93 チコたちの出張
「…という訳で、チコ総事務局長が2か月出張になる。」
関係各所には前々から話はしていたが、これから2か月チコがベガスを抜けるのだ。
オリガン大陸を回り、サウスリューシアの視察、整備に行く。
これを条件に、チコはこの前のユラスの族長総会議を言われる通りに正装で、円満夫婦で頑張ったのだ。
マイラやガジェ、マイビーたちサウスリューシア組が帰るついでにオリガンの開拓を手伝い、最後にサウスリューシアの状況を確認する。
ベガスからの同行者はカウスとパイラル、フェクダなど10名ほど。
パイラルは「来るな、先に結婚しろ」と言われるが、危険な所に行くならお供する、無事帰って来れたらお見合いはする、でなければすぐに結婚はしないと脅したのだ。
オリガンの一部地域は、ほぼ無法地帯や独裁政権もまだ残っている。元少年兵やギャングも多いため、VEGAも軍人張りな人間が多くかなりシビアな活動をしている。VEGAが入る前までは、シンナーやクスリでおかしくなりながらケンカしたり発砲する子供もそれなりにいるようなところで、一般の組織が入れる状況ではなかった。
そんな地域に無鉄砲なチコを行かせたくなかったパイラルは、せめて同行すると譲らなかったのである。チコとしては、パイラルを行かせるほうが心配だ。
「議長、挨拶やお話があればどうぞ。」
サルガスが、サダルに話を振るがパスしていいと言う。エリスも来たが、エリスにも最後に祝祷をするからそれでいいと断られたため、サルガスがそのまま話をする。
「では最終確認をします。
ベガス構築の資料が類似団体から全世界にモデルとして共有されることになります。」
みんな真剣に聞く。
「地域や都市によって差があり過ぎるので、モデルはあくまでモデルにしかならないですが、これまでの活動で得た成果は、やはり教育の重要性で、それ1つで社会が右にも左にも動いて行きます。
それから、情緒。心の安定性があり自制、制御のできる人間自身の本質の変換です。そして、そのための安定した社会構築。全ての人間に、労働と生活時間、余暇自由のバランスを作っていく責任が指導側にはあります。
…まあ、それゆえに今皆さんに大変なお願いもしていますが、パイオニアである以上避けて通れない道でもありますので、ご協力いただければと思います。」
ダーと資料が映されていく。
「そして、もう1つ貧富の存在。今までの資本主義的社会では永遠に戦争も奴隷も環境破壊も無くなりません。とくに環境に関しては時間の問題です。これは統一政府から言われた事ですが…。
私たちは環境分野には直接的には関わりませんが、指導という形で若い自治体を形成していく教育過程を任されています。」
「………」
「今、新しい制度を受け入れるまっさらな国に、ユラス首都再建やこのベガスで培ったモデルを構築していきます。」
ホログラムの地球が現れ、オリガンの一点に拡大される。
「オリガン大陸北東『ラスタバン』のオレイア政権が国家規模の第1のモデルになります。」
ラスタバンの位置、人口、軍事力などの規模、場所が映し出された。
そこからゼオナスに説明が移る。
「これまで主義、政権、宗教、科学、哲学…あらゆるものが、歴史の中で変遷してきましたが、どこの層でもここ止まりで唯一発展しない動かない主義があります。
それが…」
科学でも政権でも宗教ではない。
「経済における富豪や富裕枠の確保、独占主義です。」
意外にも宗教の自由化が成立したのは科学や経済より早い。中世近代社会こそ全て独裁、拘束的に感じるが、その中でも宗教は旧教、新教に別れ、対立はあれど自分たちの各主義を拡大していくことができた。
近代前の西欧の大改革で既に各自の自由が与えられたのだ。
