2 手の上の砂
朝の駐屯所の一室で、ユラスから迎えたおじさんはワズンと話しながらチコを待っていた。
朝礼や打ち合わせを終えたチコが、カウス、アセンブルスと入って来るので、おじさんが立ち上がる。
今日はコンタクトでなく、色の入った眼鏡を掛けていた。
「最初に改めてご挨拶申します。私、ユラス民族議長、ナオス族長の妻、現在アンタレスのベガス駐在チコ・ミルク・ディーパ・ナオスと申します。」
一応ナオスも付けておく。
「あ、どうも。」
「補佐のアセンブルス・メンケントと申します。」
「あ、はい。」
「護衛で同じく補佐のカウス・シュルタンです。」
「どうも。私は…何て言おう?」
いちいちワズンに聞く。
「え?好きにしてください。」
「ファイト君の知り合いのおじさんです。」
「…………ファクトですか?」
「そう!ファクト君!」
「……。」
パスポートなどは一度回収してあり、そこに書かれた名前は『テニア・キーリバル』であった。
なのでみんな知っている。なぜ言わない。
「キーリバルさんはどうしてアジアに?」
「………………ファクト君に呼ばれたから。」
「………」
「…なぜファクトに?ここから話は漏れません。サイコスでガードもしています。」
「いや、そもそもファクト君が何者なのか知らない。飛行機で聞けばよかったな。」
「……。」
「ワズン!いい加減説明しろ!」
チコが怒る。
「テニアさん。話してあげてください。」
「……」
「…母親に…。」
顎に手を掛けて言う。
「…母親に似ていると思ったのにな。」
何の話だ。チコがチコの母に似ているという事か?
「…もしかして…お、叔父様――ですか?母を知っているんですか?」
チコの目が揺れる。
テニアが眼鏡をはずすと、そこにはやはり透き通るような紫の瞳があった。
チコの胸にこみ上げるものがあり、少しドキドキもする。
「チコ。君の母の名は?」
「……最近知ったのですが、実は私は孤児として育っていて知らなくて…可能性が高いのは…レグルスです。
ジライフの公務員レグルス…カーマイン。」
「?!」
その情報を知らなかったのか、カウスが「そうなのか?!」という顔で見る。
「………。」
テニアもその名を聞いて顔をゆがめた。
「レグルス・カーマインは…」
ため息をつくように少し笑った。
「私の妻だよ。」
チコ、そしてアセンブルスとカウスも驚く。
「……え?」
どう反応したらいいのか分からない。
「妻………という事は……」
「そう。君の父親だよ。」
「………。」
驚愕である。
「は?父?…父親?」
「………」
カウスも無言で息を飲んでいる。ん?何の話だ?
「私の元々の名は、『ボーティス・ジアライト』だ。」
「………………」
場が固まる。
聞く方は、誰も次の言葉を発することができなかった。
***
その頃ファクトはまだ寝ていた。
「ねー?ファクト起こさないの?」
「昨日カウスさんと深夜に来て、疲れてるから明日は起きるまで寝せとけって。」
「珍しいね早起きなのに。」
何人かは、また何かあったのだと悟っている。夜に帰って来て、薄汚れた服を替えて洗面だけしてすぐに寝てしまった。そして、どういう触覚が進化したのか、一部メンバーは昨夜もチコたちが動いていたことを知っていた。アーツ、ただの一般人だったのに無駄に感知能力が上がっている。
みんなの騒めきの中、フワフワした浅い眠りの中で、ファクトはまたあの声を聴く。
『………』
大きな布切れに包まった女性。
埃や土、垢だらけの骨の様な指が見える。
あまりにも汚れて、その人の肌の色も分からない。鼻につくホームレスのような匂い。思わず後退るが、その手首を見て切ない気持ちがあふれ、皮だけの手に触れた。
固く、肉のない指。
あまりに細くて、指にしていた指輪が関節から外れ転げ落ちる。
ファクトはその指輪を拾って掲げた。
『R・B』と彫ってある。
親指用?男用?女性にしてはすごい太いサイズだな。
こんな大きな指輪…お姉さんの指には合わないけれど、布からはみ出して動かなくてっている手の、その指だけが必死に動いて指輪を探している。
それによく見ると、その手には薬指がなかった。
ファクトはヘアゴムを腕から外し、指輪を引っ掛けて、お姉さんの手首にはめてあげた。
ゴムを手に通すため広げる時に、お姉さんの手の方が壊れそうで怖い。
