第一話 ノモンハンの悪魔
1939年8月 ノモンハン
「くそ!くそ!何だ、あの機体は!本当に日本軍の機体なのか!?」
I16の操縦桿を握るソビエト連邦軍ペトラコフ中尉は叫ぶ。自分たち小隊の遙か上空の雲間から現れた数機の敵航空機は、反転しながらすさまじい速度で急降下を開始し、小隊の後方上空から攻撃を仕掛けてきた。
小隊の僚機はすぐさま散開し回避を図るが、クライネフ少尉の機が喰われた。
ペトラコフ中尉が所属するソ連軍モンゴル派遣旅団は、日本陸軍が不法に占拠するノモンハン陣地を爆撃するために出撃していた。航空優勢はソ連にある。いつもならお買い物に行くような簡単な仕事のはずだった。いつもなら・・・
「セムコフ少尉!クライネフ少尉がやられた!一度高度を取って敵機を撃つ。我に続け!」
我が国の品質の悪い無線機だと、僚機に伝わったかどうか怪しいが、伝わったことを信じて操縦桿を引く。僚機からの返事は無い。
急降下していった相手を追うのは愚策だ。相手の方が速度が出ているし、自機も高度を下げてしまっては敵機に上を取られる可能性がある。
「他の小隊は?」
周りを見ると他の小隊も攻撃を受けているようだ。今回の出撃はI16の6小隊18機と爆撃機24機による出撃だ。このノモンハンにおいて、現在ではソ連が航空優勢を取りつつあった。操縦席の後ろに防弾鋼板を設置したことにより、日本軍97式戦闘機の7.7mm機銃では、パイロットに致命傷を与えることは出来なくなっていた。燃料タンクにはセルフシールが施され、直撃を食らっても火災が発生することは希だ。日本軍機相手なら、このI16はまず撃墜されることは無いはずだった。
煙を吐きながら降下していく味方機が見える。最初の会敵で数機がやられたようだ。
「中隊長からの指示はまだ出ないのか?」
敵機からの来襲があれば、中隊長から何かしらの指示が出てもおかしくない。良く聞くと、無線機からはいつもより大きめのノイズだけが聞こえている。
「くそっ!このボロ無線機め!こんな時に故障かよ!」
我が国の工業製品の質の低さに罵声を浴びせる。ペトラコフ中尉は高度を取りつつ、先ほど攻撃をかけてきた敵機を目で追いかける。敵機には日の丸が見えるので、日本軍機に間違いない。しかし、見たことのない機体だ。今まで相手にしていた97式戦闘機より少し大型で、速度が全く違う。それに、主脚が出ていない。どうやら日本も引込脚を実用化出来たようだ。
敵機は急降下した後、機体をひねりながら急上昇に転じた。ものすごい速度と機動だ。このI16であんな機動をしたら、とてもではないが主翼が持たないだろう。第一、あんな動きに普通のパイロットが耐えられるはずがない。
日本軍機はみるみる上昇して行き、先に上昇を始めた我々より早く高度6000メートル付近に達する。そして背面飛行から機体をさらに回転させて我々の後方上空を占める。
「だめだ、逃げられない!日本軍の戦闘機は化け物か!?」
I16の最高速度は約460km/h。しかし、敵機はどう見ても600km/h以上は出ている。急降下に至っては800km/h以上出ていたのではないだろうか。
「ありえない!何なんだ!」
今までの日本軍機とは比較にならない性能。いや、この時代において、こんな高性能な機体があるのだろうか?