科学、芸術、思想文化などの分野も大きくは似た経緯をたどっている。
しかし、変わらなかったのは『貧富の差』があると言う事実だ。
超富裕層と、貧困層。
平準化主義を保とうとしても、訴えても、今の人間思想、人間社会では『富を独占する』と言う発想、傾向だけは変わらないのだ。
支配層と奴隷。
貴族とそれ以外。
富豪と中流以下。
どの時代、どんな風に言葉や事情や形を変えてもこの構図が消えない。
そしてまた格差が生まれ、また争い、また革命になる。そしてどちらの人の心もどんどん醜くなる。
奴隷時代を抜けて、支配時代を抜けて、民主時代になり平等時代になっても変わらない。それを変えるために先導できる、国家、世界規模の指導者もいない。
たった一つの地球を、ある言い方をすれば、一部の人間たちが自分の庭にしている。でも、だからと言って、それ以外が正常だとも言えない。
これまでそんな支配的構図や不安定なバランスが成り立って来たのは、各自における生まれ差、能力差、性質差が大きすぎたこと。それから、社会や歴史を回すために理性勢力の中にも、例えば帝国主義、人本主義的勢力を上回る、強力な勢力が必要であった。経済力や軍事力、開発力もそれにおいて。
その問題が時代や自由民主圏の勝利によってある程度解決されれば―――
全てか解決されたようで、そうはいかない。
次に始まるのが内々の浄化や内々の闘争だ。
制度だけ変わってもどうしよもない。本質は人間そのもの、己そのものなのだから。
今度は自分と向き合う。豊かに装飾された世界の中で。
グローバル化した世界も既に、町規模の解決ではすまなくなっている。
コップの水が自分たちの内であふれ始めるのだ。
これまでは、他人、敵、敵だと思うものを攻めていればよかった。外の桶だけ見て、他人の桶があふれたら、してやったりな話だったのだ。
でも、よく見てみたら自分たちの中にも時限爆弾が、あふれそうなコップがある。
世界や他人を責めていればよかったのに、いつの間にかベクトルが、自分に向く。
それが今度は自分たちに返って来るのだ。
人類は、ある意味ではもう成熟しきっている。
親類社会、民族、国家、連合主義を越えて、地球は限界を迎えている。
地球の老年期を迎えて、耄碌になるのか、自分が生きた昔を讃え毒を吐き続けるのか、積んだ砂の城を必死に囲い続けるのか。
それとも次の飛躍すべき世界を得るのか。
今度は自由民主世界自体が問われ…
広がろうとする場所のない歴史や思想は…
自分たちの発した弾は…、自分たちの中で狭い世界の壁に当たって跳弾するのだ。
大まかな計画を復習すると、2か月のだいたいの予定も発表され、新しいオリガン大陸の担当者たちが名前を上げられ礼をしていく。
最後に代表者が挨拶。ほとんどユラスの軍人だが、南海VEGAからも数人派遣される。
チコも挨拶をし、留守の間のことなどリーダーに再度頼んでいた。
ファクトは思う。
アーツベガスは、業界関係者だけでなく各界の有識者ですら驚くスピードで発展した。でもこれは、様々な状況が上手く重なった運の良さもあったのだろう。オリガンは元々ある程度のユラスの基盤のある大陸だが、今回関わる国はまだ日が浅いし、危険な地域の地均しになる可能性も高い。
果たして2か月そこらで何ができるのだろう。
もしあの時、離婚しユラス民族議長夫人の席を離れたら、チコは本当はこういう仕事をしたかったのではないかと思う。
最後にエリスの話を聞くチコは、真っ直ぐ澄んだ目で、旅立つ人間への祝祷を受けていた。
***
「ファクト。学校にはきちんと行くんだぞ。」
出発前にチコがうるさい。
「分かってるってば。もういいよ。」
「2か月も私がいないんだ!勝手なことをしそうで心配だろ!」
いてもするのだから、いなくでもするであろう。
