69 浮き出た禍根
「おい、サダル!このカゴ返してこい!!」
この商店街では男前のタイヤンが、まだ小さな子供をこき使っている。
あれから数年経った。
この町はまだ変わらない姿でいる。
サダル少年はルイブが持って来てしまった買い物かごを無表情でスーパーに返しに行く。その後ろ姿を見送りながら、ルイブは小さな家に入った。
ルイブ・ジェネス・テンサーと名乗るサーライはいつもの菜っ葉を仕分けする内職をしていた。そんなルイブは、もう顔を覆うルバをいつもはしていない。隠しても仕方がなかったからだ。
死んだ夫との間に生まれた子も、黒髪先祖返りの『バイラ』だった。青と茶のアースカラーアイのサーライと違って、息子サダルメリクは目もブラウンの中に深く輝く黒だった。
それに、初めての子育てでパニックになってしまったルイブは、身を隠すことにまで頭が回らなくなってしまったのだ。出産までは、余計なおせっかいや嫌味を言う人も含めてたくさんの人に助けてもらった。助けてもらう人を選んではいられなかったし、無料と教えてもらい病院での出産もできた。仲良くなったゾッテイ軍医は異動になり、つわりがひどかった時期にいなくなってしまうが、たくさんの支援を回してくれた。
そしてサダルが言葉を理解するまで、商店街の人がまた助けてくれた。その子供はあまり喋らないながらも、ある歳になると商店街を回ってあっという間に言葉や計算を覚えていった。
でも、ルイブはまた家を管理できなくなり、ボヤ騒ぎも起こし逃げるように不法滞在者の多い町の空き家に移った。紛争があちこちで度々起こり管理局も来なくなる。タイヤンや町の女性が、商店メイン通りから少し離れたここにさえよく来るのは、犯罪や他の男に住みつかれないようにするためでもあった。今いる場所は治安がいい地域というわけではない。
「なあ、ルイブ。結婚しようぜ。」
タイヤンは週に数回、タイヤン母の作った食事を持ってこの綻びた家にくる。
「………。」
「絶対大事にするから。」
「…………」
「…なあ。」
菜っ葉を分ける手を止めずに聞き流すルイブ。
チャラワンが死んだあと、ルイブはそれがよく呑み込めなくて、ウェストリューシアの義両親に送った遺骨の一欠けを持っていたが、それを放置し駐屯所の前でよく夫を待っていた。
1カ月経っても2カ月経っても夫が戻らないうちに、体に違和感を感じるようになり妊娠していることを知った。まだ夫の死を受け入れられなかったが、子供の為にと言われ駐屯所に行くのをやめるようになった。
そして生まれたのがサダルだ。
戻って来たサダル少年は、母を口説いているタイヤンを白い目で見て母にくっついた。
菜っ葉を分けた青臭い手で優しくサダルを撫でる母。
「あなたは誰に似たの?チャラワンに似たらよかったのにね。」
「……。」
タイヤンは「はあ」とため息を吐く。まだ、ルイブの未来は長いのに。子供がいるといっても、数日しか一緒にいなかった男なのに。
「おい、サダルメリク・テンサー。お前が母を説得しろ。俺が親父になったら、兄弟もできるしもっといい部屋で寝られるぞ!」
フン!と顔を逸らす少年はまだ5歳だ。
奥二重で少しぱっちりめの切れ長の目。母に似ているのは肌と髪の色とサラサラ具合と少し人離れしたような雰囲気。顔の造り自体は違うのに雰囲気が似てしまったゆえ、自分のようにあまり賢くない子が生まれてしまったとルイブは少々がっかりしていた。
「いや、こいつは頭がいいぞ。」
タイヤンが生意気なサダルの頬をガシガシして嫌がられている。サダルは必死に抵抗するがタイヤンにはそれもかわいい。
「…そう?」
やっとルイブが反応した。
「教会の牧師に文字を教えてもらってから、ずっと本を読んでいるからな。共通語もすぐ覚えたってさ。」
「………。」
手を止めてサダルの元に行き優しく聞く。
「……読めるの?」
「読めるよ。」
母は、ぱあ!と明るくなる。単純だ。
前時代より、人類全体的の知能や運動能力の底上げが起こっているので、この歳で本を読める子はたくさんいる。むしろ、この時のサダルより頭のいい子はいくらでもいた。
