47 息継ぎしないおじさん
久しぶりに入る研究室。
整理の為に藤湾に戻って来た響は、ため息をつく。
貴重な香木は祖父の別宅に送り返す予定だ。小さい物や漢方は研究室の次の用途が決まるまでそのままにする。
奥の、香を焚きあの日サイコスを施術した長椅子に座って、そっと瞑想をする。
やはり空間は開けないが、それでも日々は過ぎていく。
いつまでも戸惑っていても仕方ない。
しばらく休憩はした。次に切り替えようと目を開け、どこのインターンに入れそうかAIに調べてもらいながら、作業をすることにした。
響は既に、インターンを合計3年以上済ませている。統一アジアでは、条件にもよるが大学6年と初期研修1年、後期3年で専門医師になれる。ただ、中学高校でも看護介護の傍ら付属大学に入り、薬学、医師専攻も受けていたので、響は大学は2年から入り4年のうちに一気に就業している。覚えの速い、もしくは容量があるプレイシアの特殊過程だ。
そうして考えている間に、誰かが研究室に入って来た。
「…先生?」
「…あ…。」
一番会いたくなかった、自分の研究室の学生たちだった。自分は指導側なので、甘えは許されない。
「先生、帰って来たんですか?」
研究室を閉めたのにここにいるなんて言葉がない。
「これからインターンに加わるんですか?」
学生たちは倉鍵の病院に行っていないことを知っていそうだ。
無責任すぎる自分に言い訳もない。そして、今は同じ藤湾の一生徒に過ぎない。先生でもないのだ。
「…あの、私………。見込みを受けていた霊性を失ってしまって、倉鍵にも新しい研究先にも行けなくなってしまって……。皆さんの貴重な学生時代を駄目にしてしまって………」
サイコスのことは言えない。
言いにくいが研究室を閉めてしまったことが無駄になったと呆れられても、いくつかのことは報告するしかない。
「………。」
少しだけ自分に勇気を…と思うがそれもなくて、やっぱり言い訳がましい態度になってしまう。
「………ごめんさい。」
深く頭を下げる。ただ救いは、学生たちが優秀な教授たちの元に移ったり時長に移動できたりした事だろう。
「………」
「…先生。泣いてる?」
最近涙もろいのか、ここでも涙が出て顔を上げられない。涙は甘えにも言い訳にもなりそうで絶対に出さないと決めていたのに。
1人の女性学生が響の顔を上げさせる。そして出てきた涙をティッシュで押さえてくれる。
「先生、藤湾に戻るんですか?」
「…アンタレス以外のインターンに行こうと思って……。」
「ベガスの病院でもいいじゃないですか!」
「?!」
そんなことを言ってくれるとは思わず、びっくりしてしまう。
「怒ってないの?私…みんなの時間を無駄にして…。」
「怒ってないですよ。ちゃんと他の先生たちも響先生のところにいた分を評価してくれていますし。」
「でも、分野が全然違うから…。」
「せんせ~い!」
ギュッと抱きしめる。
「私たち、研究室本当に楽しかったから。それだけでも財産です。またベガスでスタートしましょうよ。」
倉鍵とベガス病院は繋がっているし、南海での人間関係を清算したかったので、すぐにイエスとは言えない。でも、本当にどうしていいか分からなかったのだ。
しばらく抱き合ってそれから学生たちに昼ご飯に連れ出された。
話してよかったと思う。
内容をいくつか変えざる負えないが、自分の思いと人の思いは違うことも知った。
今までサイコスである程度は見えてしまう部分があったので、知らなくてもいいことを知ってしまう恐怖はあった。でも、サイコスをなくし、「見えない」という新しい恐怖を乗り越えなければならなかったのかもしれない。
そして、しこりを残しても仕方ないと、このまま倉鍵総合病院にお詫びと挨拶に行く勇気も少しだけ得て、日勤の終業時間辺りにアポを入れもう一度身なりを整えて病院に向かった。
***
倉敷の病院を出た響は少し気が抜けてしまう。
意外にも、イオニア母に入った時の様な力はもうないと言っても、来てほしいという事だった。
ただ、看護師との揉め事もあったし、やはり先生から好意を向けられている感じは否めないので一旦は断りを入れる。看護師が自分を鬱陶しいと思う気持ちもなんとなく分かる。ファイやアーツのみんなにも響はめんどいね、と言われているし。
倉鍵のビルの上階、大きなカフェの一番隅っこで、紅茶ラテを手に一息した。
そこに見える風景にため息が出る。アンタレスだけでもこんなにたくさんの世界があるのに、どこにも行けない自分。高校を卒業してからは上手に生きてきたつもりだったのに。
まだ、シェダルの処遇が決まるまではSR社にも行かないといけないだろう。約束だ。
もう一度SR社に戻るか、南海に戻るか。ベガスの他の地域に引っ越してベガスの病院に通うという手もある。それとも全く別の土地に行くか。
今までアンタレス以外は西アジアを拠点にしていたけれど、あまり行ったことのない東アジア東や南という手もある。不安もあるが、アンタレスでの生活は響には濃すぎた。
それに、自分の能力がなくなったことを誰も咎めない。内心はがっかりしている人もいるだろうが、変わらないも人たちがいることに気持ちが落ち着いて来た。
少しだけ…………頭が冴えていろんな可能性が見えてくる。
そこにロディアからの電話が入った。
「はい?」
『響~!!!』
気が抜けて普通に出てしまったが、ロディアとしては音信不通だったのに何だと言いたい気分だろう。
『ベガスにいるの??』
「倉鍵に…。」
『何してるの?!』
「用事が済んで…カフェに。」
『響…よかった…。あ、あのね!お父さんがまた婚活してる!!!』
「へ?」
『私は結婚したんだけど…』
「へえ????」
『私じゃなくて、今度はタラゼドさん!!』
「はい?!」
意外な名前が出て来て、呑み込みができない。
「え?結婚してまた直ぐにタラゼドさんと結婚するの??」
『違うー!!先、父がサラサさんに、タラゼドさんを会社に引き抜きたいから協力してくれって言いに来て、断られたらから今度は身内を紹介するって…』
「はあ????」
それは意味が分からない。
ロディアが結婚をして…タラゼドも???
