51 軒下に見えるもの
そこに住んでみれば、その言葉の意味が分かることもある。
シェダルにはよく分からない。
青と緑だけでなく、陰陽五色の白の場所に金と示してあった。
「これも、白いのになんで金なんだ?」
「白は金でもあるの。鉱物を表すから。」
「鉱物はいろんな色があるだろ?」
「まあ、五色も分野や地域や流派によっていろいろあるからね。感性と文化の違いだよ。」
「………」
「でも一緒なの。二つの土地や文化を両方とも知ると、それが一緒だってもっとよく分かる。」
「………」
響は不思議な感じがした。
どんな環境で育ったのか本当のところは知らないが、色の区別がついている。あまりに差風景な世界に生きて来た子は、多様な感性自体が無かったりするからだ。その他、生活習慣や人種、性別でも色の見分けが違ったりもするが。
シェダルが色に反応するのは元々の性格か、ここに来て一気にさんなざまなものを見た刺激か。
「…あ!そういえば漢字が分かるの?!」
「覚えた。」
「へ?!すごい!もう?!」
「……。」
「頭いいんだね!」
わー!すごい!と驚いて笑っている響を、変な顔で見ている。
さらにページをめくっていく。
そこでシェダルは初めて、自分がビルドとして描いていた麒麟の色が、響が描く麒麟ではなく、西洋の陶磁器の色だと知った。西洋の陶磁器に白と青の色があったからだ。
白に青と金。金が入っていると東洋の陶磁器っぽいが、雰囲気や柄は西洋の陶磁器のようだった。
「……俺の麒麟はこうなってしまう。これはアジアじゃないのか?」
響が覗き込むと、そこには青と白の世界が広がる。
「それは西洋の磁器だね。アジアでは白地に青の色彩を青花や染付とか言うよ。青花自体はアジアから伝わったの。」
「……じゃあ、地域で違うだけじゃなくて、共有もするのか。」
「うーん。そうとも言うかな。長い時代を経てね。」
「でも、なんで麒麟は麒麟になったんだ?竜の方が強そうだろ?」
本の中の絵は、龍の方が大きく壮大だ。
「私、竜って柄じゃないし。なんとなく麒麟になりやすかっただけ。」
「…つまんない女。」
響はさりげなくべーをしておく。
「………。」
シェダルは黒いような、グレーの様な目でじっと本を見ている。
「その本も気に入った?美術館に行けば実物も見られるよ。」
別の本で先、お城やお寺などの組木を延々と眺めていたシェダルはぼそっと言う。
「先の城は存在を表そうとするけれど、こっちの城は無常というか永遠を表す。」
「………。」
文化的知識はほとんどないはずなのに、何をいきなり…と思う。
『先の城』とは石の西洋建築で、『こっち』とは東邦の寺のことだ。自然そのままの色で無垢の木を使っている。
「それ、こっちのは城じゃなくてお寺だよ。」
「寺?」
蛍惑は中央を始発に西から流れて来た仏教が、一度東に行き、さらに逆流して来た地域のため、東邦仏教も身近だ。蛍惑が大陸中央にありながらも、東洋の雰囲気があるのは逆流した文化のためだ。
「…ふーん。」
「そうだ!…私ね。家に帰るね。」
「家?」
「ここは私の家じゃないから。処遇が決まるまでは時々通うよ。」
「……。」
唐突に言われて、シェダルは少し離れた所に移った響をじっと眺めた。
「帰るな。」
「え?」
「ずっとここにいろ。」
「………。」
シェダルに言われて、ん?と黙ってしまう響。ナンシーズは端で黙って全部見ている。
「退屈だ。」
素直なのか単純なのか。言い放つシェダルに、女性にそういうことは言ってはいけないのだと説明しようか迷う。別に女性と意識されていなければ、バカらしい話だ。でも、そういうことも含め世の常識として説明すべきか。
そこに現れたのはファクトと、一緒に出勤してきたコーディネーターだった。
「おはよーございまーす!」
「おはようございます。」
「………。」
「………あれ?何?」
ちょっとなんかあったかな?という沈黙に気が付くが、構わず話すファクト。
「響さん、栃の実の餅に煎餅に大福…あと、ケーキ?マロングラッセ届いたよ!」
SR社に送るわけにいかないので、寮に通販を送ったのだ。
「シェダルさん。あの時拾った実と同じもので作ったお菓子。お菓子にして効果があるのかはどうかだけど、栃の実は肌の炎症にもいいから。」
1つ箱から出されると、手に持ってジーと眺めている。
「ここは料理もおもしろい。いろんな形や色がある。触った感じもいろいろある。」
SR社の野菜や肉、魚がふんだんに使われた料理がおもしろいようだった。
「寮のみんなも、何だこれ?って言ってた。」
寮やSR社の社内用にも買ったので、みんなで食べたらしい。この時代、栃の実。とくにマロングラッセなの洋菓子はどちらかと言えば裕福層のお菓子だ。
「変な味。」
餅をあげるとなじみのない触感と味に戸惑っている。
「あっちのドングリも食べられるんだよ。」
窓の向こうのブナの樹を指す。
「え?そうなの?」
シェダルではなくファクトが驚く。
「栄養も豊富で、デトックスにもなるし。何でも作れるんだよ。」
「食べてみようよ!」