「学校に行かせなきゃ!大学に行こう!」
「は?最初は幼稚園でその次小学校だろ?」
頭のいい子は幼稚園から中高の数学を始めるシステムがあるので、いきなり大学に行く必要はない。周りと融和できる情緒教育も必要であるが、ルイブはそんなことは知らないのだ。なにせ、保育園も小学校も通えなかったのだ。説明したところで自分の世界で生きている。
それからルイブは元気が出て、ユラス教会ではなく専門の教育を受けるんだ!とあっちこっちの学校や有名と看板を掲げる塾を回って、うちの子は立派な生まれで頭もよく無料で教えても、将来宝石の雨が振ってくるぐらい戻ってくるから損はないと触れ回っていた。
「この子は天才どころじゃないの!!将軍にだってなれるわ!大佐にも!大統領にも!!」
ルブイは階級や位なんて知りはしない。知っているものを羅列する。
「このまま放って置いたら出遅れてしまうし、その分ユラスの数年が失われてしまうわ!!」
「10年後20年後に後悔するよ!勉強を教えれば、あなた方を越えても、それでも師匠ズラできるんだから!!光栄でしょ?」
「……。」
先生たち以上に冷めた目の息子。
呆れたり困っていたりする先生もいれば、怒ってくる人もいる。なじられても母は強気で、バカはお前たちだ!と言い返した。
そんな母親にサダルは仕方なく付き合っている感じだった。
そして、サダル少年が6歳を過ぎた頃。
この小さな家族に決定的な変化が起こった。
遂にこの町にギュグニーの残党の部隊が攻め込んでくると噂が広まったのだ。
ずっと胸に押し込めてきた、父が掲げられた血の柱を、たくさんの瓦礫を、血だらけの家族親族…そして倒れた子供たちを思い出す。
ルイブは危険なんだとキチガイのように商店街を回って、みんなに逃げるように言う。
みんな戦いやシェルター、防空壕への準備はしたがまだ避難するところまではしない。その事にひどく怯え、ルイブはまたルバを被り、リュックに毛布や食料、水を入れてサダルを連れて行き先も分からない遠距離バスに乗り、町外の荒野に飛び出した。
そして運転手に聞き、使える手持ちで行けるところまで行ってその荒れ地で降りる。
そしてなんということか、もう泊まれる宿代もないのに、ほとんど荒野で街とも村とも言えないような場所に降りてしまったのだ。
どこに逃げたらいいのか分からない、地理も分からない親子は一晩彷徨い翌朝に驚くものを目にする。
襲撃の跡だった。
「…………お父様!お母様!!
ルア!テート!!テート!!」
ルイブは怯えながらもサダルの手を握ってそこに掛けて行く。ルアとテートは最後に引き離された甥と姪の名だ。
「……」
荒れた風景をただ見つめるサダル少年に、そこらにある遺体を確認するサーライ。中には顔を撃ち抜かれた遺体もあり、その前を通り過ぎる時はサダルの目を手で覆ったり巻いた自分のルバの中に隠す。
身内はいないのに、何かを必死に探す母が驚いた声で叫んだ。
「生きてる!この人生きてる!!」
「!」
サダルは母親にぴったりくっついた。
「ねえ、あなた?起きてる?話せる?女性?」
頬を擦ると、ゆっくり開けた目をサーライに向ける。
「あ、あ、ぁ、あぁ…」
その目を見た時、サーライは驚愕した。
その女の目は、忘れられないあの緑の目――
『お願い!この子たちを連れて行って!あんたたちの子供にしてもいい!殺さないで!』
そう叫んだサーライを無視して、甥と姪を殺すがままにした女。
その愛しい倒れ込んだ遺体にすら目を向けなかった女。そして父を殺した男たちの中にいた女。
急いで周りを見やりいくつかの遺体を確認すると、そう、おそらく当時の男に似た遺体もあった。リーダーの男に。
「…」
サーライは呆然と膝を落とす。男の手には、見たことのあるマーク。当時車に付いていたマークの手袋をしていた。
訳が分からないが、サダルは母にただつかまる。
サーライの父と母を、兄や姉、叔父や叔母を、たくさんの親族たちを蹂躙した彼らだった。




