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第51話 ~歪~


女……


ランドルフの全身を、ドクドクと冷たい血が駆け巡る。

恐る恐る顔を上げた先には、ジョシュア皇子の刺す様な視線。


間違いない。その女は……


何も言わぬランドルフに、皇子は問う。

「どうした?犯人に興味がないか?まあこれ以上聞かれても、教えられないけどな」


皇子はくるりと背を向ける。

「良かったな。万一院長が処罰されたら、弟であるお前の立場も危うかっただろう。……お前には権力以上に大切なものはないからな。他の、何を犠牲にしても」


……試されている。

全部見透かされた上で試されている。


とうとう額にも汗が滲み出すが、拭うことも出来ずにただランドルフは立ち尽くしていた。


「そうだ、これだけは教えてやる」

皇子は再びランドルフへ向くと、冷たい肩に手を起きながら言った。

「女には犯罪歴がある。……恐らく死刑になるだろう」


ピクリと動いたランドルフのこめかみを皇子は見逃さない。すかさず畳み掛けた。

「ランドルフ……どうした?顔色が悪い」

「いえ……妻を探し回って疲れたのかもしれません」

「人が妻を亡くしたばかりの頃に、新しい女を薦めたお前が……まさかそんなに必死になって妻を探すとは。人間変わるものだ」

「……所有物だからです。夫に背くなど許されない。絶対に……」


身体を震わせるランドルフ。

その顔は怒りか恐怖か……はたまた苦痛か。激しい感情に歪んでいる様に見えた。



初めて出会った学生時代から、他人と一線を引いていたランドルフ。

自分を害する者には容赦なく攻撃し、権力への執着も凄まじかったが、その他のことには無関心で何事にも冷めきっていた。


彼のこんな顔を見たのは初めてだ……


詳しい事情は知らないが、ランドルフが長年、兄のマリウス院長を恨んでいたことは知っている。だが、自分の立場を危うくしてまで兄に手を出す程愚かではなかった筈だ。

単純に家門や爵位だけの問題ではない。地位や財産、彼自身の努力で築いてきたもの全てが水の泡となるというのに、一体何故……


その理由が分かった気がした。

良くも悪くも、やはり彼女は、彼を変えたのだ。


マリウス院長、ランドルフ、それにアーシャ先生。


彼の変化によって生じた三人の歪みを、どう裁けば良いのだろう。



「……もう遅いから、屋敷に戻った方がいい」

「はい……失礼致します」


ランドルフを乗せた馬車が遠ざかるのを確認すると、皇子は兵に命じた。

「……後を追え」





冷静になれ……冷静に。

そう思えば思う程、混乱し発狂しそうになる。


アーシャが……死刑?


落ち着け、ジョシュア皇子は彼女に恩がある筈だ。今日明日に裁きを下す訳がない。自分を疑っているのであれば尚更、慎重に調査を進めるだろう。


あれは俺の反応を探っていただけだ。そして……


ランドルフは車外の気配を窺う。


……恐らく尾行されているだろう。ここで焦って動き回れば、皇子の思うつぼだ。

大人しく今夜は屋敷へ帰ろう。


明日は連絡係が来る日……

最後の手駒を使って、マリウスに止めを刺そう。

そしてアーシャを、必ず救い出す。




眠れない夜が開け、ランドルフはやって来た靴職人から靴を引ったくる。



『少女が証言するも状況変わらず。マリウス院長ら未だ軟禁中』



……やはりな。

ランドルフは前回と同じ様に、靴の特殊な中敷きに、指示を書いた紙を慎重に挟む。

万一兵に検問を受けても怪しまれない筈だ。


「爪先の幅が狭い。大至急仕立て直せ」

「畏まりました」

「最近スリが多い。……用心して帰れ」

「……はい」





自白したというのに、ジョシュア皇子の屋敷で、まるで客人の様に一晩もてなされたアーシャ。

夜が明けると、皇室が管理する留置場へ身柄を移された。


皇子の配慮だろうか。ベッドにはふかふかの布団が敷かれ、食事も温かい。兵の対応も丁寧で、逆に申し訳なく感じる程だ。


それから数日経った今日も、こうして目の前には湯気の昇るシチューとパンが置かれている。

アーシャは祈りを捧げ、一匙口に入れた。


美味しい……

もうすぐ死ぬかもしれないのに、こんなにご飯が美味しいなんて。


……先生はちゃんとご飯を食べているかしら。


カチャリとスプーンを置く。


『この世の何処かで君が生きているなら、俺も生きていたい。同じ時代を生きていたい』


ごめんなさい……先生。


噛み締めた口の中に、血と涙の味が広がった。






サレジア国からの調査書にかじりつくジョシュア皇子。全てに目を通すと、力尽きた様に椅子にもたれた。


彼女が黒魔術を使い国外追放処分となったのは事実だった。だが、主犯はサレジア国の皇妃であり、皇太子に直接手を下した訳ではない。

だから極刑ではなく、追放処分で済んだのだ。


家庭環境に恵まれず、父親から虐待を受けて育ったこと。

特待生として名門皇法学園に入学し、僅か17歳で医師免許を取得したこと。

また、平民でありながら、サレジア国の皇子の元婚約者であったことなども記されていた。


皇子は彼女の激動の人生に、激しい衝撃を受けながらも安堵していた。

彼女は追放されたとはいえ、極悪人でも詐欺師でもなかったからだ。


また、自分を虐待した父親と積極的に手を組むことも考えにくい。

脅されていた可能性もあるが、先日の取り調べでは、まるで彼女が父親を手玉に取っていた様な口ぶりだった。きっと嘘だろう。



ヘイル国に来てからの調査書では、彼女は金に執着するどころか、むしろ金を手放していた様にさえ思える。


最初に居た神殿で得た治療費も、ミュゼット皇女の治療費も、殆ど神殿へ寄付してしまっている。


皇族や貴族の夫人らの元へ治療に通う様になってからも、傲り高ぶることなく慎ましい暮らし。結婚後は無償で貧民の治療にもあたっていた。



自分の中では、彼女が犯人ではないと確信しているが……やはり犯罪歴があるという事実は重い。

これを陛下がどう裁かれるか。


また、ニーナという少女の証言がある限り、マリウス院長の疑いも晴れた訳ではない。


後はランドルフの出方次第だ。愛する女を救う為どう動くか。

自分の罪を認めるか、それとも……



「殿下!」


兵が慌ててやって来る。


「どうした」

「留置場の自白者が……死亡しました」


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