42 霊壁の撤廃
女性が去ってしまって、逃げたいファクト。
人が減ったのにむさ苦しくなるって、男って何?と、自分で思ってしまう。
サダル、シェダル、アセンブルス、サングラスを掛けてマスクをした顔の見えない知らないユラス兵とか、また何の拷問だ。しかも1人は顔に大きな傷跡がある。普段ならかっこえー!と思うが、この状況は怖すぎる。
まだゴツイ系のクラズの方が和む。唯一の慰めは……シェダルが多分、今ここで一番弱いという事だ。ただ、地雷もシェダルなので、自分の存在は薄まるだろう。
「今は俺の方が勝てる、多分。」
「は?」
「何でもありません。」
思わず口に出してしまうが、無謀さと狡猾さでは負けそうなのでシェダルにも逆らわないことにしておく。
「あの、女子供は避難という事で、子供の僕も退出していいでしょうか?」
面接用スマイルでニコやかに聞いてみる。
「お前は子供に入るのか?」
「え?サダル議長。あなたの奥様に、子供なのに勝手なことするな、といつも言われているんですが?東アジアは18でも、高校在籍中はお酒も飲めないし普通車の路上運転もできません。」
「そうか、ユラスは16で兵役の場合もある。安心しろ。」
何が安心なのか分からないし、ユラス人じゃないしと思うのだが、これ以上は言わない方がいいと賢明な判断し、大人しく丸椅子に座る。念のため、奥の丸椅子に座るそぶりで席をベッドから離した。
「まずファクト、なぜ場所が分かった?」
「えっと、テニアさんの時みたいに光が見えたので。」
「…カーフの言っていたことか。青緑とか言う。」
一緒にいたカーフがチクったのかと、ちょっといやになる。奴め。
「その色の光はなんなんだ?」
「さあ?…。だいたい2色だけど。アジア人で見えたのはカストル総師長です。後…誰かいたっけな?今のところ。リゲルやラムダたちには見えませんでした。他は試していないけど。」
「…後で詳しく聞こう。そして何より…行動の前に…
報告しろ…。」
ちょっとキレてる?怖い。自分、サダルの管轄下じゃないんだけど絶対に逆らわないでおこう。
「はい…。心します…。」
「…シェダル。」
「………」
シェダルはサダルをギっと睨んでいる。
「久しぶりだな。何年ぶりだ?前よりは大人しくなったな。」
え?知り合い?と、ファクトは拍子抜けする。
「…。」
サダルを無視して天井を向き、少ししてシェダルは静かに尋ねた。
「なんでお前がいるんだ?」
「もともとはSR社の研究員で、今もユラスとは協力組織だ。それに、チコ・ミルクの夫だからな。議長夫人で、妻があそこまでされたのなら、サッサと牢にぶち込んでやりたいんだが。」
「…っ?」
その言葉に非常に驚いているようだった。
「夫?お前が?」
「…知らなかったのか?」
あんな暗殺の様な仕事をしていてシャプレーのことも知らなかったし、世の中のことをほとんど知らないようである。アセンブルスは、カウスと共にチコに1人の時間を許していたので、あの襲撃を思い出すと苦々しくなった。
サダルは捕虜の頃、タイナオスで自分たちに嫌悪の目を向けていたシェダルを思い出す。
「ただ、以前はすまなかったな。タイナオスの研究所では、十分な施術をしてやれなかった。」
「…。」
「まあ、その辺の話も後でしよう。」
***
一方、護衛と監視代わりのナンシーズを後ろに付け、チコは向かい合って座った響の涙を拭った。
少し天日が入る吹き抜けの中庭エリア。ここは住宅の様な造りになっている。
「…はあ、そんな事気にしていたのか…。大丈夫。戻ってこればいい。しばらくうちのマンションにいてもいいし。」
みんなと会いたくない響だったが、そこならアーツや学生とも遭遇しにくい。でも、今はたまにしか会えない夫が滞在している。
「…旦那様がいるのに何言ってるの。」
「…本当に議長なのになんでこんなに長くいれるんだろうな。河漢の方も落ち着いたし、そろそろ帰るんじゃないか?」
「……。」
あまりにもひどいことを言っているので、涙が引っ込んでしまった響。
「…仕事としてはどうであれ、チコも本来はユラスにいるべき人間なんだよ。サダル議長がかわいそうじゃないの?解放後初のサミットに同行もぜすに…。多分変に注目されたよ…。」
「……。」
既婚者は夫婦同伴で参席するのが基本である。
