55 漢字はプラモデル
宴会は一区切りし、みんなそれぞれ楽しんでいた。
「おい!トゥルス!お前の姉貴は何してんだ!!」
「…。伯父さんたちの地域にいるって聞いたけど…。」
「お前、ムギちゃんに執着するなよ…。かなり下の女の子だぞ。」
しかも細い。友人クルバトが呆れている。
「アホか。チビッ子に勝つつもりで第3弾に入ったのに、勝ち逃げしたんだぞ。許すか!」
この期間、河漢の流れでムギ宅の世話係もしていたウヌクは、完全に子守役になっていた。
成熟しきったような親、一人っ子、一人暮らししか知らないウヌクに、この子供のうるささは衝撃であり鬱陶しくて仕方なかった。最初は頭痛で半日寝込んだほどだ。でも、顔見知りになったトゥルスが悪びれることもなく子守を押し付けてくるので、すっかり板についてしまっている。
「ファクト!お前知ってんだろ?」
「だから知らないってば。」
おそらくムギはアジアラインにいるだろうとは思う。
そこに押し掛ける子供たち。
「あー!ウヌクのおじさん!!この前の高い高いしてー!!」
「オレは1回だけど、ダオイは3回もしてもらった!!!だからオレが先!!!」
「うっせえな。ダオイは軽いんだよ。んなことやらねーよ。」
子供を蹴散らすが、また寄って来る。
「うそつきー!今度っていたのに、ずっと今度!!!」
「腰が折れるだろ。お前らのとーちゃん仲間の方が足腰強いから向こうでやってもらえ。」
なぜ軍人の子供たちに体を張って高い高いをしなければならんのだ。
「ウヌクのおじさん!!ぐるぐる回るのでいいから!!肩車でもいい!!!」
「ウゼぇ…。せめて結婚するまではおじさんと言うなと言っただろ…。」
「え?ウヌク結婚できるの?する気?」
ラムダが心配気に見るのでムカつく。
この期間はどうせ女と付き合えないと割り切っていたが、子供に上に乗られて引っ張られ、さすがに子守もウザかった。
「ファクト、お前が相手しろ。肺気胸になりやすいと言われた。無駄な力は使いたくない…。」
「いやっス。おい、子供たちよ。大人しくピザ食ってろ。ウヌク兄さんは疲れてんだよ。」
そこに、南アジアの小さな女の子たちがユラス人のビオレッタと一緒にウヌクの近くに来る。
「ウヌクのお兄ちゃん。これ見てー!」
以前、ウヌクが大人しくしてろと、子守の際に様々なペンやクレヨン、ラメやデコ、シール素材などを買って持って来たのだ。男児を中心にものの数分で飽きた子もいたが、一部の女の子たちはプリントした女の子のぬり絵を頑張っていた。ウヌクは画材の使い方を教えて、取り敢えず褒めまくるので女子の人気者になっていた。
意外なことに、カウス長男もぬり絵チームに入って黙々とオリジナルゲームキャラを描いていた。
「やっぱ、女の子がかわいいな。男は脳内が成長しないしな。『お兄さん』と言えば、好感度アップなのが理解できていない。」
「え?だからこそかわいいんだろ?」
と、一応男児にもお兄さん扱いしてもらえる余裕の小2ファクトが言う。ずっと横で黙って見ているが、18歳リゲルもおじさん扱いだ。ただ、桜ピンクの坊主頭なせいか、クルバトノートの顔で人を殺しそうなキャラマークがついているのにリゲルは子供たちの密かな人気者である。
「でもウヌクすごいね。絵が描けるとか。」
「絵なんて得意じゃないぞ。ただ○△□や線の組み合わせでだいたい何か描けるだろ。」
「え?!教えてよ。」
「ファクト兄ちゃんだってミミズくらい描けてたよ!ちょっと糸ミミズみたいだったけど。」
ミミズを描いた覚えはないのだが、子供が横で励ましてくれた。
会場の隅の席。
「…なあイオニア、あの人いないな…。響さん?」
ノンアルコールを飲みながらため息をつく兄ゼオナス。ゼオナスは試用期間を経ていないが、必要な分野、単発や教授の来るような特殊講義は自主参加している。ベガスにはお金を出しても受けられない専門家や博士号のある講師陣が来るからだ。
実は響はベガスの違う地区に引っ越してしまった。
事務局にも来ない。インターンもアンタレス北の別の区域の漢方科のある小さ目な総合病院に通っている。今交流があるのは、女性以外ではファクトとリゲル、ラムダ。時々コンビニでジェイに会うくらいか。
ただ、ロディアの西アジア親族での結婚式には出たらしい。
イオニアは、河漢メンバーもいるので見張り役込みで宴会に参加しているが、料理も食べず言葉少な気だ。昔は自分の横なんかには座らず、たまにどこかで会っても付き合っている女を連れて無視して行ってしまう男だったのにと、ゼオナスは切ない。
「………。」
今まで無敵と思っていた弟が…、確かに今も河漢を引っ張っているので無敵っぽくはあるけれど、たった一人の女性のために、………それだけが要因ではないだろうがここまで生き方を変えてしまうとは思わなかった。
まあ、自分も張り詰めるものがなくなって、どこか変わったとは思うが。
***
シェダルはこの数週間、非常に大人しくSR社の指示に従っていた。
