34 赤と青の
「なあ、なんでサダルは帰らないの?」
帰らない人不在の空間で、こっそりアセンブルスにチコは聞いてみる。
「もう一度やり直す話で決まったのではないですか?」
「それとこれとは話が別だ。」
何が別なのかよく分からないが、チコはサダルが帰らないことが不満らしい。
「この状況で帰るわけないじゃないですか。河漢があんなことになったんですよ。」
「黙れカウス。勝手に話を聞くな。サダルの方に行け。」
「そんなご無体な。今あっちはザックスたちがいるので。」
河漢スラムの中心は既に東アジアの土地になっている。あのコレクションも複雑な経緯を経て、おそらく最終的に東アジアの物になるだろうが、西アジアにいる『龍』家の子孫と話はするらしい。
しかし最も大きな問題は、モーゼスの形は持っていないが『モーゼス』が入ったことだ。
シリウスが追っていたが、それも公にはできない。
そして、シリウスはあの状態を放置した。
モーゼスを追いながらも、モーゼスがインフラに入り過去施設を使うことを放置したのだ。あれだけすぐにワラビーたちが起動できたという事は、施設内にそれなりに前から侵入して準備していたという事だ。大量の電気が流れたり使われれば発見されるはずが、それも内部施設やあれこれ使い、うまくごまかしていた。
マスコットでいなければならないシリウスは、いつものように自分の手を汚さずにモーゼスを公に炙り出すつもりだったのか。
そしてもう1つ注目を浴びたのは、後に『ライデーン』と妄想CDチームに名付けられたファクトのぶっぱなし事件である。
あんな電気を誘導してよく死ななかったものだ。
その動画を見てチコが関心をしている。
「よく咄嗟にこんなこと思いついたな。」
サイコスで電気や空間を捻じ曲げて「サンダー・ボルト」とか言って、ワラビーにぶっぱなしたと説明する。
その後、妄想CDチームにその名前はダサいと言って却下され、「ライジング・カウンター」だとか言い、「お前ら英語がダメすぎる。小2か。いっそうの事アジアなら漢字語にしろ。」とか騒ぎ、結局『ライデーン』になったのだ。これもどれもダサいが、それでいいのだ。ダサいはかっこいいをも包括するのだ。
ファクトとしては、「てやー」とか「いけー!」とかが言い易く力を放ちやすかったが、それはCDチームが許してはくれなかったらしい。
その前に河漢での出来事は黙ってろと言ったのに、なぜかライデーンのみアーツで広まっていて、くだらない事への執念にチコは呆れる。そこだけは別枠にしても共有させてくれとクルバトがねだり、前後事情を変えてめでたくクルバトノートに記載されたのであった。
「…。」
「すごいですね。」
一緒に映像を見ていたマイラやカーフも感心している。
アーツ妄想チームがどうでもいいことで真剣に悩んでいる時に、ユラスはこの事象をどう扱うか悩んでいた。既に東アジアも共有している。
「他にこういう事例は?」
「ここまでは…あまりないですね。」
「必死でとにかく目の前の事をどうにかしないとという気持ちで、後先考えずにしたそうで、2度と同じことはしたくないとファクトも言っていました。出来るかも分からないし、死ぬ気しかしないと。」
カウスが深くため息を吐くように言った。
「…とにかく…、とにかくファクトが無事だったのはよかったです。本当はあの時サルガスと避難しているものだと思っていたので…。すみません。」
「はあ…。」
チコもため息をついた。
「…こうなると追随者は出てくるでしょうね。」
マイラは、カーフやレサトなら似たことができそうだと思う。
今、すごいと思われている技術は数年後には追随者が出て来て、5年10年もすれば人類に定着する。
「なんというか、ファクトは少し電気誘導の力が強い、バランス系なのかな。サイコロジーも使えるし、この辺は霊力かもしれないが、サダルが遠距離も飛べると言っていた。でも、電気誘導以外は、今のところ他人の介助がいるが。」
チコはファクトの扱いに困る。とにかくサイコスがなんであれ、優先なのは安全と健康だ。それがミザルとの約束でもあり、自分の義務でもある。
「光が見える力は?夢見も…。」
「あれは完全な霊性だな。両親や親族もああだから仕方ない。」
「…響さんにももう一度聞いてみますか?ファクトがただのサイコロジーなのか、DP(深層心理)サイコスなのか、またそれとも別なのか。」
近くのアセンブルスの言葉に、近くの部下が反応する。
「…そういえば…。響さん今ベガスにいませんよ。」
「休暇を取っていると聞いたが?まだ終わっていないのか?」
「倉鍵のインターンにも行っていないそうです。断ったそうです。」
「…は?なんでだ?」
忙しくて最近の響のことをほとんど知らなかったチコ。
「病院から再度打診が来ていたのですが、ずっと断っていたみたいで。長期休暇に入ったと聞きました。こちらからの連絡にも出てくて。」
今になって響がいなかったことを知ったのだ。
***
大房既婚3人組に相談をした次の日、ロディアは夕方に現場から戻って来たサルガスを捕まえた。
「…あ、ロディアさん…。」
「お疲れ様です。」
「…。ロディさんこそ。」
「……」
「…。」
沈黙が続く。
二人は人気の少ないエクステリアのベンチのあるところに出た。
眩しい日差しを避けるように木陰に身を寄せる。
「…あの、ロディアさん。先日はすみません…。」
「…こっちこそ。」
「……もう言いませんから…。」
