63 愛しい背中を断つ
ある日の午前。
ムギたちのいる北メンカルのガーナイト陣営では大きな集会が始まっていた。
そこに、大きく2組に分かれたあまり見ない集団も来ていた。その中の青年男性数人が、警護や側近を連れ簡易認証を済ませ会場に入って行く。民衆に混ざっているが他より少しだけ背の高い集団なので目に付いた。南メンカルの企業らしい。
それらしい議員や兵士の様な人々が北メンカルの王族派からも多く訪問し、南メンカルの企業も既に様々な説明をしていた。
今まで黙っていたムギが、裏方で強い口調で言う。
「絶対に協定を進めてはならない。これから話し合いなんて始まらない。協定の日付は今日から施行か?おそらくもう北メンカルが待機していて、もう全てが決まっている。今日明日にでも行政を全部持っていかれる。」
それがギュグニーのやり方だ。北メンカルが協定を結んでいるのは、おそらくアクィラェを侵攻した勢力と同じ。北メンカルに侵攻をさせ、様子を見て入って行くのだ。自分たちの悪評も痛みも北メンカルでろ過してを掠るほどの分。
ムギは、気の立った男たちの罵声を浴びる。
「ならこれ以上ここで陣を張れというのか?大祖父の代からなんだ!」
「もう生まれた時からでうんざりだ!ここに経済を築く!!」
こんな熱く半分森の地に、ギュグニーや北メンカルの力で安定した工業地帯は作れない。
「いずれにせよ、この土地は工業基盤を作るのに適していない。
すぐにギュグニーも入ってくる。これは話し合いじゃない、ガーナイトが同参したという国際社会への同意の証拠がほしいだけだ。」
「ならお前が、北メンカルに救いをもたらすのか?!こんなことをしながら…もうすぐ北メンカルが分離して70年になる!!」
「我々も祖父母や祖父母、親たちにその終焉を見せたいんだ!」
しかしムギは意見を変えない。
「67年間耐えたんだ。…あと数年、あと数年ギュグニーの崩壊を待つんだ。」
カチ…。
そう言ったムギの額に男が銃口を向けた。
「……なんだと。巫女だか何だか知らないが、知っているような口を聞きやがって。世の中を知らない老人や若者を絆してでおままごとか?偉い様にでもなったつもりか?」
やせ細ったムギはそれでも全く動揺しない。銃口の先にいる男をじっと眺める。
「マイル、そこまではやめるんだ!」
「巫女様になんてことを!!」
仲間やリンを慕っている年取った夫人が慌てている。横で見ているテニアはまだ動かない。
「お前に俺たちの何が分かる…。」
マイルと呼ばれる男だけでなく、ここでもさらに多くの分裂が生じ始めている。
「さあ、お前の苦悩までは分かり切れない。」
と、リンが言うとそのマイルと言われた男は怒りをあらわにする。
「クソっ!!」
男は銃でなく、銃口を向けたままテーブルにあった用紙をリンに投げつけた。それでもリンは一切表情を変えずただ黙々と言う。
「………でもお前も私たちの背負ったものを分かり切れないだろ。北からのルートが開けたら南メンカルも戦争になるぞ。ここはその拠点になる。」
そして、ゆっくり言う。
「私の故郷は、そうして全部荒らされた。
ユラスが入らなければ、そこに村民は残れなかっただろう。」
みな、一瞬考える。
リンは続ける。
「これまでユラスが守ってきたギュグニーの南下防止をここで終わらせるのか。」
「我々の兄弟は北メンカルだ!ユラスが何をした?!」
リンは続ける。
「…ユラスも内輪揉めをしていたからな。でもユラスも一枚岩ではない。内戦の中でもギュグニーとの前線を捨てなかった。そこだけは協力姿勢を崩さなかった。」
「……。」
「南だってギュグニーに傾いていだけだ。経済理由で南が北を受け入れることは絶対にないし、敵うこともない。」
もう一度強調する。
「もしあったとしてもそれはギュグニーの武力行使だ。負けるがな。」
ガーナイトは派手にメディアに書かれるモーゼスの成功により、メンカルのアンドロイド会社がベージンと共に業界の先頭に立とうとしていると思っている。確かに今の市場はそうだ。そういう一点が世界をひっくり返してしまうこともある。
でも、ムギは揺るがない。
それでも、全ての根に入ったのはシリウスだ。
シリウスは成長する。
全てを飲み込んで。
「………。」
男たちはマイルに銃を降ろさせると、ムギを無視して会場に向かった。その様子を部屋の外からも大勢の者が見ていた。中には今日来たばかりの先の南メンカルの企業一団の一部もいる。彼らは人の到着を待っていた。全てをひっくり返す人を。
リンの仲間は今の会話をギュグニー側が聞いていないことを祈るばかりであった。確実にリンが標的になる。
「リン様ー!!」
「大丈夫ですか?!」
何人かがムギに駆け寄る。アジアラインの仲間の他、リンを巫女として慕っている者もいれば、まだ幼さの残るリンを娘や孫のように思って大事にしてくれる者たちもいた。
けれど、メンカルでは女性は非力だ。
「大丈夫。会場に行こう。署名をしてしまったら終わりだ。」
少し眩暈のするムギ。
自分の体に何かが纏わりついているのが分かる。
メンカルの怨みの霊か、ギュグニーの残骸か、死んでいった者たちの最後の叫びか。
少しだけ………開いたドアを支えにするように手を掛け、精神を集中して自分を落ち着けた。引きずられたら終わりだ。
今、仲間の霊性師はアリオトたちと会場にいる。
すると後ろから肩を叩かれた。テニアだ。
「リン、大丈夫か?」
「大丈夫。少しだけ決意を固めるから…。ここで祈ってる。」
テニアに笑いかけるが、周りはそんなリンにどう反応していいのか分からない。怒る者も多い。
「無理な断食など続けるからだ。やめさせろ。あんなもので我々が懐柔されるとでも?」
「大丈夫なのか?」
「引っ張って医務室に連れて行くか?」
心配と怪奇の目と、不安と全てが入り混じっている。
「おいっ、子供!ここでしばらく座ってろ。こんな熱帯地域で無理をするからだ。」
1人がそう言ってムギの腕を取ろうとしたが、ムギはそれを弾いてまた歩き出した。
リンは一切の俗世を断つ。
ただ、ただ、見える一本のラインを掴むために。
大丈夫。天はもう大陸を失いたくない。
南メンカルとの交渉が進んでいれば、メンカルに西アジア軍が入ってくる。西アジアは人本主義に傾きかけていたが、それでも西アジア軍の南西はユラスと共同陣営だ。
少しだけ頼りなさげな自分の足。誰かにすがりたい気持ちになると、そこにファクトが思い浮かんだ。
思ったより大きかった背中。
父や兄ほどではなかったけれど、頑丈そうなのに、温かくて少しドキドキした記憶。
親族たち以外の背中に頬を寄せたのは、ファクトと…アクィラェの森に消えた優しかったあの嘘つきな誰か。小さな自分たちを何度もおんぶしてくれた彼。
もう彼はいないけれど…
なんでファクトなんだろうと悔しく思うけれれど…
思い出して高鳴りそうな胸をそっと閉じ込める。そこで一緒に笑っていたい気がする。
でも、でも…
今、自分は壇上に立つ。
ムギはその背中すら………
父や兄への思慕、母や祖母たちの強くも優しい声も。
思い出すチコの笑顔、その全てと共に………
一切を断った。