「だからごめんってば。」
「毎日毎日、食事をきちんととるんだぞ。肉やポテトばかり食うな。」
「ちょっとアセンブルさん助けてよ!」
目だけ合って、逃げていくアセンブルス。
「カウス様、パイラル。チコ様をよろしくお願いします。変な行動をしたらすぐに連絡するように。」
パイラルと交代でチコを見ている女性兵グリフォが念を押して頼む。グリフォは1か月後に合流する予定だ。
「…なんだグリフォ。私のことより帰って来たら挙式ができる準備だけしておけ。」
「なんですかチコ様?脈絡のない事を言わないでください。」
パイラルついでにお見合いしろとうるさいのだ。
「カウスー!」
そこに来たのは、次男ジバルを抱いて駆けてきたカウス妻のエルライと長男テーミン。
「エルライ!」
カウスは次男を受け取って抱くと、もう片腕でエルライを抱き寄せ持ち上げて深くキスをした。
ラムダたちはちょっと恥ずかしいのに、ユラス人は全然気にしていないどころか、拍手を送ったりしている。他にもそんな夫婦の風景がいくつかあった。
「父さん。お土産はメディウムね。」
キスする横で恥ずかしがることもなく親を見ていたテーミンは、父の服の裾を掴んで頼む。
「ん-。テーミン。多分メディウムはアンタレスで買った方が質も値段も最高だよ。」
「そう?」
「エルライ、画材を買う時は値段も見せながら買ってやってくれ。あと、テミン。片付けはお母さんにさせるなよ。」
「分かった。」
もう一度、エルライに軽く口付ける。
「早く戻ってくるからな。」
「いいよ。カウス。好きなだけ出張してきて。女子供だけで集まって楽しくやってるから料理も楽だし、家は気にしないで。」
「え?ひどい。」
親の夫婦仲激悪、もしくは仮面夫婦、超淡泊夫婦の間で育って来た一部大房民はユラス人の熱々ぶりに、目のやりどころもないし落ち着かない。服装の露出はどう考えても勝っているのに、大房民がこんなにウブとは。
ユラス側から来た若い夫婦など、人前なのにちょっとディープ過ぎるキスをしていた。
超淡泊夫婦仲の親持ちジェイは、「家で全部済ませてこればいいのに」と冷めた目で見ていた。いつもながら盛り上がらないジェイである。
「ちょっとチコさん。」
チコの前に図々しく出てくるファイも鬱陶しそうな顔をしている。
「ファクトに絡まなくてもいいから、チコさんもサダル議長に挨拶してきてくださいよ!わざわざユラス経由の部下に挨拶に来てるんですよ!」
3陣に分かれてオリガンに行くが、第1陣は既にユラスから出発。今出るのは2陣だ。3陣は発表なしで出発する。
はあ?という顔のチコに、なんなの?という顔をするファイ。
「いいよ。トップはいつも厳粛にしなきゃ。たった2ヶ月だし。すぐ帰るよ。」
先と言っていることが全然違う。
「何言ってるの!!早く旦那さんのところに行って!!」
「え?いいよ。」
ファイは、部下と話しているサダルの前に無理にチコを連れて行く。この変な光景を唖然と見ているユラス人たち。
「サダル議長!」
「…なんだ?」
「チコ様が出発します!」
「…あ、そうだな。気を付けて行ってこい。」
「………。」
「…………」
「それだけですか???」
「は?なんだ。連絡はいつでもできるだろ。」
「奥様が出発されるんですよ!お・く・さ・ま・がっ!!!」
「………。」
「…………。」
沈黙が続く。やめてほしいとみんな思う。
そしてやっと話し出すチコ。
「では行って参ります。お体お大事にお過ごしください。」
居た堪れなくなって、そう言ってサダルに礼をする。
「…ああ、チコもな。よく精進するように。」
と普通に答えるサダル。
なんで東邦人より慎ましい挨拶してんだ!侍一家か!!!
と、イライラするファイと、ちょっとびっくりな皆さんであった。