真顔で目も合わせずにサルガスは言った。
あ。これはやってしまったかも、とロディアは思う。
どうしていいのか分からなくて、膝の上で両手をあれこれ絡み合わせる。
実はロディアは、これまでケンカや言い合いをしたこともなかったし、誰かに真っ向から逆らったこともなかった。
父親以外。
叔母さんたちに意見が言えるようになったのも、ベガスに来てからだ。足のことだけは全てだんまりだったが戦うよりは逃げていた感じだ。後は仕事で必要な場合は何か言う事はあっても、なるべく事を大きくしないように、平穏に全てを済ませようにしてきた。
何も起こってはほしくなかったし、否定の言葉は誰からも聞きたくなかった。
ああ、嫌われてしまったかもと、少し声が震えそうになる。
それに気が付いたのか、サルガスがロディアの顔を見てすまなさそうに笑った。
「ごめん。…急がないから。」
「…。」
「ちょと自分、いろいろあって頭が回ってなかったかも…。あ、逆?空回りし過ぎたというか…。」
「………はい。」
答え方が分からない。
「…少し自分も考えるよ…。」
「…あの、考えるって、お付き合いの事ですか?」
「え?やっぱり俺のことイヤになった?」
「…へ?そんな事ありません!」
「…よかった。そうじゃなくて、頭を冷やすというか…。」
「あの、サルガスさん。私ときちんと結婚したいんですよね?」
ロディアはあまりない勇気をどうにか出す。このまま嫌がられてしまうかもしれないけれど。
「え?そうだけど?」
「他の人でなくていいんですよね?!」
「他って誰?」
「後で後悔しませんよね?!」
「人生何があるか分からないけれど、ここでロディアさんと進まなかったらもっと後悔すると思うけど…。」
「私でいいんですよね?!!」
「…ロディアさんがいいよ。」
ふう…と落ち着くと、ロディアは少しだけ車椅子を進めてサルガスと真っ直ぐに向かい合った。
「今日か明日、エリスさんに結婚の祝福を貰いに行きましょう!」
つまり、結婚しましょうという事だ。
「……」
真顔のサルガス。
どうしよう。サルガスさんが無反応だ。それとももう気分がシラけてしまったのか。
何の反応もない目の前の相手に、ギュッと拳を握るも、だんだん気持ちがクラクラしてくる。
「…サルガスさん?」
「…………」
「………。」
何か言ってほしい。本格的に泣けてくる。
「…ロディアさん、それって、きちんと、永遠に霊を結ぶことだよ?」
「いや……嫌なんですか?」
「…そうでなくて、ロディアさんがいいの?今日か明日って…。」
「…イータさんたちに相談したんです…。そしたら、二人の立場をしっかり固めてから…それから細かい事は考えていけばいいって…。実はもう、エリスさんとチコさんに保証人役を貰っています。その気になったら電話してって言われました。」
「……」
「…あの、勝手にエリスさんに連絡してごめんなさい…。」
新時代からは、霊性の結婚の印の方が、役所の印より結婚の意味合いは大きい。天において霊性が結ばれるのだ。それは既に想像や概念の世界ではなく、多くの人に見えるもう一つの現実の現象世界でなのである。
役所の手続きも生活の上では非常に重要だが、霊性は一度刻まれたら永遠に消えない。全てのことが全ての人の記録に残り、それを改変していくとなると、膨大な努力や力がいる。
「サルガスさんこそ、まだ26だもの…。いやじゃないですか?」
ロディアは温度差を感じて、居た堪れなくなる。
少しの沈黙の後、サルガスは口を開いた。
「…嫌じゃない。」
「…」
サルガスはゆっくり膝を屈めて…そしてロディアの手を取った。
振動が分かるくらいにサルガスより一回り小さい手が震えている。その手を落ち着かせるように、一度両手で包み込み、それからロディアの横髪に触れた。
「嫌じゃないよ…。ロディアさん。」
「…。」
少し慣れた人だとはいえ、ロディアには精一杯のことだった。涙目になっていた顔を上げると、サルガスも少し目が潤んで、静かに笑っている。
「ロディアさん、よろしくお願いします。」
「…は、はい…。」
少しだけ滲んできたロディアの涙をサルガスが手で拭う。
「ロディアさん、泣かないでよ。」
「サルガスさんも…ちょっと泣きそうですよ。」
「みっともない?…なんか安心したから…。なんか…すごく…。」
「いいえ、こちらこそ…よろしくお願いします…。」
いつも見ている並木や大理石さえ、全てが新しく感じる。
「サルガスさん、顔、触らないでください…。」
「あ、ごめん。」
「あの、すごく…緊張してるんです。親や子供以外の異性を…、異性でなくてもなんですが、病院とか以外こんなふうに触られたことがなくて…。」
そもそもこれまでの人生にコミュニケーションが欠如し過ぎていて、メイクをしてくれたファイの手すらくすぐったかった。
サルガスはそれでも、ロディアの手を取って今度は自分のこめかみに当てた。
「ひっ!」
「俺もここまでにしておきます。」
サルガスは笑うが、男性の顔になんて近付いたこともないので、微パニックである。
「頬だと髭とか気持ち悪いかもしれないから…。子供とか、父親の髭キライじゃないですか。」
一応、初めての女性に考慮したのだ。
「祖父や父の髭くらい触ったことがありますけど…。」
少し意地になって言い返す。
そして、緊張するけれど、ロディアも自分の手の近くにあった、サルガスの目尻を拭った。
暫く二人はそうしていて…
そしてデバイスを取った。