***
何も考えずに、タクシーで急いでベガスに来てしまった響。
先の電話と少し状況が変わったようで、事務所ではブチ切れ気味なチコと、その後ろにもう現状放置状態で別の業務をしているサラサ。
次は誰が結婚させられるのか、それとも空振りかとお茶をすすりながら見学している皆さん。いつも定時で帰るメンバーも退勤しない。
「…あ、響さんだ。」
「久々だ…。」
「ちょっとオシャレをしているな。」
自分が注目を浴びていることに気が付き、小さく礼をして端っこに行く。というか、自分はなぜ来てしまったのか。
タラゼドのことは………好きだけれど、タラゼドに好かれるとは思ってはいない。彼は来るもの拒まず去る者追わずなのだ。誰でもいいのだろう。それは困る…というか、そんな風で一緒になれるとは思えない。そう思うのも自意識過剰か。
「だから…、うちの方で雇わせてってば。」
「そんなの本人の意思以上のことはできないだろ?そもそもタラゼドの奴、アーツに残れと言ったのに言う事を聞かなかったんだ。私の言う事なんて聞く訳ない」
バイト期間が終わったら考えると言いながら、結局河漢移動が急がれてそのまま今の会社の社員になって、役職までもらってしまったのだ。タラゼドのいる会社もベガス構築の一環の会社なので、業者側に事業の理解者がいるというのは助かってはいるが。
「それで、身内を紹介すると?」
怒っているチコに言わなくてもいいのに、婚活計画を漏らしてしまったおじさん。敵陣で何をしているのだ。チコが激オコである。
「絶対にダメだ!」
チコにそれを止める権利はないし、タラゼドの自由だ。それにチコもチコで、「下町ズはアホなので、ユラス人やチコの身内と結婚はさせない」と普段言っているのに、いざとなると「身内をヴェネレ人に譲りたくない」とか都合がいいのである。ヴェネレ人というか、ただ単に婚活おじさん圏内に身内を取られるのは嫌なのだ。単なるチコの我が儘である。
一方おじさんの悪いところは、婚活を職場でしていることだろう。しかも人様の職場で。
「人類皆一家族じゃないか!!」
おじさん、いきなりワールドワイズになる。
「それとこれとは話が違う。」
チコが冷たく言い放つが、おじさんは全然ひるまない。
「正道教の理念は、人類みな兄弟!みな平等!世界平和!敵こそ愛する!」
「は?何がですか?」
大房民が、そんなチコに言ってしまう。
「チコさんって、けっこう心が狭いですね。」
「そうですよ。敵を愛してこそ、神の愛が体現されるんじゃなかったんですか?神学で習いましたよ?歳で忘れましたか?」
「それに、俺らも軽そうに言われていますが、ユラス人と付き合うとか毛頭ありません。ご心配なさらずに。」
「ああ?」
「あ!ゼオナス君お帰り!」
現場から戻って来たゼオナスに、切り替えが早いおじさん。
「今夜、飲みに行かない?」
ちなみに、おじさんの迅速な行動に危機を覚えたVEGAスタッフは急いでゼオナスをアーツ正職員にしてしまった。おじさんが関わると、みんな仕事が速くなる。目を付けた人間を取られるわけにはいかない。
久ぶりに響を見て、ゼオナスも一礼する。いつもと違うお出かけスタイルの響。なるほど、これはきれいだと思ってしまう。弟よ、かわいそうに。
そこで、大人しく小さく座っている響におじさんも気が付いた。
「あれ?響さん?こんなにきれいだっけ?」
ファイに習った薄いながらも盛りメイク、オフィススタイル版が功を奏しているらしい。
「やー!西アジアの衣装を着てウチのヴェネレのCMに出てほしいね~。オリエンタルに少しエキゾチックな感じもあっていいかも。輸入品多いから!」
「…あの…。」
なんとスカウトまでしだした。美女過ぎないところがちょうどいい響さんは、ヴェネレでも通用するらしい。婚活おじさんは、とにかく切り替えが早いのである。もう誰もこのスピードに追い付けない。
「いやあ…。これはウチのが放っておかないかも!バーチっているんだけどね。年齢は合うかな?」
「…。」
もう響も、呆然と聞いているしかない。
「そういえば響先生!アーツやVEGAじゃないよね?うちの顧問にならない?ヘルスケアやビューティー分野の!」
いつもなら、そんなことを言えば吊るし上げるチコの脳内さえ遂に振り切ったのか。それとも、一応年配者なので何もできないのか。チコがただ唖然と見ていている。
おじさんのこの早業に、誰も追いつけない。しかも引き抜きとか敵陣のど真ん中で普通しない。陰でこそッとするものだ。
「お父さん!いい加減にして!!!!」
と、そこに現れた救世主はこの人の娘、ロディアであった。そしてなぜか、車椅子を押すのはタラゼドである。