――――
「さすがだな。この十一試戦闘機は・・・」
分隊長の槇村大尉は、3小隊合計9機分隊で高度8,000mを飛行していた。ソ連軍爆撃機24機と戦闘機18機の迎撃である。敵機に発見されないよう、雲に隠れながら飛行する。
突如現れた戦闘機は、日本帝国宇宙軍が開発している十一試戦闘機。昭和十一年にプロジェクトが始動した新型制空戦闘機だ。全長10.80m、全幅10.55m、エンジン出力2,800馬力(7,000m)、最高速度800km/h(8,200m)、プロペラは後退角のついた6枚で、プロペラ先端が遷音速を維持しながら、衝撃波を発生させない設計がされている。
「チャーリーブラウンよりウッドストックへ。バンディッドの位置は11時の方向50km、高度4,800mを400km/hで接近中。」
哨戒機からの無線が入る。1938年に制式化されたばかりの98式無線機の音声は非常に鮮明だ。音声は無線機によって自動的に暗号化され、受信時に復号される。従来の無線機に比べてほんの一瞬の遅延があるが、音声は非常に鮮明であり、敵に傍受される可能性が無い。ちなみにバンディッドとは敵の事である。英語がよく使われるのは、司令官の趣味だ。隊員も、なんとなくアカデミックな感じがして親しんではいるが、陸軍や海軍からは”米かぶれ“と揶揄されている。
「こちらウッドストック。了解した。これより迎撃に入る。」
こちらの速度が700km/h、敵が400km/hなら相対速度は1,100km/h。距離50kmだと3分足らずで会敵する。
「バンディッドを左下方に確認。全機、攻撃を開始」
槇村は全機に攻撃開始を告げる。分隊の9機は、各小隊ごとに敵を定めて反転しながら急降下していく。敵はまだ気づいていない。
800km/h以上の速度で、敵機編隊に襲撃をかける。敵機との速度差は400km/h以上。これだけの速度差があると、狙いを定めることは出来ず機銃弾は、まず当たらない。しかし、十一試戦闘機に搭載された99式電波照準器によって革命は起きたのだ。
99式電波照準器は、内蔵されたGセンサーとジャイロによって自機の旋回角速度と傾きを把握する。そして、翼に取り付けられたレーダーによって、敵機の距離と相対速度を把握し、電気計算機によって瞬時に敵機の未来位置が計算される。その計算結果に応じて照準器のレチクルが移動し、射手はレチクルの真ん中に敵機を収めて機銃のボタンを押すだけである。
槇村の小隊三機は、敵最右翼に位置する戦闘機小隊に狙いを定めて攻撃を仕掛けた。みるみる近づいてくる敵機を、なんとかレチクルの真ん中に収めて発射ボタンを押す。そして翼内に設置された合計6丁の12.7mm機銃が火を噴き、敵機の主翼に吸い込まれていく。その後、少しだけ操縦桿を右に倒して敵機と衝突しないように下方に抜けていく。まだ戦果確認は出来ない。
小隊機を従えて機体をひねりながら上昇を開始していくと同時に、パイロットにすさまじい加速度がかかる。
「ビービービー」
旋回制限の9Gが近い事を示す警告音が鳴り、加速度計は8Gを超えた辺りを示している。普通であれば、脳に血液が行き渡らずブラックアウトを起こし失神してしまう加速度だ。しかし、槇村の両足は耐Gスーツに締め上げられて、かろうじて脳に血液が回り続けている。
そのまま高度6,000mまで反転上昇し、次の攻撃へ移る。
「チャーリーブラウンよりウッドストックへ。バンディッド6機の脱落を確認。」
戦闘機18機中6機を撃墜。味方分隊が9機であることを考えれば、初撃としてはまずまずだ。
そして、すぐさま次の攻撃へ移る。
9機の中で、ひときわ美しくダイナミックな機動を描く機体がある。槇村小隊の浅野少尉の機だ。一撃離脱を基本としながらも、攻撃から回避、そして再攻撃へと、その一連の機動はまるでアンダルシアの踊り子のように情熱的であり、そして、日本舞踊の舞のようにたおやかでもある。一機、また一機と、幻想的で魅惑的な、危険な何かに心を奪われて放心した少年のように、為す術もなくソ連機が撃墜されていく。
数回の攻撃で、敵戦闘機はすべてこの空から消えていた。ソ連戦闘機隊にとって悪夢と言える、たったの5分間であった。しかし、まだ悪夢は終わらない。残るは爆撃機隊。護衛戦闘機がどんどん撃墜されていくのを見て、爆撃機体は攻撃を断念し退却を始めていた。そして、その爆撃機隊に十一試戦闘機9機の攻撃が開始される。