「…加工がめんどいし、どんぐりは虫も多いからたくさん採っても選別すると量がね…。」
料理はめんどい響である。
「…シェダル兄さんは建築とか好きなの?」
たくさん広げてあった本に気が付き、ファクトもそれを見てみる。
「別に。」
「おー!俺も、軒裏大好き!気が合う!あと、鬼瓦と…一番好きなのは本瓦葺き!本葺瓦ね!」
お寺などの屋根で見られるつらーと並ぶ瓦で、平瓦と丸瓦が横交互に並べてあり、上から下に長い線を絵が描いているものである。
「丸瓦と、平瓦の天に突っ切っていくような屋根最高!大棟や棟紋が逞しいのも最高!」
「…。」
シェダルは黙って聞いているが、個人住宅にも使われ穏やかな波のように広がる、桟瓦葺きの方が好きだ。
天地上下に伸びていきそうな本瓦葺きと、
延々と横に広がる海のような桟瓦葺き。
横に延々と伸び、いつしかそのなだらかな面ごと大きくうねり、麒麟の走ったあの波文様のように世界が展開していく。
でも、ファクトは関係なく喋る。
「この軒丸瓦の文様も大事なんだけど、『降棟』も重要。」
写真や図面の部分説明しながら指す。マニアックな話だが、ここに引くメンバーはいない。なにせ、響と難関の門をくぐったSR社社員。頭の良すぎる会社のラボなど変態しかいないので、変な話も楽しそうに聞いている。
「ちょっとこの建築考えた昔の人たちはおかしいからね。」
「?」
「全体は全体で、木材は木材で、装飾は装飾で、瓦は瓦で全部細かく名称があって、さらに各所に緻密な名称が全部ある。部品や部位の名称だけでなく、組み方の名称まである。変人としか思えない!
まだ学問も発展していない、西洋より遅れている時代にこの建築様相、熱い!胸熱すぎる!!」
デバイスで細かい図面まで出して、勝手に語りだすファクトを、ふーんと見る2人。いつもならラムダとリゲルくらいしか聞いてくれない話であろう。
「……ファクト、珍しい趣味があるんだね…。」
「響さんよりは全然普通だよ。」
シェダルがファクトが出した寺の写真や解説図をじっと見ているので、今度そんな本を持ってきてあげようと響は思った。響も寺は好きだ。
「この地味な寺はつまらないと思ったけど、深いな。」
「お、兄さん!めっちゃ気が合う!」
「…!」
響やコーディネーターは「深い」という言葉をシェダルが使ったことが意外だった。
「西洋の城や寺は天に突き抜けようと、高く尖がるんだよな。
昔、少しでも天のメシアに届こうとしたり、ここに信徒がいるとメシアに知らせようとしたのもあるらしい。でも東洋は、天に昇りながらも広がっていこうとする感じがする。そんで、瓦屋根をこうやって滑って地にも広がっていく感じ。」
よく分からないことをジェスチャーをしながら説明するファクトを、シェダルは黙って聞いていたが言いたいことは言う。
「でも俺は軒裏が好きだ。」
「兄さん、鋭い!軒裏も深い…。
軒天とも言うんだけど、寺の軒裏の木組は繁垂木って言って、軒下だけで部位や組み方の名称が凄くて、何段で組んだかもちゃんと説明ができる!もっと細かく名前があって格式も名称で伝えられるし、屋根には絶対に軒下があるから軒裏も重要だ。」
繁垂木は、東洋建築の軒下で外に向かって規則正しく無数に伸びる木材の部分だ。
屋根マニアなのか建築マニアなのか、名称マニアなのか分からない域に入っている。
「軒下なんてない家もあるだろ。」
「東邦地域は雨が多いから、外壁が傷まないためにも軒裏は必要なんだよ。外壁の汚れや痛みを見れば分かるよ。軒下がある家は壁が比較的きれいだから。」
「…。」
聞くだけ聞いてもう一度デバイスを見る。実はシェダルは「軒下」「軒裏」という言葉も知らなかったし、概念もなかった。屋根と外壁くらいは知っていたが、今、見て学んだのだ。
「東洋は天を示したくて表現したくて作った建物じゃなくて、ただただいい家を極めようと懸命に作ってみたら建築そのものに宇宙が潜んでいたって感じ……。俺の意見だけど。
普通に四角に組んだ壁に、雨風しのぐ三角屋根でもくっつけておけばよかったのに、なんで昔の人はこんなふうに無限な複雑な屋根を作ったんだろう…。構造迷子になって、把握できなくて、最後はもう0も100も関係ないレベルだよ。
宇宙どころか多次元だよ。
考えれば考えるほど広大でめまいがする…。」
子供時代、寺に閉じ込められたと思いつつも、寺生活が好きだったファクト。
たくさん割った茶碗も金継ぎすることになり、職人の横でじっと眺める行をさせられた。あの時は無駄な反省と努力だと思ったが、今はそれも懐かしい。
勝手に悦に入る。
建築一つ、屋根一つにもいろんな職人がいて、庭師がいて、さらに様々な内部を担う職人がいて、空間が生まれる。
「香もそうなんだけどね。こうやって考えると、寺一つも総合芸術だね。」
響も興味深げにデバイスを覗く。
「………いや、科学だ…。」
美的センスもないが、大して数学も物理もできず、SR社から逃げて生きてきたファクトがうっとりしている。
話に入らず、コーディネーターはじっと3人を見ていた。




