76 ユラスの笑う日
今日は複数投稿しています。
それからサダルは、商店の人やタイヤン家に手伝ってもらいながら小さな喪主を務め、霊園に植えてあるナオス人の愛する木の下で多くの人と祈る。
この時代、国や信仰に関わらず、ほとんどの人が火葬か腐敗葬だ。火葬した母とクレバーの遺灰の一部を貰い、霊園に収めることなくしばらく家に籠った。
外に出るのは、あの学習院を眺めに行く時だけだ。泣いたのも最初だけだった。
まだテープが張られている学習院の周りには、たくさんの花やお菓子、水や香油が飾られている。時々そんな風に供え物をしたり、祈りをしている人が来ている。サダルは黒い髪と肌が目立たないようにフードを被った。
あの日、タイヤン母はルイブを見失ってしまった。タイヤンは仕事の出先のそばでテロが起こったため、救出や応急処置を手伝っていた。
信じられないことに、最初のショッピングマートの爆破テロから数か所でテロや暴動が起こり、学習院が焼け落ちたとところまで、2時間半ほどだったらしい。半日ほどの長い時間に感じたし、たったそれだけの時間の出来事が、たくさん人の心にずっと消えない傷を負わせてしまった。
そして、いろいろ説明される中でサダルは言われた。
最後に周りに体を引っ張られ、何かを被せられたのは悪意ではないと。君も巻き添えにできないし、バイラの君が狙われるのを防ぐために、周囲の人々が髪を隠したのだと。実際あの後、襲撃した男の1人が先の息子も出てこいと叫んでいたらしい。ただ、サダルは知っている。悪意も混ざっていた。それももうどうでもいいけれど。
この事件で百人以上が逮捕されている。もちろん元のテロ実行犯だけでなく、建物に火をつけ犯人たちを勝手に処刑した彼らもだ。
もっと恐ろしかったのは、この事件で逮捕されたほとんどの者がユラス人で、この近隣の者やニュースやネットを見て駆けつけて来たナオス族だったことだ。蓋を開けてみれば、北やギュグニー側の指導者も幹部もいなかった。爆発の火種だけ持って来て、後はすぐに逃げたのか。それとも遠くから焚きつけるだけで十分だったのか。町を破壊したほとんどはユラスの一般人だ。
「………。」
サダルにはそんな事はどうでもよかった。母は死んでしまったのだ。
もう戻っては来ない。
施設に匿うと言われたが、母のいた家に帰りたかったので断った。神学教授に「親になれ」と言われたのに、母は死んでしまった。だったら誰の親になれというのだ。緑の目の子供も死んでしまった。
母は不器用なのに、なんであんなことをしたんだ。
「私たちはこの国の長です!」
と、気丈に言っていた母を思い出す。だったら大人しく守られていればよかったのに。生き残れば何かができると思わなかったのか。
………不器用だからあんなことをしたんだ…。自分の中にそう答えが返ってくる。
学習院前で座っていると、タイヤンがやって来て隣に座った。
タイヤン一家が、子供だけでは危ないしウチにいなさいと呼んでも行かないので、夜はサダルの家にタイヤンが来て寝ていた。
「…どうして母さんの手を引っ張ってくれなかったんだ。」
「………」
「…どうして……」
「…何がよかったなんて、今は分からない…。でも、お前の父親はいい奴だったよ。いきなり結婚しててムカついたけど。ルイブがその父親の男にお前の父で、自分の夫でいてほしいって言うから、仕方ないだろ…。」
「……。」
「しかも、ジェネス姓だぞ。とーちゃんカッコいいな。」
「……名字だけはね。後は知らないけど。」
チャラワンが10日いた間に、挨拶にも来たし食事もした。なんでこんなパッとしない奴と?と思ったが、ルイブは「私がいい男にするのよ!」と嬉しそうだった。あまりかっこよくはない自覚はあったのか。
でも、サダルには顔も知らない父親なんて意味がなかった。
頼れる父がほしかった。生活と勉強だけで必死だった。ユラスのように他人の子でも学校に行かせるという文化でなければ、通学もできなかっただろう。
自分以外に、震える母を抱きしめてくれる人がほしかった。
自分では手が足りなかったから。
父の給与や殉職した賞恤金があると知ったのは最近だ。父の口座はウェストリューシア系の銀行にあり手続きがないと下せず、賞恤金はそっくりなくなっているという。母が騙されたのか使ってしまったのか。