時々、専門の家庭教師が来て学術的なことを教えているが、基礎的な頭は非常に良く、答えが明確である理系がよくできた。国語や社会など暗記、法則的部分でなく本人に回答を求めるものは弱いどころか、よく混乱している。
けれど、心理層を彷徨えるせいなのか、本人の感性なのか、揺れる曖昧な世界を好んだ。
「チコさんに危害を加えたことに関しては今はどう思う?」
「…さあ。悪いことだとは思っている。」
模範解答をする気もないのか、しているつもりなのか、相手の心まで分かっているのかいないのか。
自分が日常的に何かしらの暴力やネグレストをされてきたからか、他人を傷つけることに一般的な他人への申し訳なさや痛みを感じているわけではなさそうだった。自分に痛みがあることは当たり前だったので、ここに来るまで他人も同じだと考えていた。そのため、自分の気分がスッキリするなら、他人に何をしてもいいと思っていたらしい。
足がないのは、本人言うには味方にいきなり機関銃で足を撃たれ、気が付いたらラボの中だったという。手も一発撃たれケガが多いので、もっといいものを付け替えてやると言われたとのこと。起きたら義手になっていたらしい。最終的には関節を見たいと片腕は肩まで付け替えられてしまった。
つまり…本人が分からないうちに無理やりメカニックニューロス化の施術をされたのだ。
足を撃たれたのもニューロスの被験者にするための意図的なことであったのだろう。
完全に、世界各国の憲法法律、国際法どれに照らし合わせても違法であり人権の奪略。せめてこれを、自由圏で育ったミクライたちが最初にしたとは思いたくないと研究所の関係者たちは思った。
そして、母親よりも父親の存在が大きかった。母というのは位置づけや存在自体がよく分からず、父はろくでもない男だと散々聞かされていた。
どんな逆境にも対処できるようにと、子供の頃から広く薄暗い部屋や何もない部屋に放置されてもいたらしい。親どころか、他の大人とも接触は事務的なものばかりであった。
興味深いことに、以前響やファクトもその風景をDPサイコス内で見たと報告していた。
幼いシェダルが窓もない広い空間で、言葉もない言葉を発していたと。
浮いて不思議な動きをする立方体の手遊びロボットを操りながら、シェダルは淡々と答えていく。
「なんかため息が出るな…。」
報告を読みながら博士陣は黙ってしまう。
自分たちが人道的人間だと胸を張って言えはしないが、それでも一体ギュグニーは何をしたかったのかと、ため息が出る。自意識のない兵士でも造るつもりだったのか。シェダルを見本にギュグニーにサーボーグの部隊でも造る予定だったのか。けれど自意識がなくなると、どこかで気hとは自己崩壊をする。兵士として使われて終わりならいいが、味方陣営に危害を加えて自己破滅するものも多い。
時々無言にはなっても、何食わぬ顔で何でも答えてくれるシェダルの半生が痛ましかった。話すのは好きらしく、既に千近い質問をして、その7割方には答えている。
もっとひどい扱いを受けてきた子供の事例は世界にたくさんあるし、シェダルは育ちや性質ゆえに、根本の感性自体がおかしかったり強いところはあるが、おそらく普通に育っていればきちんとした自意識や自立心を持っていただろう。
時間間隔の遅い幼い子供がクスリもせずにそんな環境で耐えてきたのは、途方もない事に思えた。
「もう響は来ないのか?」
「響さんはインターンが思ったより忙しいらしいんだ。気になるのか?」
「響はいろんなことを知っている。ファクトはどこだ?」
「ファクトも今、教育実習を詰め込んでいるみたいでな。」
男女意識や性意識があるか確かめたいのに、何かはぐらかされてしまうし、そこは要点を得ない。
ここ数日誰も会いに来ていない。
暇な時に作っておいてと、ファクトからたくさんのプラモやミニ四駆、ミニロボットなどが送られてきたが、動画を見ながらもう全部作ってしまった。
すると、今度は漢字を覚えたので習字をしたいという。
漢字はプラモデルと似ているそうだ。
意味のある似たものを組み合わせ、似た世界を構成する。そこには意味もあり、類型の形もある。でも、少し並びや組み合わせを変えると別の物になる。
線もあり、曲もあり、留めもある。
音もあり、韻もある。
子供用ドリルから初めて20冊くらい漢字の本を読んで、最初は鉛筆で、動画を見ながら今は習字までしている。最初はなぞりから始めて、ファクトの汚い字よりよっぽどキレイな字を書いていた。
バリバリ自然科学の道理のまま考え生きて来たSR社の人間たちには、ハッキリ言えばシェダルは手に負えなかった。
自分たちの分野ではないと悟ったのだ。中には整形、形状、プロダクト分野の専門家もいるが、彼を構築する思考の根本が分からない。物の形状や成り立ち以外の、不可解な感性も持っているのか。シェダルは博士たちが数字と捉える世界に、有色で流動的な意味を構築していた。
シェダルは数学や物理ができても、数学者のロマンの世界とは明らかに違う世界を見ている。
でも、プロダクトの専門家もそれが分からない。
「…お手上げだ…。早くファクトや響さんに来てほしいな…。」