しかも、今まで仕事として同行していたユラス女性にひどくアピールを受けたそうな。これまで議長夫人の座を狙っていた者も、今回はさすがにセキュリティー上入れなかったのに、これまでまじめに業務をこなしていた秘書的な立場の女性がまさかそうなるとは思ってもおらず、表沙汰にはしないがけっこう問題になったのであった。
相手の言い分としては、これまでの妻からの処遇を見ておられず、支えてあげたかったらしい。
「立場的に、周りに霊がいっぱい働くからね。霊が似たような者と想いや心が一致すると、流されやすくなるから。」
響はため息をついた。
「サダルはどっちでもいいと思うけど。2人で動くのは効率が悪いと思っているし。」
「チコとサダル議長の問題じゃないよ。周りがどう思うかだよ。」
堂々巡りで響はふくれっ面をした。
「あのね、チコ。奥様の座をいつまでも空けていたら本当にだめだよ。」
「……もう、空けてないけど…。」
「実質、空いてるのと同じ!空いてるから余計に入りたがるの。
夫婦の場合、あるべきもので……お互いで心が満たされていないと……空洞があると、そこを満たしたくなるの。
今こっちにいるならちゃんと夫婦として一緒にいて!」
なぜか逆に説教を受け始め、チコは逃げ腰になる。
「サダルの議長夫人なんて、贅沢もできないし、厳しい生活も強いられるのに、なんでそんなものにみんななりたいんだろうな…。」
高位男性の妻になっても数年放置状況も当たり前。
会議、フォーラムづくしで周りには自分よりも部下が同行する。チコだから一緒に戦場にも行ったが、兵役経験のない女性なら夫が生きて帰れる状況を見守るだけなのだ。あんな針のむしろの様なユラス社会で、言い訳もできず役目を果たしながら。
サダルは前線にもいたので、捕虜にもなった。しかも頂点に立った途端、地位や命を狙われる。
ユラスは思った以上に生活や財産も監視されているので、必要以上の贅沢は本人にも相当財力がないと出来ない。防衛や軍、首都復帰は国のお金や世界中の援助などが回ったが、当時、お金のある者たちも私財までユラス攻防に回し、その後終戦すると、今度は基盤ができるまでVEGAや教育復帰に投資。はっきり言ってはほぼ野戦状態で、女性が着飾る環境などなかった。
そして、他国も含め、トップの座にいれば知りたくない世の中のことも知り、下手をしたら同じことをするよう強いられる。想像以上に、想像もできなかったほどに、世の中が汚く回っていたことを知ってしまう。それでも前時代よりは大分いいが。
愛してもらえないからと、他の男にうつつを抜かした時点で、社会的生命も終わる。
サダルがまだ、身持ちが堅いだけいい。そうでないともっと最悪だ。
全然楽しくないだろう。
「何、悠長なこと言っているの!」
「多分、サダルと結婚しても十中八九後悔して、離婚したいと思うぞ。」
そこに、政治的意味や大きな使命感がなければ、一緒にはなれないだろう。
「あのね、それでも権力の座は輝いて見えるんだよ!それにユラス女性は、意地も天命感もすごいからね。」
なにせ、近代化したこの時代でさえ、ヴェネレ人でも感服する信仰心を持っているのだ。権力の座がきらめいて見える女性もいるが、国や天命、使命の為に命を投げ出す覚悟のある者も多い。そうしてたくさんの殉職、殉教者を近代まで出してきた。
チコとしては、正直そういう立派な精神をもつユラス女性に席を譲りたかったのだが。
「……響のバカ。」
「は?」
「そんな話をしないでほしい。」
「何言ってるの?」
「アガっ!」
チコの両頬をつねる。
「あのね。」
「……。」
「あのね…」
「……なんだ?」
「ユラスの一番大変な時を乗り越えたチコが………、一番の理解者にもなれるんだよ。」
「理解者が隣にいた方がいいわけじゃない。」
「でも、今、ユラスがそれを望んでいるから…。
そんなユラスでも、内に籠っていたらもう発展も生き残りもできないの時代に入っていっているの。
サダル議長が終戦と同時にセイガ大陸の霊壁を取ってしまったから。」
サダルの終戦宣言は事実上、アジア霊線の、人々の意識の壁の撤廃だった。
この意味が分かる者は、次の時代を見るであろう。
今度はチコを抱きしめる響。
そんな2人を、アンドロイドのナンシーズはただ黙って見ていた。