敵はツポレフSB-2爆撃機。後部銃座があるので、ある意味戦闘機より危険な側面がある。しかし、後部銃座は7.62mm機銃1丁のみで、仰角もそれほど取ることは出来ない。十一試戦闘機にとって、この爆撃機の撃墜など児戯に等しい。
―――――
「くそ!護衛の戦闘機がほとんどやられた!無理だ!全機爆弾を投棄して退却する!」
ソ連軍爆撃機隊の中隊長は全機に退却を命ずる。しかし、すぐに爆弾を投棄して旋回を始めたのは、自分の乗る中隊長機のみだ。
「何をしている!?無線が通じていないのか?」
何回か呼びかけたが応答は無い。無線が通じていないようだ。しばらくして、中隊長機の退却に気づいた機体から順次退却を開始する。しかし、編隊は乱れ散開してしまった。そして、群れからはぐれた機体は、あっという間に十一試戦闘機に喰われていく。
あるものは主翼が折れ、あるものはエンジンから火を噴き、次々と墜落していく。
「護衛戦闘機があんなに簡単に全滅するなんて!何なんだ、あの日本軍機は!」
「だめだ、相手が速すぎる!機銃が全く当たらない!」
「左エンジン、火災発生!エンジン停止します。だめです!火が消えません!」
「くそっ!悪魔だ、悪魔が出てきやがった!あんなの、人間が出来ることじゃない!」
戦闘開始から10分、空には十一試戦闘機9機のみが存在した。
「バンディッドの全機撃墜を確認。これより帰投する。」
戦闘終了から15分後、チャーリーブラウンのガイドによって、現フルンボイル市近郊に作られた日本帝国陸軍飛行場に到着する。
「こちら、地上管制。着陸を許可する。西側より進入されたし。」
飛行場といっても、草原をトラックで踏み固めて目印を置いただけのものである。周りには、作業小屋や宿舎などのバラックが見える。
地上では日本帝国陸軍航空隊の隊員たちが、十一試戦闘機の帰還を待ち受けていた。
「9機全機帰還か。未帰還が無いのは良かったじゃないか」
「それにしても、帰還が早くないか?会敵出来なかったんじゃねーの?」
「怖くなって逃げて帰ってきたんじゃね?」
陸軍航空隊としては、新参の宇宙軍戦闘機が戦果を上げるのは気に入らない。ノモンハン事件が勃発した当初は、航空戦力において日本軍が圧倒していた。しかし、立秋を過ぎた頃から、改良型のI16の投入と、速度を活かした一撃離脱戦法により、ソ連軍機が日本軍機に対して優位に立っていたのである。そんな中、宇宙軍が新型機の実戦テストとして十一試戦闘機を送り込んできた。自分たちが命がけで戦っているところに、新型機のテスト。しかも、パイロットたちは全員初陣のひよっこらしい。この戦場もずいぶんと馬鹿にされたものだ。
「だいたい宇宙軍って、誰と戦うんだ?宇宙人か?」
「陛下の戯れだよ。趣味で軍隊ごっこをやってんのさ。」
「おいっ!それは不敬だぞ」
陸軍航空隊の面々が揶揄する。
着陸した十一試戦闘機は、タキシングをして駐機場に入り、9機が整然と並んで停止する。地上整備員が駆け寄り、それぞれのコクピットの横に脚立を立てる。そしてパイロットたちが降りてくる。
航空隊の面々が注視する中、宇宙軍の9人のパイロットは草原を歩いて航空隊司令の前に整列し、飛行帽とゴーグルを外す。
飛行帽とゴーグルを外す仕草は流れるように涼やかで、それでいてどこか凜とした佇まいを見せる。そして、その飛行帽からは、長く美しい漆色の髪がスローモーションの様にさらさらとこぼれた。そこに居た現地隊員には、見えるはずのないキラキラとした“何か”が見えていた。
「帝国宇宙軍第二十三航空隊槇村大尉以下9名、ただいま着任しました!」
航空隊司令他現地の面々は、顔を引きつらせてパイロットたちを見つめる。誰が想像しただろう。新型機に乗ってきたのが、全員妙齢の乙女だったとは。
第一話を読んで頂いてありがとうございます。
この作品は、2022年の初め頃から企画を開始し、第一話と第二話を書き上げるのに、1年近くかかってしまいました。
自分としては、相当難産だったと思いますが、なんとかスタートする事ができ、ほっとしています。
もちろん、大変なのはこれからだと思います。
完結に向けて頑張って執筆していきますので、「面白い!」「続きを読みたい!」と思って頂けたら、ブックマークや評価をして頂けるとうれしいです!
モチベーションががあがると、寝る間も惜しんで執筆してしまいます。
これからも、よろしくお願いします!