62 瘢痕は土に溶かして
ナオス族代表の六大家系とオミクロンを迎えて、長テーブル3本で晩餐が始まる。
中央に族長夫妻が座り、その横に子女たちや重要な位置にいる者たちがいる。サダルとチコはもちろん中央テーブルの上座。ただ、サダルも近況を確認するくらいで仕事以外は話をする方ではないため、この場は最年長で話好きなメルッセイ家の家長を中心に進んでいた。
基本談話なのだが、話しながらもみんなチコをチラチラ見てしまう。
「…………。」
前から寡黙ではあったが、マナー違反でもベールを全部外さず、黙々と食事をしていた。最上位、年長者、怪我などの理由以外は許されない行為である。
みんなチコに話を振っていいのか振るべきか迷い、ひとまず傍観する。
しかもここでは、サダルが復帰するまでチコに反対してきた家門がほとんどだ。
エントランスで軽く謝罪はしたが、それも挨拶程度。サダルはユラスに戻ってから大きな家系やあらゆる行政区や自治体を回っているし、サダルの元には謝罪や挨拶に来た者も多かった。本来ならサダルに従うと決めた時点で、チコにもこの議会の前に謝罪に来るべきであったが、チコが逃げ回っていたので会えなかったということもあり、全体としてはお互いお咎めしないことになっている。
それでも、報告のように暴行だけでなくセクハラをした者もいるので、チコには会いたくないと言える理由はいくらでもあった。自分たちの妻や娘が同じことをされたら会わせることすら嫌であろうし、徹底的に断処する者もいるだろう。
その件に関しては個々で話し合うことになっている。
今までのチコは、それでも公の場で凛として任務を果たしていたが、一人ユラスの頂点に立ち、アンタレスでの生活やこれまでの怪我は大きな負担であった。
それが突然のサダルの帰国によって、自分以外に自分の役目をしてくれる人が戻って来てくれた変化は大きかった。1人で全部を注視していた時とは違うのだ。サダルがいると気は休まらないが、一人で国と時代と歴史の全てを背負わなくてもいい。他の家門の前にも立たなくていい。内戦も終わっている。
そして、本気で離婚するつもりで準備していたのに、それもなくなり気が抜けてしまったのだろう。
帰れないユラスを遠目にベガスに力を入れ過ぎて、ユラスでの仕事はどうしたらいいのか分からない。社交からも弾かれていたのだ。
サダルにも、挨拶だけして隣にいるだけでいいとは言われている。
それだけでほっとした。
チコがグラスに水を注ぐ給仕に何か話しかけている。一旦談話が途切れ、自然とみんなの目線が行った。
「おいしいね、この水。苺?部屋にも同じもの置いておいてくれる?冷蔵庫の中でいいから。」
「かしこまりました。」
「ありがとう。」
「……?」
気が付くと皆が自分を見ている。
一旦談話が途切れ、自然とみんなの注目が向く。給仕に話しかけるチコは優しくきれいだった。
「………あ、チコ様。そちらの水は復興後にアジアの支援で作ったハウスの苺を使ったものです。」
メルッセイ家家長が言う。
「………そうなんだ…。」
薄っすらピンクの水を見ながら、アーツを離れ農業開発をしているキロンたちを思い出し少しだけ笑う。この秋は梨と葡萄、栗やそのお菓子を送ってくれたのだ。
チコはよく分からないのだが、来年は苺狩りに来てとアルやカウスの子、子供たちを誘っていた。苺は春だと思っていたのに冬から取り始め、収穫初期は農家が忙しいので春先になった頃に来てと言われた。畑の視察はしたことがあるが、そこが観光や遊び場になるなんて思ってもいなかった。
「南の方ではオレンジも取れますよ。他にも東邦からの苗木の輸入でいくつかの柑橘類ができ特産になっています。」
「………オレンジ?」
チコのルバから覗く目が少し輝く。
「まだ収穫ではないですが、ミカンや八朔なども。ユラスの乾燥地域に合わせて共同で改良したんです。」
「…また、教えて下さい。」
それだけ言うと、チコはそれ以上何も言わないので、サダルが話を切り替えた。もう顔を上げない議長夫人に皆、心残りを感じる。
ユラス人でも西洋人でも東洋人とでもなく、でも全てが含まれたような顔立ち。
プラチナイエローのブロンドヘアに、どこを見ているのかも分からない、でも全てを見定めているような…
緑と紫の瞳。
チコの容姿はどうしても目立つし、話を聞いているのかいないのか、目線を少し下にして作業のようにただ食べているので気になってしまう。
それに気が付いたチコがまた少し顔を上げてニコッと笑ってみるので、戸惑って周りもどうしていいのか分からず笑うしかなかった。
ジョアは、明後日の方を向いてため息をつくような顔をした。
チコは不思議な感じがする。
終戦してからもまだ戦火の燻る中にいたが、それでもユラス社会は復興していたのだ。