カサカサでボロボロの腕を擦る。
健康な人にはない匂い。感触、色。
病室に寝たきりで細くなっていたチコや、まだ若いと言われていたのに、やせ細って死んだ祖父や伯父たちを思い出す。少し違うのは、そこまで体が大きくないという事だ。やはり女性だろう。
病院の、肉がとれて固くなった体の、薄い皮膚の剥がれる独特の匂いも漂う。
「ねえ、お姉さん。やっぱり洗ってあげるよ。ジリたちから少しだけ介助も習ったんだ。南海のじいちゃんたちの背中も流したことがあるし…。」
ファクトの母方の祖父はもう亡くなっている。
何も孝行をした記憶がないから、生きている内に一度くらい祖父のお風呂を手伝ってあげたかったのに、記憶にある頃には既に長いこと入院状態だった。今思えば、手足の清拭くらいさせてもらえばよかった。
『………。』
そこでファクトは思い出す。
「ああ、あなたは女性だよね。待って。じゃあ響さんを呼ぶから。響さんは看護や介護の資格もあるから大丈夫だよ。」
「響さん!」
「響さん!」
呼びかけるのに、反応がない。
「響さん?…響さん!」
そう言っているうちに、その人は砂になって、何もない、ただ宇宙になっていた。
あーあ…。またやってしまった。こうなると触ることもできないから、そうなる前にきれいにしてあげたかったのに…。
『…………』
「………?あれ、誰を探していたんだっけ?」
これは夢?心理の中?
___
怠い感じで目を開ける。
横のベッドでラムダが課題をしていた。
「あ!起きた?」
「あ、うん…。」
少しボーとして、だんだん状況が分かってくる。そう、寝ていたのだ。
起き上がるが、バンドがないのと前髪が顔に掛かってうざいので、腕のゴムでくくろうとするとゴムがない。
「あれ?」
「あ、これ使いなよ。」
ラムダがその辺に転がっていた、誰かのヘアクリップをくれるのでとりあえずそれで止めておく。
「寝起きが悪いの珍しいね。いつも目を開いたと同時に起き上がるのに。」
第1弾Dチームのタイも笑っている。
「…うん。」
背中を搔きながらテキトウに答えておくが、何か大切なことを忘れている。
「………。」
そして思い出した。
「あ゛ーーー!!!!」
「?!」
「どうしたの?!」
は~、退学だろうか。逮捕だろうか。軍用車が2台もお釈迦になった借金だろうか…。
頭を抱え込む。とりあえず、大怪我も死人もなかった。もうそこは感謝しかない、でもアーツ除籍だろうか………。
そして、半泣きで電話をする。
「ワズンさ~ん!」
***
響は一人ベッドの上で大の字で寝ていた。
そして、そっと手を上に掲げる。
もう何度もした行為。
窓の明かりに透かしてじっと見ても、何も発現しない。
無表情な顔からスーと涙が出てくる。
瞑想からサイコスに入ることもしてみたが、3時間掛けても何もできなかった。
こうなると、何も見えないから神も仏も信じない人の気持ちがよく分かる。超能力も霊感もあったっけ?この世に?という感じだ。
多分、前時代の人たちは、みんなそうだったのだろう。
霊性はどうにか残っているが、以前に比べたらだいぶ弱い。手に白いオーラが見えるだけだ。
これだと、ただ何かの日光の現象にしか見えない。
ない、何も起こらない。
何も感じない。
超現象や超能力の存在や可能性を感じないわけではない。でも、湧き上がってくる力はなく何も感じない。
なくなってしまった。私のサイコスが………
神様、どうして?
これではまた中途半端になってしまう。サイコスとインターンを選んで研究室を閉めたのに。
「………」
そうすると自分に残るのはインターンだけ。
それも、霊能者と勘違いはされているが、病院ではサイコスの力を買われて呼ばれた可能性が高い。もう、あんなアンタレス有数の大病院に入ることもできない。どちらにせよ断ってはいるけれど。
これまで進めてきた論文もおしまいだ。
みんなと積み重ねて来た全てを、また放り出さなければならなくなる。
このベガスに呼ばれたのも、サイコスの力を買われたからだ。
「………。」
今までのように自分一人で生きて来たなら、何にも責任を負わなくてよかったのに。力がなくなったところで、生活が変わるだけなのに。軍や東アジアの研究員まで巻き込んでいるのに。
その日、響は外に出ることもなく、心配で見に来たロディアと話した以外、ただ家でボーと過ごした。