沿わない労働者や農民を何百万人も虐殺するのよ。あなたはその犠牲者になりたいのかしら?それとも虐殺を楽しむ側になりたいの?どっちにしても幸せにはなれそうにないわね」
よくよく考えたらお父様が虐殺した民衆の人数より、レーニンやスターリンが虐殺した人数の方が100倍は多いのよね。それでも連中が権力を握り続けることが出来たのは完全に情報を統制したから。そして自分たちに反対してるのは反革命であって民衆の敵だって国民を騙したからよね。共産主義者ってこういうことにだけは天才的だわ。
「お前が同志の何を知ってるって言うんだ!同志はロシアの労働者のために命をかけてるんだ!」
「ふん、少なくてもあなたよりはよく知ってるわ。あの男の“狂気”をね」
そうよ、あの男の狂気で私たち家族は殺されたのよ。そしてレーニンが主導した赤色テロで数百万人の国民が無残に殺されて、その数倍の人々がシベリア送りにされてしまったの。こんな事は絶対に許さない。
と、その時だった。私たちのいる建物にストライキ実行委員の一人が駆け込んできた。
「委員長!大変だ!国軍が来て各鉱区のリーダーを逮捕してるぞ!連中、もうすぐここにも来る!逃げた方がいい!」
到着したのはイルクーツクに駐屯していたトレシチェンコフ大尉率いる憲兵隊約200人らしい。全員小銃で武装し、ストライキを実行している労働者の宿舎に押し入り実行委員のメンバーを次々に逮捕していったそうだ。
「連中が来るのを待つ必要は無いわ。こっちから出向いてやりましょう」
私はルスランと蒼龍に目配せをしてコートを羽織った。そして逮捕された実行委員が集められている管理事務所前の広場へ向かう。
◇
「そこまでよ!労働者に銃を向けるのは止めなさい!」
管理事務所前の広場には、縄で縛られた実行委員20人ほどが座らされていた。彼らの顔は皆腫れていて、逮捕時にかなり殴打されたようね。可哀想に。
「なんだ?お前達は?」
憲兵隊を率いているトレシチェンコフ大尉が訝しそうに私たちの方を見た。そして私たちに小銃の銃口を向けてくる。
「貴様ら!大公女アナスタシア様に銃を向けるなど不敬であろう!すぐに銃を下ろせ!」
ルスランが憲兵に激怒しているわ。そして私の前に歩み出て両手を広げてみせた。
「大公女アナスタシア様?まさかその荷物のように担がれている“モノ”がか?」
私はルスランと蒼龍、そしてヤンコフスキー家の私兵20人を引き連れて管理事務所へ走り出したんだけどね、10歳の足じゃ全然速く走れないの。私としては全力なんだけど全くついて行けない。そんな状況を見かねた屈強な兵士が私を担いで肩に乗せてくれたのよね。まるで小麦の入った麻袋を担ぐように。だから今は大公女の威厳もなにも無いのだけれど“モノ”扱いは非道いわね。
私はゆっくりと肩から下ろしてもらい深呼吸をして息を整えた。
「そうよ!この私、大公女アナスタシアが来たからにはお前達の勝手にはさせないわ!逮捕した労働者のみんなをすぐに解放しなさい!」