アジアからの苗木が既に特産品になっているのなら、仲間たちが命を失っていったその時にも、アジアと結んだ協定の芽が地方にも既に芽生えていたのだ。首都復興だけでなく。
自分にはその最初の実も、それまでの実りも知らされることはなかった。自分も…カストルもアジアに国を売った異邦人と言われてきたのだ。アジアには侵略者の頭と言われ。
もっと早く協約を進めていたら死なない人たちもたくさんいたのかと自問する。ナオス古参が邪魔さえしなければ……
それを悔しく感じるのか、うらめしく感じるのか、
知らないところで芽生えた若葉に感謝をするのか………。
死んだカフラーたちを思い出す。
そう、後者しかない。
ユラスには人生の苦渋もあったが、同時に永遠に忘れられない…永遠に繋がった魂たちがあった。
カフラーたちが喜んでくれるなら、本人たちに忘れられても、ユラスに踏まれる畑の土になってもいいと思ったのだ。
でなければ、ここで生きていけなかった。議長夫人の席を守ることはできなかったであろう。
くやしさと、彼ら故国という愛おしさ。それを天秤に掛けたら、彼らの重みは全ての重石を振り切った。
それも、これまでの為政者たちができなかったことで、今、越えるべきだ。ユラスは復讐に燃え、言葉尻一つで世論を動かし、共和を提唱した指導者の声を軟弱で情弱だと馬鹿にし、そして人を唆し内戦の渦に巻き込んだ。
歴史を超える。
一歩、一歩。
自分を見たら越えられない。
だからその他のことは、どれもこれも天だけが慰めてくれる祈りに託して。
この晩餐が終わると、会議には入れるべき者は会議に、それ以外はサロンの時間になった。
「チコ様、オレンジが好きなのですか?」
話の輪に混ざりながらも端で立っていたチコに、ザルニアス家のジョアが声を掛けた。
「………好きというか………。スッキリしてるのに少し甘くていい香りだなと。」
「私共の土地で、ミカンやポンカンなどアジアの改良品種もいくつか育てていく予定です。初期に植えた木は既に実を付けています。ただ、輸出できる規模になるにはもう数年かかるのですが。」
「……そうなのか?」
と思うも、アジアの品種ということは、人の事を蔑ろにしていた時期に植えた木であろう。何か頭にくる。しかもザルニアス家は、嗜好品傾向の特産よりオリーブや大麦や小麦の方がいいとアジアからの技術提供を拒んでいたのに。まだ若い木なら既にサダル政権に入ってからの可能性が高い。
南ユラスは元々オレンジの産地ではあったが、とにかく土地が広大なので、政治が安定さえすればできることが多いのだ。
「ジョア。お前、果物もユラスの特産以外は嫌がっていただろう。」
ジョアは兵役時のチコの部下にあたる。当時ジョアが拒んできたことは、妹メレナとその嫁ぎ先が多くのことを進めていた。メレナの嫁家は経済を担っているので、東アジアとの手綱は絶対に離さなかったのだ。
「………」
少し黙るもジョアは答える。
「その件に関しては申し訳ありません。けれど、あなた様がお望みならどんな畑でも作って差し上げます。」
「そんなもの、ベガス構築で事足りているから別にいらん。」
「チコ様がアジアばかり見ておられたら、ユラスの地が悲しみます。」
「は?どの口が言う。」
「だからこそお詫びを……」
「ばからしい。現地の人間が好きなものでも作っていればいいだろ。」
「チコ様、ならばここで再度お詫びを……」
と、膝を付こうとするのでやめさせる。
「ああ?やめろっ、気持ち悪いっ。しつこい……!」
「…………」
メルッセイ家家長の父に付いて来た長男マークベルが、ジョアの変わりように驚いている。
「驚いただろ。」
「あれは?」
「知らん。アンタレスに行った一陣がみんな驚いている。」
ジョアにも驚くが、人形扱いされていた女性が喋っている。しかも、ジョアと仲がいい……のか?
その向こうからサダルがやって来てチコとジョアの間に入って、何か話し込んでいる。しばらくしてから、少し慌てたチコがサダルに手を引かれ、呆気にとられるジョアを置いて移動して行った。
マークベルたちも、この様子に驚く。二人はいつも距離を置いて歩いていたからだ。
取り巻く空気も確実に変わっていた。
この議長邸そのものに。
議会に関しては、後で他の者も加わるが、まずは族長のみで話し合うことが多い。
サダルたちは、テニアの存在をどこまで明かすのかまだ決まらないながらも、明日の午前も内輪の会議があるのでもう少し様子を見ることにしてる。カーフとジョア、レサトの家系は前もってテニアのことは知っていた。
チコに反対してきた家門とはいえ、この六家系とオミクロン家はユラスを負に持っていくような独断行動をしないとは思うが、バベッジ族長の血が流れていると知ればそれぞれの思惑も出てくる可能性がある。
ここはそれでも厳選された家系だ。
彼らの中にある良心を頼るしかない。




