18 獣道で見た亡霊
「僕、パスポート初めて作ったよ。」
「東アジアのパスポートは世界ランキング1位だからな!いろんな国に行けるし、連合国は基本ビザも要らんからめっちゃいい。」
「つか、西アジアならパスポートいらんだろ。統一アジア連合だぞ。」
「…西アジアもいると思ったんだ…。」
「バカだなラムダ。かわいいぞ。」
ファクトが撫でるので、怒って手を弾く。
サンエクスプレスで、一気に西アジア国境手前の最後の都市に入る。ファクトとラムダ、そしてリゲル。通路向こうの席にはニッカとタウ妹のソアもいた。
みんなアーツの選択で途上地域開発を選んでいて、高校の成績や大学の単位にもしてもらえる。
「なんか思ったけれど、空港であれこれするよりこっちの方が全然速いな。都市中心駅から都市中心駅ってめっちゃ楽だね。」
そう。今回は東ユラスで教育支援をしている後進地域の教育実習に行くのだ。着いたら現地の支援団体と合流する。車で迎えに来てくれるらしい。
現在危険とされる『アジアライン』にある、アジア最北西の都市狗賓だ。
狗賓自体は蛍惑ほどの都市で、山岳地帯に入る前であり、安全な都市だ。東ユラス側は平地から危険だが、西アジア側は山岳地帯から危険地域に入ることが多い。
今回教育実習の現場は、そこからさらに北に上がった、少しだけ山岳部に入る場所。目立たない街で、そこまでは危険ではないらしい。
ニッカは少し不思議に思う。自分はこの近くからアンタレスに来たんだ…。家族たちは元気だろうかと。
「ニッカと最初に会った時同級生でびっくりしたよ!話し方が大人っぽいからお姉さんだと思ってた!」
「わたしも大人っぽく見えるから、ソラがこんなにかわいい性格ってびっくりしたよ!」
女子2人は気が合うようだ。
ニッカは流れていく風景を見ながら考える。下にはギュグニーがあるのにアジア側は安全だ。こちらでは警察と軍人しか武器を持っていないのに、ユラスの方は民間人も武器を持ち車両にも搭載している。この違いは何なのだろう。
「私の故郷はこの山脈の向こう側なの。」
「…え?そうなの?ユラス?」
「え?ニッカさんの故郷が近いんだ。」
聴こえて来たラムダが反応し、ファクトたちも横を向く。
「ええ。ただ、国自体はユラスから独立しているんですけどね。大陸連合ではユラスに属します。」
「へー。あ、じゃあご家族もいるの?帰りたい?家族とは別で来たんでしょ?」
「うん、帰りたいけれど、また今度だね。」
ニッカは笑う。
でも、
…本当の出身はさらに違う。
ニッカは、その下の、
ギュグニーから来たのだ。
あの獣道を越えて。
胸がうずく。
必死に走った土と石、草だらけの暗闇を思い出す。
絶対に振り返ってはいけない。
足が擦れても、自分が撃たれても、誰かが撃たれても振り返るな。
走り抜くんだ。
本当の両親やみんなの全てを置いて…。
………持っていけるものは思い出だけ。自分はまだその記憶があるからいい方だ。小さい頃から家族と引き離された者も多かった。
そして――
全てを越えた向こう側にあった、満天の星。
あの獣道を抜けた先、数メートル先の空間と全然違う、澄んでいて全てが綺麗な場所。空も、空気も同じはずなのに。
あれ?
私はあの時確かに見た。
あの亡霊を。
ドレスを身にまとい、くすんだブロンドヘアの美しい…?
美しかったっけ?
頬がこけ、目も白く蠢く恐ろしい女性の亡霊。
でも美しかった。きっと美しい人だったんだ。
車窓を見ながらあの時を思い出す。幻覚?…違うあれは霊だ。
他の子たちもそれを見ていた。ただ、なぜが記憶が朧げになり、連合国組織に保護された時には覚えてはいなかったけれど…。
今もおぼろげで……すぐに忘れそうな……
「ニッカ?」
「…。」
「ニッカ!