後で知るのだが、母は口車に乗せられたのか勝手に正義感を働かせたのか、全部ユラス共同基金に寄付していたのだ。母一人では降ろせないので、手伝った者もいるだろう。しばらく遺族年金もそうしていたので、保護を貰ってそれはおかしいと説明しやめさせたという。
でもルイブは、自分は経営者家系の子で族長の子なので、お金を出さないなんて情けない。どうせサダルが土砂降りのようにお金を降らせて全部返せるから問題ないと、めちゃくちゃなことを言っていたらしい。
「…………。」
隣りで座っているタイヤンも、ひどくやつれてた。
そして、サダル少年の胸のうちには消化しきれない憤りが溜まり込んでいた。
***
月明かりが光るユラスの夜空を、月のように明るい髪のチコはじっと眺める。
聴いたのは大まかな内容だが、従事の話を思い出し窓際で星を探した。
それから今日まで、星はほとんど変わらないのに、地球は、人間はめまぐるしく変わっていく。
それで戦火が終わったのではなく、この後首都まで被害を受ける大きな内戦になったと知っている、今の自分は胸が苦しい。新時代は世界の先進地域中心に紛争が減っているのに、ユラスはなぜこんなことになったのか。独裁政権に囲まれているというのもあるが、ユラスからも襲撃者の担い手が出ている。国自体にも問題があるのだろう。
でも、誰もがそんな過去や、未来を抱えている。
誰が正しいとか、誰が辛いとか、そうでなくて誰もが正しく、誰もが辛い。誰にも言いたいことがあり、誰にも押し込めたいことや、叫びたいことがある。誰もがなりたかった星の元に生まれたわけじゃない。気が付いたらそういう環境に、そういう人間に生まれていただけだ。
でも、人間は学び、本来未来は変えられる。
無駄だと思っても、何も変わらないと思っても、0.0001度角度が違うだけで、その1万分の1違うだけで、いつかその先は全く違う座標を示すように、未来は変わっていく。
寝ているサダルの手を触ると、寝たままぎゅっと手を握られる。
また眉間にしわが寄るので、そっと撫でた。
それなりに大きい自分の手より節立った、少し荒れた大きな手が、前は触るのも嫌がっていたチコの手をさぐる。
今なら、お母様を抱きしめて、抱えてあげることもできたのにね……。
「おやすみ。サダル。朝までゆっくり寝てね…。」
そう言ってチコも少し手を組みかえ布団に入った。
***
18歳の成人の時だ。
後のルイブ・テンサーことサーライ・ナオスは、しっとり美しいユラスのドレスに身を包み、メイン階段をゆっくり降りて、みんなから拍手と喝さいを浴びる。
成人式には出ない代わりに、家に集まった家族親族たちに成人になった自分を披露し、祭司から祝福の祈りを貰う。
大祖父母、祖父母、父母の順で頭を軽く押さえられ祝福をそれぞれ受ける。
「うふふ。もう大人だわ!」
「うちのサーライは本当にきれいなお姫様だな!」
兄がうれしそうだ。
「あら、早くお姫様を卒業してもらわないと困るわ。貰い手を探さないと!ドレスはお母様の?」
姉たちも騒ぐ。
「ひどい!みんなずっと大学や仕事の話をしてたのに、私だけ結婚話!!私だって役に立ちます!」
「結婚しても勉強はできるさ。ちょっと大変だけどね。」
「サーライ、おいで。お前も結婚は天に捧げるんだよ。」
「お父様、分かっています!」
「バベッジ族の優しく貞操を守り、信仰のある若者がいい。サーライは勉強が苦手だから旦那は大学をきちんと出た人がいいな。」
「まあ、あなた!贅沢ですわ!」
「ここ最近バベッジの血が入っていないからな。」
「お父様、分かりました!」
「そして、いつまでもいつまでも大切に守ってもらうんだ…。私も命を掛けてもサーライを守るよ。」
父がサーライを抱きしめる。
「お父様?何言ってらっしゃるの?なにかあったら死ぬのは私だけで十分ですわ。私が生き残ることはないでしょうし、役に立たないからいつでも私を盾にして下さい。」
「………。」
みんなが目をぱちくりする。
「何言っているんだ、サーライは。サーライが笑っているだけでうれしいんだ。」
「私はみんながいなくなったら生きていけないもの。お父様たちがユラスを守っているんだから、お父様たちの糧になりたいわ。」
「…。」
仕方ない顔をしてもう一度父が、母が抱きしめる。
「サーライ。愛している。」
「ええ、お父様、お母様。誰よりも誰よりも、幸せになって下さい。」
そこにいたみんなが、笑ってその風景を見つめた。