「あ、はい!」
驚いてみんな方を見る。
「大丈夫?!」
ソラがそっと目の下を手で拭く。自分で分からなかったが、大粒の涙を流していた。
「ごめんね。そんな話しちゃったから…。辛いよね…。」
「ち、違う。何だろう…。」
「ドレスを着た、何?亡霊?女性?」
「………。」
みんなが心配そうに見る。
「亡霊って?大丈夫?」
最近女性の亡霊に憑りつかれている気がするファクトが、機敏に反応する。憑りつかれているというか、気に入られているというか、それとも自分に文句でも言いたいのか…。
「う、うん。ごめんね。夢でも見てたのかな?」
まだ涙があふれてくるので、ハンドタオルを渡される。
いつも冷静沈着で、余裕のあるニッカのこんな姿にみんな驚き、必要以上にニッカは慰められた。
そしてしばらくして狗賓駅で降り、少し休憩してから迎えの車で目的地まで向かって行った。
***
蛍惑の祖父の別荘で、ハーブ畑を管理する響。
「おばさま。おじい様が帰って来たらジェノベーゼを作って差し上げよ!」
「お喜びになりますわ。」
「オイルは多めに作って、今晩のパンに付けようかな。」
「今日は牛タンのシチューにしたのでパンはいいですね。」
「お嬢様!お客様です!」
その時、山根のおじさんが駆け込んでくる。
「お客様?」
アーツ関係の訳がないし、家族やシンシーならこんな言い方はしない。シンシーにも他の人に言わないでと言ってある。ベガスの誰か?職員?
「リーバス様です。」
「シンシー?」
響が急いで玄関に行くと、あの爽やかな笑顔。
「あ、響さん。お久しぶりです!」
「はっ?!」
非常に姿勢のいいステキな笑顔の男性と、後ろで申し訳なさそうにしているシンシーであった。親戚の子が付いて来て、外で遊んでいる。
「響、ごめんね…。バレちゃった…。」
「へ?」
「義姉さんが、子供部屋で響さんと電話しているので、こっちにいるって知ってしまって…。申し訳ないです。」
全くもって申し訳ない感じのしない、嬉しそうなリーオ。
「…誰もいないと思ったの…。」
「…シンシー…。」
ちょっと怒っている響であった。
***
ファクトたちは、狗賓からさらに車で1時間半の山裾の方に入って来た。
経路に途中から整備された道路もなくなる、サンスウスという小さな町だった。響の故郷の山と違って谷が深く埃っぽく、何もかもが古い。元はアジア連合に属してなく、最近開発対象になった町である。
「皆様お疲れ様です!」
まだ日が暮れる前、数か所ある比較的立派な建物のうちの1つに到着。立派と言っても平屋だ。
「皆さんの宿は夜にお連れしますので、取り合えずこの事務所でお過ごしください。私は開発の手助けをする団体の総指揮をしています。」
みんな自己紹介をして荷物を置いた。2泊3日の予定だ。
「でも、今日はお客さんが多いですねー。」
「他の団体もいるんですか?」
「支援団体ではなく、普通にお客さんです。この町は宿は1か所しかないんですけど、他にも身内の友達たちの団体さんが急に来て…。」
この町で、宿だけが2階建ての建物である。すぐ近くなのでミーティング後、一度見に行った。基本朝夜の食事はそこで食べるらしい。
それでも部屋数が足りないので、2人部屋に3人入れるかと言われる。最悪、男性は事務所で雑魚寝になってしまうが、どうにか2部屋は取れたそうだ。
村の人は心配するが、しかし全然OKなアーツである。なにせ自分たちは8人部屋だ。ただ、この地域は既に夜は寒く、床は土足で冷えているので床には寝られない。簡易ベッドも他の団体客が使っているので、ソファーを1つみんなで運んだ。
「朝夜は寒いですので、シャワーは昼にすることをお勧めします。」
部屋によっては暖房が浴室まで回らないらしい。トイレはバイオトイレでその説明も聞く。女性は個室にトイレのある部屋を案内された。
「すごいね…。」
今まで先進地域から出たことのないソラが、かなり自信をなくしている。改装されて現代風にはなっているが、これならいっそうの事プレハブ小屋の方がいいくらいだ。
「ニッカは平気?」
「私の故郷はもっとなんもないからね…。」
「そうなの?」
慣れたニッカと違い、不安がるのでちょっとソラが気の毒になってしまう。前もって聞いてはいたが、コンビニもなく、夜はお店は全部閉まってしまう。
しかし、そんなソラの落ち込み具合とは反対に、もう遊びに来た子供たちと仲良くなっているのはファクト。
好奇心で見に来た地元の子たちと、既にバスケをして遊んでいた。相手は小学生や園児。大きくても中学生。もちろんファクトの圧勝である。
「すごいですね、シャイではにかみ屋の子が多いんですが…。」
事務所長が驚いている。
「あいつ、手加減してやれよ。」
と、つぶやくリゲルも子供たちに勝手に仲間にされ、ピンク頭を触られていた。




